anti_alcoholic

夏のはじめごろから、また禁酒した。わたしは、何事も、「たしなむ」ということができない。猫を拾えば25匹飼ってしまう。もう、何年もの間、お酒を「おいしい」と思って飲んだことがない。毎日、ただ、飲まなければ「生きていけない」、と思い込んでた。
アルミ缶回収の日には、毎週「大」のゴミ袋がビールの缶でいっぱいになった。紙パックの日本酒、「アルミ蒸着型」だとリサイクルができないので、賞味期限の短い「生貯蔵酒」風のものを好んで買った。「環境問題」にコンシャスな「アル中」というのも、珍しい、というか愚かだ。

大して「おいしい」とも思っていなかったお酒が、ますますいよいよ本当に「まずく」感じられ、体調もたいそう悪いのだろう、そろそろ潮時かとも感じられた。
ある土曜日の午後、昼間で仕事が終わったので、少し華やいだ気分、国際通りの「ヘリオス」ビアパブで「バイツェン」トールグラス1杯、700円も奮発したのに、全然味がしなかった。「終わりかなぁ、と思ったら泣けてきた」わけなので、それでも往生際悪く、蕎麦屋「千寿庵」で「辛丹波」に「イタワサ」で気を取り直そうと計画したが、アルバイトのウェートレスさん、電子レンジでやけどするほどの熱燗にしてもってきてくれてしまった。

「やめよう・・・。」
こうして、何回目かの「禁酒」が始まった。それでも、3ヶ月以上続いたのは、過去30年はじめてのことだ。それを記念して、jacascriptで下のような「カウンター」を作ってみた。



禁酒開始から 日、経過。


お酒を飲むことが、ほとんど「アイデンティティー」だったのだから、それを失ってしまうと、私はほとんど何のために生きているのかわからない。でも、お酒を飲んでいても、やはり、何のために生きているのかわからなかったのだから、特に不都合はない。

のどが渇けば牛乳を飲む。100パーセントフルーツジュースを飲む。ほうじ茶を飲む。フルーツ・グラノーラとスープ春雨とチョコレートしか食べない。健康だ。もちろん、「健康」も「病い」の一態様に過ぎない。わたしは、「健康」すら、「たしなむ」ことができないのだ。




「生きている実感」

夏頃からずっと、禁酒してるんですよ。今日で16週、112日目。過去三十年間にわたって、お酒を飲まずに眠る日は一日もなかった。というより、もう眠くなったのでふとんに入って寝ます、という日は一日もなくて、毎日泥酔して意識を失って、「気が付いたら、眠って」いた、わけだから、これは画期的なことだ!

はじめのうちは、しばらく禁酒すればまたおいしくお酒がのめるだろう、ぐらいの気持ちだったんだが、こうして「飲まないでいる」ことがある程度「常態」化してくると、たとえば週末の今日なんか最終のモノレールの車内は酔っ払いだらけなわけだけど、漂うアルコール臭に「眉をひそめ」てみることもできるようになった。ミネラルウォーターのペットボトルに日本酒つめて、車内でこっそり飲んで「眉をひそめ」られていたであろう私が、だ。

この、すぐに極端から極端に走ってしまう「潔癖さ」が「病気」なんだね。私は物事を「たしなむ」ことができない。だから「依存症」なのだ。かつてはアルコールに依存し、今は「禁酒を続けている自分」に陶酔し、「お酒を飲まないでいる日数」、に「依存」している。以前は、お酒を飲んで「人と騒ぐ」のが好きなんだ、と思っていた。実は、「素面で」他人と一緒にいるのが耐えがたかったから、ひたすら飲み続けていたのだった。さいわい内臓は滅法強かったようだから。

最近数年間、つまり「発病」してからは、人と「飲みに行く」等ということは、数えるほどしかない。ただ漫然と毎日一人で、自分の部屋で、あるいはコンビニやスーパーの行き帰りの道端で、飲み続けた。私はお酒を「冷蔵庫に買い置きする」ことができない。あればあるだけ、全部飲んでしまうからだ。だから深夜営業のスーパーに毎日行く。夜半でも明け方でも。もちろん、歩きながら飲む。

「おいしい」と思ったことも、特に「楽しい」と思ったこともない。ただそうしなければ生きていけない、と思い込んでいた。「アル中」は誰でもそう言うが、喉の奥から胃にかけてアルコールが暖かくしみ込んでいくその瞬間だけ、「生きている実感」があった。

だ・か・ら、そんな「生きている実感」なんて、なくても生きていけるんだよ!煙草は八年前にやめた。テレビを見なくなって三年くらいになるかな。最後に映画を観たのは六年前か?・・・そのうち、「生きている」こと以外のすべてを「やめる」だろう。それも悪くない気もする。

2008年11月9日(日)


