台風情報

もう10月半ば過ぎと言うのにまた台風だ。23号、中心気圧は940HPだからたいしたことはない、「超大型」なのは、風速15m以上の強風域が半径370kmに及ぶこと。東京大阪間て500km弱だろ?関西人だからこんな例えしか思いつかんが、大阪に台風の目があったとして、広島から静岡位まですっかり覆われるという計算だ。そんなありえな〜いのが、今目前にいる。現在の進行速度が時速20km、暴風域の半径もそこそこ100km近くはあろうから、このままのペースで予報通り沖縄本島上を通過するなら、明朝早く暴風域に入ったら、その後10時間ずっと暴風域、というこれまた計算だ。さっき既に強風、もう二日ほど続いてんだよ、の中、深夜スーパーに行き、これから二日間外界と途絶して生き延びるために最低限必要なものは何か?と熟考のすえ買ってきたものは?チキンラーメン5袋パック、牛乳1L、板チョコ2枚、赤ワイン1.5Lびん1本。どうよ?

こうしてあと少なくとも二日間、仕事をせずに朝からお酒を飲んで過ごすだろう。固定給雇いの分は、自然災害なんだから大手を振って休めばいいのだけど結局後で埋め合わせを、当然のように無給で、しなければならないんだから、ありがたくもなんともないね。時間給雇いの場合は、これは単に短期的な「失業」。自然災害のリスクを使用者と被用者がどんな割合で負担し合うか、亜熱帯のこの島では、死活問題だったはずなのに、公務員が声高に「平和」を語って来た名だたる「労働運動」は何もしてこなかったみたいね。

いまさらそーゆーことは、いいの。仕事が休みになるのはホントに嬉しい。だって、どう逆立ちしてみてもやっぱり仕事嫌いなんだもん。新しい職場になってから、て、前の仕事も続けてるけどね、二週間あまり、回りに溶け込もうと、お客様や同僚の好感度得ようと笑みを絶やさず、ときにはへらへら笑ってるだけのバカじゃなくてちゃんと有能なんだってことを思い出していただくために高飛車に、頑張ってきたわよ!働いてる時間が倍増したんだから、所得も倍増したわよ、ブヒッ!当たり前だけど週末にはへとへとに消耗して、泥の様に眠った。それはそれでしあわせだった、とも言う。

笑いの絶えない明るい職場、「今晩、一杯、行きますか?」みたいな生活、一瞬、夢見てしまった。正直言うと。でも、ダメだったね。相手が悪いんじゃないよ。魅力的だなって思える人も何人もいるけど、話始めて2、3分もすると、どうやってこの話終わらせてこの場を逃げ出そうか?ばかり考えてる。人間と付き合う、ためのアプリケーションが見つかりません、または有効期限切れで、開けません、て感じかな?私の機械だけwindows95で、「あ、ちょっと待ってください」って裏返したりして探すんだけどUSB差し込む穴がないわけ。そんな感じ。

いよいよ猫としか話せない人間になって来たかも知れん。「せんせいは猫にしか発情しないんでしょ?私は女子高生なので安心です!」などという鼻血出そうなほど挑発的なメールをくれた女子高生がいて、ところがその二日後から口もきいてくれず目も合わせてくれず、急に嫌われた心当たりがなかったからひどく落ち込んだが、そんなもんなんだろう。そんなこんなで、いよいよ、猫だけが話し相手だ。今更「人間ぎらい」なんていい年してこっ恥ずかしい、というより人間が、こわい。人間といるのが、つらい。

他人に好感を持たれてるとか、高く評価されているという実感が全く持てない。こんな状態で就職面接受けるのはきつかったよ。自分でもわかるの。今の自分、全然勢いがなくて「人間的」な魅力っていうものが感じられないんだろうなぁ、オーラってものがないんだろうなぁって。 何度も書いたけど「抑うつ」って、失ったものにたいする「喪」の身振りなんだって。その失ったものってのは、二度と取り戻せないものなんだ、きっと。

台風が過ぎて、関西のふるーい友人からメールもらった。「元気ですか?」って優しい言葉が書いてあった。早速返事書いたけど、悪い癖でウンチクと言うか揚げ足取りというか、「元気」っていうのは文字通り「元の気」ってことなんだろうかね?だとしたらそれは永久に帰ってこない気がする。「うつ」から「帰還」した人はよく言うよ、「なにか小さな幸せを感じられるようになりました」って。「大きな幸せ」はもう帰ってこないのよ、きっと。自分がものすごく弱い、バルナラブル(攻撃の対象となりやすい、みたいな感じ?)な存在に感じられる。自分としては、そんな無力感、無防備感はむしろすがすがしくて気持ちいい、のだけれど、他人から見たら魅力ないだろうなぁ、ということはわかる。人を引き付ける魅力って、多くはある種攻撃的なものじゃない?

