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「ビエケスに関する大統領指示」の実質的変更

2000年10月16日
レオノール・ムレロ
エル・ヌエボ・ディアス紙

ワシントン:議会はクリントン大統領によるビエケスに関する指示を実質的に変更した。土地の返還に関する文言のみならず模擬弾による演習についての言及を一切無視したのだ。
2000年1月31日の大統領指示には以下の様に述べられている。すなわち実弾あるいは爆発物を用いた演習に関して住民投票によってビエケス人が許可を与えない限り、合衆国海軍は模擬弾により、年間最大90日間、2003年の5月にビエケスを撤収するまで演習を行う。
ビエケス計画、これは合衆国議会によって承認され、大統領の署名をまって法となるが、それによると「大統領はプエルト・リコ、ビエケス島において、同島の演習場において合衆国軍隊による実弾演習その他の形態の演習の継続に賛成するか反対するかを有権者の多数決により決定するために住民投票を行う。」となっている。
ホワイト・ハウスの反対にも関わらず議会は、海軍に反対する投票結果は実質上ルーズベルト・ロード海軍基地の閉鎖、フォート・ブキャナンへの移転を意味すると考えたのだ。
同時に議会はフォート・ブキャナンにおける新たな建設、改良、拡張を停止する議決を行っている。
議会はこれまた大統領指示に反して、ビエケスの土地を一片たりともプエルト・リコ政府の手に渡さない。4千エーカー近くのビエケス島西部の土地は「経済発展」のためにビエケス市に返還される。
また、ビエケス島西部の3千百エーカーは合衆国内務省に権利移転され、野生生物保護区となる。大統領指示によればこれらはプエルト・リコ政府に返還されるべきものだった。
議会はさらに、土地の権利が移転される日付を遅らせもした。大統領指示にある2000年12月31日から2001年5月1日へと。
ビエケス東部の、爆撃演習場と民間人居住地区との緩衝地帯並びに保護区域と分類される土地は、これまた合衆国内務省に権利移転される。これも1万2千エーカー以上のこれらの土地をプエルト・リコ政府に返還するとした大統領指示に反している。9百エーカーの爆撃演習場内部の土地も合衆国内務省に渡される。議会は重大な汚染が危惧されるこれら東部の土地について浄化や汚染除去を何ら命じていない。
議会は4千万ドルのビエケス経済振興予算と、住民投票で海軍の残留が決まった場合に備えてさらに5千万ドルの予算を承認した。

