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んな、わけ ないやろっ!!


 セックスの話でもしてみようか?

 「運動」といった慣れないことをやっていると、なんか自分が「お利口さん」な言葉づかいばかりしているみたいで、ときどきいやになってしまう。「ともに闘いましょう」だの、「沖縄の人々の苦しみに心を寄せ・・・」だの、「美しい自然を子孫のために・・・」だの、そんな言葉ばっかり一日中聞いてたり、たまには自分でも書かなきゃならなかったりすると顔がかゆくなってくる。
 一番気が滅入るのは「子孫のため」攻撃ね。「わしには子供おらへんしこれからも作る気ない。おんどれのくそがきの未来なんか知ったことか!」なんて悪態をついてみたり。他人にかこつけなければ「未来」を語れないのかしら?「子供は他人じゃないでしょう」って、これは「運動」とは関係ない人だったけど、くってかかられたことがあったけど・・・。そう、だからこそ、セックスについて語らなければならないのさ!
 沖縄っていうところは「北東アジア儒教文化圏」的に祖先崇拝がさかんで、「家族」や「親族」の血縁的な拘束力が強いみたい。それに「南国」性が輪をかけて、なのかどうかは知らないが、ともかく「ぽこぽこ」子供を作るわけ。「少子化」どこ吹く風だからこそ、「内地」ではすでに「構造不況業種」たる受験産業がまだ生き延びていて私もこうして食い扶持が見つかったのだから、ありがたい話ではあるのだが、一方で離婚率も目立って高いらしいから、まだまだ計り知れないところはあるのだけれど、今までのところ都市的に「退行」したa-sexual(無性的)な私としては(!)、「多産−豊饒」系の言説の暴力性に辟易することの方が多い。
 悪態ついでに調子にのらせてもらえば、「沖縄のアンマー(おばちゃん、みたいなニュアンスかしら?)のしたたかさ」みたいな言い方もまゆつばだと思うのね。「だらしない男と、それを陰で支える実はしっかり者の女」なんていう構図は単なる差別の裏返しなのであって、今私が働いている職場の男女関係なんかを見てていると、ここが特別なのかもしれないけれど、沖縄も実は「九州的」(!)マッチョ文化圏の内部なのではと思ってしまう。
 どう考えたって沖縄のだめなところはあるわけで、それは当たり前なわけで、それを「内地」の「左翼」や「リベラル」が、「自然」派や「ダイバー」系の「沖縄病患者」も、とりわけ沖縄に移住してきた「内地人」の多くが手放しで持ち上げてしまって、もちろんそれは彼らにとって利益だからこそやっているわけだが、「褒め殺し」は「蔑視」の裏返しであって、それこそ「植民地主義者」の視線、「オリエンタリズム」そのものなんだってはなしは何度繰り返しても繰り返し過ぎることはないけれど、今日はそんな「お利口さん」な話をするんじゃない。

 ともあれ、「がんばってください」とか「連帯」とか、送ってくれた人にはもちろん何の罪もないけれど、私としてはそんなメールばっかり見てたら3日くらいでもう限界。なんだから、絶対「運動」なんかにむいてないのよね。
 というわけで、仕事にかこつけて1週間ばかり那覇に逃げてきた。この仕事がまた仕事で、今まで長くて3年くらいしか同じ仕事が続かなかったんだから仕方ないけど、またしても半年も経ってないのに、ほとほとうんざりしてしまった。「全共闘」くずれ系の人たちが経営する会社って言うのは、実は単なるワンマンおやじに過ぎないかもしれないのに、ちょっと暑苦しいけどリリカルな言葉が使えるもんだから、でもそれが使えなくなると単に昔取った杵柄で、大きな声を出したら勝ちだと思ってらっしゃるから、普通の中小企業よりも実はずっとたちが悪くて、労働者の権利なんていう「デリケート」な問題を平気でブルドーザーみたいに平らげてしまえるみたい。もちろんこんなことはすでに実証済みだった。何の因果か、いくつもそんな会社で働いてたからね。

