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クリントン大統領への公開状

アンドレス・トマス・コンテリス
ワシントンDC
2000年7月25日
親愛なる大統領クリントン殿
私はあなたの良心に訴え、あなたがプエルト・リコ、ビエケスの宗教及び平和運動のリーダーたちと個人的に会見する時間を持つことを求めて、この手紙を書きます。
統一メソジスト教会、カトリック教会、ビエケス女性連合、ビエケスの救援と発展のための委員会を代表するビエケスのリーダーたちはあなたに対して会見を求めてきました。彼らがなぜ合衆国海軍が永久に爆撃を止めるという、ビエケス島の大多数の住民(最近の世論調査では88.5%にのぼります)の支持を受けているこの立場に固執するのかをあなたに対して面と向かって説明したいと彼らは願っています。
宗教及び平和運動のリーダーたちはあなたとの対話を望んでいます。彼らは自分たちの島の「非軍事化」を、軍事演習によるすべての毒物汚染の「除去」を、第二次世界大戦中に強制的に収用された彼らの土地の「返還」を、そして彼らの経済と環境の「発展」を主張したいとおもっています。あなたは合衆国海軍の代表者に対してはあなたに個人的に主張を述べる十分な機会を与えられたでしょう。あなたはまた現下の爆撃によって最も深刻な影響を受ける人々との個人的な会見を執拗に否定してきました。私はあなたがこのような態度を再考され、ビエケスの人々のリーダーたちとの会見を通して和解を推進されることを求めます。
合衆国海軍がその日時を決定し、しかも海軍による爆撃をただちに、かつ永久に停止するというという住民意思を表明する選択肢が含まれていないような住民投票の実施を内容とするあなたの現在の立場は容認できません。
ビエケスの住民及びその支持者たちは、手紙を書いたり、行進をしたり、ピケを張ったりという積極的な非暴力行動によって、逮捕の危険も顧みず法廷や監獄でも不服従の立場を堅持して、海軍の存在そのものに対する反対意思を表明してきました。多くの人がいまだに、その先進的な非暴力行動のゆえに獄中にあります。さらにビエケスでは2000年5月4日に開始されたハンストを含む4つの行動が提起されています。
2000年5月4日、一年以上にわたって維持されてきた平和キャンプを、FBIと連邦保安官が撤去したその日、私はビエケスの射爆場にいました。多くの仲間がそうであったように、私は投降せず、射爆場内に立てこもって爆撃演習の再開ができないように自らを楯として闘おうと決めました。立ち入り制限地区に抗議者達が残っていることを海軍は十分に知っていたにもかかわらず、私達がそこに居続けている間に爆撃は開始されました。その時以来これは繰り返されています。決して正気の沙汰とは思えません。
この日の朝6時に、教会と民衆運動の代表とその支持者20人以上が、ビエケスの射爆場入口にあたるキャンプ・ガルシアの前で交代でハンストをはじめました。彼らの長期にわたる要求、あなたが平和運動や宗教グループのリーダー達との会見の場を持つべきだという要求に対して、あなたが良心をもって応えられることを求めての行動です。
私達は本日ワシントンDCでも、ビエケスのリーダー達との会見を頑強に拒絶しているあなたに再考を促すために、ハンストを開始しました。この交代でハンストを行うというこの行動には数々の組織や宗教グループのメンバーが参加します。
私は「和解のための仲間たち(FOR)」というグループのメンバーです。このグループは宗教上の信念をベースにしたもので紛争を非暴力的に解決する方法を探究することを目的としています。FORは長年にわたってプエルト・リコの非軍事化のために「ラテン・アメリカ及びカリブ海域チーム」を結成して活動してきました。私はまた統一メソジスト教会の宣教師でもあり、この教会のプエルト・リコにおける指導部はビエケスの爆撃に対して強固な反対の立場を取っています。私は、あなたが長期にわたって要求されてきたビエケスのリーダー達との会見に応じるよう、あなたの良心を呼び覚ますよう、無期限の、カロリー入りジュースのみの断食に参加することを決心しました。この断食は、もし海軍が全面的な爆撃演習を再開すれば、カロリーなしの液体(無カロリーの塩分、電解液、ビタミン、ミネラルなどを含む水)のみの断食に切り替えられるでしょう。これらの断食は、あなたがビエケスの宗教及び平和運動のリーダーとの会見を認めるまで無限に続けられるでしょう。
私達の集まりは「プエルト・リコ、ビエケスの正義と平和のための断食:クリントン大統領にビエケスのリーダーとの会見を求める良心のアピール」と呼ばれます。本日12時からラファイエット公園で記者会見を行うほか、平和の祈りの集まりが毎夕5時から8時の間に催されます。
モハンダス・K・ガンジーは断食をもって「悲しみに満ちたたましいの祈り」としました。それは、どこまでも強化されうる非暴力行動の最終段階にあたります。まさにこの断食へと向かったわれわれは、1999年4月19日の海軍爆撃演習によるデビッド・セインズの死に対して深い悲しみを感じています。爆撃が原因となっているビエケスにおける高い発ガン率などの深刻な健康障害、そしてこの小さな島の中で平和活動家達に対して警察、軍、司法部門から加えられているますます強力な抑圧に、私達は危機を感じざるを得ません。爆撃が再開されるかもしれないという恐怖にさいなまれると同時に、力を合わせて行動することによって、変化をもたらすことができるかもしれないという希望をも、私達は忘れてはいません。

