ビエケス・リーブレ - http://www.viequeslibre.org

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ビエケスの救援と発展のための委員会
P.O. Box 1424 Vieques, Puerto Rico 00765
(787) 741-0716 E mail: bieke@coqui.net

ビエケス平和と正義のためのキャンプ:続報

2000年9月23日

先週の土曜日午後7時ごろ、各土曜日に行われる私たちの平和と正義のキャンプをお祝いする集まりの直前、チェロキー型のジープに乗った海軍の担当官がキャンプ・ガルシアの内側から近づいてきた(これはちょうど平和と正義のキャンプと道をはさんで反対側になる)。機動隊の一人が仲間に向かって叫ぶのが聞こえた。軍人さんは町の銀行でキャッシュを受け取りたいので現金自動支払機のところまで護衛してくれということなんだ。5月4日の逮捕劇以来、キャンプ・ガルシアのゲート前で週7日一日24時間海軍の警護を引き受けているプエルト・リコ警察機動隊の分隊の一つが軍の車両が民間地域を通過するのをエスコートするというわけだ。
私たちはさっそく町中に声をかけて現金自動支払機の前で海軍の方をお迎えすることにした。私たちが平和と正義のキャンプを出発して銀行に着くとすでに何十人ものビエケス人が集まっていて、機動隊に警護されながら現金自動支払機を利用するなどという海軍の存在を口々にののしっていた。警官たちは兵士に対する攻撃を警戒して道路と歩道の上に展開していた。警察の車がもう2台、私たちの仲間もさらに何人かやってきた。
私たちはいつも通り軍人に向かって叫んだ。「軍人は町に出てくるな。出て行け。基地に帰れ!」水兵の一人が皮肉っぽくにやにや笑ったので私たちはもっと声を上げた。「冗談だと思ってるのか?軍がここで作っている毒薬をあんたたちの家に持ってかえれ!あんたの近所の子どもたちの血液の中に鉛や、水銀や、ウラニウムが入ってたら、どんな気がする?」水兵はちょっとだけまじめな顔になってチェロキーに乗り込んだ。警察官も車に乗り込んで奴等は一緒にスタートした。
この事件、ほんの20分程度の出来事だったが、は、いくつかのことを示している。海軍のためにプエルト・リコ警察が警護をするという政策に対するビエケスの人々の不快感の強さ、その兵員に民間人地域を通行することを認めるなどという海軍の挑発的なやり方、民間人地域を通行する軍用車両を止める方策など。
土曜の夜の集会の一部として毎回行っている討論会を、その夜はこの話題、つまり民間人地域を通行する軍用車両の話題で始めた。路上で軍用車を止めた場合、(例えば座り込み、道路に立ちはだかること、車を使ってブロックなどなど)その行為の結果や法的な意味合いについての法律的なアドバイスが必要なこと、軍人の民間人地域での動きをチェックするチームの形成の必要性などが論じられた。
先週の土曜の集会はルイーザ・グアダルペおばさんの健康状態に対する報告から始まった。彼女は平和と正義のキャンプにとっても、この地域の闘いにとっても欠かせない位置を占めてきた。ルイーザおばさんは現在83才で先週心臓手術を行った。予後は良好との報告が入っている。
このレポートが出される頃には、ワシントンDCでのビエケスと連帯する国民の日の集会が行われているはずだ。私たちはこの重要なイベントを企画した人々を祝福したい。とりわけビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)ワシントンのフラビオ・クンピアーノ弁護士にお礼を言いたい。
CRDVはこのビエケスにおける軍隊の駐留をやめさせるための生死を賭けた闘いに関連するさまざまな企画を実行している。これから数ヶ月の間に、委員会のメンバーは日本(沖縄)、イングランド(劣化ウランの使用が問題となっている)、そして合衆国のいくつかの都市で開催される国際会議に参加する。私たちはまた「解放されたビエケスの持続可能な発展をサポートする技術者・専門家グループ」との協働に力を集中する。11月からは、我々の闘いのドキュメンタリー・フィルムを巨大スクリーンで上映して、ビエケスの住民の意識を高める教育キャンペーンも開始する予定である。
平和と正義のキャンプでは、私たちは地域の集まりを持ち、抗議行動を継続する。平和と正義の避難所(宿泊所)は99%完成した。この建物ですでに我々はいくつかの集会やワークショップを開催しているし、10月はじめから始まる連続抗議行動に参加する代表団に宿泊してもらう予定だ。ルーベン・ベリスさんが平和と正義のキャンプに来たときにはここで歓迎会を行った。その少し後、元政治犯ルイス・ロサを招いて地域の集まりを持ち、平和の横断幕を作る準備のためのワークショップをしたのもここだ。「平和のための芸術家」グループの一部もここでの市民的不服従運動に参加しここに宿泊してリハーサルを行ったりした。
先週、このキャンプで、5月4日以降の市民的不服従行動の中で逮捕された56人のビエケス人のほとんどが参加して、今後の法的対策を調整するとともに、係争中の裁判について認識を共有するために集まりが持たれた。この闘いの渦中にある我々の仲間たちの裁判にかかる費用、交通費などについて、CRDVでは調整を行い負担している。