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平和と正義のキャンプからの報告

ビエケスの救援と発展のための委員会
P.O. Box 1424 Vieques, Puerto Rico 00765

2000年10月13日

10月の第一週の週末には、当地における軍隊の駐留に対するもっとも強力な反対行動の一つが行われた。9月30日、土曜日の集会は見物だった。およそ700人の人々がビエケスから、そしてプエルト・リコ本島から連帯を示すために参加した。参加した宗教指導者の中には、地元のカトリック教会のネルソン・ロペス神父、プエルト・リコ聖書協会会長のウィルフレッド・エストラーダさん、カグアス教区のペドロ・オルティス神父、キリストの使徒教会のエウニス・サンタナ師、統一福音主義教会のエリベルト・マルティネス師などの姿が見えた。そのほかにも労働者、女性、学生、環境グループ、詩人、音楽か、芸術家などの団体が、およそプエルト・リコ列島のいたるところからやってきていた。
マヤヘスからファハルドにかけての旅をしてきた「ビエケスの平和のための行進団」も集まりを持った。マヤヘス連帯グループのスポークスマン、ミゲル・サンチェスはビエケスに対する協働と支援のメッセージを伝え、ビエケスの人々はこれに対して大きな拍手で応えた。ボナノ・ペレス・ファミリーとソライダ・サンティアゴが歌う。彼らビエケスのミュージシャンの登場はもはや土曜集会の定番となっている。
市民的不服従を支持するデモと抗議行動はプエルト・リコ本島からの兄弟姉妹たちの多方面からの参加によって行われた。ビエケスの近年の歴史の中で、今回の抗議行動は最大のものだったと多くの人が述べている。およそ70人ほどの本島からの参加者が、ビエケス人のコーディネーターの指示の下に、島の西側の巨大なROTHRレーダーの近くの海軍の立ち入り制限区域に侵入した。プエルト・リコ人の良心の導きに従ったこれらの人々は、軍当局に逮捕され、セイバのルーズベルト・ロード基地に連行され、その後サン・フアンの連邦裁判所に移管されたがそこで釈放された。
「キリスト教徒仲裁チーム」のリーダー、クリフ・キンディーが唯一人拘束された。5月14日のビエケスにおける市民的不服従に参加して逮捕された際の保釈条件に反したからである。同グループのカナダ人のメンバー、アンジェラ・フリーマンも10月1日の市民的不服従行動に参加した。クリフは最終的には10月10日に釈放された。
ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)と平和と正義のキャンプ(PJC)はこの「大行進」を全力をあげて計画、準備してきた。金曜と土曜の夜本島からの数百人の参加者が宿泊するエスペランサ地区のキャンプ場を設営するために何週間もの準備に取り組んだCRDV-CJPのジョイント・チームのリーダーを務めたのはニルダ・メディーナだった。飲料水のドラム缶を設置したり、草や刺だらけのやぶを切り開いたり、電灯をつけたりすることがここでの仕事の一部だった。30人ばかりのビエケス人がPJCで会合を持ち、行進とキャンプ地の規律と安全確保のための「旅団」の任務について議論を交わした。CRDV-CJPのメンバーは、案内板を掲示したり、リーフレットを配布したりするために、やはり「旅団」を形成した。「平和と正義のシェルター」にはこの週末50人ばかりの人々が宿泊した。
私たちは10月1日行動を組織するためのすべての会合でCRDV-CJPを代表した同志ニルダ・メディーナ、参加者の安全のための旅団を指揮したイスマエル・グァダルペの労をねぎらいたい。私たちはまた今回の行進と市民的不服従行動の主要な組織者であるエクトル・オリビエリとカルロス・セノン、そしてこの市民的不服従を支持する大行進と集会の成功のために懸命に働いたすべてのプエルト・リコ本島からの多くの参加者にも、あらためて敬意を表したい。
10月1日行動は、同時期に実施することが発表されている海軍の演習に対する一ヶ月間にわたる連続的な抗議行動の幕開けである。
10月5日、プエルト・リコの元政治犯たちのビエケス訪問が続く。アドルフォ・マトスはビエケス人の不服従実行者たちとともに平和と正義のキャンプを訪れ、その後40人ほどの中学3年生のグループと会見した。ルーシー、アリシア・ロドリゲス姉妹もまもなくやってくる。近々報告できるだろう。
10月の初め、私たちはサン・フアンにやってきていた原子力規制委員会の役人たちに対して強力に抗議しなければならなかった。彼らは、放射性物質を含む兵器(ウラニウム238弾丸)が1999年2月に使用されたと海軍が認めているにもかかわらず、ビエケスは何らの汚染もない楽園だ、などというウソを臆面もなく言うためにここまでやってきたのだ。この役人たちが記者会見を行っている間、何人かのビエケス人がガンの被害者の名前を記したプラカードを掲げて、オフィスに侵入した。この中にはロランド・ガルシアもいた。彼は爆撃演習場内で短期間働いたため、高レベルのウラニウムが血中に検出され、体中の毛がすべて抜け落ちたのだ。
ホワイト・ハウスのプエルト・リコ実務委員会の副議長ジェフ・ファローが先週行った人種主義に満ち溢れた、厚顔無恥な発言に対しても私たちは糾弾しておかなければならない。ファローは、大統領指示にもかかわらず、海軍は好きなときに好きなところを爆撃すればよかろう、そうすればビエケスは大混乱に陥るに違いない、などと発言してプエルト・リコ人を侮辱したのだ。CRDVは、ファローはビエケスには「歓迎されざる人物」だと記者発表で宣言した。
10月8日の日曜日、平和と正義のキャンプとCRDVやその他のビエケス人の代表はビエケスの平和のための特別のミサに参加するためカグアを訪れた。カグア教区のアルバロ・コラーダ・デル・ルス司教はロバート・ケネディ・ジュニアと、プエルト・リコ生まれのニューヨークの労働運動の指導者、デニス・リベラのプエルト・リコ訪問にあわせてこのミサを行ったのだ。彼らは二人とも、ビエケスにおける海軍の爆撃演習を停止させるために連邦裁判所に対する提訴を行うために、プエルト・リコを訪れている。この訴訟の原告団にはCRDV、ビエケス女性連合、1976年から80年にかけてビエケスの市長であったラダメス・ティラードなどが参加している。
10月7日、たくさんのビエケス人やプエルト・リコ本島からの参加者が毎週土曜日に平和と正義のキャンプで開かれている集会に参加するために集まった。巨大なスクリーンには、ソニア・フリッツによる新しいドキュメンタリー・フィルム、「境界線を越えて」が映し出された。これはビエケスの運動への女性の参加を描いたものである。ニューヨーク市議会議員(ビエケス市議会議員でもある)ホセ・リベルカから送られてきたティト・トリニダードの最近のマイアミにおける試合の模様を写した映像も紹介された。フィルムには優勝決定戦のさなか、たくさんのビエケスの旗や、ビエケスの平和を支持するプラカードが掲げられていた様子が写っていた。
7日の昼間、平和と正義のキャンプではその他もろもろの活動が行われた。11時半から1時半の間、キャンプからラジオの生放送が、ポンセのWEUC、カトリック大学の放送局を経由して放送された。イスマエル・グァダルペ、ニルダ・メディーナ、ラダメス・ティラード、そしてロバート・ラビンが当地の闘争を報告する番組に出演した。プエルト・リコ大学の音楽の教授たちも参加して、今月の28日、平和と正義のキャンプで行われるエレクトリック・アコースティック・ミュージックの国際コンサートの案内を行った。
10月8日、日曜日、CRDVとビエケス青年連合を代表してイルシア・グァダルペがメキシコ・チアパス州で開催される国際会議参加のために出発した。彼女はそこでビエケスの闘いを伝えるとともに、世界の他の地域の平和運動について学ぶことになろう。
最近私たちは、もともと海軍寄りだった大統領指示をさらに反ビエケス的に変更することを承認する合衆国議会の決議を非難した。主要な議会指導者がこぞってビエケスにおける実弾演習の再開を望んでいることのあからさまな表明に加えて、新たな大統領指示は2万3千エーカーの海軍管理土地のうちおよそ2万エーカーを永久に連邦政府の管理下に置くという内容を持っている。
CRDVはこの間ひんぱんに会合を持ち、今月の活動について計画を練っている。いくつかのチームはすでに爆撃演習場に侵入して、いつ何時でも開始されるかもしれない演習を阻止するための準備を整えている。
在ニューヨークのビエケス人、ルス・リベラは「10・21ビエケス連帯委員会」の組織者の一人であり、その日にニューヨークでの大規模な行進を企画している。彼は先週CRDVと会見しそのイベントについて議論を行った。
10月15日の日曜日には、最後にキャンプ・ガルシアのゲートを封鎖する自動車パレードを企画している。次の日曜日の22日には、キャンプ・ガルシアのゲートの近くのエリアで、軍事基地のフェンスに対抗する「第2回人間の鎖」を実行する。