正義と平和のための断食
アンドレス・トマス・コンテリス
和解のための仲間たち(ラテン・アメリカとカリブ海域特別グループ)

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ロサンジェルス・タイムス(2000/08/09)

ビエケスで、さらに11人逮捕

Associated Press
サン・フアン(プエルト・リコ):報道官によると、合衆国海軍は火曜日さらに11人の抗議者を拘束した。これらはビエケス島における軍事演習を止めるために演習場内に侵入した若者たちである。
報道官ジェフ・ゴードンによると、フェンスを切って侵入したところを、朝5時半頃に憲兵によって逮捕されたこれらの抗議者は青年グループのメンバーであるが年齢については不明だと語った。
60年間にわたる同島における爆撃を含む軍事演習が経済の発展を阻害し環境と住民の健康を破壊していると抗議者たちは主張しているが、これについて海軍は否定している。
海軍は月曜日にも演習場に侵入した32人の女性を拘束している。
彼らは不法侵入容疑で立件されているが、現在は釈放され連邦治安判事による裁判を待つことになる。

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2000年8月14日
Vieques Libre - http://www.viequeslibre.org
ロバート・ラビン

「平和と正義のための避難所」建設計画

合衆国海軍が爆撃演習を行っている、ここビエケスのキャンプ・ガルシアという海軍施設、その入口の前に設営されている「ビエケスの平和と正義のキャンプ(PJC)」はこの島における軍隊の駐留に反対する運動にとって、中心的な役割を果たしてきた。現在このキャンプの敷地内にシェルター(避難所)が建設中である。抗議行動、市民的不服従の行動、闘いのための祈りなどに参加するためにPJCにやってきてくれたたくさんの人々のための宿泊施設とするためだ。この計画を完遂するため、私達はビエケスの闘いに共感を寄せて下さる人々や組織の皆さんに財政的な支持をお願いする。

平和と正義のキャンプ(PJC)

1999年12月4日に、軍事基地の出入り口を封鎖する目的で設立された「平和と正義のキャンプ(PJC)」は、去る5月4日の逮捕にいたるまで、爆撃演習場内に設営された抵抗キャンプを支えるサポートシステムの重要な部分をなしてきた。PJCは立ち入り制限地域に毎日のように漁船で運ばれてくる水や食糧、電池、薬品などの生活必需品の集積ポイントであった。PJCはまた抵抗キャンプと一般市民とを結ぶコミュニケーションセンターでもあった。
PJCにおける平和的市民的不服従の行動は、キャンプ・ガルシアのゲートを通る軍用車両、兵員、装備などに対する、人間の身体を用いた妨害であった。この闘いは、5月4日に主にビエケス人の60人あまりの人々がキャンプの軍隊によって逮捕、あるいは「誘拐」されるまで順調に進展してきた。
5月4日以降、ビエケスにおける軍事侵略に対抗する抵抗運動を継続するために、PJCはその人的、物質的、および空間的資源を再構築しはじめた。私達はビエケスから、プエルト・リコ本島から、そして海外から毎週百人単位でやってくる支援者を受入れている。キャンプの事務所は依然として、市民的不服従の行動の司令部であり、コミュニケーションセンターであり続けている。私達はまた「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」の本部であり、ビエケスの平和のためのあらゆる地域住民団体に集会と抗議行動の場所を提供してきた。毎週土曜日にはこのキャンプで抗議の集まりがもたれるが、これは1998年以来CRDVが主催してきたものである。
キャンプの友人であるノエル・エルナンデスが先週から始まった「平和と正義のためのシェルター」の設計を受け持ち、建設を指揮している。工事は今月の中頃には完了する予定。われわれはビエケスの闘いを支持して下さるすべての友人たちに対し、5千ドル以上になると見積もられるこの工事の費用のカンパを寄せて下さることをお願いする。

