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合衆国の潜水艦、日本の船を沈没。9人が行方不明。

9人の捜索が続けられている

2001年2月11日/ジェニファー・ヒラー(アドバタイザー紙)

合衆国は昨日日本に対して愛媛丸の沈没に関し正式に謝罪した。一方で海軍はその最新鋭の最も洗練されたはずの潜水艦が、何故に日本船の存在を発見することなく浮上して衝突したのかという質問に困惑の色を隠せない。
原子力潜水艦USSグリーンビルが金曜日の午後、ダイヤモンド・ヘッドの南方9マイルの地点で日本の漁業練習船に衝突しこれを沈没させて以降、沿岸警備隊による行方不明者9人の捜索が継続されている。
日本の外務大臣コウノ・ヨウヘイ氏は首相官邸での緊急会談で、モリ・ヨシロウ首相に愛媛丸の沈没について報告した。
ブッシュ大統領は日本に対して謝意を表明し、国務長官コリン・パウエル氏はコウノ・ヨウヘイ外務大臣に電話で遺憾の意を伝えた。
日本ではモリ・ヨシロウ首相は首相官邸内に緊急対策会議を設け事態の進展を見守っている。日本のテレビは人々の沈痛な表情を伝えているが、一方で潜水艦乗組員の不注意に対する怒りと驚きも感じられる。
海軍は1999年3月以来グリーンビルの船長を勤めていたスコット・ワドル司令官(テキサス州オースチン)を更迭したと発表した。
合衆国太平洋艦隊の司令官であり潜水艦の乗務経験もあるトーマス・ファーゴ大将は昨日、愛媛丸との衝突時グリーンビルは緊急浮上訓練を行っていたのだと説明した。
「事故がどのようにして発生したかはいまだ不明であるが、悲痛な事件であり遺憾である。事故に巻き込まれた方々、その御家族及び日本政府に対し謝意を伝えたい。」とファーゴ氏は述べた。
彼によると海軍による調査はワシントン州バンゴールから派遣される第9潜水艦隊司令官チャールズ・グリフィス・Jr氏が指揮をとるとのことである。「事態の解明を急ぎたい」とファーゴ氏は述べている。

音波探知器系が問題か

調査によって浮上してきた問題点の一つは潜水艦の音波探知器システムが正常に動作していたのか、そしてそれは当然海上の練習船を発見しているはずではなかったのかという点である。
愛媛丸船長のヒサオ・オオニシ氏は衝突当時愛媛丸のエンジンは稼働中であったと昨日述べている。
だとすればグリーンビルの音波探知器は容易にその音を検知できたはずだ。潜水艦の専門家によると、音によって物体を検出する音波探知器システムは、エンジンを停止している船舶をしばしば見逃すことがあるという。
彼らによるとまた音波探知器の性能は波のうねりによって減殺されうるともいう。事故当時6から8フィートのうねりがあった。
グリーンビルはその日、金曜日の午前8時にパール・ハーバーを出港、平常航海を行い午後3時には帰港する予定であったと合衆国太平洋艦隊のスポークスマン、ジョン・ヨシシゲ氏は述べている。同船には、海軍の地域交流活動の一環として、乗組員以外に15人の民間人と一人の軍人も乗船していたと彼は述べた。
海軍はそれらの民間人の身元やどのような団体の人々であるかを明かすことを拒んだ。

見た目にもはっきりと衝突の跡が

グリーンビルは事故現場で一夜を過ごし、昨日朝9時56分にタグボートに曳航されて帰港した。
方向舵のダメージははっきりと見て取れる。黒い外皮の上にオレンジ色の塗料。だが金属部分の損壊はそれほど激しくないようだ。左舷の中央部の損傷もはっきりとわかる。しかしその原因は今のところ不明だと海軍スポークスマンのブルース・コール司令官は述べている。
方向舵に損傷があること、並びに目撃者の証言から、グリーンビルは愛媛丸の外壁をその船尾によってけずった直後にふたたび急激に沈下し、よって数分間のうちに下部甲板を浸水させたようだ。
通常及び緊急浮上において、潜水艦乗組員は音波探知器による探査と潜望鏡による目視確認を行うことになっているはずだと、潜水艦の専門家は述べている。
しかし緊急浮上においては通常よりもこれらが短い時間で行われる。音波探知器及び目視による確認を行った後潜水艦はいったん沈降しふたたび急速に浮上する。太平洋潜水艦隊司令官付き広報官ディブ・ワーナー副司令官はこう述べている。
全長174フィートの高校生のための商用漁業練習船、愛媛丸に乗っていた人の証言によると同船は10分以内に沈没したという。行方不明者は4人の少年、2人の教員、3人の乗務員である。
沿岸警備隊は乗船していた26人の乗務員と生徒を救出したが、昨日は破片が見付かっただけでいまだ行方不明者の捜索は続けられている。
沿岸警備隊下士官のローレン・スミス氏によると、沿岸警備隊は昨日午後までに1453平方キロ余りの海域、これはロード・アイランドの面積より大きい、を捜索したとのことである。「生存者が見つかる希望がありますし、われわれは捜索を続けます」とスミス氏は述べた。