闘いの中で、連帯のために
ロバート・ラビン

海軍はビエケスから出て行け!


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ビエケスの救援と発展のための委員会
Box 1424 Vieques, Puerto Rico 00765
(787) 741-0716 Email: bieke@coqui.net

2000年10月9日

プレスリリース

ビエケスの救援と発展のための委員会は、ビエケスの土地の管理を永続化しようとする連邦政府のもくろみを糾弾する

プエルト・リコ、ビエケス:ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)はビエケスの土地の管理を恒久的に連邦管理下に置こうとする試みを批判し、糾弾する。
ビエケスに関するクリントン大統領の指示に関する合衆国議会の計画について、CRDVのワシントン代表であるフラビオ・クンピアーノ弁護士は「現段階で、クリントンの指示は合衆国海軍の利益のために出されたことは誰にも疑い得ない。一年以上にもわたって我々が糾弾してきた文書がまさに現れてきた。ホワイト・ハウスは共和党が支配する議会にビエケス問題という火中の栗をしかも選挙の年に投げてよこしたのだ。そして今や議会は予想されたとおり、この指示の背後にいかなる真の意図が横たわっていたか、すなわちビエケス島の管理を連邦の下に恒久化すること、をきわめて明白にした。
クンピアーノ氏は続ける。「もしクリントン大統領が、我々ビエケスの人民に対するかかる記念碑的な裏切りから自らを弁護したければ、彼にとってなしうることは一つ、海軍に対してビエケスにおける爆撃を、ただちに、かつ永久に停止することを命ずることだけだ。これに関する議会の承認は不要である。」
同時にロバート・ラビン、CRDVのスポークスマン、は「合衆国議会はロセッジョ・ロメロ、モーレイやファローなどと共謀してクリントンの指示をさらにひどいものにしてしまった。クリントンの指示は議会のシュレッダーを通過して私たちに投げつけられた残り物といえば、ビエケス東部地区の1万2千エーカーを連邦政府に、西部地区の4千エーカーを連邦政府に、爆撃演習は継続、海軍がビエケスから撤収する保障は一切なし、というものだ。」と述べている。
CRDVのビエケス人リーダーであるイスマエル・グァダルペはこう主張する。「ロセッジョの我々人民への裏切りが今や花開いているのだ。ロセッジョが要求した通りにプエルト・リコの政治的地位に関する今一度の住民投票に対する2百5十万ドルの予算を議会が承認した同じ日に、この海軍寄りの計画を発表したのは何も驚くに当たらない。ロセッジョの裏切りとその代償が今こうして現れてきたのだ。
「もしこれらすべてに関して私たちが何かポジティブなものを得ることができるとすれば、ビエケスのすべての爆撃演習を今すぐ、永久に停止させること、海軍がビエケスを撤収すること、私たちの土地を返還させること、という要求を支持しながら同時に、これらの大統領指示を信頼することなど到底できないということが今までにも増して明白になったということぐらいだろう。」
連絡は、ロバート・ラビン: Robert Rabin, CRDV Tel. 787-741-0716 Cel. 787-375-0525

