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彼らのテロリズム、我らのテロリズム

エクバル・アーメッド
コロラド大学ブールダー校における講演、1998年10月12日
Free Speech

1930年代から1940年代にかけて、パレスチナのユダヤ人地下組織は「テロリスト」と呼ばれていました。事態は次第に変っていきます。
1942年、ホロコーストが進行しており、西側世界ではユダヤ人に対するリベラルな同情がある程度高まっていました。この時点でパレスチナのテロリストたち、すなわちシオニストのことですが、彼らは19944年から45年にかけて突如「自由の戦士」と呼ばれるようになります。メナヘム・ベギンを含む少なくとも2人のイスラエル首相が、テロリストと呼ばれていました。実際、彼らの写真とともに「このテロリストを捜査中、報酬はしかじか・・・」というポスターを歴史書の中に見つけることができます。私が見た報酬の最高額はテロリスト、メナヘム・ベギンの首にかけられていた10万英国ポンドでした。
1969年から1990年にかけて今度は、PLOすなわちパレスチナ解放機構がテロリスト組織の舞台のまんなかを占めることになります。ヤシール・アラファトはアメリカジャーナリズムの草分け、ニューヨーク・タイムスのウィリアム・サファイアによって「テロリストの頭目」として繰り返し描かれました。これがヤシール・アラファト。
さて、1998年9月29日、ビル・クリントン大統領の右側に立っているヤシール・アラファトの写真はなかなか面白いですね。クリントン氏の左側にはイスラエル首相ベンジャミン・ナタニヤフ。クリントンはアラファトの方を向いており、アラファトはまるで柔和なネズミのような表情です。数年前まで彼は、腰のベルトには銃をぶら下げて、もっと脅迫的な面構えだったはずです。これらの写真をみなさんも御記憶のことでしょう。そして次の写真も。
1985年、ロナルド・レーガン大統領は、あごひげをはやした一群の男たちと会見しました。私はこの人たちについて、当時ニューヨーカー紙に書きました。彼らはあごひげをはやしているだけではなくターバンも巻いていて、その残忍な見かけはまるで別の世紀からやってきたみたいでした。レーガン大統領はホワイト・ハウスに彼らを招き、その後記者会見をしましたが、その席上彼はこの男たちをゆびさし、きっと覚えてられる方もあるだろう、こう言ったのです。「彼らはアメリカの建国の父達とも比すべき志を持っている。」彼らこそ、銃を取って『悪魔の帝国』と闘う、アフガン・ムジャヒデンだったのです。彼らは建国の父達と道徳的に等価だと呼ばれたのですね!
1998年の8月、別のアメリカ大統領は、インド洋に停泊しているアメリカ海軍の艦船から、アフガニスタン領内のキャンプにいるオサマ・ビン・ラディンとその部下を殺害するために、ミサイル発射を命じました。私は、このビン・ラディン氏こそ、今や15発のミサイルがアフガニスタンに彼をめがけて撃ち込まれたところのこのビン・ラディン氏こそ、わずか数年前には、ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンと道徳的に等価だと呼ばれていたことを、みなさんに思い出させて困惑させたいと思っているわけではありません!「建国の父」の「道徳的等価物」から降格してしまった事実に彼は怒ったことでしょう。そして、彼はその怒りを別の方向へ向けたのでした。この問題については後にもっと詳しく見てみることにしましょう。
いいでしょうか?私がこれらすべてのお話を持ち出したのは、テロリズムという問題が少々複雑な様相を呈していることを指摘しておきたいからです。誰がテロリストであるかは、変ります。昨日のテロリストは今日の英雄であり、昨日の英雄は今やテロリストに成り果てます。不断に変化するイメージの世界では、これはとても重要なことで、私たちはテロリズムとは一体何なのか、何ではないのかについて冷静に見極めつづける必要があります。そしてもちろん、さらに重要なことは、その原因は何なのか、どのようにして止めることができるかなのです。