カンパ

詳しいことは、「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」(787) 741-0716または(787) 375-0525にご連絡ください。
カンパはCommittee for the Rescue and Development of Vieques (CRDV) :P.O. Box 1424, Vieques, Puerto Rico 00765にお送りくださるか、バンコ・ポプラールのCRDV名義の銀行口座:Banco Popular # 112 868231に送金して下さい。
このメッセージを転送して下さい。
2000年8月12日
Vieques Libre - http://www.viequeslibre.org
以下はプエルト・リコ、サン・フアンのテレビ局(4チャンネル、WAPA TV)のレポーター、ペドロ・ロサ・ナレスが担当する報道番組「ノティチェントロ4(ニュースセンター4)」の2000年8月9日放映分、特別番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の第1部の訳文である。同シリーズの第2部は8月10日午後5時から、第3部は8月11日午後5時から、「ノティチェントロ4」で放送される。

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ビエケスで核兵器が使用されていた!テレビ番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の台本から

5年前、「ノティチェントロ」では、ビエケス島の人々が海軍の駐留と軍事演習によって生きることを余儀なくされている複雑な状況を徹底したレポートによって暴露し、糾弾した。特別番組「警報!緊急事態だ!」の中で私達はビエケス島では60年代中頃に核爆弾の事故が発生していることも暴露した。
プエルト・リコの海軍司令部は1995年にそのような事故が発生した事実を全面的に否定し、私達のテレビ局やレポーターの活動を妨害し抑圧するキャンペーンを開始した。いまや、5年間にわたる調査の末、核兵器事故の発生を裏付け、またその隠蔽工作の存在をも指し示す新たな証拠が発見された。さぁ、ペドロ・ロサ・ナレスとともに「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の第1部をはじめよう!
1995年の2月、私達はプエルト・リコのテレビにはじめて、ビエケスにおいて海軍が演習に使用している海域の海底や、海軍によって投下された爆弾によってサンゴ礁や海生生物が受けたダメージのショッキングな映像を公開した。海底やビーチに放置されたままになっている大量の不発弾、劣化ウラン弾やナパームが海軍によって使用されていた事実、そしてビエケス住民の中の高いガン罹患率、それらの事実を私達は暴露した。しかし、軍事演習による被害にプエルト・リコ人が気がつくまでにはさらに民間人警備員のデビッド・セインズが死ななければならなかったのだ。さらに私達はビエケスの海岸から数マイルの地点で66年に発生した核爆弾の事故についても、詳細なレポートによって暴露した。

1995年の特別番組「警報!緊急事態だ!」の音声から:
「ベトナム戦争の最盛期、合衆国海軍の飛行機が・・・ビエケスの海岸近くに・・・誤って核爆弾を投下した。その爆弾は、ヒロシマ、ナガサキに投下されたものより強力なものだったが、たまたまそれは爆発しなかった。」
海軍司令官はこの報道に怒った。彼らは核爆弾事故について全面的に否定し、さらにレポーターや報道機関を「うそつき」と呼んで愚弄しさえした。

WAPA TVレポーター、エフレン・アロッジョの声、海軍司令官アーネスト・クリスチャンセンからの1995年の手紙を見ながら。
「この手紙の中でクリスチャンセン司令官はプエルト・リコのメディアが用いている基準について疑問を呈している。これは差出人を考慮すれば、ある種の賞賛と読めなくもない。」
当時ルーズベルト・ロード基地の司令官であったアーネスト・クリスチャンセン司令官はこれだけでは満足できなかったとみえて、連邦通信審査会に対して不服申立てを行い、この番組で放映された内容を理由として、このテレビ局のライセンスを取り上げようとした。さらにレポーターはスパイ防止法に違反していると非難さえした。