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アンドレス・トマス・コンテリス Andres Thomas Conteris
ビエケスのためのハンスト 

ビエケスのためのハンスト、75日を振り返って、そのうちの50日は水だけ

2000年10月7日

メキシコ南部からみなさんにあいさつを送る。
ビエケスにおける10月2日の会合、断食をいつ終了すべきかを見極めるための会合
ビエケスでの10月2日の、水のみを摂取する断食を終了させるためにもたれた集まりは、ちょっとした見物だった。爆撃演習場の入口の「正義と平和のキャンプ」で。もう10年も会っていなかった私の友人、祖国で真相究明委員会の活動を行ってきた韓国の牧師キユル・チュン師は、7月25日に開始された交替制の断食の活動に他のたくさんの仲間と共に参加している。
感謝の言葉はいたるところに聞こえた。ビエケスの人達と、韓国からやってきてくれた人達の、この島における海軍の爆撃演習を止めさせるためのたゆまぬ活動に対して。そして断食という行為に対して、カロリーを一切摂取しなかった私の50日間の断食の終了に対して。
正直なところ、私は自分の体がこんなにも長い間全然食事をとらずに耐えられるとは思っていなかった。みんなが驚いているのも、まるで他人事のように思え、自分もいっしょにびっくりしたかった。心の中では、こんな長期間の断食をしたのは、自分ではないような気がしていた。私は単なる部外者だ。みんなと同じように。

ビエケスのリーダーの一人がこんな風に意見を述べていた。
ビエケスにおける平和と正義のための闘いの中で最も突出した役割を担っていた人物の一人であるイスマエル・グァダルペは、こんなにも長期間にわたる、信念のみに基づいた正義と平和のための断食をいつ終了させるべきかを他人に対して指図することはできない、と述べた。彼は人々の間の深い精神的並びに政治的な自発性を理解していたし、良心にしたがって行動する人々に対する強力な支持を表明していた。
彼は合衆国海軍をビエケスから追い出すためにおよそ役に立ちそうな、個人や組織が実行すべきあらゆる方法、ピケや抗議行動、逮捕や投獄を恐れず侵入すること、そして断食など、たくさんの方法について語った。「イスラ・ネーニャ(赤ん坊の島)」の現下の運動のほとんど予言者的ともいうべき証人でもあるこのリーダーから、これらの言葉を聞くと、とても元気が出る。

断食終了の儀式。
参加者全員のほとんど共通の感想を聞いた後、私は野菜の汁とジュースをちょっとだけ飲んだ。とってもとっても、それはうまかった!!この後数日間、私は徐々にスープや栄養剤を摂取して、過去10週間にわたって(全体で75日間、そのうち50日間は水のみ)失った60ポンドの体重を回復しつつある。

現時点で、特記すべき重要な事柄がいくつかある。
兄弟教会(Church of the Brethren)の仲間が投獄された。
「キリスト教徒仲裁チーム」のメンバークリフ・キンディーはプエルト・リコのグアイナボ連邦刑務所に収監されている。連邦治安判事ヘスス・A・キャステジャーノは彼の保釈を取り消した。キンディーはインディアナ州の農民で、5月の初めに多くの仲間とともにFBIや連邦保安官などによって実弾爆撃演習場から排除された一人だ。私は5月3日に立ち入り制限区域内にあるプエルト・リコ福音主義協会が当時設営していた14のキャンプのうちの一つ、「キリスト教徒の服従のためのキャンプ」で、はじめて彼に会った。
彼はほかの多くの仲間とともに10月1日海軍が管理している島の西の端のエリアに侵入して逮捕され、一時的に拘束されている。10月4日に私はクリフとちょっとだけしゃべったが、翌日彼はふたたび拘束された。彼はカステジャーノ治安判事が課した1,500ドルの保釈金の支払を拒否したのだ。公判まで彼は拘束されるだろう。その日付はまだ明らかではない。最近プエルト・リコ独立党の3人のリーダーたちや、プエルト・リコ長老派教会の牧師は、保釈金支払を拒否したことで、42日間収監された。
「キリスト教徒仲裁チーム」代表団のメンバーはクリフの釈放とビエケスの自由のためにグアィナボ連邦刑務所の前で本日正午から1時半まで集会を行う。彼の釈放を求める数々の行動も計画されている。
キンディーたちの「キリスト教徒仲裁チーム」代表団はプエルト・リコのいくつかの宗教グループの招待を受けていて、現在ビエケスの救援と発展のための委員会や、平和と正義のキャンプ、平和と正義のためのカリブ海域プロジェクトやその他もろもろの教会関係グループなどと共に共同行動のための調整を行っている。「キリスト教徒仲裁チーム」は信仰に根ざした組織であり、短期間の平和使節を世界中の紛争地域に送り込んでいる。クリフの自由と、ビエケスの自由を!!