テロリズムに関して次に問題になるのは、その首尾一貫性のない本質から必然的に、その言葉を定義することが困難だということです。一貫性がなければ、定義できないのです。私は少なくとも20のテロリズムに関する公文書を調べました。しかしただ一つとしてその言葉を定義したものはないのです。すべてはそれを、説明し、または情緒的、挑発的に表現し、私たちの知性の作用に対してではなく情動に働きかけようと呼びかけているだけです。一つだけ代表的な例を挙げましょう。1984年10月25日、合衆国国務長官ジョージ・シュルツ氏はニューヨークのパーク・アベニューのシナゴーグ(訳注:ユダヤ教の寺院)で演説を行いました。これはテロリズムに関する長大な演説でした。国務省のレポートで一行間隔で7ページにわたるものです。しかしこの中でたった一度もテロリズムという言葉の定義は見当たりません。例えばこんなふうに、です。
第一の定義:「テロリズムとは、我々がテロリズムと呼ぶところの、近代における野蛮である。」
第二の定義は、もっとすごいです。いわく:「テロリズムは政治的暴力の一形態である。」驚きませんか?合衆国国務長官ジョージ・シュルツ氏がこう言ったのですよ。それは政治的暴力の一形態であると。
第三の定義:「テロリズムとは西洋文明への脅威のことである。」
第四の定義:「テロリズムは西洋の道徳価値への挑戦である。」
お気づきでしょうか、これらはすべてあなたの感情を燃え立たせようとしている表現以外のものではないのです。これが典型です。彼らはテロリズムの定義をしません。なぜなら言葉の定義をするためには分析と理解への努力が必要だし、何らかの基準と一貫性を遵守しなければならないからです。これこそが、テロリズムに関する公式の見解の第二の特徴です。

三番目の特徴は、定義すらしないからといってこれらの政府高官たちが、問題を全地球化することの妨げにはならないという点です。私たちはテロリズムの何たるかを定義しない、しかしそれば西洋文明の価値体系に対する挑戦なのであり、人類への挑戦でもあるのです。それは、よき秩序への脅威であり、従って全世界においてそれを排除しなければならない、と。問題は世界化します。それを破壊するには地球の隅々に到達しなければなりません。対テロ政策は、従って地球的なものとならざるを得ません。ジョージ・シュルツ氏は同じ演説の中で「テロリズムに対抗するために必要とされる時は、いつでも、どこでも、我々の軍事力を行使できることに関しては、疑問の余地がない」と言っています。つまりそれには地理的な限界というものがない。同じ日にアフガニスタンとスーダンがミサイル攻撃を受けるのです。これらの2国は相互に2300マイル離れています。これらの国に、今度はそこからおよそ8000マイル離れた国に所属するミサイルが撃ち込まれたのです。射程距離は地球化しました。

4番目の特徴。権力を求める人々は全地球的であるのみならず、全能なのです。我々は奴等がどこにいるか知っている、だからどこを攻撃すればよいか分かっている。私たちにはそれを執行する方法がある。私たちにはそれを知ることができるシステムがある。我々は全能である。シュルツ氏いわく:「私たちはテロリストと自由の戦士の区別を知っています。それを見分けることなど、わけはありません。」
自分があるときは味方であり、あるときは敵であることを、オサマ・ビン・ラディンその人だけが知らないわけです。オサマ・ビン・ラディンにとってもこれはとても困った問題だったでしょう。彼の問題についてはもう少しあとで検討しましょう。とてもリアルな問題ですから。

5番目。テロリズムに対する公式のアプローチでは、必ず、その原因は何なのかと言う問題を避けて通ります。ある人物がテロリストになる理由を見ようとしないのです。原因だって?何の原因?そんなことを言うなんて、君たちはきっと彼らに同情的なんだろう?と言うわけです。
もう一つ例を挙げます。1985年12月18日のニューヨーク・タイムス紙はこう報じています。ユーゴスラビア、そんな国があった時代を覚えてらっしゃる方もいらっしゃるでしょう、そのユーゴスラビアの外相が合衆国国務長官に対して、パレスチナのテロリズムについてその原因について検討することを求めました。国務長官ジョージ・シュルツ氏は、ニューヨーク・タイムスの記事によると、「顔をやや紅潮させ、テーブルを叩き、来訪中の外務大臣に向かって言った。原因が何の関係があるというのですか。以上。」なぜ原因を探す必要がありますか、という訳です。