もう、爆弾はいらない! もう、これ以上ガンをふやさないでくれ!
ビエケスに平和を!


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爆撃演習場の閉鎖、合衆国の軍事基地及び軍事演習による人権侵害と環境破壊に対する補償を要求する国際共同行動の日によせて、プエルト・リコからのメッセージ

東アジアと太平洋地域の兄弟姉妹たちへ

この、初めての国際共同行動の日にあたって、地球規模の闘いに対する私たちプエルト・リコ、ビエケスの人民からの支持と連帯のメッセージを受け取って下さい。私たちの要求は公正で必要なものです。私たちは平和の中で安全に生きる権利を有しています。軍隊の活動は私たちの国だけではなく世界中で深刻な問題を引き起こしています。軍隊の活動によって私たちの生活が妨害され、私たちの環境が汚染され、私たちの健康が侵され、私たちの人権がないがしろにされています。 一番大事なことは、私たちはプエルト・リコ、ビエケスにいても、決して一人ではないこと。韓国にも、フィリピンにも、日本の沖縄にも、帝国主義と植民地主義に根差す不正義と暴力に対して同じ闘いを闘っている人々がいます。
非軍事化、我々の土地の返還、持続可能な社会経済発展という共通の要求のために力を合わせて行きましょう!

力を合わせれば、私たちは勝利できる!

正義に基づく平和のために

ワンダ・コロン・コルテス
正義と平和のためのカリブ海地域プロジェクト
P.O. Box 13241, San Juan, Puerto Rico, 00908-3241 / Tel: (787) 722-1640 /
wandac@coqui.net

ロバート・ラビン
ビエケスの救援と発展のための委員会
Apartado 1424 / Vieques, Puerto Rico, 00765 / Tel: (787) 741-0716 /
bieke@coqui.net

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ビエケスの救援と発展のための委員会
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2000年9月21日 プレスリリース

軍用車両のおかげでビエケスでの交通事故が増えている!

9月19日水曜日、朝9時ごろ、エスペランサ地区で巨大な軍用トラックが、一人の若いビエケス人、アンヘル・リベラさんが運転する乗用車に衝突した。これは過去数ヶ月の間に起こった一連の民間地域を通行する軍用車両の事故の最新の例である。昨日の事故によってリベラさんの車には大損害が生じ、彼の妻のニルサ・ガルシア・フランコさんは神経性の発作に苦しんだ。来週取り調べが行われる予定。
先月も、巨大な軍用トラックがビエケスのデスティーノ地区をキャンプ・ガルシア海軍基地へ向けて通行中、自宅前の通路でこの車両の通過を待っていたギジェルモ・ブリグノーニさん所有の車を大破した。運転していたのはビエケス人の老人だったが、事故による神経性の疾患のため病院で手当を受けた。
デスティーノ地区での事故の一週間前、ビエケスのマルティノー地区で一台の平床式軍用トラックが巨大なトラクターを運搬中、マルティノー・ベイ・リゾートに近い街路にかかる電気ケーブルを引っかけた。通過車両を巻き込んだ大事故を防ぐために通電されたケーブルを取り除こうとしたリゾートの若い労働者が大怪我を負った。
海軍の車両によるこれらの事故の間、プエルト・リコ警察の戦術作戦部隊の隊員がこれらの車両を運転する水兵たちをエスコートしていた。
「警察が随行していたにもかかわらず、海軍の人間の危険な運転方法や、小さな道幅に不釣り合いな巨大なトラックのせいでこのような深刻な事故が、続発したのだ。」とビエケスの救援と発展のための委員会のスポークスウーマン、ニルダ・メディーナさんは説明する。
委員会のメンバーは警視総監、ビエケス市長及び軍の担当官に対し、軍用車両がビエケスの民間地域の道路を通行しないよう求めている。