 そんなこんなで、名護にすんでいるのが息苦しくて、なんでこんなところにいるのか、自分は何をやってるのか、よく分からなくなってきた。2月の沖縄っていうのは、まるで本土の梅雨みたいで毎日ダラダラ雨が降ってたり、ぱっとしない天気が続く。太陽が顔を出さないから、結構寒い。風邪もひいてしまったから、ますます冴えないんだけど。
 メールチェックするのも気が重いし、コンピュータも触りたくない。何より「平和・反基地」系の言説と、少しだけでいいから離れさせて欲しかった。「けーし風」から「ボーダーインク」系まで、「沖縄発」を根拠とする言論に「褒め殺し」と「おだてられれば木にも登る豚」との共犯関係が透けて見える、などと放言したらどつきまわされるのかしら。沖縄の本屋さんには必ず設けられている「郷土出版物」コーナーの前にたたずんだときに感じるあの息苦しさ、背表紙を見ただけで、中身の文体をコピーして見せられる、なんて言ったらやっぱりどつきまわされると思うけど、どつきまわされてもいい、「こんなのは、じゃどう、だっ!」て言わせてもらおう。
 その「けーし風」に一度だけ原稿を書かせてもらったことがあって、もう二度とないと思うけど、宇根悦子さんっていう長年「平和ガイド」をやってこられた方のインタビュー記事で、これは掛け値なしに楽しい会見だったからいい思い出なんだけど、一番印象に残っているのは、修学旅行の高校生の感想文で「もう二度と沖縄なんかに来るもんか!」って書いた人がいたんだって。私の住んでいた京都でもいっときは中学校の修学旅行は「広島」って決まっていて、「原爆資料館」を見学した後昼食、なんてスケジュールでご飯が食べられなかった人や、もどしちゃったりする人も多かったみたい。「平和運動」って言うのは文字どおり、人が平和に生きることをめでるものな筈なんだけど、そして平和をめでるためには過去の戦争の悲惨を知ることはもちろん必要なんだけど、「悲惨」を提示する側にどうしようもない感覚の鈍磨が存在するのではないかしら。
 思うに運動って言うものは、ある程度持続してしまうと「運動の持続」そのものに「利権」を持つ勢力が登場してくるのね。経験が蓄積すれば、「運動っていうのはこうやるもんじゃい」とかいう「親方」が「若者」を「指導」したりしはじめるわけ。一方で運動そのものの目的は運動が出現しなければならなかった現実の「問題」を「解決」することにあったはずなのに、具体的な「解決」が先送りされ、ねがわくば「彼岸」化してしまえば「運動」は永続化するわけだ。
 「悲惨」の提示もまた「運動」の一部としてルーチン化されて、もとめられれば「はい、どうぞ」って出てくる感じなんだけど、考えても見てよ。「ふつう」の人はそんなの見たくないわけ。見たらごはん食べられなくなったりするわけ。「わたしは子供の頃から蝶よ花よと何不自由なく育ってきました。だからこのしあわせを失いたくないから平和に賛成です」ていう人がいたっていいじゃない。それを「おまえは現実を知らない」とか言って恐い顔してどこまでも追いかけてくる、おまえたちはゾンビか?
 人は不幸のどん底に落ち込まないと決して「立ち上がらない」、とかいう思い込みは貧乏くさい「マルクス主義」の「絶対窮乏論」だろうけど、押し付けがましい「啓蒙主義」とかパターナリズムというのは思えば単に老人の特質なのであって、戦後50年間にわたってさいわいにも一度も、なんにも「勝利」することのなかった「左翼」の人たちが健康に老人化しているとしても不思議ではない。しまった!この島は「長寿」の国だったんだ!