私はなんで「うつ」になったんだろう。もう半年以上薬もやめてるし病院にも行ってない。朝ちゃんと起きて、テキパキと掃除、犬猫の世話などをこなし、仕事に出掛け可もなく不可もない品質の授業をしてにこやかに帰ってくる。もうどこも病気には見えない。もうそろそろ「病気自慢」も廃業したほうがいいのかも知れない。

でもね、何かがもう取り返しがつかないほど完全に壊れてるの。「もう消費さえ快楽ではない彼女へ」(田口ランディ)なんてタイトルの本があったがそんな感じ。何も食べたくない。何が食べたいのかわからない。何を食べてもおいしくない。時々買い物に行きたくなる。あ、あれが欲しい、あれを買いに行こう!とか思う。人がいっぱいのショッピングモール、何がほしかったのか、もう思い出せない。

お酒は毎日飲む。昼間からも、仕事の前でも平気で飲む。「酒でも飲まなやってられるか!」とつぶやいてみるが、実はそうでもない。それほど飲みたいと思ってるわけでもないし、あまりおいしいとも思わない。お酒を飲む以外にすることが思いつかない、のが半分、あとはなかば「自傷」だな。「リストカッティング」の人が、血がたらりと流れるのを見て、その瞬間だけ生きてる実感がする、って言うみたいな。アルコールがはいっているときだけ生きてる実感がある。まさに依存症だ。

新しい職場では生徒に講師の評判を聞くみたいなアンケート調査を常時行ってるらしい。サービス業なんだからそういうモニタリングは是非とも必要だ。前の職場ではそれを極めて「私的な」やり方でやられたから参ったけど。「笑顔が少ない」んだって!へらへら愛想振り撒いてるつもりだったのに、なんだ、ばれてたんだ。

「子供は鋭い」などとは口が裂けても言わない。やっぱり子供は、ますます苦手だ。「子供達」に傷つけられ続けて来た何年間かだった、とさえ思う。子供は優しくなんかないよ。そうそう、子供は子猫の天敵だし。気まぐれになでまわされて、追いかけまわされて、飛び出して車にひかれる・・。

別に子供が「優しくない」のは悪いことじゃない。弱者への同情、なんてものが欠けているとしたら、それは自分もまた弱者だからだ。生き延びるためにビルトインされている自己保身の能力が、自分に危害が及びそうになったら、他人を攻撃して逃げのびよ、と命じている。それが「生きる」ってことなんだろ?生命の輝き、ってやつなんだろ?いいよ。こっちはもう人生、おりてるから。

ついこの間まで、きらきら目を輝かせて「せんせいっ!」てまとわりついていたのに、突然手のひら返したみたいに、まるでこちらが目に見えないものであるかのように、生き物でないかのように、振る舞うのかな?なんでこんなひどい仕打ち、私、セクハラしたのかな?かも知れん。わからん。

でも今はわかる気がするよ。私、よくない臭いがしてたんでしょ。あ、もちろん「危険な香り」とか言うんじゃなくて、単なる腐敗臭。死臭、かも知れん。あ、こいつ終わってんな!こんなやつと関わってもメリットなし!って判断されたんだろうな。その「正しい」生命力がいまや私にとっては、恐怖であり苦痛だ。

日常の小さなストレスの蓄積が「うつ」の引き金になる、テレビの健康番組が毎日のようにまくし立てている。隠してもしょうがない、はっきり言うよ。私は「沖縄」にボロボロにされた。なにが「いちゃりばちょーでー(一度会えば兄弟)」だ。出会う人ことごとく攻撃的で、少しもフレンドリーじゃなかった。自分をおだててくれる人が好きで、少しでも苦言を呈する者には容赦しないみたいだった。大風呂敷を広げ、大言壮語するのが大好きな割に、自分に都合の悪いことには固く口を閉ざす、この島全体が「子供」なんだとおもった。