6番目。テロリズムに対して私たちが感ずるに違いない道徳的な嫌悪感というものは、選択的であるということです。公的には認められていないグループに対して、私たちは恐怖を感ずるようになっています。政府が公的に認めているグループのテロに対しては、今度は賞賛することになっているのです。こうして、レーガン大統領が「私はコントラだ」と言い出したりする訳です。ニカラグアのコントラ(訳注:ニカラグアのサンディニスタ政権に対する武装抵抗組織)は、いかなる定義に従っても、テロリストに他ならないことを私たちは知っています。メディアもテロリズムに対する支配的な見解に用心すべきです。

支配的な見解は、私の考えではこちらの問題の方がより重要に思えるのですが、同盟国の政府によるテロリズムを見過ごしています。この問題についても後で触れましょう。というのはこのことが、ピノチェット(彼によって私のもっとも親しい友人の一人が殺されました)(訳注:チリのアジェンデ政権を軍事クーデターで倒した将軍)や、オルランド・レテリエの暴力を容認し、パキスタンでは私のたくさんの友人を殺したチア・ウル・ハクの圧政を認めてきたからなのです。ぜひともあなたたちに知っていただきたいことは、私の幼稚な試算によれば、チア・ウル・ハクやピノチェットや、その他アルゼンチンやブラジルやインドネシアで行われてきたような国家によるテロリズムによって殺された人の数と、PLOなど組織によるテロで殺された人の数との割合は、実際低めに見積もっても数十万対一ぐらいになると思います。そういう割合なのです。
不幸にして歴史というものは弱きものではなく、権力に対して展望を与え、これを承認してきました。従って歴史的に承認されている視点というのは支配的なグループのものなのです。私たちの時代において、それはまさにこの日、コロンブスの日から始まりました。
コロンブスの日に始まった時代というのは、決して記録はされなかったホロコーストの時代だったのです。偉大な文明は消滅させられました。マヤ、インカ、アズテック、そしてアメリカ・インディアン、カナダ・インディアンはすべて絶滅しました。彼らの声は聞こえません、現在に至っても決して十分には。それらの声は少しずつ聞こえ始めています、しかし、ほんのわずかです。彼らの声は聞き取れます、確かに。でもそれは支配的な権力が傷を負ったとき、抵抗運動がその代価を強要し犠牲という形で姿をあらわしたときに過ぎません。すなわちカスターが殺され、ゴードンが囚われたとき。その時だけ、インディアンは闘っているのだということがわかります。アラブ人は闘って、死につづけているのだということが。

私がここで挙げたい最後の論点は、合衆国の政策というものが冷戦の全期間を通じてテロリスト政権を次から次へと、支えてきたという点です。ソモサ(訳注:ニカラグアのサンディニスタ革命以前の政権を支配していた家族)、バチスタ(訳注:ボリビアの独裁者)、これらすべての暴君はみなアメリカの友だったではないですか?これには理由があります。私や君には罪はない。ニカラグアではコントラが、アフガニスタンではムジャヒデンが、そしてエル・サルバドルでは、などなど。
今やこちらの側の問題です。あなたたちはもう十分苦しんだでしょう。でももう少し苦しんで下さい。
もう一つの側も、ちっともよかった訳じゃありません。このもう一つの側を賞賛するために、私はやってきた訳じゃありません。ですが、バランスというものを心に留めておいてほしいのです。現存する不平等というものを心に留めて、まずは自らに問うて見て下さい、テロリズムとは何だろうか?と。
最初になすべきことは、この不愉快な事象を定義付けることです。名前を与えること、何でもいいが少なくとも「建国の父との道徳的等価物」や「西洋文明に対する道徳的な攻撃」よりはましな、記述を与えることです。ウェブスターの大学生向け辞書を調べてみましょう。すなわち:「テロとは集中的な、圧倒的な恐怖のこと」。テロリズムの定義にあたっては、その派生語テロライズ(恐怖させる)という動詞を用いています。「人を恐怖させるような手段を用いて、政府を支配し、もしくは政府に反抗すること」。この単純な定義には、少なくとも一つの利点があります。すなわち、公平だということ。実に公平です。それは執拗な暴力によって、不法に、超憲法的に行使される暴力によって強要されるというところに重点を置いています。テロというものを、それが政府が犯すものであれ、私的な団体が犯すものであれ、その本質にしたがって定義している点で正確なのです。

