「ポンちゃん」的日常(3)

ポンちゃん、病院に連れて行った。こんな大怪我してるんだから、もっと早く連れて行くべきだったんだけどね、年末年始、私は一年で一番忙しい『農繁期』だし、事実大晦日から元旦にかけては、ほとんど意識がないくらい疲れていた。



いつもお世話になっている動物病院は、年中無休で診療してくれている。さすがに年末年始は一日3時間くらいに診療時間が短縮されはするけどね。だから、混み合う。そんな超忙しいときに、「ややこしい」患者連れて行くのが気が引けた、というのが一つ。混み合っている待合室で、「あら、かわいい猫ちゃんね!」と、となりの人が覗き込む。事実ポンちゃんは上半身だけ見れば、ほんとに元気な普通の子猫だ。「あ、この子、車にひかれたらしくて、下半身動かないんですよ」、そんなこと言ったら相手は「ドン引き」でしょ?

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「善意」はときとして「暴力的」なのだ。それを知っている私は、少し「まとも」なんだ、と自負している。

「一週間替えなくてもにおわない猫トイレ!」だとか、「ソファにしみこんだオシッコ臭もたちまち分解!」してくれる強力スプレー、とか、「おしゃれなペット生活」風の通販カタログを食い入るように見ている待合室の方たちに、冷水をぶちまけるようなことはしたくないし、いや、相手のことを気遣っているわけではなくて、そんな「ドン引き」の相手と「無邪気な」ポンちゃんの「板ばさみ」になるのがつらくて、引き伸ばしていた、というのが本音。



レントゲンを撮ってもらった。背骨が一箇所、素人目にはよくわからないが、いや素人目にもわかるくらいに折れていたら、生きてはいないのだろうが、一度折れてまたつながった痕跡があるという。事故の衝撃によるものなのだろう。だから、神経が切断して、下半身が麻痺している。後ろ足が折れていたわけではなかった。

下半身が麻痺しているから、排便も排尿もできない。おなかが激しく膨れているのは、すべて排泄されない便で、これが尿道を圧迫しているから、膀胱も腫れているのにおしっこも出ない。

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「生きているのが不思議」な状態だった。こんなに表情が明るく、食欲もあり、甘えもする、下半身を見ない限り、普通の子猫にしか見えない。先生もびっくりしていらした。

とにかく、この大量の便を排出しないとしょうがない。このまま尿がたまりすぎると、腎不全にもつながる。静脈点滴用の針を留置して、緊急入院。まずは浣腸をしてみて様子を見ましょうということになった。

背中の外傷は、毛を刈り取ってみると予想外に広範囲に広がっている。事故のときの傷はここが中心で、その直下の背骨がやられたようだ。



血液検査の結果が出た。外傷のせいで、白血球濃度が高く、出血のために若干貧血気味であることを除き、肝機能・腎機能共に、すべて「正常値」だった。こんな状態でも食欲を維持し、頭をなでれば「ごろごろ」甘えもする、この子の強靭な内臓に改めて感服した。

生き続けられるかどうかは、わからない。まずは、便の問題を解決しなければならないのと、背骨の内部に感染症を起こす可能性があるからだ、ということだ。

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「多くは期待しません。ただ、出会ってしまった以上、できる限りのことはしようと思っています。よろしくお願いします」、途中で言葉が涙でつまった。ポンちゃんが「哀れ」で泣いたんじゃない。自分の「善人」ぶりに、感動してしまったのだ。

もう一度言う。「善意」は暴力的だ。「右の頬を打たれて、左の頬を差し出す」ようなヤツは、うっとうしくてしょうがない、「迫害」されて当然だと思う。

「お前は、自分の『善意』に酔いしれているだけだ。押し付けがましい『無償の愛』で、利害損得に振り回されている『常識人』を『脅迫』しているだけだ!」
そのとおり !  でも、一つだけ「反論」が用意してある。
「あなたが、『利害損得に振り回されない、無償の愛』に『恐怖』を感じるのは、ほかならぬあなた自身が、『利害損得』に『外部』があることを知っているからでは、ないのですか?」

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ポンちゃんを預けて帰ってきた。あの「ミーミー」甘える声が聞こえないのが、たとえようもなくさびしい。3時間おきに餌を出さないと泣かれる。おしっこでタオルが濡れているかもしれない。うんこがもれでてるから、お尻をふき取って、新聞紙を取り替えなきゃ、・・・。そんな「うっとうしい」ルーチンワークが、今度は私が「生きる」根拠なのだ、なんて、私もよっぽど「マゾ」なのね!


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