今私は週二回、沖縄市まで通勤している。「せっかちな関西人」だからなんだろう、沖縄で車を運転するとストレスでへとへとになる。右折待ちであと5台は行けるだろ?信号が青に変わってブレーキからアクセルに踏み変えるのになんで3秒も4秒もかかる?駐車場ではさっさと頭から突っ込めばいいものを、下手なくせにバックで入ろうとして、他人を待たせながら平気で3回も4回も切り返しする神経は如何なものか?等と、苛立ってしまうから。昔からバスや電車で出掛けるのが好きだった。外の景色をぼーと眺めるもよし、本を読むもよし。仕事の準備だって通勤電車の中で充分出来た。だが沖縄のバスはそれも許してくれない。

車体が古びてサスがいかれてるから乗り心地が悪いのはわかる、年がら年中道路工事ばかりしてるからアスファルトがつぎはぎだらけ、だから揺れがひどいのも、わかる。それを差し引いても、沖縄のバスの運転手の運転、あれは人を乗せて走る運転ではないよ。あんなバスに誰が乗るものか。こうして公共交通は完全に崩壊する。「交通」がプライベート・アフェアになってしまった「社会」はどうなるんでしょうね?学習塾が11時まで授業をしても母親が車で迎えに来る。失業率10パーセント弱の「最貧県」、各家庭には、パパの通勤用、ママの買い物用、大学生の坊ちゃん嬢ちゃんの通学用の3台の車がある。今日も1ナンバー(大型特殊)のランドクルーザーでママが保育園にお見送り、明らかに行き違いが出来ない狭い路地に、絶対に相手が譲るはずだ、と確信してつっこんでくる。沖縄の自動車教習所は何を教えてるんだろう?「歩行者妨害」って違反があることくらい教えてくれよ。歩道に車止めて得意顔、歩行者に平気でクラクションブカブカ鳴らす。道を人が歩いてるかもしれないって想像力がないんだな。こんな車社会にしてどうするつもりなのかな?これだけ歩かなかったらそりゃ「長寿の島」も終わりになるよ。沖縄のショッピング・モールはどこでも同じ。巨大な駐車場があって、入ってるテナントも、変わりばえのしない店作り。ここの人達は街を「歩く」楽しみを知らないんだ。ウィンドゥ・ショッピングという文化がないから、かくもつまらない町並みが出来てしまう。「観光立国」とのたまいながら、リピーターが少ないのも当然。誰が「国際通り」にもう一度来たいと思うか?

「難関大合格!」とかって毎日気合い入れて働いてる受験産業の人達の気が知れない。人ごとの様で申し訳ないが。朝から晩まで勉強している子供たちの気持ちもわからない。あんたたちは、この島をどうするつもりなの?もちろん私は自分が生き延びるのに精一杯で例えば兵庫県や京都府の未来を憂えたことはないから、あなたたちだけに、沖縄の行く末を案じろ、というのは不公平だよね。

この島がこんなになんにも「生産」してないのに、こんなに「豊か」な振りして暮らして、いつまでそうやってごまかしていくつもりなの。この島のやって来たことって何?

誰もが認めるように、復帰特例と基地関連の補助金を使い回してきただけでしょ?補助金を上手に使えるのは差し当たり建設業界、そこに入って来たお金が諸々の第三次産業を通じてこの島の人々の間を流通し、やがて消えていく。

そうして山を削って海を埋め立て、「観光資源」食いつぶして「インフラ」は整備されたって?で、インフラ(下部構造)の上に乗っける上部構造はどこにあるの?

大して混んでもいない国道の「バイパス」、前を走る車が見えないほどガラガラの高速道路。けだし当然でしょう、行く所がないもの。移動することを楽しむ「旅」という文化がこの島にはもともとなかったの?それとも、大して広くもない島に移植された「アメリカ文化」のせいなのか?この島の道路わきの景観がこんなにも退屈に感じられるのは、私が病気だからなのか、沖縄が病気だからなのか?考えるのに疲れて来たから、私はどこへも出かけなくなった。

この島に移住して来た本土人、「島内地人(シマナイチャー)」等と呼ぶが、は「二流」の人なんだと思う。受験産業のことしか知らんが、悪態ついでの雑な議論、「あとは推して知るべし」でごまかす。

もう十数年も前のバブル期に、東京あたりの有名予備校で「ブイブイいわせてた」旧態依然の昔取ったキネヅカを使い回してるとしか思えん。私は関西にいたときも東京にいたときも大手で仕事したことないからよくわからんが、この島の受験業界、「旧帝大」なんて特別行政法人化のご時世にそんな死語まで持ち出しかねない時代錯誤はこの人達が持ち込んだものなのか、はたまた沖縄の「後進性」そのものなのか?