お気づきでしょうか?動機というものが除外されているのです。目的が正しいか正しくないかについては語られていません。合意があるか、同意があるか同意がないか、合法性があるかないか、合憲性があるかないか、そればかりが語られています。なぜ動機を除外するのでしょう?動機はそれぞれ違います。それぞれ違うからこそ、関係ないというのでしょうか?

私は自分の著作の中で、テロリズムを5つのタイプに分類しました。
第一は、国家によるテロリズム。第二は宗教的なテロリズム。宗教によって扇動されるテロリズム、例えばカトリックがプロテスタントを殺し、スンニー派がシーア派を殺し、シーア派がスンニー派を殺し、そういった神、信仰、聖なるものと関連づけられるとお望みならば言ってもよい、そういったテロリズムです。国家、教会、そして犯罪。つまりマフィア。すべての犯罪はテロリズムをその内容とします。そして病理学的な原因によるものです。あなたは病的である。あなたは病んでいる。あなたは世界中の注目を集めたい。あなたは大統領を殺さなければならない。あなたはそうするだろう、あなたは人々を恐怖に陥れるために、バスを乗っ取るだろう。5番目は、パレスチナ人、バーダー・マインホフ(訳注:旧西ドイツの赤軍派)、レッド・ブリゲード(訳注:イタリアの極左都市ゲリラ「赤い旅団」)など。私的なグループによるテロリズム。対抗的テロ。
この5つのカテゴリーを心に留めておいて下さい。それからもう一つ。これらの5つはしばしば相互に浸透します。あなたは抗議的なテロを始めた、しかしあなたは次第に病的になった、それでも続ける。そんなふうにして相互に交じり合います。また、国家テロも私的なテロの姿を身に纏います。例えばラテン・アメリカ諸国やパキスタンにおけるデス・スクウォッド(殺人部隊)のことはよくご存知でしょう。政府が反対派を殺害するために私人を雇うわけです。それは公的なこととは言えません。いわば民営化されている訳です。相互の変容。例えば、政治的テロリストが病的になること、犯罪者が政治に関与しはじめること。例えばアフガニスタンや中央アメリカではCIAはその秘密作戦においてドラッグ関係者を雇います。麻薬と銃はしばしば同根なのです。密輸においては何を運ぶにせよ、しばしば一緒なのです。

