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嘉手納町文化センターでの発言(2000/07/20)

提供: 平和市民連絡会


5月4日ビエケス女性委員会 ルーシー・マルドナード

 みなさんこんばんは。私はここにいることがとてもうれしいし、誇りにも思います。御招待くださってとても光栄です。
 ビエケスから沖縄まで来るのは簡単なことではありませんでした。でも、沖縄の皆さんが苦しめられていることを知りましたし、その苦しみがビエケスの人々の苦しみと同様のものであることも知りました。これから私はビエケスに帰りますけれども、沖縄の人々の闘いをビエケスに持ち帰りたいし、またこれから世界中に伝えていきたいと思っています。
 私達が味わっているようなガンによる苦痛をあなたがたがあじわわないですむように、神に願います。ビエケスには2歳の女の子なのに、もう癌になっている子どもがいます。彼女の体はウラニウムがむしばんでいるのです。
 私は、市民的不服従の運動に参加して海軍基地の中に入ったために2回逮捕されました。でも、たとえ獄につながれることになったとしても全然後悔しません。これは世界のすべての人々のための闘いなのですから。
 いつの日か沖縄の人々も同じようにこの市民的不服従の運動に入るように私は心から願っています。それこそがアメリカ合衆国の海兵隊を沖縄から撤退させるただ一つの方法だからです。
 とにかく皆さん諦めないで、闘いを続けましょう。私達がビエケスでやってきたように。そうすればいつの日か軍国主義が地上から消滅すると、私は確信しています。ありがとう。