沖縄に悪態をつくのはこれが最初で最後だ。「最初」なのは、一度は言っておかないと私は「成仏」できない、「最後」なのは、このまま言い続けたら私は生きていけないから。 資本主義が「時間」を収奪するシステムであることは誰でも知っている。「本土」では既に使いものにならない私が、そして現に「アル中・うつ」でズタズタなのに、履歴書に学歴ちらつかせるだけであっさり採用されたりするのは、あきらかにその「時間差」のゆえなのだから、私は私で自分の首を絞めることになる。

ここに来るずっと前から、沖縄について語られる言葉に感じ続けて来た違和感、それは「距離」の組み込まれていない「眼差し」についてのものだった。自分が生まれたわけではない土地、利害関係があるわけではない場所、異なる場所である限り、そこには必ず「距離」が存在し、従って「収奪」の対象たる「時間差」が存在する。距離はいつだって時間に変換可能だ、あたりまえだろ。

「本土」では既にタタカウ場所がなくなってしまった老左翼が冥土の土産のつもりか、「最後の砦」、「燃える島」に暑苦しい眼差しを注ぎ始めたちょうどその頃、私もまた沖縄と出会ってしまったのはまさに不幸だが、その勘違いな熱狂を、私も部分的には共有していたのだから身から出たサビといわねばならない。

「沖縄に基地を押し付けて来た責任」といった「言説」には、一度はちゃんと反駁しておかなければならない。まず第一にそれは事実誤認だ。あなたは、いつ、どこで、どのようにして、「沖縄に基地を押し付けた」?反省するのは結構だが、何に対して反省しているのか「行為」を特定しなければ意味がない。

沖縄に基地があるのは、そこが島だからだろう?人のいない夏休みの大学のキャンパスにヘリを墜落させた米軍操縦士は、「うまかった」と大臣が発言して失笑を買ったらしいが、その通りだろう。基地を作るなら民間人の居住地域と離れていた方がいいのは当たり前。宜野湾市のど真ん中に普天間飛行場があるのは米軍にとっても不幸なのだ。沖縄に人が住んでいなかったらもっとよかった、ディエゴ・ガルシアみたいに住民を強制移住させておけばよかったのに。

沖縄が基地の島になってしまったのは、第一義的に「地政学」上の問題だ。時間を百年ほど巻き戻して、シミュレーションプログラムを回してみろ、A国、B国、C国・・、どの国が占領したってここに基地を作らないわけがないだろ?



最近、新しい仕事でね、週二回、沖縄市まで通ってんの。むかし「コザ」って言ってた町だよ。嘉手納基地の「門前町」さ。町のメインストリートは、むかしは「ゲート通り」と呼んでた。基地の第3ゲート、だったかな、一番でかいゲートに面しているから。それがかっこ悪いと思ったのか、「空港通り」って改称されて、今は標識にもそう書いてある。その「空港」から飛行機に乗れる日本人は誰もいないんだけどね。

さすがに町には「外人」さんが多いし、那覇なんかとはちょっと雰囲気違うね。私はこの町が結構好きだ。ケンタッキー・フライドチキン、軍人さんのカップル、「アメリカン・スクール」に通う子供たちを連れてきて談笑する母親たち。ここに座ってコーヒー飲んでると、「米軍は沖縄から出て行け!」とか、5年前には仮にも一度は「叫んだ」ことのあることも、また、そんな「基地反対運動」に嫌気が差して目くじら立てて自滅して「うつ」になってしまったことさえも、なんか、笑える。

