[問題]G={e,a,a2}  (a3=e)  という群の自己同型群を求めよ。
[解]という写像はGの自己同型である。したがって、Gの自己同型群は、A(G)={φ0,φ1}である。
「代数的構造」遠山啓(ちくま学芸文庫)
少し変えてあるが、だいたい、こんな感じの、「そっけない」解答のところで、私は、立ち止まってしまった。
もちろん、「解を求める」というのは、「これ」が条件を満たすものである、という「肯定文」を主張するだけでは足らず、「これ」以外には、条件を満たすものは、この世に、一切、存在しない、という「否定文」をも立証しなければならないのであるから、その意味では、この答案は、不十分なのである(笑い)。無論遠山先生が「不十分」なのではなく(笑)、先生が、「そんなの、当たり前でしょ?」と省略した内容が、・・・、定年退職後のお父さんの、手遊び(てすさび)、としての、「ど素人の『群論』入門」、を、「定年退職」でも「お父さん」でもない(泣)、「失業者」の「独居老人」がものしているわけだが、その「私」が、全く理解しなかったのである。
さいわい、時間だけはたっぷりある。「時間」は、それを労働に当てれば価値を生み出すから、市場に持っていけば、売れるものなのである筈だが、私の場合は、買い手がつかなかったようなので(笑)仕方がない、自家用に消費することになったまでだ。ちなみに、プロレタリアート、というのは、時間以外に売るべきものをもたないものの謂いである。

集合Gは、e,a,a2、の3つの要素からなっている。eは「単位元」、してもしなくても同じの、操作を表す。aという操作は、3回繰り返すと元に戻る。これを、a3=eとあらわしている。
具体的な対応物を想像すれば、これは、たとえば正三角形ABCに対して、aという操作は、反時計回り120度回転、をあらわすことにしてもよい。eは、何もしないのだから、0度回転、a2は120回転を2回繰り返すから、240度回転、または、時計回り120度回転に等しい。なるほど、反時計回り120度回転を3回繰り返せば元に戻るから、a3=eである。

操作xに対して、それと前後して行うと、もとに戻ってしまう操作、すなわち、xy=e,yx=eとなる操作yを、xの「逆元」と申し、x-1とあらわす。aa2=a2a=eだから、e,a,a2、の「逆元」はそれぞれ、e,a2,a、である。

集合Gから、集合Gへの1対1写像をφであらわすと、これは、3個の要素に、同じ3個の要素を、重複することなく割り当てる方法であるから、それは3個の異なるものe,a,a2、を並べる方法の数に他ならず、順列3P3=3!=6で、6通りある。それを、以下の如くに名付ける。e,a,a2に、この順で、e,a,a2を対応させる何もしない写像、「恒等写像」をφ0として、他を、φ1φ5とした。




「同型写像」を定義する。
集合Gの任意の元x,yに対して、以下の2条件が満たされるとき、写像φGからGへの「同型写像」という。この場合は定義域と値域がともにGという同じ集合だから、「自己同型写像」という。
φ(xy)=φ(x)φ(y)・・・(ア)
φ(x-1)=φ(x)-1・・・(イ)
ここでは二つの文字を並べることが、「操作を続けて行う」意なのだが、数式のようにこれを「掛け算」に「喩える」ならば、
(ア)「掛けて」から「移して」も、「移して」から「掛けて」も、同じ。
逆元を作ることを、「ひっくり返す」とでも言うならば、
(イ)「ひっくり返して」から「移して」も、「移して」から「ひっくり返して」も、同じ。

φ0φ5の6個の写像のうち、これら(ア)(イ)の条件を満たし「自己同型写像」といえるのは、φ0および、φ1のみである、とこともなげに(笑)主張しているのが、上の「解」なのであるが、では、確かめてみる。
まず(ア)の要件。連続する操作xyの一覧表。はじめの操作xが欄外の縦、あとの操作yが欄外の横で、太い罫線で囲まれた内部が、その連続操作の結果を表す。


この表の太線内の配列を、それぞれφ0φ5によって「移した」ものが、以下の左側の表、φk(xy)である。
右側は、「移した」後に、「掛けた」、φk(x)φk(y)である。
なるほど!、左右が同じ結果になっているのは、たしかに、φ0φ1のみなのである。黄色であらわした。

  

  

  

  

  

  

次に(イ)の要件。なるほどこれまた、同じ結果が得られるのは、φ0φ1のみ。これも黄色にした。

    

    

これだけのことがわかるのに、ほぼ一日を費やした。つまり、本を3行読むのに、一日かかるのである(笑)。
そして、困ったことに、かかる暴力的なまでの「時間」の「浪費」が、今の私には(笑)必要なのである。「時間」は、そうでなければ「価値」を生み出していたであろうに、・・・、というときにのみ、その「浪費」を、悔い、戒めなければならない(笑)のである。
「買い手」のつかない「時間」は、「浪費」以外に使用法がない(笑)。これは、「時間」の、何者かへの、無償の「贈与」、「時間」の「ポトラッチ」である(笑)。
誇らしげにいうのならば、きっとそういうことなんだろう♪〜〜(「イー自由ライダー」奥田民生)。