「きわめて遺憾」

ファーゴ氏は昨日午前ホノルルで日本外務省の高官と会見、正式に謝罪の意を伝えた。多くの日本人を含む35人あまりの報道関係者がこの会見の最初の数分間を記録しようと日本の領事館につめかけた。沈痛な表情のファーゴ氏は部屋に入るとただちにヨシタケ・サクラダ氏に対して「きわめて遺憾」であるとの彼の気持ちを伝えた。
その後30分程度二人は会談を行ったが、ファーゴ氏はコメントを残さず立ち去った。しかしサクラダ氏は建物の入口で日本の報道関係者に対して、ファーゴ氏は全面的な謝罪を表明し、アメリカの潜水艦に100%の落ち度があることを認めたと伝えた。
日本外務省の別の高官、北米関係部局担当官のコウジ・ハネダ氏は今日にも乗組員の家族がホノルルに到着するであろうと述べている。しかし、何人が到着予定か、または、彼らが行方不明者の家族であるかの言及は避けた。
救助された人々の多くは金曜の夜はアラ・モアナ・ホテルで過ごした。彼らは昨日昼前に階下に下りてきてホテルのプランテーション・カフェで食事をした。彼らは沿岸警備隊が提供したブルーのオーバーオールを着たままで、昨日の事故の衝撃もさめやらず憔悴している様子であった。
ホテルの警備員に囲まれて乗組員たちは膨大な日本の報道陣の間を抜けてレストランに到着し、食後は裏のドアから退出した。
ホノルル在住で日本語通訳のボランティアを行っているヒジュ・アシカガ氏によると事故にあった宇和島水産高校の校長イエタカ・ホリタ氏は昨日ホテルに到着したとのことである。彼は疲れてはいるが行方不明の生徒たちが心配だと語ったという。
救助された他の人々が宿泊しているオーシャン・リゾート・ホテルでは海軍の従軍牧師とカウンセラーが援助を申し出ている。
沿岸警備隊によると、愛媛丸は水深1866フィートに沈没しているとのことだ。

救助された人々の健康状態は良好

沿岸警備隊は26人の生存者を海上から救い上げ、ディーゼル油まみれで震えている彼らをサンド島に連れていった。発熱や軽い外傷の治療を受けたものもいる。
ストローブ病院で金曜日に治療を受けていた4人のうちの3人、17歳の少年二人と51歳の男性は退院した。22歳の男性は依然入院中であるが、昨日の朝以来快方に向かいはじめていると病院のスポークスマンは述べている。カイザー・モアナルア病院で治療を受けていた8人の生存者は金曜の夜に全員退院した。
昨日の捜索では北東の風時速18マイル、波は3から5フィート、水温は77度であったと沿岸警備隊は報告している。沿岸警備隊と海軍の船舶及び航空機以外に、日本の練習船日本丸も捜索に参加している。日本丸は日本の運輸省の船舶であるが、ホノルル港に寄港中であった。
ベン・カエタノ知事は愛媛丸に乗船していた人々へと家族への同情を表明した。「ハワイの人々はこの恐ろしい事故にショックを受け、悲しみに沈んでいる。いまだに消息が分からない方のご家族のために心から祈りたい。また被害に遭った方々を無事に救出することができた救助にあったった人々の迅速な行動に感謝したい。」カエタノ氏はこう述べている。
独自の調査が沿岸警備隊とNTSBによって実施される予定。NTSB(連邦運輸安全委員会)はワシントンDCの海事安全事務所から調査官を既に5人ホノルルに送り込んでいる。NTSBのスポークスマンのテッド・ロパトゥキビッツ氏は調査は航空機事故の分析の場合とほぼ同様に行われるだろうと語っている。

破片の回収

沿岸警備隊の担当者によると、救命いかだのケースや救命胴衣などを含む膨大な数の衝突時の破片が海から回収されたとのことである。これらの回収された物件はサンド島の沿岸警備隊の倉庫に保管され、NTSBの調査を待つことになる。
テネシー北東部の町の名前に由来するUSSグリーンビルは1994年9月17日に命名された61番目のロス・エンジェルス級潜水艦である。1996年2月16日にバージニア州ノーフォーク海軍基地で合衆国海軍の潜水艦として就任した。グリーンビルはその後1997年に母港をパール・ハーバーに変えた。
グリーンビルは海中戦闘、海上戦闘、諜報活動、捜索・救援、対地攻撃、特別部隊の輸送などさまざまな任務に対応している。それはまた、魚雷、トマホーク対地攻撃ミサイルおよび機雷の発射が可能である。