十三第七芸術劇場
十三第七芸術劇場が5月末をもって閉館することとなった。
いつ行っても客が10人を越えることはなかったから、致し方ないとは言えよう。
私は、この映画館が好きだった。スノッブ・インテリ系にも、カルト若者系にも特に「おもねる」ことなく、どちらかというとそっけなく、企画上映される作品に対する深いコミットを意識的に避けているようなふしが見られるところが好感が持てた。
何よりも特筆すべきなのはそのロケーションだ。十三の歓楽街の真っ只中にある。最終回の上映に行こうと思えば、おりしも出勤途上のフィリピン人やタイ人の女性たちをかき分けていくことになる。レイトショウを見終わった帰りならば、そしてあなたが男性ならば、猛烈な呼び込みに遭遇することになる。
たとえばある種の映画が振りまいたかもしれない「第三世界との連帯」といった美しい「物語」は、ことごとく「解毒」され、あなたが阪急十三駅についた頃にはすっかり酔いも醒めた状態になるというわけだ。
関西からまた映画の灯が一つ消える、みたいなセンチメンタルな表現は避けよう。終わるべきものであるならば、終わるのが正しい。今回のプログラムもまさに「終わり」を考えるのにふさわしいものであった。
「アレクサンドルの墓−最後のボルシェヴィキ」、メイエルホリドやエイゼンシュタイン、ジガ=ヴェルトフの同時代のソ連の映画監督アレクサンドル・メドヴェトキンの足跡を関係者へのインタヴューや資料映像によって再構成した、1993年の作品。監督は、今回も同時上映されたメドヴェトキンの『幸福』を、1971年に初めてフランスの観客に紹介したクリス・マルケルというフランス人。
30年代初めにはスタジオや現像設備を備えた「映画列車」の運動を組織し、第二次大戦期には前線の兵士達に自ら考案した小型カメラを持たせた。誰もが俳優であると同時に撮影者であり、観客でもあるような映画。そのような映画の「実験」、映画の「革命」への興奮も、しかし、『幸福』を観るときに感じられたかもしれないかけねなしの喜びとともに、もはやとり返しがつかないほどに「終わってしまった」ように感じられる。
メドヴェトキンがスターリン期に処刑されず、ソ連崩壊を見届けるまで「天寿をまっとう」し得たのはいわば歴史の偶然であって、スターリンを礼賛する映画を作ってしまったからではないだろう。そして「とり返しがつかない」のは「転向」や「屈服」のことではなく、「映画が政治に利用された」といった事柄でもない。
映画の百年の歴史が「社会主義」の百数十年の歴史とともに、次第に速度を失いながら収束していくような、そんな想念をもてあそんでしまうのは、やはりあまりに観客の少なすぎる寒々としたこの客席のせいだろうか?
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1999/05/10