ビエケス島漁民組合委員長 カルロス・セノン

 私の名前はカルロス・セノンといいます。ビエケスの漁民組合の代表であす。
 これからビエケスのお話をしたいと思いますけれども、米軍がビエケスでやっていることと、沖縄でやっていることとそんなに変わらないと思います。
 米海軍がビエケス島を侵略したのは1940年でした。彼らは、島の両側に、住んでいた人を追い出して基地をつくりました。その真ん中の残りの土地にまるで収容所のように人々を押し込んだのです。今私達は島の中央部に、海軍基地に挟まれるようにして住んでいます。
 そのとき私は4歳でした。私の家はブルドーザーで壊されたんです。母は、この日におこったことを一生忘れるなと私に言い続けました。私の家族は移り住まなければならなかった。島の両側に住んでいた人々はすべて移り住まなければならなかった。海軍は、国家の防衛のためにその土地が必要だというのですから。
 あれ以来、ビエケスには平和はありませんでした。米海軍ははじめに島の西側を、そして島の東側を取りました。島の西側には弾薬庫が作られていて、17万5千トンの実弾を貯蔵しています。東側では爆撃演習を行っています。そんな島の真ん中に私たちは住んでいるわけです。
 海軍は海兵隊を何千人も連れてきたこともあります。たくさんの女の人が強姦されました。路上で殺された人もいました。路上で殴り合いをして倒れている海兵隊員を見たこともあります。平和なんて全然ありませんでした。たぶん彼らは沖縄でも同じようなことをしてきたんだろうと思います。私達は海軍から自分たちを守るすべを知らなかったから、海軍が島を全部とってしまうんじゃないかと思いました。
 このようにして彼らはビエケスの人々いじめ続け1978年に至ります。その頃には私はもう大人になっていましたが。今度は彼らはNATO軍を招待してこれに演習させる、そのために島の全域を管理下に置くということになりました。それ以前にも海軍はすでに島の漁業に打撃を与えていたけれども、NATO軍の演習を許せばこの島から漁業という産業が消えてしまうと、私たち漁民は考えました。
 海軍とNATO軍の合同演習が、28日間にわたって行われるという通知を受け取ったとき、私は漁民組合の代表としてビエケスの海軍司令官に会いに行きました。「28日間立て続けに演習をするというが、私たち漁民はどうなるんだ。」彼は、こう答えました。「私たち何百万ドルもかけてこれをやっているんだ。食糧配給券が出るはずだから別に問題はないだろう。われわれは予定通り演習を行う。」「そんなことをすれば、われわれ漁民はただではすませませんよ」と私は答えました。想像してみて下さい。単なるビエケスの漁民の一人合衆国海軍の司令官にこんな事を言ったんですよ。彼は笑い飛ばしましたけどね。
 私は戻って漁民のみんなに話した。この演習を許せば、彼らはやりたい放題をやる。漁業は消えてなくなるよ。家族を養うことができなくなる。海軍がこの島にやってきて以来たくさんの人がそうであったと同じように、私達もこの島から出て行かなければならなくなるよ。」
 78年2月6日朝7時から、水陸両用車両による上陸演習からその演習は始まることになっていました。水陸両用車両による上陸演習といえば沖縄の皆さんはよくご存知だと思います。第二次世界大戦のときにアメリカ軍がそうやってやってきたんですからね。朝8時までに、私たちは40隻ぐらいの木造の漁船を、その上陸作戦を止めるために準備していました。
 この会場に漁民の方が何人いらっしゃるかわかりませんけれども、とにかく私たちは、海の中でロープを使うんです。仕掛け網がどこにあるかが後で分かるように浮子の代わりに岩にロープをかけておきます。船がやってきてスクリューでロープを切ってしまうと私達は仕掛け網がどこにあったかもわからない。すべてがパーです。大損害です。こんな風にして海軍はわれわれの漁業に打撃を与えてきました。いいですか、スクリューがロープを切るんです。みなさんは、では私達がどうやってこの上陸作戦を止めたか不思議に思われるでしょう。なぜって合衆国の海軍は無敵と思われていますから。私達は、彼らが仕掛け網を破壊するそのやり方を利用したんです。ロープの先端に鎖をつけておいて、スクリューにロープが絡まると今度は鎖がスクリューに食い込んで、エンジンが止まるというわけです。(拍手)そうやって私達は上陸演習を阻止しました。
 それは私たちにとって歴史的な日でした。海軍に対して闘うことを決意すれば、私達はもっと多くのことができる、そう確信しました。今度は爆撃演習だって止めることができる、そう確信しました。この日こそ、私達の闘いの始まりの日だったのです。
 爆撃演習を止めるのは確かに危険を伴います。けれどもやらなければならないことでした。爆撃によって水が汚染され、人々の健康が害されていたのです。病気になる人、ガンにかかる人が増えていました。民間の人々がたくさん死にました。私達の海にはマナティーという動物がいます。沖縄のジュゴンに似た、やはり絶滅に瀕した哺乳類です。でも私達はここでは人間こそが絶滅危機種になっていると感じました。私達は私達の土地を守らなければなりません。私達は彼らが爆弾を投下している射爆場の近くまでボートで行って、今度はボートから飛び降りて射爆場に走り込むんです。見張塔から彼らは見ていて、民間人が射爆場に入ったと分かると、ただちに爆撃を止めるように連絡が行くんです。彼らは私達が射爆場に入るときはいつも新聞記者を連れてきていることを知っているからです。新聞記者が一緒じゃなかったら、彼らは私達を殺すかもしれない。合衆国の海軍は新聞記者の目の前で私達を殺すようなことはしない、だから私達はいつも彼らを連れて行くんです。
 78年から83年の間に、私たちは38回立て続けに爆撃演習をを阻止しました。(拍手)79年には29人が逮捕され、アメリカ合衆国本土の刑務所に送られました。1人は獄中で殺されました。80年には、ビエケスにおける海軍の爆撃演習に反対したという理由で、私は合衆国の3つの刑務所にたらいまわしにされました。それぐらいの代価は払わなきゃいけないですよね。人々が平和に生きることを望むなら、そのために支払わなければならない代価があるのです。私達が平和に生きることを防衛した、彼らが私を獄につなぐために負わせた罪は、たったそれだけなのです。(拍手)私は獄中にあっても少しも絶望しなかった。今日こうして私はここにやって来ることができました。漁民であっても、爆撃演習の止め方をあなたにお伝えすることができるのです。
 1999年4月19日、海軍は1人のビエケスの人間を殺しました。海軍は事故だと言っていますけれども、それは違います。私達は射爆場に入ることを決めました。そして15のキャンプを設営しました。それ以来、海軍はたった一発も爆弾を投下できていません。(拍手)