ティスト・オブ・メランコリー

禁酒、2週間め。お酒を飲んでいた頃より「衰弱」しているのはどういうことだ?眠くて眠くてしょうがない。一日16時間くらい寝ている。猫に餌を出して、猫のトイレを掃除して、犬の散歩をして・・、そういうことはきっちりできる。これは進歩だ。前は、そういう雑事ひとつひとつに手を付けるために、アルコール一口、いわば「痛み止め」が必要だった。ほぼ二時間おきにベッドに倒れこむ。起きていられない。ずっーと長らく忘れていた、身体が求めている「眠気」。いつも禁酒して初めて気付くのだが、何年もの間、私は「眠くなったので、寝て」いない。「意識を失って、倒れて」いたのだ!毎日・・。その意味では、この「懐かしい」眠気は、とても健康で、健康であることを素直に喜べる衰弱しきった精神にとっては、しあわせだ。ただ、この眠気は、異常だ。二時間以上続けて起きていられない。一日が「飛ぶように」すぎていく。だって寝る以外に何もしていないもん。さっき猫に餌を出した気がする。あれはいつのことなのだろう?ほんの少し前、犬の散歩に行った気がするが、あれは昨日のことなのか?眠りながら、ゴミの収集車の音楽を何度も聞いた。今日は燃えるゴミか?今日は一体、何曜日なのだ?さいわい、こんな意識朦朧の状態であっても支障が出るほどの「実体」のある生活は送っていない。一日二時間か四時間、職場に出向いて授業をするくらい、かつての「常時泥酔状態」でもできていた。それが「眠気」に置き替わっただけだ。思い出した。これは「鬱症状」なんだ!私の身体が、私に警告を発している、「起きだすな!起きだして、頑張って働いたりしたら、壊れるぞ!余計なこと考えて『義憤』にとらわれたりすると、自滅だぞ!」と、教えてくれている。私は、その身体の「声」に従うことにする。

作成者 miyagawasusumu2004 : 2008年2月4日(月) 10:22

今夜すべての「そば屋」で・・・

禁酒34日目になった。予想されたことだが、「一月」という、特に根拠のない「区切り」が過ぎてしまうと、急速に「モチベーション」が下がる。「依存症」はあらゆることに「依存」する。お酒を飲んでいない日数が、四日から五日へ、一週間から二週間へ増えていくのだけを楽しみに生きてきた。もうずいぶん前から、お酒を、「おいしい」と思って飲むことは無くなっていたが、飲まなければ生きていけないと確信してたし、一日中「お酒を飲むこと」だけを考えて生きていた。それが、「今日もお酒を飲んでいないこと」にすり代わっただけだ。で、禁酒を「やめる」ことにした。でも、せっかく一月も続いたんだ。漫然とコンビニに駆け込んでビール買って終わり、ではなくなんらかのセレモニアルなイベントが必要だった。白石一文の主人公が濃厚な不倫セックスの後に飲む、「都内」の高級食材スーパーで買い求められたであろう「よく冷えたドイツワイン」にも、川上弘美の主人公が「センセイ」と駅前の「サトルさん」の店で、キスの刺身だ、マグロ納豆だ、湯豆腐だとともに重ねられたであろう日本酒の「杯」にも「勃起」しなかった。やはりアル中のことはアル中に聞かねば。中島らも「今夜すべてのバーで」でアル中リハビリ中の主人公が病院を抜け出して飲みに行ってしまう「故事」にならって「禁酒明けの儀」は「そば屋」にてとりおこなうことにした。高級食材スーパーも、駅前飲み屋もない(いや、「駅前」がない)この島にも観光客向けのそば屋はあって、コンビニでも売っていそうな瓶詰だけど日本酒も置いてある。ここまで決意するのにたっぷり二時間、二日ぶりに風呂に入って着替えて出掛けるまでに二時間、思うに「鬱病」の本質はこの暴力的な時間の「ロス」なのね。

作成者 miyagawasusumu2004 : 2008年2月27日(水) 05:57

お蕎麦は後から

すっかり日も落ちた川沿いの歓楽街、暖簾の向こうに暖かい灯がともる。お、いいねぇ、このフレーズ、そんな「華やいだ」気持ちでお酒を飲む、ことがなくなってしまってどれくらいになるだろう?いかんいかん、調子に乗るのは危険だ。いましもスーツ姿のお上品なサラリーマン達が集うカウンターの片隅に割り込み、「ねぇちゃん、酒や、酒!」、「あら、お客さん、お一人ですか?」、「そや、わし、今日、ケイムショ、出てきたとこなんや。」・・・。やはり、ヤンキー風アルバイトが丼に親指突っ込んで運んできてもいいから、逆立ちしても従業員とのココロのふれあいなんてありえない店にしよう!「あ、お蕎麦は後からいただきますから、とりあえずぅ、、日本酒、カラタンバ?、と、いたわさと冷奴!」、われながら上手に淀みなく言えたじゃない!

作成者 miyagawasusumu2004 : 2008年2月27日(水) 22:49


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