 どうでもええけど、いっこうにエロばなし始まらへんやんか?ま、これもある種アダルト・コンテンツと言えへんこともないけどな。
 那覇の奥武山(おうのやま)公園の向かいに「スーパーホテル那覇」っていうビジネスホテルがあって、全国チェーンらしいんだけど、部屋には冷蔵庫を置かない、電話の取り次ぎはなし、建物の入り口も各部屋もオートロックで暗証番号をテンキーで入力するみたいなハイテクさが売り物で、徹底的に人件費を削って、一泊4,800円にしてはなかなか立派な部屋なのだ、確かに。ユニットバスのバスタブにお湯をはって、便座カバーをテーブルに見立てて缶ビールとコップを並べ、あぁ至福のひととき。沖縄は確かに真冬でもシャワーですんでしまうけど、たまには足の指がふやけてしまうほどゆっくり湯船につかりたい。なるべく「お利口さん」でない、でもちょっとおしゃれっぽい読み物でもあったら、と買ってきたのが「AV女優」(永沢光雄)というわけだ。お、やっとエロになりそうな気配。
 駅売りのスポーツ新聞の「突撃風俗レポート」系の文体を予想していたのだが、ぜんぜん違った。「ヌケ」そうなところは一つもなかったね。「泣け」そうなところはいくつもあったけど。もちろん何を見て勃起するかなんて100%その人の自由なんだけどね。
 「AVいだてん情報」とか「ビデオボーイ」とかの雑誌に連載されていたもので、毎回一人の人気AV女優が登場して、それを著者がインタビューするわけ。生い立ちと言った話になると、小さい頃に両親が離婚して、とか、母親がものすごいアル中で、とか、義父や実父に強姦されまくったとか、やくざとつきあって覚醒剤うたれたとか、たしかにすごいのがいっぱいでてくるんだけど、一方で何不自由なくそれこそ蝶よ花よと育ってきたお嬢様だけど「わたしセックスが好きで好きでしょうがないんですぅ」みたいな人もたくさんいるわけで、その「比率」は別に「普通の世の中」とたいして変わらないんだけど、「・・・・だから、こうなった」みたいな「因果」論が人は大好きだから、セックスをお仕事にする人たちの「生い立ち」にその後の「萌芽」とかを読み取って安心したりするわけ。こうして「豊穣−貞淑」という背反する二極を持った社会規範が維持されて行くわけですな。
 セックス産業に従事する人たちに対する一方で露骨な嫌悪とか蔑視があって、他方で「それでも彼女たちのやさしさ、底抜けの明るさ、云々」といった「礼賛」があるわけなんだけども、後者の方は別にスポーツ新聞風俗記事のみならずほとんどが遊郭でできてきた「日本文学」ってのもその程度のものだったんじゃないかしら?
 他者の「差異」を認めるってことと、他者をはじめっから「別のカテゴリー」にはめ込んでしまうこととは別なのね。どっかできいたような話。これもまた「植民地主義者」の視線の問題なんじゃないかしら?あれぇ、そんなこむずかしい話したら、おちんちんしぼんじゃったのぉ?

 「とにかくちゃんとした仕事が欲しかったから、嬉しかったですね。ダフディルズ・ピッキングは、花のある三月から四月までで終わっちゃう仕事だから。レストランの時給は五百円ぐらいだったけど、毎日チップが二千円ぐらい入って来ました。そしてさ、レストランじゃいつも残り物が出るでしょ。それをもらって、教会の仲間たちのところに持っていくの。『みんな、今日はご馳走だよ!』とか言ってさ」
 私は、この南条レイの、「みんな、今日はご馳走だよ!」という話が好きだ。この話を愛していると言ってもいい。まるで、クリスマスの時に公開されるよく出来た洋画のワンシーンのようではないか。小学校の時は徒競走でゴール前で止まり、中学校の演劇部でヒロインを固辞しつづけた日本人の女の子が、ついにカナダの地で、勝敗という概念のない世界でヒロインになったのだ。
 「みんな、今日はご馳走だよ!」
 こんな素敵な台詞を文字で記すことのできる自分を、私は幸せに思う。


 感動したかったら、買って読め!(文春文庫¥800+税)

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2000.02.29 miyagawasusumu@hotmail.com