当時プエルト・リコ下院議員であったデビッド・ノリエガ氏(1995)
これはジャーナリズムが真実の報道を行ったということだ。冷戦時代の産物たるスパイ防止法を適用しようとするなんて、適用できないことぐらい彼らが一番よく知っているはずだ。

ビエケスの医学者、ビエケスの救援と発展のための委員会メンバー、ラファエル・リベラ・カスターニョ博士(1995)
アーネスト・クリスチャンセン司令官の連邦通信審査会への手紙自体が、またしても、海軍のビエケス及び全プエルト・リコ諸島への駐留及び活動に起因する深刻な危険を海軍自身が隠蔽しようとした事実の証拠である。

当時プエルト・リコ下院議員であったデビッド・ノリエガ氏(1995)
「手紙の複写がプエルト・リコの合衆国検事総長とWAPA、GEキャピタルのオーナー達にも送付された。なぜだとおもいますか?彼らを脅迫するという明白な目的のためです。」
しかし今や、核爆弾による事故が事実として発生したということ、そして海軍がその事実を隠蔽しようとしたことを証明する証拠をわれわれは手にした。この手紙は、ほんの数ヶ月前までは部外秘扱いだったものだが、国防省の最高軍事顧問の一人F・コスタリオラ大佐から合衆国議会合同原子力委員会議長ジョン・T・コンウェイ氏に送られたものだ。この手紙は過去34年間にわたってビエケスの核兵器事故を隠蔽してきた秘密のベールをいかんなく晒しだしている。
1966年8月29日付のこの手紙には事故およびその後の海軍による核爆弾回収の調査活動に関する公式の報告書の要約が含まれている。

核物理学者、エリベルト・トレス博士(2000)
「一発の爆弾、たった一発の小さなものであったとしても、あの当時に開発された爆弾が、あの場所で爆発したとしたら、プエルト・リコに、いやプエルト・リコだけじゃない、全合衆国に影響を及ぼしていただろう。」
このレポートに記載されている事実についてはわれわれは明日の夜明らかにするだろう。その事実とは、海軍の航空機がいかにして事故を起こしビエケス近海に核爆弾を投下したか、である。そして同時に、海軍の回収活動には当時の最高機密に属する海生哺乳類を用いた作戦計画に従い、イルカが用いられた事実も明らかにされるだろう。
「ノティチェントロ4」特派員ペドロ・ロサ・ナレス
以下は昨日放映されたプエルト・リコ、サン・フアンのテレビ局(4チャンネル、WAPA TV)の報道番組「ノティチェントロ4(ニュースセンター4)」の特別番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の第2部の訳文である。1995年に4チャンネルは60年代中頃に合衆国海軍によってビエケス近海に投下された核爆弾の事故について暴露した。今同局は核爆弾事故が実際に発生したことを裏付ける新たな証拠を入手した。3部にわたる新シリーズでこれらの証拠と海軍による隠蔽工作が明らかにされる。同シリーズは本日8月11日午後5時からの第3部で完結する。

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ビエケスで核兵器が使用されていた!テレビ番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の台本から(第2部)

この文書は最近になって公開されたもので、1966年6月30日、海軍のA4C型飛行機が核兵器の性質を有する爆弾を、海軍が軍事演習を行っていた地域において投下した事故に関するものである。この報告は、海軍は当初ビエケス島東端の射爆場内部の模擬飛行場に投下する予定であったこと、その爆弾は飛行機の発射装置の誤作動により誤って海上に落下したこと、をあきらかにしている。しかし、これは本当に核爆弾だったのだろうか?「ノティチェントロ」はこの文書の複写を、学会では世界的に著名な原子物理学と兵器の専門家に見ていただいた。彼は合衆国政府からの報復を恐れて匿名を条件に協力をしていただいた。ここではX博士と彼のことを呼んでおこう。