連絡は ロバート・ラビンまで 741-0716

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国防情報センター
週刊:国防情報
1779 Massachusetts Ave., NW * Washington, DC 20036
(202)332-0600 * Fax (202)462-4559 * www.cdi.org
第4巻38号 2000年9月21日

歓迎の赤絨毯は消滅しつつある

ダニエル・スミス大佐(退役 アメリカ合衆国)主任研究員

事故は起こるべくして起こった。1999年の4月19日のことだった。実弾の早すぎる投下。その結果一人が死亡した。地域の怒りはついに炸裂した。海軍と合衆国政府は逮捕や経済制裁をちらつかせ、国会議員までもが政治的な圧力をかけようとしている。
自分の裏庭に爆撃演習場があってほしいと望むものはいない。だがこれがプエルト・リコの小島、ビエケスの9千6百人の人々の運命だったのだ。60年間にわたって島の人々は艦砲射撃、爆弾、ロケット弾の投下、実弾を用いた水陸両用車両による上陸などに耐えてきた。その上、アメリカのその他の軍事施設や演習場の近辺で生じているのと同様な騒音や公害にも悩ませられてきた。アメリカ軍の戦争における戦闘技術が優れていることを保障する必要性のために。
ビエケス島の射爆場の継続使用に対する反対意見が多いことを合衆国に対して軍事的に脅威となるような目にみえる敵が存在しないことに帰そうとするむきもあるが、しかし問題には他の次元が含まれている。ビエケスは一つの例にすぎない。しかも国内問題としての。すなわち、非軍事部門にせよ軍事部門にせよ、政府のエリートたちが彼らを育んできた居心地のよい「冷戦」のなかから歩みだして、全く別の21世紀に向かって踏み出そうとしないことなのだ。
これは紛争が(従って紛争に備える必要性が)消滅しようとしていることを意味しない。むしろ、合衆国は将来にわたる紛争を形作るであろう地理的、移動可能性と距離、軍事情報、戦力、武器、方法、同盟国、など多岐にわたる要素を再検討しなければならない。そしてその上で、もし紛争が発展した場合にこれらの要素を効果的に勘案できるように世界規模での平時における駐留と訓練のあり方を再構成しなければならない。
このような再検討作業の最優先課題となるのは、アメリカ軍の大規模な部隊を外国に永久的に駐留させるやり方である。同盟国を支援し、または地域の安定を強化するとの理由でこれらはしばしば肯定されてきたし、少なくとも政府間レベルでは多くの外国のリーダーたちもこのやり方に承認を与え続けている。
それはありがたいことだが、しかし、国民同士のレベルでは合衆国は既に支持を失いはじめているといっていい。この事はやがて政府間レベルでも支持を失うであろうことを意味する。
このように支持を失ったのには3つの理由が考えられる。ビエケスの場合がそうであるように、大きな戦争は過去のものであり外国軍の永続的な駐留は不要であるとの認識が広がっている。世界は政治的にも経済的にも国境を取り去りつつあるというのにナショナリズム(往々にして排外主義の色合いを帯びた)がこれに油を注いでいる。これらの要素は合衆国の軍人や軍属が地元の住民に対して犯罪を犯したとき、いっきに火を吹く。自由の「救済者」が追い出さなければならない悪魔に早変わりするのだ。
幸いにも事件はそうしばしばあるものではない。しかしその効果は選挙区の政治のレベルでは絶大である。アジアほどこの事がはっきり現れるところはない。
