一般に限りなく多くの定まれる数の一系統Sの諸数がある定まれる数λの附近に限りなく集積するときは、λをSの集積点といふ。即ちλの如何程近くにも、尚詳しく言はば、其幅如何程小くともよし、凡そλを含めるあらゆる間隙の中に、Sの諸数が限りなく多く含まるるなり。但λなる数自らが、Sに属すると然らざるとは問ふ所にあらず。
例へば,+,,+等、一般に、,+
の如き分数を総括して之をSと名づく。
Sを組成せる数は凡ての幹分数および二つの相異なる幹分数の和なり。さて、はSの集積点なり、げにも+,+,・・・,+,・・・はSに属せるが故に、の如何程近くにもSの数限りなく存在す。
,,・・・一般にも亦Sの集積点なり。然れども+はSの集積点にあらず、Sの諸数の中此数に最近きは+にして、両者の中間にはSの諸数一も存在せず。
+はSの最大の数なり。又0はSの集積点なり。0はSの下限にして、これ即ち下限が集積点なる例なり。
「新式算術講義」高木貞治(ちくま学芸文庫)
「集積点」概念は、極限を論ずる入口に当たるようだ。読解を試みよう。
実数を要素とする無限集合Sがある。
任意の正数εに対して、区間(λ-ε,λ+ε)にSの要素が無限に含まれるとき、λをSの集積点と呼ぶ。λ自体が、Sの要素であることは必ずしも要しない。
例えば、次のような集合を考えよう。
ここで、 (m=2,3,4,・・・)は集積点である。任意の正数εに対して、区間<x<+εの間に、無数のSの要素が存在するからである。
ところが、例えば、+はこの集合の最大の数であるが、集積点ではない。+に最も近いSの要素は、+であって、両者の間にはただの一つもSの要素が存在しないからである。
「Sの諸数を図に表はせ、集積点の意義明白に理会せらるべし」とあるから、やってみた。同じ数直線上にプロットすると重なってわかりにくいから、ずらした。
青色が、+の系列。n=40までしかやっていないから、空白が見えるが、もちろん、「本当は」(笑)の「近傍」、右側だけだが、に、びっしりと点が並ぶのである。
同様に、赤色が、+、緑色が、+の系列。
- +は集積点にあらざることを証せよ。
結論が「否定文」となっているから、証明は「背理法」または「対偶」によるのが都合がよい、と想像される。
A→Bが「真」であるのは、集合で表せば、
∀x∈Aに対して、x∈B、・・・、Aの任意の元xがBの元であること、に等しいから、これは、
A⊂B、つまり、AがBに包含されていること、になる。ベン図で表せば、下図のようになる。
ところで、図からわかるように、
A⊂Bであることは、A∩BC=φ、Aと「Bの補集合」が共通部分を持たない、ことと同じい。
ということは、「AならばBである」を示すには、
「Aであり」、かつ、「Bでない」ことが決して起り得ないことを示せばよいことになる。
まさにそのような「起こり得ないこと」を仮定してみて、それが矛盾をきたすことを導けば、矛盾が導けた瞬間に、証明ができたことになるのである。これが「背理法」のロジックである。中身をよりよく表す言葉としては、「帰謬法」、誤謬に帰する、の方がふさわしいが、「謬」が当用漢字でない、などの理由で、高校教科書などでは「背理法」と呼ぶようになったと思われる。
同様に、図からわかるのは、ベン図は、全体集合が平面上の長方形で表されているから、その四囲に「無限」が隠されてしまっているが、これを「位相幾何学的同型性」を保ちながら、つまり、ぐにゃぐにゃと、4辺を紙面の「向こう側」で接続してしまえば、たちまち、「無限」を含んだ「リーマン球」が立ち現れる。
長方形の4辺が結び合わさった「へそ」が、このボールの左端、青色の部分の真中あたりにあると思いねぇ。
そうすると、オレンジ色の部分が集合A、
緑色の部分は、Aの外側で、Bの内側、つまりAC∩B
ならば、オレンジと緑を合わせれば、A∪(AC∩B)=(A∪AC)∩(A∪B)=U∩(A∪B)=A∪Bで、
ここではA⊂Bだから、A∪B=B、なぜなら、
∀x∈Aに対して、A⊂Bだから、x∈B、
∀x∈Bに対して、もちろん、x∈B、
したがって、∀x∈A∪Bに対して、x∈B、よって、(A∪B)⊂B、次に、
∀x∈Bに対して、x∈A∪B、よって、B⊂(A∪B)、以上、(A∪B)=B