原子物理学者、X博士
「間違いありません。これは非通常兵器です。私の考えではこれはウラン238を含んでいますが、明らかに非通常兵器です。」
ほぼ2ヶ月間の間、この爆弾はプンタ・エステの海岸からわずかの距離の沖合に、発見されぬまま放置されており、カリブ海のこの地域に住むすべての人々の生命が危険に晒されていたのだ。エルベルト・トレス博士は当時プエルト・リコの原子力プログラムに携わっていた。現在彼はプエルト・リコ大学医学部で働いている。

原子力の専門家、エリベルト・トレス博士
エリベルト・トレス博士「大気圏で核爆弾の実験をするなんて信じられない。可燃物を除去した爆弾を投下しようと彼らが考えていた事はありうるかもしれない。」
ペドロ・ロサ・ナレス(レポーター)「彼らは爆弾が爆発することを予想していたでしょうか?」
エリベルト・トレス博士「それは全く考えられない。一発の爆弾、たった一発の小さなものであったとしても、あの場所で爆発したとしたら、プエルト・リコに、いやプエルト・リコだけじゃない、全合衆国に影響を及ぼしていただろうから。」
爆弾の探索のために13隻の船舶が動員された。そのうち7隻は掃海艇、2隻は海中探査船であった。そのうちの一隻がアシェラーであった。数十人の軍およびCIAのダイバーが探索に参加した。そして当時の最高機密の海軍のプロジェクトであった海生哺乳類を利用したプログラムからもイルカの1グループが参加した。このイルカたちはマイケル・グリーンウッド博士とそのグループによって、爆弾の探索等の軍事目的のために訓練されてきたものである。ソ連に対する冷戦状態の中で開発されてきたこのイルカ・プログラムは当時極秘のものであった。報告書によれば、探索活動はサンゴ礁と海底の海綿質のために困難を極めた模様だ。同時にこの探索活動は、皮肉なことに、過去に海軍が投下した大量の通常兵器の爆弾の金属破片が海底に残存するために、ますます困難となったという。

原子物理学者、X博士
「ここから明らかになるのは、海軍はビエケスにおいて爆弾投下の結果を見るために実験をする意図を持っていたということです。もう一つ、報告書は、爆弾は爆発しなかったと言っていますね?ということは爆発物が内部にあったということになります。投下によって何が起こるかを見るためならば、それはおそらく通常兵器の爆発物だったのでしょう。海軍は明らかに実験を行っていたのです。」
爆弾は海中探査船アシェラーによって、プンタ・エステの北東2マイルの地点で、別の言い方をすればその本来の目標から6マイル離れた地点で発見された。報告書はそれが爆発しなかったこと、その本体は無傷であったが、その破片は直径300フィートのエリアにわたって散乱していたことを強調している。それは8月20日の午後7時45分に海中から回収された。早朝5時45分に発見されたにもかかわらず、である。2日後、その爆弾の主要部分はルーズベルト・ロード基地に送られ、その後国防省の主要な核兵器研究所のあるニュー・メキシコのサンディア基地に移されたと報告書は述べている。明日、われわれは当局による隠蔽工作の詳細を見ることになろう。
「ノティチェントロ4」特派員ペドロ・ロサ・ナレス
以下は本日放映されたプエルト・リコ、サン・フアンのテレビ局(4チャンネル、WAPA TV)の報道番組「ノティチェントロ4(ニュースセンター4)」の特別番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の第3部、完結編の訳文である。1995年に4チャンネルは60年代中頃に合衆国海軍によってビエケス近海に投下された核爆弾の事故について暴露した。今同局は核爆弾事故が実際に発生したことを裏付ける新たな証拠を入手した。3部にわたる新シリーズでこれらの証拠と海軍による隠蔽工作が明らかにされる。

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ビエケスで核兵器が使用されていた!テレビ番組「警報!緊急事態だ!(2)隠蔽工作をあばく!」の台本から(第3部)

1995年5月8日、エウダルド・バエス上院議員はプエルト・リコ上院において1966年のビエケスにおける核爆弾によるものとおもわれる事故の調査を求めた。議案は可決され、上院連邦問題委員会がこの問題を調査するために任命された。

