沖縄日誌/泡盛と美海(ちゅらうみ)の日々


目次: 5月15日 5月16日 5月17日


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出発、沖縄そば、そしてブルーシール・アイスクリーム

 1998年5月15日朝8時、大阪空港24番ゲートJAS715便那覇空港行きの搭乗口は、いつもの週末とはちょっと違う「異形の者」達に占領される。むしろ普通の(?)リゾート客達の方が当惑してるみたい。リュックサック、野球帽、妙に派手な色だったりするジャンパーとか、こんないかにもの「活動家」スタイルというのはやはりいただけないけれど、今日は私も寝不足のせいかハイになっているからあまり気にならない。
 大阪は見事な快晴だったからうっかりしていたけど、沖縄はもう梅雨に入ってるんだ。地上からの連絡によりますと当地の天候は弱い雨、気温は24度とのこと。前に来たときも空港で傘を買った。同じ失敗を繰り返している。
 バスに乗りこんでまずは「さんごセンター」、典型的な観光バス用の食堂プラス土産物屋、ここで「沖縄そば定食」で昼食。テーブルの真ん中の大きななべですでにスープが煮えている。どんぶりの麺の上に、「そうき」と言うんだったっけ、骨付きの豚をたしか泡盛で骨までとろとろになるまで煮込んだやつ、紅しょうが、ねぎ、なるとなどをのせて、これも多分豚骨なのだろう半透明の白っぽいスープをかける。おいしくないわけがない。サイドディッシュにはどういう訳かおにぎりなどもついていてずいぶんお腹がふくれてしまった。あと特筆すべきものとしては「ピーナツ豆腐」、ごま豆腐よりもっと粘りのある食感でなかなか気に入った。
 もちろんオリオン・ビールも飲みたかったんだけど、ほとんど初対面の人たちばかりのなかで赤い顔をするのも気が引けて我慢した。
 ビール飲まなくてよかった。やっぱり沖縄に来たら「ブルーシール・アイスクリーム」を食べねば。「復帰」前からのアメリカ資本に由来するものなのだろうけれど、そして今私は「反基地闘争(!)」に来ていることになってるんだけど、うまいものはうまい、これはしょうがない。「サトウキビ」、「紅いも」、「マンゴタンゴ」(これは何だろう?)など当地ならではの珍しいメニュー、帰るまでには全部食べよう。淡い赤紫の「紅いも」もすてがたかったが今回は「サトウキビ」にした。バニラよりは少し濃いベージュ、何というか少し深みのある甘さが、なかなかグーであった。
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嘉手納基地第5ゲート前へ

 梅雨といってもここはやはり南国なのだ。雨があがるといきなり強烈な日差しが照りつけたりする。
 当初の予定では、嘉手納基地の5つある各ゲートでさまざまなコンサートやイベントが行われているのでそこに合流すると言う話だった。まだ金曜の昼間だからなのか、どこのゲートもそれらしく人が集まっている様子はない。かなり楽しみにしていたからちょっと残念だけれど、こればかりはしょうがないだろう。それぞれの団体がそれぞれの企画をこの「復帰」26周年と言う機会に計画しているわけだ。広告代理店がコーディネートしているわけでもあるまい、細かいスケジュールが本土にいるこのツアーを企画した人たちのもとに届かなかったとしてもそれはしょうがない。むしろ、「関西ウォーカー」(別に「東京ウォーカー」でもいいけど)や「ぴあ」に載っている事柄がそのまんまその場所でその時間に行われたりすることの方が異常なのかもしれない。もっとも、「そんないいかげんなところが、『ちゃんぷるー』なところが沖縄らしいんだ」といってしまうとそれはそれで植民地主義的ステレオタイプとも思うが・・・
 結局そんなこんなで嘉手納基地の周りを丸々一周することができた。周囲十数キロ、正確な数字はわすれた。今手元の資料(「おきなわの米軍基地」すくえあ出版)によれば面積20平方キロというから、単純な円形と考えれば直径約5キロ、周囲は16キロ程度という計算になろう。高度成長期に育った私には「甲子園球場の何倍」とか「ドラム缶につめて富士山の何倍」といった「メガロマニアック」な表現がほとんど懐かしい。現にこの資料にも「東京ドームの何倍」という記述があるが、こういった表現は具体的であるように見えて実は「とてつもなくでかい!」という以上のなにものも示さない。沖縄をめぐる議論にはしばしば「信じられない」ような大きさの数字が付きまとう。沖縄戦の戦死者の数、米軍犯罪の数、接収された土地の面積、等々。これらの数字と、それを「本土」と比較した「比率」が「悲惨な沖縄」・「沖縄の苦しみ」といった「物語」を形成する。ため息を吐きながらも、それでも「安心して」閉じてしまえる「物語」ではなく、では、言いたければその「悲惨」・「苦しみ」の中で日々の生活を送ることがどんなことなのかっていうことに対する具体的な想像力をどうすれば手にすることができるんだろう、などとバスの窓から文字通り「果てしもなく」続くフェンスを眺めながら考えた。
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「1000本の記憶」、あるいは「人間の尊厳」について