最後のチャンスだ。合衆国下院議員に働きかけよう!
「親愛なる同僚へ!」、クリントン大統領へのお手紙攻撃。
今週は合衆国の議員さんたちにコンタクトを取る最後のチャンスだ。202-224-3121に電話をかけ、ビエケスの平和を求める「親愛なる同僚へ!」手紙を彼らに書かせよう!合衆国下院議員やその秘書たちには、下院議員サム・ファーの事務所(debbie.merrill@mail.house.gov)に対して、クリントン大統領に対して強力なメッセージを送ることに関心を持っていることを示すemailを送ってもらわなければ。詳しくはこちらのサイトwww.viequesfast.orgを見て、議員の誰でもいいから、このとても重要な手紙に署名することを要請してください。

ニューヨークでデモ。2000年10月21日、正午、コロンバス広場、誰でも参加歓迎。
土曜日にはニューヨークにやってこよう!2000年10月21日、ひる12時から、コロンバス広場で「ビエケスの平和のための大行進」が行われる。主催は「10.21ビエケス連帯委員会」。この主催者はビエケスの断食行動にも多大な支持を与えてくれている。

液体のみの断食は続く。
クリフの収監、「親愛なる同僚へ」手紙攻撃、来るニューヨークの行進、これらの状況に鑑みて、私は象徴的な意味で液体のみの断食を続けようと決心した。この断食は医者に私の健康に悪影響が出ないよう監督してもらいながら続ける。
ビエケスの正義と平和のための運動の渦中にいる様々な人々との連絡を取りつつ、この断食がビエケスにおける現下の「非軍事化、脱汚染化、土地の権利の返還、そして島の発展」それらのすべての前提として「合衆国海軍はビエケスからの撤収」を求める運動の進行を助けるよう最大限がんばろう。今度は単にクリントン大統領にビエケスの宗教及び地域の代表と会見せよと単に要求するものには留まらない。あまりにも時間が経ちすぎ、かつその要求は充たされていない。たとえそれが実現したとしても、それは海軍の即時かつ永久のビエケスからの撤退に向けた具体的なステップとなるものでなければならない。
私は現在メキシコのチアパスで、休養して体力の回復を待っている。近く私は「第2回南北の出会い:グローバライゼーションに対するオールタナティブのために」にオブザーバーとして参加する。これはビエケスの平和を求める闘いの経験を共有し、この半球における経済的正義を求める運動について学び、これらの人民の運動との連帯を気付く貴重な機会となるだろう。ワシントンに戻ったら、私は圧倒的な支持を受けた10月2日の「ビエケスの平和のための国際祈りと断食、行動の日」についてのレポートを送りましょう。