とすると、残る青色部分は、Bの補集合、BCである。こうして、
こうして、わかったことは、上図の如く、Bの補集合は、Aの補集合に、包含されている、すなわち、BC⊂AC、
これは、¬B→¬Aが真であることに対応している。これが「ある命題が真であれば、その『対偶』はかならず真である」の、意味である。
こうして、ともに「AならばB」を示すにあたって、
「背理法」は、「Aであり、かつ、『Bでない』と仮定して矛盾を導く」技術、
「対偶」は、「『Bでない』ならば、『Aでない』」を示す技術、
であることがわかった。何のた・め・に・、そのような技術が必要であるかを考えるに、二つに共通するのは、いずれも「Bでない」から出発する点である、つまり、元の命題の結論部分B、が、も・と・も・と・、「否定文」で書かれていた場合、「存在しない」ことを証明するのは通常困難であるから、これを、「Bでない」という「肯定文」に転換することができるメリットがあるのだ。
では、証明に入ろう。
+は集積点ではない、が示すべきことがらである。これは一見「A→B」という命題らしい形をとっていない。Bという結論しかなくて、Aという条件がないのである。つまり、無条件、したがって、Aにあたる部分を「全体集合U」に擬してよいことになる。したがって、命題、
「・・・ならば、+は集積点ではない」を、「U→B」とみて、
「背理法」によるならば、U∩BC=φを、
「対偶」によるならば、BC⊂UCを、それぞれ示すことになる。
ところで、U∩BC=BC、UC=φであるから、
結局どちらも、BC=φを示すことになる。つまり、
「+が集積点であると仮定したら、矛盾を導く」、ことを言えばよい。
[証明]+が集積点であるとする。
+に隣接するSの要素は、
+(n=m+2,m+3,・・・)、または、+(n=m+1,m+2,・・・)であるが、
+と+の間には、Sの要素はただ一つも含まれていないから、
両者の間隔-よりも小さい値としてεを選ぶと、区間(+,++ε)には、Sの要素が含まれず、
同様に、-よりも小さい値としてε'を選ぶと、区間(+-ε,+)には、Sの要素が含まれないことになり、これでは、
任意の正数εに対して、区間(+-ε,++ε)に無数のSの要素が含まれる、とはいえない。
したがって、+が集積点ではなく、これを集積点であるとする仮定が誤っていたことがわかった。証明終わり。
- 又0及,,・・・,,・・・の外に集積点なきを証せよ。
[証明]m=2,3,・・・、n=m+1,m+2,・・・に対して、+はいずれも集積点ではない。
よって、0及,,・・・,,・・・以外に集積点は存在しない。
訂正。上の証明は、間違っているね。
「+と+の間
または、+と+の間
には、Sの要素はただ一つも含まれていない」、というのは真っ赤な嘘だ。
上の図からわかるように、両隣、またはそれより先の系列が、間にはまり込んでくる可能性は、大いにある。だが、どこまでの「隣」が影響を及ぼしうるかを一般化するには、複雑すぎて確定できないようなのだ。
例を一つ挙げて、諦めることにする。
たとえば、+と+の間には、決して「無数」ではなく、有限個のSの要素しか含まれていないことを確かめたい。
もしこれを一般化しえたなら、きっとできるのだが、私にはできないだけだ(笑)、これら2つの数の間隙にすでに有限個の要素しか存在しないのだから、まして、その両端のε近傍に「無数の」Sの要素が存在するわけがなく、したがって、このような「2つの幹分数の和」の形式のものがSの集積点ではありえないことが示されることになる。
+≒0.236 , +≒0.253 , +≒0.256 , ≒0.333
であるから、+の系列や、+の系列が、さらにそれより外側の系列も「おそらく」(笑)、この間隙に入ってくることはない。
+系列、+系列、+系列、のみについて、この区間に入ってくるSの要素の個数を数えてみよう。
- +系列
たった1個、+のみが含まれる。
- +系列
図からもわかるように、この系列は、n=11とn=12の隣接する要素が、この区間を飛び越えてしまっている。
+=0.25 , +≒0.258なのである。
- +系列
から、まで、両端を含めると201個、含めないと199個の要素が、この区間に存在している。