 第5ゲート前で「行動する女たちの会」の人たちが「沈黙の行進」を行うというので、参加することになった。刑事司法過程に現れたものも現れることのなかったものも含めて米軍による性犯罪の被害者達の「声なき声」を表象するというのであろう「1000本の記憶」という手染めの旗達が用意されていて、その一本一本には事件の内容、被害のありさま、被害者の年齢、加害者の処罰の有無などを書き付けた紙が貼り付けてある。その旗を掲げて第5ゲートに向かって一日に何度か無言の行進をすると言う趣向なのだろう。当初はゲート前の道路の分離帯をなす三角形の芝生の場所で円陣を組んで集会をする予定だったが、許可申請が下りずやむなく向かい側の歩道上にテントをはり「行進」を行うことにしたとの説明があった。
 雨がすっかりあがって太陽が顔を出した。傘を忘れたことも失敗だったが、「南国」の気候をなめていたことを改めて思い知らされた。前に一度来たときは3月の末だったからわからなかったけれど、この日差しは何だ!まさに「じりじり」と、音を立てて皮膚が焼けていくのがわかる。寝不足と二日酔いの頭にはこの暑さはこたえる。
 参加者の一人一人がハンドマイクを手に自分の持っている旗にかかれた言葉を読み上げる。それを遠くに聞きながら、疲れと暑さのせいでシニカルにもなっていたのだろうけれど、激しい違和感に襲われた。断るまでもないけれど、運動のスタイルや集会の趣向を非難しているわけじゃない。他人の苦痛を「代弁」すること、他人に「なりかわって」告発することに、ある種のいかがわしさがつきまとわないわけがない。それを「偽善」とか「他人を食い物にしている」とか言って見せるのはむしろ簡単なこと。この「違和感」は耐えなければならないものなのだ、と自分に言い聞かせるが、それにしてもこの暑さは何だ。
 1995年9月、海兵隊員を含む3人の米軍兵士による小学生強姦事件。その事件もまた1000本のうちの1本の「記憶」であるはずだった。この事件について記述した旗をたまたま手にした参加者の一人は、しかしそこに記された記事を読み上げるという要請された役割を超えて、「少女の勇気ある告発に応えて」、「少女の『人間の尊厳』を守れなかった大人達の反省をこめて」闘う決意を朗々と述べられた(私の記憶に間違いがなければ)。発言者の善意は疑いようもない。それにしても、「『人間の尊厳』を守る」といった表現がこの事件に関していわば「枕詞」のように用いられ始めたのはいつからなのか?太田知事の演説にこの表現があったのか?正確なところを私は知らないけれど、それでは問うが、強姦されると人間は「尊厳」を失うのか?強姦されて失われる「尊厳」とは何か?では世の中には強姦されて「尊厳」を失った人間と強姦されずに「尊厳」を保ち得た人間の2種類の人間がいるのか?
 人間は「観念」の助けを借りずに思考することはできないし、「具体的な想像力」といってみたところで想像力もまた「言葉」の作用に過ぎない。殴られたり蹴られたり、縛り上げられたりすることがどんなに痛くて辛いか、強姦されることがどんなに不快か、経験がなければ理解できないかもしれず、「痛みを共有する」なんて不可能かもしれない。しかし少なくとも「人間の尊厳」だなんていう自分でも説明できないような言葉で何かを言った気になるのは止めにしようと思う。
注2
 あの時被害者だった少女は今中学3年生のはずだ。
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安保の見える丘、万座毛、「コロニアリスト・メンタリティー」

 第5ゲートに向かう途中だったのか、帰りだったのか記憶が定かではない。嘉手納基地の滑走路を一望にできることから「安保の見える丘」と名づけられている。インドネシア情勢は急を告げているが、C-130と思しき輸送機が数機駐機しているだけで私たちが見ている間中なんの動きもなかった。5月15日前後は県民感情に配慮して演習を控えるのだとの説明もあった。航空機の記号について教えてもらったのでメモしておく。A:attacker(?)、B:bomber(爆撃機)、C:carrier(輸送機)、F:fighter(戦闘機)、P:patrole(哨戒機?)。
 今夜の宿泊は名護市。嘉手納から西海岸沿いに北上する。リゾートであまりにも有名な万座ビーチの南側、隆起珊瑚礁の形作る断崖、その昔琉球の王が万人が座してみるに値する景観と表現したことから名づけられたといわれる「万座毛」。あいにくの曇天にもかかわらず、息を呑むような海の色だったのだが、うまく説明できない不快感を第5ゲートから引きずってきてしまった私は、あまり風景を楽しむ余裕がなかった。
 バスの駐車場には、土産物屋のテントが並ぶ。琉球紅型のスカーフ3枚千円、珊瑚のブレスレットやイヤリング3個で5千円、「Okinawa」などと書かれたハイビスカス柄のTシャツ千円。どこにでもあるものば