祈りと断食と、そして愛の深い海の中で

アンドレス・トマス・コンテリス

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オランダと連帯するビエケス

2000年10月11日

プエルト・リコの平和運動グループ「ビエケスの平和」モライマ・リベラさんの演説、2000年10月1日、オランダのフォルケル軍事基地の前での反軍集会にて

こんにちは。

私の名前はモライマ・リベラです。カリブ海のプエルト・リコで有機農業をやっています。まずはじめに、ここに集まって下さった皆さんと、この貴重な集まりを企画して下さった方々にお礼を言いたいと思います。生きていく上で感謝の気持ちを持つことは重要なことだと考えています。
「ビエケス・リーブレ(自由ビエケス)」、「ビエケス・パス(ビエケスの平和)、「すべてのプエルト・リコはビエケスとともに」、そして「ビエケスの救援と発展のための委員会」、「全国オストシアーノ会議」やその他の農業組合、協同組合を代表して連帯のあいさつを送ります。平和と、爆弾のない世界のための連帯を表明するために私はここにやってきました。今日私はここでプエルト・リコの「赤ん坊の島」、ビエケスの実状をお知らせしましょう。ビエケスはちょうどサン・マルテン島と同じ大きさの島ですが、そこは60年間にわたってアメリカ合衆国海軍の爆撃演習場として使用され、プエルト・リコのこの問題に対する態度を利用して、濫用と破壊をほしいままにしてきました。NATO加盟国を含む世界中のあらゆる国の海軍がここで演習を行うためにやってきました。ビエケスの母親たちは爆音を子守り歌に子供達を寝かしつけなければなりませんでした。高度の汚染やガン、ぜん息、皮膚病などの問題、絶え間ない騒音や振動。ちょっとしたミスで事故が起こり、人が死ぬかもしれない。これらのわたしたちの抱える問題について皆さんにお知らせし、皆さんの質問にお答えするのが、今日ここに私が来ている目的です。
1941年に合衆国議会は合衆国海軍にビエケス島の直接の土地所有権限を与える法律を可決しました。ただちに強制収用手続きがとられ、3万3千エーカーのうち2万6千エーカーの土地の所有権がこうして軍に移転されました。何千という家族が何世代にもわたって住みついてきた土地から物理的に排除されサン・クロワやその他の地域に移住を余儀なくされました。土地を離れるのにたった24時間しか与えられなかった家族もいます。
土地の接収によってセントラル・プラヤ・グランデ(中央大平原)は閉鎖され、それまでさかえていた農業を基礎とした経済は衰退しました。何千という人々が働き口を求めて移民とならざるをえなくなりました。島全体をサン・クロワに移住させてしまうという計画が1947年に立てられましたが、これは失敗に終わりました。
そして海軍基地に対する今日にいたる抵抗運動の最初の火ぶたが切られました。たくさんの人が死に、獄につながれ、健康を害しました。60年間の抵抗の末になお、1999年4月19日、一人のビエケス人の民間警備員が、実弾演習によって殺されなければならなかったのです。この事件がきっかけとなって、プエルト・リコ社会のあらゆる分野の人々が、爆撃演習はただちに停止させられねばならないこと、海軍がビエケスの土地を占有していた間に生じた汚染は除去されねばならないこと、これらを共通の認識として持つことになったのです。この60年間にわたって海軍はこの島を演習場及び弾薬庫として利用してきました。これらの演習によって土地にどのような生態及び環境上の影響が生じているかを調査しようとしても、島の3分の2の地域と海域は立ち入りができないようになっているのです。私たちは世界に冠たる帝国とその海軍に、60年間にわたって立ち向かわねばならなかったのです。
爆撃の再開を阻止するために、何百人というプエルト・リコ人や、各国からの支援者(その中にはもちろん北米大陸からやってきた人達もいます)が自らの身体を楯として闘いました。何百人もの人々が逮捕され、中には独立党の上院議員や下院議員の人達のように、60日以上拘留された人もいました。たかが不法侵入程度の軽犯罪に対して、判決はとても重過ぎるものでした。この問題に注目を集めるために合衆国のいろんなところや、チリ、コロンビア、イギリスなどでも抗議行動が行われました。人々は一年以上の長期にわたって、立ち入り禁止区域の内部にキャンプを作って抗議行動を継続しました。しかし、5月4日、すべてのキャンプ、教会や小さな学校などに立てこもっていた人達はすべて排除され、数時間にわたって逮捕されました。宗教関係者、合衆国議会の議員、芸術家、農民、女性、弁護士、そしてベトナム戦争などの兵役の経験を持つ退役軍人の人達も逮捕されました。
ビエケスの人口は9千4百で、これは増加する余地はありません。あいた土地は爆撃演習場や巨大な弾薬庫に隣接する緩衝地帯しかありません。この弾薬庫の102の倉庫には4千トンにおよぶ爆薬が常時貯蔵されています。この島にはもっとたくさんの人が住むことができたはず、しかし経済は海軍のおかげで発展が妨げられているのです。
合衆国海軍はビエケス演習場を貸し出すことで、年間1億ドルもの収入を上げています。オランダ、ベルギー、イギリス、カナダ、イタリア等々の海軍に。アルゼンチンやベネズエラなどのラテン・アメリカ諸国は、連帯を表明するために兵員をビエケスに送ることをやめました。他国の軍隊と兵器産業にねらいを定めて、新しい兵器の実験場として、この島を売り出していたのです。使用されたのは土地ばかりではない、近海の海域も環境が破壊され、大西洋からベネズエラ近辺のカリブ海にいたるまで多くの生物種がダメージを受けました。島の東の端の900エーカーが爆撃演習場となっています。そこには砂洲、礁湖、森、砂浜があります。青い砂州、夜光虫の光る湾。カヨ・カネホ(ウサギの小島)にはプエルト・リコでここだけに生息する茶色のペリカンがいます。アルカトラス岩はアジサシの巣作りの場所になっています。たくさんのクジラ、カメ、魚、鳥、そして植物が死にました。1936年にはここには3つの大きな礁湖があり、そのうちの2つはカリブ海につながっていました。そこはココナツなどが生い茂り、たくさんの生物が生きる豊かな湿地でした。考古学的にも重要な場所がいくつもあり、私たちの祖先であるこの島の土着の住民たちは自然と密接な関係を保ちながら生きてきたことが分かります。コロンブス以前の土器の破片も発見されています。美しい海に面した海岸の森も、破壊されました。サボテン、花、昆虫、トカゲ、ブドウ、ヤシ、緑の草、みなに愛されていたそれらすべても。