沖縄では、島の面積の20%の50年間にわたる占領と多くの人がみなす、1万9千人の海兵隊、7千人の他の軍の兵士の駐留に対してますます多くの市民や政治家達が反対を表明しはじめている。3月には合衆国空軍に対して騒音被害に対する補償と夜間飛行の差止めを求める2つの訴訟が提起された。一人の海兵隊兵士が、家で寝ていた14才の少女に猥褻行為を行ったとして逮捕された事件と、空軍兵士の関与するひき逃げ事件が連続した7月には、反対の声はさらに大きくなった。
アメリカ政府の役人たちは、合衆国と日本との安全保障条約に対する71%という強い支持を示した(沖縄ではなく)日本での最近の世論調査の結果を好んで引用するが、その一方で64%が在日米軍基地を減らすべきだとしている部分には沈黙する。海軍は今月、日本の三沢市から夜間着陸訓練を停止するよう要請を受けたという事実すら認めることを拒絶したが、このような態度が国民の感情にさらに油を注いでいるのだ。同市は海軍との「友好関係」を破棄し、演習が再び行われれば海軍に航空基地からの撤収を要求するとしている。
実のところ、合衆国は昨年の25億ドルから15億ドルへと日本駐留に対する日本政府の財政援助の切り下げを受入れざるをえなくなっている。さらに2000年7月の海兵隊ニュースの記事によれば、海兵隊はとどまるべきか撤収すべきかの問に対して、掲載されたすべての返答が後者のものであった。
韓国においても同様の感情が人々の間に表れてきている。とりわけ2つの朝鮮のリーダーたちの6月サミット以降は。
韓国では今や政府レベルにおいても、朝鮮戦争初期にノグミの村で少なくとも175人の民間人を殺したのがアメリカ兵であると言うのが定説となっている。1996年以降はじめて、韓国と合衆国の代表が、韓国人に対する犯罪行為の容疑者となったアメリカ軍人の拘束について誰が権限を有するか等の問題を規定する地位協定の見直しのための交渉を持った。最近のハン川への毒物の投棄などに見られる合衆国の基地による環境汚染問題、米軍基地に雇用されている韓国人労働者の権利問題なども議題となる。
まるでビエケスからのこだまが響いているかのように、環境運動や市民運動の活動家たちは韓国の国会がメヒャンリ村近辺の2千3百70平方メートルの地域、海域に及ぶ爆撃及び射撃演習場について調査を行い、閉鎖することを要求しはじめている。周辺住民の抗議を受けて合衆国空軍は8月に、射撃演習に用いられている一部を閉鎖すると発表した。
世界の裏側のコソボでは合衆国の平和維持軍部隊が住民を脅迫したり攻撃したとして非難されている。8月にはアルバニア人の少女に対する強姦殺人容疑で一人の兵士が告訴された。
ここ北アメリカでは、カナダ政府がNATO軍の超音速航空機がラブラドールと上ケベックのインディアン狩猟地域上空を低空飛行することを来年6月まで全面禁止した。
本国においても海外においても、合衆国軍隊が登場すれば歓迎の絨毯を敷いて欲しいと願うのなら、政府だけではなく一般市民の感情をまじめに受け取らなければならなくなっているということに、アメリカのリーダーたちはそろそろ気付きはじめている。
何人かの人々にとっては、私たちの文化はすでに過負荷であり、かつ破壊的であると思われているのだ。
軍事演習が近隣の住民に対する配慮を欠いたまま行われていると感じられているのならば、そのような訓練は必ず永続的な外国軍隊の駐留に対する反対運動の火種となるのだ。
フィリピンの場合がそうであったように、出て行けといわれ、慌てて他の場所を探したりしなければならない不名誉を受けるよりは自発的に削減したり撤退した方が賢明である。しかし、そのためには新たな世界に対する、新たな見方が必要なのだ。

