な、つもりぢゃなかったのに・・・。

今日は那覇校で夕方から授業なんだけど、一つだけで終わりなの。だから終わってからショッピングとかお食事とか、「人並み」のしあわせ、求めたのが間違いなのね?モノレールの「一日乗車券」買って、仕事のあと、小禄のジャスコまでやってきたわけさ。ジャスコごときで「華やいだ」気分になれること自体、あたしもヤキが回ったと言うべきだが、モノレールの改札口から二階入口につながる通路あるだろ?その二階入口の自動販売機の前に、・・、真っ黒い子猫が、いた。私は、自慢じゃないが、徹底した「唯物論」者だ。徹底した唯物論は、決して「有神論」を否定しない。「神が存在するかも知れない」こと、「神が存在すること」を根幹として組み立てられなければならない「思想的立場」が「あり得る」こと、を「認め」る。これほどまでに頻々と、私の元に、唐突に子猫が現れること、それを「神の配剤」と、呼んでもかまわない。とにかく、そいつは、唐突に、いた。猫の・いるべき・場所・じゃ・ない!と、いうことは、「人が、連れてきた」と推認するのが、理性的というものだ。親に連れられて買い物に来た子供が迷い猫を「まぁ、かわいい」と抱き抱えた。ジャスコの入口まで抱えてきたものの、「捨てないと、お店の中に入れないよ!」と、親に脅されて、そこに放置した。ありうるシナリオだろ?私は、二十数匹もの猫を、「だらしなく」拾ってきたが、拾うに際して、それなりの厳格な「クライテリア(判断基準)」を適用してるつもりなの。つまり「私が・今・こいつを・拾わなければ・他の誰かに・拾われないかぎり・こいつは・近い将来・ほぼ・確実に・死ぬ」、ちっとも死にそうにない、図太い猫を拾っちゃったこともあったんだが、一応は、そうゆうことだ。その真っ黒い子猫は推定生後4ヵ月、乳離れはしているし、固形物も食べられるが、母親とはぐれた(もしくは、人為的にはぐれさせられた)以上、少なくとも、ジャスコの二階入口で、このまま生き延びれる、とは思えなかった。一階の芝生のところに連れて行って、持参している(!)餌を食べさせた。そのまま、放っておくつもりだった・・。ユニクロで安い服でも見て、本屋に行って、電気屋でパソコン関係の小物を買って・・、当初の予定はそんな感じだった。でも、陳列された商品の、何を見ても、すでに心楽しまなかった。さっき抱き抱えたときの、あの生暖かい「体温」の感覚がよみがえってきて・・。一階のレジで段ボールもらって、スタバ前の芝生のところに戻った。お腹が空いてたんだろう、そいつは、まだ、食べてた。残ってた餌と一緒に段ボールに無理矢理詰め込んで、駅前のタクシー乗り場から、タクシー乗って帰ってきた。何やってんだろう?が半分、でも、このまま置き去りにしてきても、今夜は眠れなかっただろうから、仕方ない、が半分。こうして私の、「猫人生」はつづく・・。

家に着くと、ぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃ、と延々と水を飲み、それから古着を敷き詰めた段ボールの中でぐっすり眠った。疲れてたんだろう。「連れてきて、よかった」と思ってしまう、だからあたしは馬鹿なんだ!!名前は、まだ、ない。去年の四月に死んだ「ディーディー」にそっくりで、「D2」はすでにいるから、「D3」かな?小禄で拾った「オー」ちゃんがいるから「オー2」かな?でも、「猫村さん」にあやかって、「ねこちゃん!」って呼ぶことにした。当分の間ね。ちょうど一年前の今頃、私は、パトカーの中で飲酒運転の尋問を受けていた。それに比べれば、ちょっと「暖かい」話だろ♪♪
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