私たちの心配事の一つは、海底の不発弾です。地上は爆発のあとだらけです。危険性は明らかです。道路にも、草むらにも、木のてっぺんにも、保護区の中も、爆弾の破片、よその国の爆弾の破片だらけです。礁湖は海から切り離されて、絞め殺されたのです。3つの礁湖はまた、不発弾や爆弾の破片で汚染され、クレーターや標的だらけです。余りにもたくさん爆撃を受けたので土が全然残っていないところさえあります。何年にもわたる爆撃のせいで地形は変形し、沖合のサンゴ礁や海草藻場は沈泥で覆われています。これらの沈泥には有害物質が含まれていて、おそらく食物連鎖の中に入ってきているでしょう。ロケット弾の不発弾がゴミに混じって散らばっています。クラスター爆弾の不発弾もありました。いたるところにトラック、戦車、クレーン、飛行機などあらゆる物の残骸が散らばっていて、これらは標的として用いられます。もっと心配なのは目にみえない放射性の劣化ウランの残留物です。その分子が風で人口集中地域に運ばれ、吸引され人体に摂取されると様々な疾患を引き起こします。1999年5月、軍の汚染物プロジェクトが報告書の中で、海外における劣化ウラン弾使用場所としてあげたのは、**島、沖縄、そしてビエケスです。戦車の焼けた跡を見ればそれが劣化ウラン弾である事が分かります。標的エリアの内部からサンプルも採取されました。サンプルは石灰岩性の土壌でしたがこれも汚染されていました。ナパーム弾も使われています。砒素、バリウム、カドミウム、コバルト、銅、クロム、鉛、ニッケル、バナジウム、亜鉛、シアンなども高濃度で検出されています。高融解性爆薬、***爆薬、これらもすべて致死性の有害物です。
ビエケスの発ガン率は、プエルト・リコの他の地域より52%も高いのです。爆発物などから発生する有害物質が飲料水の中から検出されています。**、喘息、硬化症、**、肝臓疾患や心臓疾患などの発生率も高くなっています。幼児死亡率も高いです。19人のビエケス人の血液から、高濃度の水銀が検出もされました。だからこそ、私たちは一致して合衆国海軍はビエケスでのすべての爆撃を停止せよ!というのです。
ビエケスの問題は人権問題なのです。人々はゆっくりと殺されているのです。土地を追い出され、仕事もなく、食べ物もなく、そして汚染。医者に見てもらうのにも大きな島まで出かけなければならない。20年間ビエケスでは子どもが生まれなかった。こんな風にこの島は放置されてきたのです。海軍は代わりの場所がないから仕方がないという。合衆国のビル・クリントン大統領は、住民投票を行って、ビエケス人が海軍が駐留して実弾演習をすることを望むか、それとも模擬弾での演習を3年間続けたのち撤収することを望むかを尋ねるといっています。住民投票は、君たちはどんな風に殺されることを望むかね、と尋ねているに過ぎない。そもそも合衆国海軍が私たちの自治に属する投票に口をはさむいわれはないということをはっきりさせなければならない。今も海軍はたくさんのお金を使って宣伝やPRを行っています。私たちはそんな海軍の力をいたるところで感じます。
過去16ヶ月間の間、市民的不服従の闘いにささげられてきた献身と、市民運動や政治運動の各団体が持続してきた先進的な行動によって、合衆国海軍の動きを制限することができました。本年7月13日の国連非植民地化委員会での全会一致決議の中でもはっきりとみとめられました。決議はこう述べています:
プエルト・リコ人民の民族自決権を保障し、その人権を擁護するために、合衆国政府に対して、人の居住するビエケス島におけるその軍隊による軍事演習を中止することを命じること、そして土地をプエルト・リコ人民に返還すること、、平和的デモンストレーションに対する逮捕や妨害等の抑圧を中止すること、健康及び経済発展に対する基本的人権を尊重し、汚染された爆撃演習場を浄化することを勧告する。
私たちは1898年に合衆国海軍の侵略を受けました。彼らは銃をぶっ放しながらやってきて、私たちの地域経済を破壊しました。私たちの子供達を戦争に連れて行くために無理矢理私たちに市民権を与えました。私たちはカリブ海最後の植民地です。102年の抵抗の中で私たちは自らの言語と文化と生き方を守ってきました。植民地主義は犯罪です。体制のすべてが人々に対して、植民地主義がありがたいものだなどと教え、これを受入れるようにほめたたえているような中で、いったいどうやって真の民族自決が得られますか?
百万人におよぶ人々、そのほとんどが民主的な団体の構成員です、これらの人々に対するFBIなどによる弾圧の事実は人権の擁護者をもって任じている合衆国にとって、恥です。私たちは弾圧がどんなものか知っているし、人権の擁護者を装うやり方がどんなものかも知っています。プエルト・リコの旗を自宅に持っていただけで監獄にぶち込まれた人が何人いたでしょう。何百万人という人々が殺されたのです。
キャンプ・ガルシアの入口の前で何人もの人々が、1999年の4月以来「正義と平和のキャンプ」を呼ばれるキャンプを張って毎日監視活動をしています。漁民、主婦、若者、あらゆるビエケス人たちがそこで合衆国の海軍に対して、出て行け!と叫んでいます。抑圧と暴力に耐え、人々が静かに死んでいくのを見守らなければならなかったのです。どんなにお金を積まれても命は買えません。奇妙なことも起こります。兵士たちさえ私たちに連帯を示すのです。私が逮捕された日のこと、保安官が言いました。「どんどん闘いを続けなさい、この島は爆撃演習場に使うには美しすぎる。」海岸近くでクジラが爆弾に触れて血を流しているのを見るのはつらいです。軍隊のトラックがいくつウミガメの卵を踏み潰したでしょう。何千頭ものイルカが殺されました。私たちは今世界中の環境保護団体に、私たちの平和のための闘いに合流しましょうと声をかけています。いくつかの団体は合衆国政府からお金をもらっているので、海軍と対決しようとはしませんが。皆さんの国の政府に対しては、あなたがたの国の青年が汚染の被害を受けないように、そして私たちの「赤ん坊の島」の汚染に手を貸さないように、爆撃演習場を利用しないように求めています。1966年に特殊な爆弾が投下されました。私たちはそれが原子力兵器であることを知っています。しかし彼らは私たちにうそをついています。今年になってやっと彼らは爆弾を見失ったこと、それを回収したことを認めました。これに関する情報は私たちのサイトにたくさんあります。
海軍はこの島からを手放したくないと思っています。ビエケスに留まり続けるためにあらゆる事をするでしょう。これははっきりしています。彼らはありったけのお金を積んでくるでしょう。私たちには「理」があります。勇気があります。私たちの心と、そして神の導きがあります。私たちの土地を取り返し、持続可能な発展のためにそれを用います。私たちはもっと生きやすい世界を求めます。私たちは私たちの子どもを育てるために、もっと静かで健康的な場所を求めます。私たちは、合衆国海軍の撤収を求めます。もう一発も爆弾はいりません。ビエケスに平和を。今日、まもなくあと2時間足らずで、プエルト・リコやカリブ海諸国、合衆国、そして世界中から、何千という人々が、私たちに連帯を示すためにビエケスにやってきて、市民的不服従の闘いに参加します。昨夜からビエケスではこのデモンストレーションのために人々が泊り込んでいます。今日は私たちのために時間を割いていただいてありがとう、私たちに関心を払っていただいてありがとう。あなたがたの、核兵器に反対し平和と正義を求める行動に敬意を表します。