プエルト・リコ上院、エウダルド・バエス・ガリブ上院議員
「これは正式で公式な性質を持っていたのだが、合衆国海軍が一切協力しなかったために、何らの成果を生むことなく終わった。彼らは今や自分たちがうそをついていたことを認めざるをえない。さらに報告書自体がが爆弾の破片が散乱していることを示唆している以上、プエルト・リコの住民に対して起こり得た結果について説明する義務を負っている。ビエケス島の生態系やこの地域の状況に対してどんな影響がありえたのかを。」
公式の説明を求めたビエケス市長、市議会も上院の議決の結果と同様に、何らの返答も得られなかった。当初から海軍は、スペインのパロマレスの核兵器事故の5ヶ月後に発生したこの事故を隠蔽した。

(1966年1月、スペイン・パロマレスの核兵器事故のペドロ・ロサ・ナレスによる報道)

ビエケスにおける爆弾の事故と、最近まで機密であった海軍の海生哺乳類プログラムについては他のメディアでも報告されている。イルカ愛好家のグループが運営しているこのウェッブ・サイトには「ペンタゴンの殺人ペット」というタイトルで、ビエケスにおけるイルカを用いた核爆弾探査活動が伝えられている。CIAのイルカ研究グループに属する情報源によると、ペンタゴンがビエケスの事故を報告しなかったのは、世論を刺激し、当時絶対に失敗してはならないと考えられていたこの計画のイメージを汚してはならないと考えたからだ、とその記事は述べている。今や、上院は反撃を開始した。もっともっと答えてもらわなければならない問がある。

プエルト・リコ上院、エウダルド・バエス・ガリブ上院議員
もし彼らがふたたびこの点について反論をし、かつてと同じような虚偽に満ちた言い訳をするのなら、今度は私は二つのうちの一つのオプションを用いなければならない。すなわち私はプエルト・リコ上院の名において、海軍によって辱められたその名誉と誇りを防衛する事を要求しなければならない。もう一つ、プエルト・リコ民主党の党首として、議会の民主党のリーダー達にこの件に介入することを求めなければならない。子どもの遊びではないのだ!私達はこの歴史的な瞬間において、プエルト・リコにとってのみならず、合衆国全体にとって死活的な重要性を有する事柄に直面しているのだ。なぜなら合衆国が調印している核兵器を禁止する条約の違反が認められたならば、合衆国の国際関係に影響を及ぼさないはずはないからだ。」
この議員は最近、事故に関する調査を求めた正式な要求書をクリントン大統領に送付した。しかしながら、海軍はバージニア・ノーフォークの司令部のマイク・ブレーディ大佐を通じて、はじめて1966年、ビエケスにおける事故の発生を認めたものの、爆弾が核兵器でないことを主張した短い声明を発表した。

マイク・ブレーディ大佐、バージニア州ノーフォーク、大西洋艦隊司令官
「核兵器に関する疑いは完全に虚偽のものである。それは海軍の信用を失墜させるための意図的な虚偽である。1966年において投下され、回収された爆弾は核物質を含まない、訓練用のものである。」
海軍の主張は新たな疑問を引き起こす。回収作業にかくも多くの人員と装備が動員されたのはなぜか?彼らが回収された爆弾をサンディア基地の政府の主要な原子力研究施設に送ったのはなぜか?事故が国家機密として30年にわたって隠蔽されてきたのはなぜか?爆弾の型式が依然として秘密とされているのはなぜか?秘密報告書が議会の原子力委員会に送付されたのはなぜか?そして、原子力部局自身がそれを核兵器事故と分類したのはなぜか?過去において海軍はプエルト・リコに核兵器を配備していることを否定してきたが、彼らは劣化ウラン弾のビエケスにおける使用を否定してきたが、後に認めた。彼らはまたナパームの使用についても否定してきたが、後に認めざるをえなくなった。彼らは軍事目的のためにイルカを訓練するプログラムの存在について否定してきたが、数年後にこれを認めた。彼らはビエケスでの自己の存在を否定したが、今や認めざるをえないのだ。
「ノティチェントロ4」特派員ペドロ・ロサ・ナレス