 2週間前、演習を再開すると海軍は発表しました。そして、海軍が持ってる最大規模の戦艦、空母ジョージ・ワシントンを派遣してきました。ビエケスの漁民達はこれを許しませんでした。もうたった一発の爆弾も許しません。5つのボートに乗って射爆場に行き中に入りました。私達は爆撃を止めました。ジョージ・ワシントンが島を爆撃するのを止めたのです。私達が爆撃を阻止するために維持してきた15のキャンプの人々を挑発するために、こんどは彼らは連邦保安官と海兵隊をビエケス島に導入してきたんです。240人が逮捕され、プエルト・リコのサン・フアンの連邦裁判所に連れて行かれました。
 さて、ここのところをよく聞いてほしいのです。これが私達が合衆国海軍と渡り合ってきたやり方なのですから。つまり、240人が逮捕されて連れて行かれた、その2日後新たな300人がキャンプに行くために基地に入るんです。50人、100人あるいは75人が逮捕されるたびに同じ数の人々がキャンプに入ります。現在2千人の海兵隊がフェンスのまわりを警護していますが、彼らが知っているのはどうやって人を撃ち殺すかであって、平和的に闘っている人の扱い方を彼らは知らないのです。こんな風に平和的に闘っている人々を前にすると、どうしていいかわからないのです。(拍手)
 フェンスを警備している2千人の海兵隊の目を盗んで基地にどうやってはいるか。75人ぐらいのグループが陽動作戦をやります。彼らは立ち入り禁止区域には入りません。やかましい音を立てたりして騒いだりして警備の注意を引きます。警備の兵隊は全部そっちに来る。それを確認してから、150人が別のところから基地に入るわけなんです。(拍手)
 成功の秘訣は何だと思いますか?実はちょっとお土産があるんです。(鉄条網の破片を手にしながら)沖縄にもこれあるでしょう。私達が基地に入るとき、確かに私たちは法を破ることがあるけれども、これは彼らの法であって私達の法ではない。(拍手)フェンスを破るために私達は大きなはさみを使います。フェンスを切って75人を基地に入れると同時に、ボートで、射爆場にはいるなんていうこともします。
 彼らは世界に向かって、ビエケスの人々は暴力的だと言います。彼らは世界に向かって、国防のためにはビエケスが必要なのになぜ私達がこんなことをするのかわからないといいます。沖縄でも同じようなことを言っているでしょう。彼らを信用してはいけない。彼らは嘘ばかり言います。彼らは国防のためにビエケスが必要という。国防のために沖縄が必要だという。おそらく国防のために韓国も必要だというだろう。私達は国防のためではなく、生きるために私達の土地が必要だ。私達は私達自身を防衛しなければならないのです。(拍手)
 今度は彼らは住民投票をすると言い出しています。ビエケスの人々が海軍に出て行って欲しいか、いてほしいか、それを見るための投票なんですけれども、まずもって、なぜ海軍が出て行くために私達が投票をしなければならないんですか?どうして「彼らが」投票を実施するのですか?これは私達が決める問題であって、彼らが決めることじゃない。それに、これは人権の、人間の尊厳に関わる、あるいは原理原則の問題なんですよ。住民投票で決められることではありえないんです。
 私がこうして沖縄にいる間にも、サン・フアンでは650人が裁判で係争中です。彼らは市民的不服従の闘いとしてフェンスの中に入ったことをもって逮捕されたのです。私がビエケスに帰る頃には、700か800になっているでしょう。しかし、はっきりしているのは、海軍がビエケス島から撤収するまで、私達は射爆場に入ることを決して止めません。(拍手)
 彼らの言葉に注意しましょう。彼らは「良き隣人」になりたいと言います。良き隣人はあなたを傷つけることはしないでしょう。良き隣人は爆弾を落としてあなたの健康を害したりはしないでしょう。良き隣人はあなたが平和に暮らせることを望むでしょう。良き隣人は女の人を強姦したりしません。でもこれが彼らがいつも使い続けている言葉なんです。だから注意しなければいけません。彼らは、「われわれは良き隣人でありたい」という。私達はそんな隣人はいらない。良き隣人でありたいなら、出て行ってくれ。彼らはビエケスから出て行くべきだ。沖縄からも、世界中どこからも、出て行くべきだ。(拍手)
 彼らは国防のためにビエケスが必要だという。国防のために沖縄が必要だという。国防のために韓国が必要だという。誰が守ってほしいといっているのか?防衛のために爆撃演習が必要なら、ヨーロッパを爆撃すればよい、カリフォルニアでもシカゴでも爆撃すればよい。マサチューセッツ州やカリフォルニア州をはじめ、合衆国には121の無人島がある。でも彼らはそれらを絶対射爆場には使いたくないのだ。彼らが破壊したいのはあなたたち、わたしたち、プエルトリコや韓国の人々なのです。
 今日は基地包囲に参加しました。とっても良かったと思うし、皆さんを尊敬もします。ただ私の意見では、それだけではなくて、もうちょっとやらなければならないことがあると思う。(拍手)この問題を沖縄の中だけにとどめるのではなくて、世界の舞台にこれを持ち込んでいかなければならない。私達がビエケスでやってきたのと同じように、世界中の人々が、ここで何が起こっているのかを知るようにしなければならない。(拍手)私は世界中のいろんなところに招待されて、ビエケスについてお話しをしてきましたが、今やあなたたちの苦しみが、私達のものであることが分かったからには、これからは、招待されたところどこででも、沖縄について、韓国について、話をするつもりです。
 最後に、これは非常に集中して聞いていただきたい。彼らは世界で一番強大な軍事力を持っているがゆえに、彼らには威信があるという。私達には軍艦はないし、大砲もない。彼らと戦う武器を私達は持っていない。しかし私達は、アメリカという国が何者なのかを知っている。もし、海軍がビエケスにとどまり、爆撃を続けるというのなら、私達はビエケスという島で、彼らの威信を粉々にすることができる。(拍手)
 これはさっきルーシーがお話しをした2歳の女の子の写真です。彼女は今、癌で死にかかっています。海軍が演習で劣化ウランを使用していることによるものです。ビエケスでは癌の発生率がプエルトリコ全体よりも33.9%高い。多くの患者が子どもです。この写真を持ってきたのは、あなた自身がこの子の父親であり、母親であり、死にゆく子ども自身であり得たことを考えてみて欲しいからです。合衆国海軍がいるために癌にかかって死んでいかなければならないのです。これらの人々の苦しみを思えば、私達は私達の尊厳のために闘い続けなければなりません。海軍が私達の島から出ていく日まで、私達は市民的不服従の闘いを続けなければなりません。ありがとうございました。