a,b,cという3種類のカードが、それぞれ無数にある。ここから、重複を許して2枚「選ぶ」方法。
「選ぶ」だけであって、「選んで並べる」わけではないから、順序は問題にしない。
(a,b)と(b,a)を同じ「選び方」として扱う。ならば、(a,b)と(b,a)の2つの選び方の「代表」として、(a,b)と、表記することにした、として差し支えない。つまり、いったん「選ばれ」たならそれは、ただちにアルファベット順に並べ直される、という「約束」にして差し支えない。
左から順に、「aの領分」、「bの領分」、「cの領分」と名付け、これらを区分するための「仕切り」を2個、(3つの「領分」に分割するのであるから、「仕切り」はそれより一つ小さい個数でよい、10本の電柱の「間」は9個しかないのだ!)用意する。
ところで、「選ばれる」のは2枚である。「選ばれた」ものが置かれるべき「場所」を2つ用意しよう。もちろん、これらにも「左から右へ」という「順序」がある。かならず、より左側に、よりアルファベットの「若い」ものが入るのである。
2つの「場所」の両脇に、「仕切り」を並べる。2つの場所の両脇は、3ヵ所ある。その3個所に2個の「仕切り」を置くのである。もちろん、重複して差し支えない。
いま、「場所」を○で、「仕切り」を|で、表現すると、
○○||
は、2つの「場所」が2つとも、一つ目の「仕切り」の左側、すなわち「aの領分」に含まれていることを表している。これが(a,a)である。
○||○
なら、一つ目の「場所」は「aの領分」、「bの領分」は「仕切り」と「仕切り」の間だから空白で、二つ目の「場所」は「cの領分」にあたる。つまりこれは、(a,c)に対応している。もちろん、(a,c)と(c,a)は区別しない約束だから、これを一つの場合としてカウントしてよいのである。
このようにして「話のすりかえ」が完了した。場合の数を数える、というのは、自然数(順序数)との一対一対応をとる、ということに他ならない。もちろんひとたび「数え終わった」後は、すでに「順序数」ではなく、大小しか問題に出来ない「カーディナル数」に化けているのではあるが。
ならば、「一対一対応」が保証されるかぎり、問題を別の「たとえ話」に、すりかえても差し支えないのである。「場合の数」と呼ばれる、離散数学・数え上げ理論が、どうして、「たとえ話」でしか語られ得ないのか?、実は私にはわからないのであるけれども、・・・。
さて、
a,b,cという3種類のカードが、それぞれ無数にある。ここから、重複を許して2枚「選ぶ」方法、
は、
2個の区別のつかない「○」と、2個の区別のつかない「|」、合計4個を左から順に並べる方法、
を数えることに帰着することがわかった。どう数えるのだ?
「同じものを含む順列」という手法がある。私たちは、注意深く眼を凝らしていれば「区別ができる」ものを、迂闊であるからこそ「区別が出来ない」のだ、と考えがちであるが、場合の数を「数え上げる」理論の構成としては、
(i)まず、「区別が出来る」として、数える、
(ii)「区別が出来ない」のなら、その中にいくつの重複が生じていたかを考え、これを減ずる、
という方法しか、とり得ないようなのである。ここでもそうする。
2個の「○」にも、2個の「|」にも区別がつく、すなわち、「○a」,「○b」,「|a」,「|b」なる「しるし」がついていると、まず、考える。これら4個の「異なるもの」、(不思議な表現ではある、「世界」に、「異ならないもの」が存在するのであろうか?)の並べ方は、4!=4×3×2×1=24通りである。ところが、実際は、「○a」,「○b」にも、「|a」,「|b」にも、区別はないのであるから、それぞれの並べ方において、より左側に「○a」だったか?、「○b」だったか?、についての2!=2通りの違いは意味を成さない。「|」についても同様で、これらの重複分2!×2!を削除すべく、割っておかなければならない。
4!/(2!×2!)=6が答えである。
この式はよく見ると、「組み合わせ・コムビネーション」4C2そのものである。ここでもう一つの「話のすりかえ」が成立する。
4か所の場所のうち、「○」を置くべき2か所を、選べ、
というわけである。
問題を類推によって「一般化」しよう。
a1,a2,a3,・・・,anというn種類のカードが、それぞれ無数にある。ここから、重複を許してr枚「選ぶ」方法。
左から順に、「a1の領分」、「a2の領分」、・・・、「anの領分」と区分するための「仕切り」は(n-1)個必要であろう?
「選ばれた」ものが置かれるべき「場所」はr個用意しなければならない。
したがって、この問題は、r個の「もの」、これを「○」であらわす、と、(n-1)個の「仕切り」、これを「|」であらわす、の並べ方に帰着する。
すなわち、
{r+(n-1)}!/{r!×(n-1)!}=r+(n-1)Cr
ところでこの話は、もう一つ「話のすりかえ」が出来るのだ。私たちは、上で、区別のつかないr個の「○」をまず並べ、それを、「左から右へ」、と、明らかに「序列」のあるn個の区分に配分した。ならば、この問題は、こう書くことも出来る。
区別のつかないr個の「もの」を、区別のつくn個の「容器」に配分する方法。
10個のみかんを、A,B,C三人に分ける。みかんにはそれぞれ個性が間違いなくあり、少し大きいもの、少し小さいもの、傷のあるもの、腐りかかっているもの、様々であるが、それらの「個性」はすべて「捨象」し、「人」たるA,B,Cは、どのようなみかんをあてがわれても文句は言わない、という約束なのである。
10個のみかんを、まず、並べる。2個の「仕切り」を用意し、左から一つ目の仕切りの左側を「Aの領分」、一つ目の仕切りと二つ目の仕切りの間を「Bの領分」、二つ目の仕切りの右側を「Cの領分」、
したがって、答えは、10+(3-1)C10
では質問です。
この問題、10個のみかんを、A,B,C三人に分ける、と、
10人の旅人が、A,B,C三部屋にわかれて泊まる、という話と、
どこが違うのか?
どこも違わないのだよ。でも、この問題の答えには、10+(3-1)C10=66ではなく、3の10乗と言うはるかに大きな数を答えなければ正解にはしてもらえない。
10人すべての当事者が、「意思」をもち、したがって、他とは独立にA,B,C3つの「選択」をなし得る、ことを当然の前提に、つまり、こと「人」に限って、「区別がつかない」などということはありえない、と決めてかかっているのだ。
これを「人間主義的偏見」、と呼んでいけないか?、私には、みかんの悲鳴が聞こえる!、わたしを隣のやつと同じだなんていわないで!、わたしは、わたしよ!