ビエケスに平和を(英語):Peace for Vieques,
ビエケスに平和を(オランダ語):Vrede voor Vieques,
ビエケスに平和を(スペイン語):Paz para Vieques!!!


モライマ・リベラ
P.O. Box 1020
Ciales, PR 00638
Sites: www.viequespaz.com and www.viequeslibre.org www.ddh.nl/vrede/

ENGLISH

ビエケスの救援と発展のための委員会
PO Box 1424 Vieques, Puerto Rico 00765
Tel. (787) 741-0716 Email: bieke@coqui.net

2000年10月4日
プレスリリース

韓国の活動家、ビエケスの平和運動のリーダーたちと会見

韓国における合衆国軍隊の駐留に対する反対運動のリーダーである、カトリック司祭のムン・ジョン・ヒョン氏は「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」や地域団体のメンバーと会見し、私たちのそれぞれの闘いについての情報を交換した。ムン神父に同行していたのは「メヒャンリ爆撃演習反対委員会」のレジーナ・ピョン・ヨン・シクさん。メヒャンリは韓国の地名で、当地の住民はそこを状況の類似性から「韓国のビエケス」と呼んでいるという。
この訪問はCRDVが企画したビエケスの闘いを支援する国際ネットワークの形成、とりわけ合衆国軍隊の演習による深刻な侵害に直面している地域との連帯、に向けたキャンペーンの一環である。CRDV執行部のイスマエル・グァダルペが8月にメヒャンリを訪れ韓国の活動家たちとの正式な交流を開始した。11月にはグァダルペは日本平和委員会の招待で沖縄を訪問する際、ふたたび韓国を訪れる予定である。
CRDVは同様に合衆国の軍隊によって汚染や抑圧を受けているハワイ、沖縄、韓国、フィリピン、そして合衆国の地域の諸団体と情報や戦略を共有している。
ムン神父はこう語っている。ビエケスと韓国の闘いは「私たち人民の平和と福祉のための同じ闘いです。私たちがここビエケスで目撃する状況は、まさに私たちがメヒャンリで直面しているものと同じです。私たちの国における、軍国主義による破壊を止めなければなりません。」
今後数週間のうちに、CRDVの代表団はメキシコ、英国、日本、そしてカリフォルニアで開催される国際会議に参加する。

ロバート・L・ラビン・シーガル
ビエケスの救援と発展のための委員会
Apartado 1424 Vieques, PR 00765
(787) 741-0716 cel. 375-0525

海軍はビエケスから出て行け!