長田復興祭「つづら折りの宴」

1月21日、朝9時出発、阪急三宮で乗り替えた山陽電車東須磨行各駅停車は去る17日ちょうど一周年の日に営業再開した神戸高速大開駅のぴかぴかのホームを過ぎ高速長田駅に到着したのが10時40分。ここから長田神社までは北に徒歩10分ぐらい、長田復興祭「つづら折りの宴」の開始は午前11時、ちょうどよい時間になった。これから午後5時まで数々のバンドが登場し宴が行なわれるのだ。倒壊して伊勢神宮の神木をもらい受けて再建されたという鳥居の脇にビール瓶のケースを積み上げてステージがしつらえられている。屋台の出店や地区婦人会のバザー、長田神社前商店街のコーヒーの出店、阪神障害者解放センターのバザー等々が軒を連ねている。午前中はまだまだミュージシャン目当てにやってきた西部講堂風のファッションの若者や各ボランティア団体の「同窓会」的な客が多く、地元の人の出足は悪いようだ。
 沖縄出身者を中心に構成された「がじまるの会」の太鼓演奏でコンサートは始まった。昨年3月の若松公園でみた「鬼太鼓座」を思い出す。次は「どんと」、見覚えのある顔だと思っていたら「ローザルクセンブルク」「ボ・ガンボス」のKではないか。京大工学部軽音出身の男で、私も吉田寮祭で「競演」したことがある!結構な人気らしく、そこかしこの「西部風」のにいちゃんねえちゃんは彼の取り巻きだろうか。私はあまり好きではない。いま聞いてみてもやはりあまり好きではない。
それにしても見事な快晴。宴が進むにつれ音につられてか近所の人々も続々集まってきて境内は立見の超満員、大盛況になってきた。沖縄から昨日神戸入りしたもとチャンプルーズの平安隆、1月17日、神戸在住の同胞を気遣い通じぬ電話をかけ続けた記憶を訥々としゃべる語りと、尼崎在住の「三線」奏者川門正彦との競演になる「チバレー(頑張れ)」という歌は感動的だった。
 大阪からやってきた「ちんどん通信社」の演奏とパフォーマンスは圧巻、とりわけ中高年の観客を大いに盛り上げた。「朴保アンド切狂言」はサンフランシスコ在住の在日コリアンのバンド、またの名を「東京ビビンバクラブ」、昨年3月に大阪で「ソウルフラワーユニオン」と共に神戸や西宮の朝鮮学校再建資金のためのコンサートを行なったグループ。個人的には好きな音ではないが迫力のある演奏だった。「石田長生」、いかにもいかにものロックスタイルであまり好きではないが会場はかなり盛り上がった。博多からやってきた「ヒートウエーブ」の山口洋、これまた博多風ロックンロールではあるが、実は結構感動した。
 しかし、なんと言っても群を抜いていたのは、この宴の主催者「ソールフラワー・モノノケ・サミット」。沖縄三線にちんどん太鼓、チャンゴ(朝鮮の太鼓)、アコーディオンとコンガドラム、それに今日は特別出演の梅津和時のサックス、クラリネットを加えてという構成で、いきなりの「聞け万国の労働者」、「がんばろう(三池闘争期の労働歌)」、「アリラン」、「トラジ」の演奏に私は圧倒された。昨年2月からすでに40回以上神戸いりを果たし、従来の「ソウルフラワーユニオン」というバンドからちんどん屋形式の移動に便利なユニットに変えて避難所やテント村での「出前ライブ」を敢行してきたこのグループに対する長田の人々の支持は絶大のように感じられた。チャンゴのたたき方も、「トラジ」の歌も神戸のオモニやアボジから習ったのだと言う。2月12日の雨の中初めて長田を歩いたとき、新湊川公園で彼らのコンサートのチラシを拾った。3月に若松公園でポスターも見た。8月、避難所テント村退去期限の迫る中、市役所前で本町公園のグループ(全神戸避難所協議会)が座り込みを始めたとき「ゲリラライブ」をしたのもこのグループだった。この人たちがほとんど毎週のように神戸にきていることを私も知ってはいた。一年後の今日、初めて出会うことができた。
 「ヒートウエーブ」の山口洋が作曲し、「ソウルフラワー」の中川敬が作詞した「満月の夕」は1995年の神戸を歌った曲だ。

  風が吹く港の方から 焼け跡を包むようにおどす風
  悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕
  時を越え国境線から 幾千里のがれきの街に立つ
  この胸の振子は鳴らす 「今」を刻むため
  飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら道を往く
  解き放たれすべてを笑う 乾く冬の夕
  ヤサホーヤ うたがきこえる 眠らずに朝まで踊る
  ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
  解き放て いのちで笑え 満月の夕
  星が降る満月が笑う 焼け跡を包むようにおどす風
  解き放たれすべてを笑う 乾く冬の夕
  ヤサホーヤ うたがきこえる 眠らずに朝まで踊る
  ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
  解き放て いのちで笑え 満月の夕
  解き放て いのちで笑え 満月の夕

 1月17日の夜の満月はテレビでしか見なかった。恐る恐る車で長田に向かった2月1日の晩、番町の市営住宅の前で焚火を囲み酒を酌み交わしギターを抱えて歌う人々を見た。3月5日、大橋中学のグランドの焚火を囲んでYさん達とほっかほっか亭の幕の内を食べた。私は、少しだけ、ほんの少しだけ、神戸を、幾千里のがれきの街を、知っている。
 関東大震災直後に歌われたという「復興節」を、「東京の永田にゃ金がある、神戸の長田にゃ唄がある、アラマ、オヤマ、ほんまのまつりごと見せたれや、コリアンもヤマトンチュもアリラン峠を越えて行く、長田、ちんどん、えーぞえーぞ、家は焼けても神戸っこの、意気は消えない見ててよね、アラマ、オヤマ、ほんまの人間ここにあり、笑って、怒って、涙はいらない、でっかんしょ、阪神復興えーぞえーぞ、淡路復興えーぞえーぞ、日本解放えーぞえーぞ」と歌詞を変えて録音したところメジャーからクレームがついて「自主出版」となったアルバム「アジール・チンドン」には、「復興節」以外にも戦前の労働歌などが詳細な解説とともに収録されている。「アジール」とは文字どおり「避難所」の意。ついでながらジャケット写真はいっさい説明なく、ヘルメット旗ざおの「三里塚少年行動隊」である。
 正しい歴史認識と、断固たる具体的行動に裏打ちされて、このグループは、初めてまがまがしいインプリケーションから解き放たれた「アジア」という言葉をこの国の音楽の中に還流せしめることができたのだと確信する。この様な音楽と、神戸長田において出会うことができたことを喜びたい。この様な音楽を生み出しえた1995年神戸を心から誇りに思う。
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1996/01/24 宮川晋 miyagawasusumu@hotmail.com
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