2000年5月24日
非暴力に関する考察:ビエケスの経験
ヘクトル・ロサリオ・GR 寄稿
拘置所に数時間いるだけで、人生は変わる。
私の場合、変化は決定的だった。
逮捕されたのは2000年5月5日、およそ300人の合衆国保安官とFBIがプエルト・リコの東の海に浮かぶビエケス島から(抗議のために立てこもっていた)ほとんどの男女を排除したちょうど一日前だった。彼らの中には一年以上にわたってテントや木造の小屋に泊り込んでいたものもいる。昨年の4月19日、1マイル半にわたって目標を誤った500ポンド爆弾が民間人のデビッド・セインズを殺害した直後から、彼らはそこに立てこもっていた。
この運動はその他の多くの市や町で行われたデモとともに、合衆国海軍をビエケス島から撤収させ、1941年に連邦政府によって収用された土地を取り戻すための試みである。
逮捕の場所はヤンキー・スタジアム、ヤンキース・オリオールス戦の最中。5回ワンナウトを決めた平凡なセンターフライの後、私と6人の友人たちはグランドにダッシュした。プエルト・リコの旗と「合衆国海軍はビエケスから撤収せよ!」と書かれたプラカードを掲げて。私たちはゲームを中断させることに成功し、こうして非暴力市民的不服従のキャンプに対する連邦政府の襲撃を公衆の前で糾弾することができた。私たちは20人以上の警備員によってグランドから引きずり出され、スタジアムにあるニューヨーク市警の詰め所に連れて行かれた。
私たちは拘束され(それに対して私たちは抵抗しなかった)通常の刑事手続きによる取り調べを受けた。
27時間におよぶ拘留の間、私たちは6つの房にたらいまわしにされ、22時間が経過するまで電話をかける権利を剥奪された。しかし私はここで、5フィート×8フィートに汚い便器が一つの3人部屋、水を飲めないことや、ここで知り合った友人などはHIVの薬を摂取することもできなかった、そんな人間以下の扱いについて文句を言いたいわけではない。私たちはいつもサルサを歌い、それは警備員をたいそういらいらさせたけれど、ほかの拘留者たちにはたいそう人気だった。静かにしているときは、私はビエケスを解放するための非暴力闘争について考えた。その考察をあなたと共有することが、ここでの私の目的だ。警備員たちは私たちがなぜ機嫌がいいのかわからなかったみたいだ。事実私たちはご機嫌だった。もちろん拘置所にいるからではない。ビエケスの平和と正義への献身のためにそこにいることがうれしかったのだ。
拘置所にいる間、私は、非暴力闘争とその帰結に対する新たな展望を得ることができた。私には自分たちの戦略と思想を再評価する十分な時間があった。非暴力の戦士であるためのもっとも重要な資質とは何かということが、ついにわかった気がした。それは、喜んで死ぬことができること、しかし、決して殺さないこと。非暴力の戦士は死ぬことを恐れない、殺すことも恐れない。敵を殺すことを控えさせるのは、恐怖ではなく、非暴力的に勝ち取られた勝利は、そうでなければほどなく芽生えるであろう憎悪と嫌悪の感情を決して生み出さないという理解なのだ。暴力闘争においては、両サイドの暴力はお互いに相手を更なる暴力へと突き動かす。その上、両者はそれぞれ自分の側の暴力を正当化するために暴力を用いる。これに対して、非暴力闘争は、敵の暴力を誘い出さない。
非暴力闘争について理解するためには、通俗的な非暴力の神話を脱構築する必要がある。マーク・シェファードが1990年の国際ガンジー主義研究会の恒例の記念講演でこのように述べている。「ガンジーの非暴力主義は対決回避的な戦略でも、防衛的なものでもない。ガンジーは常に攻撃的であった。敵とアグレッシブに対決する戦略、そうすれば敵は彼と取り引きをせざるを得なくなるような戦略を、彼は信じていた。ガンジーは強固に敵に対する暴力を避けたが、自分と自分の追随者に対する暴力は避けなかった。」これこそが、闘争のカナメである。対決的ではあるが、非暴力であり、市民的であること。
非暴力闘争はより高次の統制を要する。敵は常に彼または彼女にとって都合の良いシナリオ、すなわち暴力的対決に持ち込むため、常に暴力を用いるチャンスをうかがっているからだ。プエルト・リコでは二つの武装革命党派、すなわちEPBとPRTP(プエルト・リコ労働者革命党)、これらはいずれも「ロス・マチェテレス」と呼ばれるグループの二つの分派なのだが、彼らさえも厳格に非暴力的方法を遵守することを明らかにしている。これは我々の民族自決の闘いの重要なステップを画する。私たちの敵対者が私たちのことをテロリストと呼ぶのを断念せざるをえなくなるからだ。しかし、公正を期していうならば、「ロス・マチェテレス」たちが採用している方法は、植民地主義と抑圧と闘うための正当な手段であると私は確言する。
非暴力闘争がどのように機能すると、シェファード氏が考えているか要約させていただこう。活動家たちは法を破る、ただし礼儀正しく。公衆のリーダーは彼らを逮捕させ裁判にかけ、牢につなぐ。活動家はこれを受入れる。公衆の構成員は彼らの抗議行動に感銘を受ける。こうして公衆のシンパシーが抗議者とその主張に対して湧き起こる。公衆の構成員はリーダーたちに圧力をかけ、活動家たちと交渉するよう求めはじめる。こうして市民的不服従のサイクルが繰り返される。公衆の圧力はますます強固になる。ついにリーダーたちは有権者からの圧力にまけ、活動家たちと交渉をはじめる。
非暴力闘争は、経験を積んだ戦士たちにとってはナイーブでロマンティックなものに感じられるかもしれない。しかし私は彼らに、この方法をちゃんと実験し、その結果を暴力闘争によって得られたものと比較してみることをお勧めする。現行の政治システムを打倒する闘争であれ、それを改革するものであれ、外部から働きかけるものであれ、内部から変革するものであれ、さらに独立国家を獲得するための闘いであれ、市民的権利を求めるものであれ、この方法は有効である。与えられた闘いの中で、いかなる目標を定め、これを追求するかは、人民自身が決定する。ビエケスの経験において、私たちの最初の目標は、合衆国海軍がビエケスから撤収すること。次にプエルト・リコの非軍事化。そして、最終的には我々の独立国家を獲得することである。これを私たちは非暴力的方法で獲得しようというのだ。