これらの5つのタイプのテロリズムの中で、しかしながら焦点は、少なくとも人命や人的な財産に対する被害、コストという側面では、最も重要ではない、最後のカテゴリーに当てられているのです。すなわち「その主張を現出させることを求めている政治的なテロリズム」。コストが最大のものは国家テロリズムです。20世紀においては宗教上のテロは、相対的には減衰しているとはいえ、やはり2番目はこのカテゴリーでしょう。歴史的に見れば、宗教上のテロリズムが圧倒的な被害を生み出していることが分かります。コストの面で次に来るのは犯罪です。そして病理。ブライアン・ジェンキンスが行ったランド・コーポレーションの調査では1988年までの10年間に発生したテロ事件の50%が、一切の政治的動機なしに行われたといわれます。非政治的、純然たる犯罪もしくは病理。
にもかかわらず焦点は、ただ一つ、政治的テロに当てられます。PLO、ビン・ラディン、お望みならばその他誰でも。なぜ奴等はそんなことをするんだ?何が奴等を動かしているんだ?
私はあなたたちのために、こいつらを早々にやっつけてあげたい。そのためには、第一に彼らの主張が聞かれることが必要です。想像してみて下さい。これらの政治的な私的なテロリストにあっては、少数派のグループが問題になっているのです。まず、主張を聞きましょう。通常は、例外もありますが、主張を聞いてもらうような努力が、不平を人々に聞いてもらうための努力がなされています。しかし聞かれない。少数派は行動に出る。多数派はこれを賞賛する。
たとえばパレスチナ人、我々の時代のスーパー・テロリストであるパレスチナ人は、1948年にその土地を追われました。1948年から1968年にかけて、彼らは世界のあらゆる裁判所に訴えを提出しました。しかし彼らに対して、世界中のすべての法廷はそのドアを閉ざしました。彼らは土地を追われた。彼らはこう言われました。彼らが土地を失ったのは、あるラジオ局が彼らに退去を勧告したからで、そのラジオ局はアラブ系のものでしかも情報はウソだった。誰も真実に耳を傾けるものはいない。こうして彼らは、まさに彼らの発明による、新たなテロリズムの手法を生み出したのです。すなわち、航空機のハイジャック。1968年から1975年にかけて、彼らは世界の耳目を集めることに成功しました。彼らは私たちを引きずり出し、「聞け、聞け」といいました。私たちは聞きました。私たちは依然として彼らに対して正義を実施していません。しかし少なくとも私たちは知ることができました。イスラエルさえも認めました。イスラエルの首相ゴルダ・メイアが1970年に行った発言を覚えていますか?「パレスチナ人などというものは存在していない。」しかし今や彼らは厳然として存在しているのでした。オスロ合意において我々はまたしても彼らを欺いている。少なくとも出し抜こうとしている人々がいる。その人々を押さえることを我々はできないでいる。主張が聞かれる必要性、それが極めて肝要です。動機というものがそこに存在しているのですから。
怒りと救いようのない絶望感から、攻撃への騒動が生まれます。あなたは怒っている、あなたは絶望している。あなたはやり返したい、怒りをぶちまけて恨みを晴らし、報復という正義を実現したい。歴史的に、強者によって加えられた暴力の記憶は、被害者をテロリストにします。虐待された子供は、嗜虐的な親や、暴力的な大人になると言われています。みなさんもご存知でしょう。このことが民族や国に対して行われてきたのです。虐待されれば、反撃します。国家テロはしばしば集団的なテロリズムを生み出します。
ホロコーストの期間とその後を除いては、ユダヤ人はいずれにせよ、一度もテロリストではなかったという事実を思い出して下さい。多くの研究によれば、イスラエルもしくはパレスチナで最も凶悪なテロリスト・グループのメンバーの大多数はスターンおよびイルグンのギャングです。彼らは東ヨーロッパとドイツでも、最も反ユダヤ主義傾向の強かった地域からの移民で構成されています。同様にレバノンのシーア派の若者や、難民キャンプ生まれのパレスチナ人はひどい目に会った人たちです。彼らはとても暴力的になります。ゲットーというものは、内的に暴力的な場所なのです。目に見える特定できる外部の標的が見つかれば、外に向かっても暴力的になります。「こいつがおれたちをこうしたんだ!」と言える、敵を見つけることができれば、彼らはやり返すことができます。
手本、と言うのはよくないものです。それは広がります。ベイルートにおけるTWAのハイジャックは、大規模に報道されました。このハイジャックの後、アメリカの9つの空港でハイジャック未遂事件が起こりました。病的な人々が、模倣したのです。政府によって作られる手本はもっと深刻です。政府がテロに関与すると、それは極めて大きな見本を提供することになるのです。テロリズムを政府が支持すると、その見本は広がります。