2000年8月12日
プレスリリース
ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)は、海軍によって1966年にビエケス近海に投下された爆発物に関する適切な部局による即時かつ徹底的な調査を要求する。
「チャネル4」のレポーター、ペドロ・ロサ・ナレスによって1995年の「警報!緊急事態」という番組の中で報道された情報によれば、そして今週の同じレポーターによる「警報!緊急事態2隠蔽工作を暴く」の中で報告された新たな証拠によれば、この航空機は核爆弾を搭載していた。
CRDVの主張するところでは、最近公開された秘密文書によれば、この爆弾は「多くの秘密の、兵器倉庫で見つけられるようなものによって構成されている」という。海洋生物学者のマイケル・グリーンウッド博士は、この1966年のビエケス近海における核兵器回収作業に参加した経験について、「ニューズデイ」紙においてこのように証言している。1966年ビエケスの近海において10隻以上の掃海艇と潜水艦による徹底的な探索が行われたこと、確かに爆弾が発見され、ニューメキシコのサンディナ核兵器倉庫に送られたこと、事故の報告が両院合同原子力調査会に送付されたこと、ネバダの連邦エネルギー省に事務所にも提出されたこと、そして同事務所はこの報告書を「核兵器」関連と分類したこと、海軍自身の文書がその反対の事実を指し示したとき、海軍はそのような事故は決して起こらなかったと主張したこと、34年後にこの爆弾に関するもっと詳細な情報が「デリケートな情報」として検閲を受けたこと、などがその中には含まれている。いずれにしても、これらすべての情報は1966年にビエケス近海に核爆弾が投下されたという事実を証明するものとなっている。

ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)のスポークスマン、ロバート・ラビンは、このように述べている。「海軍はおよそ口にできないようなことをやってしまった。彼らは発生した事故について否定しているし、爆弾に関する情報を提供する事も拒んでいる。爆弾がどのような成分を持っているかに関わらず、海軍は彼らの文書の中でいかなる爆弾に関する情報も秘密でなければならないと主張している。この核爆弾は爆発性の物質、おそらくはウラニウム238を充填した試験的な爆弾であったと思われる。」ラビン氏はまた、海軍はこの爆弾が模擬弾だと主張することはできないとして、このように付け加えた。「なぜなら、海軍の文書には、爆弾が発見されたとき、それは『爆発しなかった』と書かれてあるからだ。」
チャンネル4のペドロ・ロサ・ナレスによる「警報!緊急事態2隠蔽工作を暴く」は、海軍がビエケスにおける演習に起因する危険性を否定ないしは過小評価するために用いたあらゆるうそと欺瞞についていかんなく明らかにしている。ラビン氏はいう。「全く同じような方法で彼らはナパームや劣化ウランの使用を、その証拠がCRDVの手に落ちるに至るまで否定し続けてきたのだ。地域や政府の科学者達が軍の用いる汚染物質がが発癌性のものであり住民にとってきわめて危険であることを示す数多くの文書を提出してきたにもかかわらず、海軍は爆撃によってもたらされる毒物とビエケス住民の深刻な健康障害との関連を否定してきた。」
1995年ロサ・ナレスの最初の「警告!緊急事態だ!」の放映後、CRDVはクリントン大統領に対し、1966年の事故についての調査を要求する手紙を書いた。ビエケス市長および市議会、プエルト・リコの両院も同様に1995年にこの事件に対する情報を要求したが、いずれも何らの返事も受け取ってはいない。海軍は事故が発生した事自体を否定するばかりでなく、ロサ・ナレスをスパイ防止法により裁判にかけようとしたり、WAPA TVのライセンスを連邦通信審査会にかけて取り上げさせようとしたりしたのだ。
海軍の脅迫にもかかわらず、ビエケスの住民はペドロ・ロサ・ナレスおよびWAPA TVニュースにがこのような番組を放映し得たことに対し絶大な賞賛を送っている。海軍省の高官はこのテレビ局に対して、失われた爆弾について、また1995年にレポートされた事実を裏付ける最近得られた情報についてのロサ・ナレスの報道を放映しないよう圧力をかけた。ビエケスの人々はまた、爆弾事故に関する記述を含む海軍の文書を発見し、入手するのに功績のあったプエルト・リコの弁護士たち、CRDVワシントンDC代表部のフラビオ・クンピアーノ氏、コネチカットのイバン・ラモス・ソレール氏に対しても惜しみない拍手を送っている。