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メヒャンリとビエケスの連帯

Tue, 26 Sep 2000 15:04:55 EDT
こんにちは
この記事は韓国の非軍事化の運動に携わっている活動家のビエケスのレポートです。彼女は最近プエルト・リコ、ビエケスへ招かれ、そこでハワイのカホラウェ島の活動家アトウッド・マカナーニ氏と会見しました。
カイル・カジヒロ
アメリカの友奉仕委員会・ハワイプログラム

ビエケスからの報告

合衆国軍隊を信用しないで!

リー・ユージン(グリーン・コリア・ユナイテッド)

かつては美しかったプエルト・リコのビエケス島は、カリブの楽園としてその名を世界に知られしめていた。しかし60年間にわたる爆撃はその宝の島を、合衆国軍隊によって引き起こされた環境破壊と疾病によって、生き地獄に変えてしまった。今回グリーン・コリア・ユナイテッドの活動家がこの島を訪れ、同様の境遇に置かれている彼女の祖国のメヒャンリに思いを馳せつつ、報告する。
このグリーン・コリア・ユナイテッドの活動家は、ビエケス島において合衆国基地問題の平和的解決のために活発に活動を行っている「和解のための仲間たち」という平和運動団体の招待を受け、8月12日から20日にかけプエルト・リコを訪問することができた。韓国、ハワイ、コロンビア、パナマ、合衆国本土などさまざまな国、州から15人の代表が、ビエケス問題の理解と支持と連帯のためのこの国際集会に参加した。1938年以来合衆国海軍はこの小さな島で爆撃演習を行っている。爆撃演習と基地の存在によって過去60年の間ビエケスの人々は、環境破壊と軍隊の犯罪の被害を受けてきているのだ。「地球の裏側のここプエルト・リコにもう一つのメヒャンリがあったのだ。」もう一つのメヒャンリ、ビエケス島は、人口3百80万、かつてはスペインの植民地であり、1917年以来合衆国領土の一部となっているのプエルト・リコの一部をなす。1938年に爆撃演習が始まったとき、土地は強制収用され人口の半数は20ドルというわずかの補償金を引き換えにさしたる抵抗もなく、サンタ・クロース島や合衆国本土に移住しなければならなかったのだ。
ビエケスの爆撃演習場は、昨年4月19日デビッド・セインズさんという若い男性がビエケスの東側の警備員詰め所で働いているときに、爆発した爆弾によって殺された事件以来、注目を集めている。この事件に怒った島の住民たちは鉄のフェンスを破って立ち入りを禁じられている演習場に入り込み、そこを占領して抗議行動を行った。200人の住民が14のテントを作って、そこを「平和のキャンプ」と名づけた。抗議行動は一年におよび、人々はそこに仮設の教会を建て、家畜を飼い、作物を育てた。平和のキャンプで結婚した若いカップルもある。多くの人々がそこを訪れ激励した。こうして合衆国軍隊は爆撃を停止せざるをえなくなり、ビエケスはつかの間の自由を享受することができた。
しかし平和は長くは続かなかった。本年5月4日、合衆国軍隊は爆撃演習を再開すると通告して、合衆国政府の職員と海兵隊員は演習場の中に泊り込んでいた200人を逮捕した。しかしこれによって、ビエケスは逆に世界の平和運動家たちの注目を集め、プエルト・リコの人々もこの闘いに共感を寄せるようになったのだ。世界中の平和活動家がビエケスを訪れた。宗教関係者、政治家、学生、学者たちが、そのさまざまな立場、イデオロギーの違いにもかかわらず、ここに会した。合衆国の基地に侵入し、わざと捕まる、これを市民的不服従の行動として、島の住民たちは実行したのだ。4月から6月の間に400人の人が逮捕された。現在でもキャンプ・ガルシアに入ろうとする人々と警察の間で、いたちごっこが演じられているというわけだ。