このような被害経験に根差すテロリズムには、革命的な理論が欠如しているのが特徴です。革命家達は思慮の浅いテロを行いませんでした。革命思想に詳しい皆さん方の中には、ご存知の方も多いでしょう。ヨーロッパの革命派の間で、あるいはアナキストとマルクス主義者の間で、激しい議論やいさかいや闘争があったことなど。しかしマルクス主義者は革命的なテロリズムと言うものは、もし実行するとしても社会学的にも心理学的にも選択的なものでなければならないと主張していました。人質を取るな、絶対に子供は殺すな、と。中国やベトナム、アルジェリアやキューバにおける偉大な革命においては、決してハイジャックのようなテロ行為は行われなかったことを想起して下さい。彼らは実際にテロリズムを行っていました。しかしそれは高度に限定され、選択的な性質のものでした。テロリズムという現象にとって、かかる革命的理論の欠如こそ、おそらくは第2次世界大戦後に始まった、中心的な問題と言えましょう。

最後に問いたいのは、このような状況は長期にわたって存在してきのに、何故に、突如としてかかる私的かつ政治的なテロリズムが激発しはじめたのだろうか?どうしてこんなにも目に見えて増えてきたのでしょうか?答えは、現代のテクノロジーにあります。あなたには何か主張したいことがある。あなたはそれをラジオやテレビで伝えることができる。あなたが飛行機を乗っ取って、150人のアメリカ人の人質を取ったら、そのラジオやテレビはあなたに押し寄せてくるだろう。彼らはあなたの主張を聞くだろう。こうしてあなたは何マイルも離れた標的を撃つことのできる近代兵器を手に入れたわけだ。近代的な通信手段。強要の道具であり、かつ通信の道具。こうして新たな種類の政治が出来上がるのです。

この挑戦に対して、国家という国家はすべて、きわめて伝統的な方法で対応しようとしました。銃で撃ち殺すこと、ミサイルを撃ちこむことであれなんであれ。イスラエル政府は、そのやり方をとても自慢しています。アメリカ人も自慢しています。フランスも自慢しはじめています。今やパキスタン政府も自信たっぷりです。「我々の特殊部隊は最高だ」とパキスタン政府は言います。端的に言って、それはもう役に立ちません。我々の時代における、政治的な、中心的な課題は過去に根差していて、しかも現代は新たな現実を作り出しているからです。という訳で、結論です。我々がアメリカ政府に推奨するのは。

手短に言います。まず、異常な二重の基準(ダブル・スタンダード)をやめること。こんなことをやっていれば必ず二重の基準によって報復されます。そんなやり方を使わないで。イスラエルのテロを容認し、パキスタンのテロを容認し、ニカラグアのテロを容認し、エル・サルバドルのテロを容認し、なおかつ、アフガンのテロやパレスチナのテロに対して不平を述べるなどというやり方を止めて。もうそれは役に立たない。公平であるように努力して下さい。超大国であるならば、地球のどこかでテロを推進しておきながら、どこか別の場所ではテロをやめろなどと、そんなことが理性的に言える訳がない。それはもう役に立たない。とりわけこのますます狭くなりつつある世界においては。
あなたの同盟国が執行しているテロリズムを容認しないでください。それを弾劾して下さい。それと闘って下さい。それを処罰して下さい。もう、秘密作戦や「低強度戦争」はやめて下さい。それはテロリズムと麻薬の温床なのです。暴力とドラッグはそこ、すなわち、秘密作戦という構造の中で生まれます。この問題について私は映画を作りました。「悪魔と殿取り引き」というタイトルのその作品は、ヨーロッパではとても評判でした。その作品の中で私は、秘密作戦の行われている場所ではどこでも、必ず麻薬の問題が生じていることを示したかったのです。アフガニスタンであれベトナムであれ、ニカラグアであれ、その他中央アメリカの諸国でも、秘密作戦の構造はきわめて麻薬密輸に対して寛容だからです。そんなことはやめてください。あきらめて下さい。そんなことをしても問題は解決しません。