正しい、とか、間違ってる、とかと、違うの。数学の言葉では「ねじれの位置」という、全然かすりもしない、お互いにまったく違う「平面」に属している言葉たちなんだな、ってしみじみとわかる。僕は「治る」かも知れない、って思ったよ。「リセット」して、「ゼロクリア」して、もう一度、沖縄に住みなおしたい、って思ったよ。

「プラザハウス」っていう、50年前に占領軍が作ったショッピングモールがあって、今は三越かなんかが入ってて、高級ブランド物とか扱ってる。依然として「外人」さんのお客さんも多いみたいだけどね。そこに「タトル」って言う、本土でも洋書の取次ぎの会社あるでしょ?あれの小さな店舗があるの。「スターズ・アンド・ストライプス」っていう在外米軍向けのタブロイド日刊新聞があって、軍関係の記事以外にもAP電の海外ニュースとかも載ってるわりに100円だから、行く度に買うことにしたの。こんなあたしでも、「世界」とは、ちゃんとつながっていたいんです。



仕事帰りのバスの中でそれ読んでたら、辺野古のボーリング調査に抗議して、那覇防衛施設局前でハンスト始めた女性の記事が大きく載っていた。

私もよく知っている人だよ。やっぱり「内地人(ないちゃー)」で、もちろん「運動」で知り合ったんだけど、「左翼」じゃないし、物腰もやわらかく、ちっとも「活動家」らしくないところが好きだった。ごちゃごちゃ大言壮語する前に、ちゃんと身体を動かすことができる人だった。名護に着たばかりの私が始めたインターネットのサイトにも、真っ先に、生真面目にメールを下さった。

「うつ」になってから後も、何度か電話でお話とかしたこともあったんだけどね、次第にくどくシニカルになってきた私に嫌気が差したのだろう、ここ何年か音信普通だった。



さすがに心がかき乱されたよ。私が「運動」に関与してきた根拠は、いつも「負い目」だったと思う。「他人がこんなに苦しんでいるのに・・・」、「他人がこんなにがんばっているのに・・・」。私たちがまた、他人を「運動」へと「動員」する手法も、同じ「負い目」を利用していた。ほとんど、それしかなかった、といってもいい。そんなネガティブな感情に依拠するのは不健康だし、知性を欠いている。知性を欠いているからこそ、未来もなければ、勝ち目もない。もちろん、そう、思ってるんだけど・・・。

今すぐバスを乗り換えて泊にある防衛施設局に向かい、私も合流しなくちゃ!涙を流して謝って・・・、そんなばかげた妄想をもてあそんだりもした。



もう、沖縄の悪口も、「運動」の悪口も言わないよ。最後に、ひとつ。なんで、ハンストするのが沖縄の人じゃないわけ?沖縄の「運動」がだらしない、って言ってるんじゃない。「本土」の「運動」の人がおせっかいだって言ってるんでもない。これが、いつまでたっても交わらない、平面と平面を隔てる「距離」なんだと思うよ。

「美島(ちゅらしま)」の海と空をめでて、何もなかったかのように、「溶け込んで」暮らせればよかったのかも知れんが、それは想像できない。振り返ってみれば、私はどの土地にも「溶け込んだ」ことはなかったね。自慢してるんじゃなくて、孤高を気取っているんじゃなくて、それが私の「病因」なんだと、思っている。

でも、一方で、自分が住んでいる土地を、永久に憎悪しつづけることも、また、絶対に不可能なんだ。私は、「ここ」に帰属していることを、感じたかった。「ここ」を愛していることを感じたかった。



だから、わたしは、「憎悪」の矛先を変え、「自分」に向け、そうして自滅した。でも、今だからはっきりわかるよ。それは、とてもポジティブな、正当な防御反応。このまま「対象」を憎悪しつづけたら、私が生きていけない。「固体」が生き延びるために、身体の一部を傷つけた。

「自傷」は自殺願望ではなくて、生き延びるためのアクティブな選択かもしれないのだ。



こんな私でも「しあわせ」を感じることがあるんだよ。猫たちといっしょに丸くなって昼寝しているとき、屋上から夕焼けを眺めるとき、犬の散歩の途中、公園で知らんおっさんと立ち話したとき、コンビニで若いお姉さんの店員さんが「またお越しください!」と言ってくれたとき、授業中、いつも無愛想な生徒が、「わかった!」って表情をしてくれたとき・・・、そんなことで幸福になれるんだから、「うつ」って、素敵!

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