ブセナ・リゾートにて



 状況がますますきな臭くなるにつれて、いろいろな人たちがここにやってきます。きょうも東京のある大学のゼミ合宿のお客さん達のの運転手兼ガイドをやりました。指導教授の先生は、こんな名護市東海岸くんだりまでわざわざおこしいただいた方を悪くは言いたくないが、ちょっとびっくりするほど横柄で「じこちゅ〜(自己中心的!)」な方でしたね。一応こっちは仕事の合間をぬって無償で歓迎にこれ努めているのだからもう少しそれなりの言葉が欲しかったですね。やれ写真を撮るからそこに停車しろ、どこそこへ寄れ、とか、山のように指図されても、もちろんできる限りのことはしますけどね。
 「沖縄に心を寄せる」とかうそぶいて見せる「平和」派や「人権」派の「市民」やアカデミシャンの大半が多かれ少なかれこのタイプであることは知っていたし、そこに「遅れた現地人」に同情を寄せる「宗主国の良心的ブルジョワ」みたいな!裏返った植民地主義、「オリエンタリズム」が透けてみえはじめてしまったことが、そもそもわたしが沖縄に住むことを決めた動機の一つであったかもしれないけれど。

名護の教会の電飾


 でも、ここのゼミ生のみなさんたちはとても気持ちのいい人たちだった。
 「ブセナ・リゾート」っていうサミットメイン会場となる超高級ホテルがあるんだけど、そしてもちろんここに連れてこられたのはサミット関連の乱開発が土建業界を潤すだけでいかに環境を破壊しているかとかいうありがたいご高説を拝聴するためだったんだけど、どう見たって都会からやってきたこの子達ははしゃいでるの。中国人の留学生が二人ほどいたんだけど、北京生まれで日本に来るまで海を見たことがないという男の子は「こんなところに二週間でいいから泊まってみたいなぁ」なんて言ってる。大連生まれの女の子は、ハイビスカスやブーゲンビリアの写真をとりまくっている。クリスマス前だからすべての木に電飾が施されていて「夜になったらものすごくきれいなんだよ!」などと調子に乗った運転手にけしかけられて、ちょっとはしゃぎすぎて「先生」の御不興を買ってしまった。
 きれいなものをきれいだっていって何が悪いのかしら?ブルーのタイルを敷き詰めたここのプールはその先のエメラルドグリーンのリーフとの対比が眩しいくらいに美しい。風通しのいいゆったりとしたテラスでロマンチックなアフタヌーンティのひとときを過ごしたいという気持ちに「検閲」をかけて眉をひそめて見せなければならないなんて訳のわからない儀式はもうやめにしたら?恩納村のリゾートビーチの大半はすでに珊瑚礁をダイナマイトで爆破してよそから白砂をダンプで運んできて作られた人造ビーチだ。年間四百万の日本人がそこにやってきて「命の洗濯」をし、こうして観光立国沖縄は生きてきた。だから環境破壊もやむを得なかったなんて雑な話をしているんじゃない。そうではないやり方がありえたかもしれないとまじめに考えるつもりなら、眉をひそめるだけ、それでも安心してジャンボジャットで都会に帰って、「沖縄の手付かずの自然を守ることの重要性」なんてレクチャーしてみせるのは、単に怠惰すぎるんじゃないの?
 クリスマスが近づくと、フェンスのむこうの基地の中の米軍の人たちはそれぞれに自分の家や庭木を電飾で飾りたてる。基地特有の軍事用のオレンジ色の照明とあいまって、それはそれは美しいんだ。こんな事を言うと「平和ツアー」系の人にはもちろん怒られる。この広大な面積を我が物顔に占有する米軍住宅がアンポと地位協定に基づく日本政府の「思いやり予算」で作られたことに対して納税者として怒りを新たにしなければならないそうなんだ。
 これは疑いもなく50年も続いてきた沖縄の風景の一つ。事実として存在しているものを事実だと認めるということは、それを容認するというのとは違う。また、容認しないと宣言することと、ではそうではない方法がありえたかもしれないと考えることとも、違う。
 風景にキャプションをつけるのはやめよう。いつでも閉じてしまえるアルバムを作るのはやめよう。しばしここにたたずみ続けよう。肩の力を抜いて、「キ・レ・イ」と言ってみよう。

パレットくもじ前


 これからまた65キロ運転して那覇の仕事に出かけなければならないから、このほほえましいゼミ生達ともお別れの時間がやってきた。名桜大学の前で「先生」が運転手風情にはろくに挨拶もせずにさっさと立ち去ってしまった後も、彼らは走り去る車に向かっていつまでも手を振っていてくれた。
 やっぱり沖縄に来てよかったな、とちょっと思った瞬間だった。




戻る

1999/12/26 宮川 晋 miyagawasusumu@hotmail.com