ジョージ・フェルナンデスさんとリリオ・マルケスさん、共に独立党の環境問題専門家だが、彼らは一年間にわたってキャンプに泊り込み爆撃演習場の環境調査を行った。そのかつての美しい植生、森と多様な動物たちに代って、直径50〜60メートルのクレーター、不発弾、ロケット、戦車やヘリコプターの廃品などによって島は埋め尽くされていた。驚くべきことに、詳細な調査の結果、不活性弾、ナパーム、エージェント・オレンジ、さらに悪名高い劣化ウラン弾などが発見された。さらに驚くべきことに、ここは合衆国が最新兵器のテストを行うのみならず、他国にも演習場として貸し出されていたのだ。
リリオ・マルケス博士によると「ビエケスは合衆国海軍の爆撃演習場であるのみならず、ベネズエラ、英国、ガテマラ、さらにNATO諸国の新兵器テスト場としても利用されている。ビエケスを貸し出すことで合衆国は年間8千万ドルの利益を得ている」とのことだ。過去60年間にわたる合衆国軍隊の爆撃演習によって深刻な影響が住民の中に現れている。1990年代になって、ガンによる死亡率が急増した。プエルト・リコ医科大学の調査によると1985年から1989年にかけてのガンによる死亡率はプエルト・リコ本島に比べてビエケスでは27%も高い。1999年にプエルト・リコ大学のジョージ・コリン博士はビエケス島に住む29人の住民に対して、重金属による汚染の調査を行った。この調査の結果、34%の住民が水銀、55%が鉛、69%が砒素、69%がカドミウム、90%がアルミニウムの汚染を受けていることが分かった。
プエルト・リコ医科大学のカルメン・オーティス博士の分析によると、住民の間に見られるこのようなガン発生率の高さの理由は「軍事演習による汚染が水質汚染を引き起こし、それが食物連鎖を通じて人体に摂取された結果」だという。軍事演習の間に爆発によって放出された有害化学物質が溶解しはじめている。TNTやRDXなどの爆発物も発見されている。
研究結果が発表された時には、人口9千3百のこのちいさなビエケス島の人々はすでに自らの権利のために戦いをはじめる用意ができていた。8月15日のビエケス市庁舎における経済振興に関する公聴会においては、合衆国軍事基地の撤去を求める叫び声とスローガンで、会場は埋め尽くされた。会場の外の路上では爆撃演習停止を求めるデモが繰り広げられた。
当初のキャンプが閉鎖させられた後、ロバート・ラビンさんはキャンプ・ガルシアの真ん前に家を借りて新たな平和キャンプを再開した。合衆国軍事基地に反対する闘いはプエルト・リコ人の同一性を再獲得する運動へと発展していると、この頑固な活動家は言う。
「プエルト・リコは合衆国の領土だから、ほとんどの人はアメリカ市民として、年金や社会保障制度になれてしまっている。だから多数派はビエケス問題に沈黙し、少数者が苦しむというわけだ。ここにこそ、合衆国軍事基地に反対する闘いがプエルト・リコ人としてのアイデンティティの問題をめぐる闘いに発展せざるを得なくなる根拠があるのだ。」いまや平和のキャンプには世界中からやってきた平和活動家があふれている。この場所はメヒャンリの「住民行動隊事務所」ととても良く似ている。壁には激励のメッセージ、ここで働く人のための折畳式のベッド、デモで使われるプラカードなど。イオレット・フランシスという名前の19才のアメリカ人の女性は、最初は観光客としてやってきたのに、いつのまにかここで手伝いをしたり、近所のガイドをしたりしているそうだ。
ビエケス島の住民はその多くの時間を反基地運動のために費やしている。子どもたちもデモや集会に積極的に参加している。「ビエケスにアメリカの海軍はいらない!」と彼らは叫ぶ。ここに住む人々に対して爆撃演習がいかに深刻な傷を与えているかがうかがわれる。