原因に光を当て、そして、その原因を解決するために努力して下さい。原因を直視し、問題を解決して下さい。軍事的解決にのみ頼らないでください。軍事的解決を求めないでください。テロリズムは政治問題です。政治的解決が必要です。外交政策のみが解決方法です。
ビン・ラディンへの最近の攻撃を例に取りましょう。あなたは何を攻撃しているか知らない。彼らは知っているというかもしれない。しかし知らないのです。かつて彼らはカダフィを殺そうとしました。そうしてカダフィの4才の娘が死にました。かわいそうなこの子が何かしたというのですか?カダフィはまだ生きています。彼らはサダム・フセインを殺そうとしました。殺されたのはライラ・ビン・アタール、優れた芸術家です。もちろん何の罪もない女性です。彼らはビン・ラディンとその部下を殺そうとしました。しかし彼らの誰一人殺せず、代わりに25人の人が死にました。彼らはスーダンの化学工場を破壊しようとしました。今や彼らは無関係な工場を爆撃したことを認めています。これによってスーダンの薬品生産の半分がストップしました。化学兵器工場ではなかったのです。あなたには何を攻撃しているのか、わかっていません。わかっていると思っているだけです。
4発のミサイルがパキスタンに落下しました。一つは少しだけ、2つは完全に壊れていました。しかし一発は完全に新品でした。10年間にわたってアメリカの政府はパキスタンに対して、経済封鎖を行ってきました。それはパキスタンの政府が愚かにも核兵器と核ミサイルを開発しようとしていたからでした。こうして私の国は、科学技術に関する封鎖を行われていたのでした。そしてこの一発のミサイルは無事だったわけです。パキスタンの当局者が、ワシントン・ポストの取材に答えてどう言ったと思います?これはアラーからの贈り物だ、私たちは合衆国の技術が喉から手が出るほどほしかった、今や私たちはそれを手にした、現在我が国の技術陣がこのミサイルをきわめて仔細に調査している、と。こうしてミサイルは、よからぬものの手に渡ってしまうこともあるのです。ですから、そんなことはやめてください。政治的解決を求めて下さい。軍事的解決を求めないでください。それは、解決するよりたくさんの問題を発生させてしまいます。
国際法の枠組みを整備、強化して下さい。ローマには刑事法廷があります。なぜまずそこへ行ってビン・ラディンの逮捕状を取ろうとしないんですか?模試、証拠があるというのなら、まず逮捕状を取り、それから追いかけるべきでしょう?国連を強化しましょう。国際法廷を強化しましょう。今のような一国主義はとても愚かで、むしろ弱さを露呈しています。

質疑応答

今のご質問は、ビン・ラディン、いまアフガニスタンにいるこのサウジ人について、私があとから何かお話をしましょうといったまま、していなかったということについてですね。ちょっと細かくなりますけど。ビン・ラディンに関する要点は、シーク・アブデル・ラーマン氏の問題とほとんど同じです。この人はニューヨークの世界貿易センタービルの爆破を扇動した容疑で起訴されています。ニュウーヨーカー紙にはこの人について長大な記事を載せています。アイマル・カンシについても同じです。この人はパキスタンのバルチ人で2人のCIA要員の殺害容疑で起訴されています。簡単に纏めさせていただきます。
「ジハード」という言葉は、もう何千回も「聖戦」と訳されていますが、実はそんなものじゃありません。「ジハード」という言葉はアラビア語で「闘う」ことを表します。暴力的な闘争も、非暴力的な手段を用いたものも含まれます。この言葉の指し示すものには2つの形態があります。小さな「ジハード」と、大きな「ジハード」。小さな「ジハード」は暴力的です。大きな「ジハード」は自己との闘争を表します。これがこの言葉の持つ概念なのです。
今、私がこの話を持ち出したのは、イスラムの歴史において、「ジハード」というものが国際的な暴力的な現象として現れることは、この400年間ばかりなかったからなのです。これには十分な現実的な理由があったのです。ところが、突如として1980年代に、アメリカの手助けによって息を吹き返したのです。ソビエト連邦がアフガニスタンに介入したとき、アフガニスタンと国境を接するパキスタンの軍事独裁者チア・ウル・ハクは、これを神なき共産主義者に対する「ジハード」を遂行するチャンスと考えました。合衆国は、これこそレーガン氏が言うところの「悪魔の帝国」に対する戦争に、10億人のイスラム教徒を動員できる「神の贈りたもうた」またとないチャンスと見たわけです。
巨額の金銭が流れ込みはじめました。CIAのエージェントは世界中のイスラム諸国に飛び、偉大なる「ジハード」に参加する若者を募集し始めました。ビン・ラディン氏は、このようにしてかなり早い時期にリクルートされた優等生の一人だったのです。彼はアラブ人、しかもサウジアラビア人、さらに大富豪で自分の資産をその志のためにいくらでもつぎ込むことができる。こうしてビン・ラディン氏自ら、共産主義に対する「ジハード」のために闘う人々を集めはじめるのです。