私たちが事務所を訪れたちょうどその日、キャンプ・ガルシアの入口で子どもたちが合衆国軍隊の車に向かって太鼓をたたいて野次を飛ばしていた。彼らにとってそれはおもちゃの兵隊で遊ぶのと同じくらい自然なことのようだった。もう一人の活動家、自称このキャンプのマネージャーであり、女性の権利のための運動にも携わっているエンマ・ミエバスさんにもお会いした。エンマは少女時代、合衆国の兵隊たちが売春婦を求めて徘徊している間、姉と一緒にたんすの中に隠れて過ごしたという。しかし、合衆国の近隣の小国に生まれるという不幸は少女時代では終わらなかった。彼女の二人の息子と一人のいとこはガンで死んだ。彼女自身も何度も苦しい手術を受けたと、彼女は涙ながらに語った。
「暗くなってビエケスの東海岸に雲ができはじめると、私はいつも恐くなる。孫たちがここで生きていけるかが心配です。」やはり、合衆国の軍隊はこの島にいるべきではないのだ。デモが勢いを増し、世界中のメディアの注目が集まりはじめる中で、クリントン政権は、住民投票の結果基地閉鎖が決定されれば4千万ドルの補償を行って3年以内に撤収すると約束した。しかし住民はただちに演習場を閉鎖することのみが問題であるから、この申し出を拒絶している。世論は全般に合衆国の妥協案を信用していない。「合衆国軍隊を信用してはいけない」と、ハワイのカホラウェ島で13年間にわたって爆撃演習場問題に取り組んできたエドワード・マカナーニさん(47才)は言う。「合衆国軍隊を信用してはいけない」、海外代表による発表の間、彼は何度も繰り返した。カホラウェ島は海軍に対して爆撃演習場としてわずか1ドルで売却されたのだ。50年間にわたる闘いの末に、ハワイ人はついに1990年に爆撃演習を停止させることができた。1993年以来合衆国政府は4億ドルの予算を計上して環境浄化計画を実施しはじめた。しかし政府の計画はごまかしに過ぎないことが分かってきたとマカニーニさんは言う。
「合衆国軍隊との契約が交わされたとき、私たちは4億ドルもの予算が10年間でどうやって使われるのかいぶかしんだものだ。軍は浄化計画の開始を5年間遅らせた。私たちが植林した木もみんな枯れてしまった。50年間にわたる爆撃は深刻な土壌と水質の汚染を生じさせていたのだ。契約期間残り3年となって、環境回復の可能性は少なくなってきた。とてつもない金銭と時間が必要なのだ。」メヒャンリを含めて現在韓国には95個所の米軍基地がある。軍事基地のもたらす犯罪や環境破壊に対して韓国政府は法的になすすべがない。ヨンサン基地の毒液投棄、グンサン基地の廃液流出、オサン基地の油もれ、すべては不公平な地位協定(SOFA)のせいで調査ができないのだ。
地位協定によれば、韓国は合衆国軍隊が生じさせた環境破壊による損害に対して、補償を要求することができない。合衆国は基地内に環境浄化設備を建設する何らの義務を負わない。このような状況のもとで合衆国は非軍事部門の基地を徐々に返還しはじめているのだ。誰が環境破壊の回復に責任を負うのか、と我々は叫ばざるをえない。地位協定に何らの環境条項が含まれていないのならば、すさまじい金額の環境回復の費用を韓国政府が負担することになる。結局その財政基礎は国民に帰せられることになる。カホラウェ島の場合がそうであったように、軍事演習によって汚染された土地の回復には莫大な費用と時間がかかるのだ。メヒャンリはビエケスやカホラウェと同じ過ちを犯してはならない。
メヒャンリとビエケスは類縁性を持っている。長期にわたって近隣の住民は騒音、土壌汚染、水質汚染の被害者であった。しかし、いまや彼らは孤独ではない。世界中のたくさんの人々が彼らと共にいる。私たちはあらゆる側面から理解と援助のために最善を尽くそう。銃声が鳴り止み、メヒャンリとビエケスの土地がその美しい姿をふたたびあらわすまで。これはダビデとゴリアテの闘いなのだから、私たちにはまだ希望があるのだ。

ビエケスに平和を!メヒャンリに平和を!