私は1986年に初めて彼に会いました。あるアメリカの高官、彼が諜報関係者だったのかどうかはわかりません、が私に紹介してくれたのです。「こちらに誰か面白いアラブ人はいませんか?」と私はこのアメリカ人と話しているときに言いました。「こちら」というのはアフガニスタンやパキスタンを指しています。彼が言うには「オサマと会うといいよ」とのことでした。こうして私はオサマと会うことになります。彼はいました。裕福で、アルジェリア、スーダン、エジプト、いたるところから採用された部下を連れていました。ちょうど、シーク・アブデル・ラーマンのように。この男は味方だったんですよ。味方でありつづけたんです。
ある一点を期して、彼は敵に回ります。1990年に合衆国はその軍隊をサウジアラビアに送ります。サウジアラビアはイスラム教徒にとって神聖な土地です。メッカとメジナがあるからです。そこに外国の軍隊が入ったことはありませんでした。1990年の湾岸戦争の際、ここにアメリカの軍隊がやってきました。サウジアラビアがサダム・フセインを倒すのを助けるために、と言って。ビン・ラディンはまだ沈黙を守りました。こうしてサダムは敗れました。なのにアメリカの軍隊はこのカーバ(メッカにあるイスラムの聖地)の土地にとどまりつづけました。外国の軍隊がです。彼は手紙を書きまくりました。「なぜここにいる?出ていってくれ!あなたは手助けをするといってやってきた、なのにまだ居座っている」と。
ついに彼は、この新たな占領者に対して「ジハード」を開始するのです。彼の目的はサウジアラビアからアメリカの軍隊を追い出すことでした。彼のかつての目的は、アフガニスタンからロシアの軍隊を追い出すことでした。私が先ほど、「秘密作戦はやめてください」とお話した意味がお分かりいただけたでしょうか?

彼についてもう一点指摘しておきます。彼らは基本的に部族的な人々、部族社会に生きている人々なのです。大富豪であろうと、それは関係ありません。彼らの道徳規範は部族社会のものです。部族社会の道徳規範は、二つの言葉で構成されています。すなわち、忠誠、そして報復。
あなたは私の友人である。あなたは約束を守る。私はあなたに忠誠を誓う。しかし、あなたが約束を違えた。私は復讐の道へ向かう。彼にとってアメリカは約束を違えたのです。忠実であろうとした友に裏切られたのです。血をもって忠誠を誓ったものが、あなたを裏切ったのです。あなたが忠誠を誓ったものが、今度はあなたを付けねらいはじめ、あなたにもっとひどいことをしようとしている、というわけです。

アフガン戦争のツケが今回ってきているのです。秘密作戦をやめてくださいと、私が申し上げたわけはこういうことです。アメリカ人が決して計算できなかった、とても高額なツケが回ってきたのです。キッシンジャー氏みたいな人物はこのことを知るよしもありません、知るべき歴史を持っていないのですから。

エクバル・アーメッド(Eqbal Ahmad), ハンプシャー大学アムハースト校(マサチューセッツ)国際関係学部名誉教授、季刊「人種と階級」誌編集者。著書多数。彼の著作は「ザ・ネーション」、「夜明け(パキスタン)」など、世界中の雑誌に取り上げられている。1999年死去。
掲載はコロラド大学のご好意による。

http://www.freespeech.org/