「論理学入門」丹治信春(ちくま学芸文庫)という本が出まして、これが、ちょっと、「寝食を忘れる」ほど、面白い、「面白い」ことが書いてあるわけではない、もともとが、大学の教科書の文庫化なのだが、練習問題の解答が、「容易であるから各自試みられたい」みたいなのではなく、ちゃんと丁寧に掲載されていて、ノートに式を書いてみる、「答え合わせ」をする、あっていると、「嬉しい」、間違っていると、「悔しい」(笑)、そんな懐かしい、幼稚な作業に、時を忘れることが出来る。時を忘れることが出来るのは、例えば、ここに出てくる記号の羅列、
(∀x)(Fx→[(∃y)GxyGax])
などというものが、「現実世界」に、たぶん、何の対応物も持たないものであるからこそ、「屈託なく」もてあそぶことができる、本当は、「世界」は「屈託」だらけだから、それにちゃんと直面していたら、30分もすれば、へとへとに疲れて息切れしてしまうものなのに。
そういえば思い出した、80年代末葉、「ポスト・モダン」全盛の時代、ダグラス・ホフスタッター「ゲーデル・エッシャー・バッハ」が大流行で、さりげなく(笑)引用して見せるくらいの才覚がないと、「生きている価値がない」、みたいな時代だった、・・・、私も無理をして読んだ、大阪梅田の阪神百貨店で、M.C.エッシャーの展覧会があると聞けば、出向き、「バブル・エコノミー」の恩恵は、こんな下流の者にも少しは及んでいたから、高価な図録を、ぽーんと購入し、まだ物珍しかったCDプレーヤーと、グレン・グールドのバッハ全集、これまた、ぽーんと購入し、ところが残念なことに、同書の後半3分の1くらいは、「不完全性定理」の証明の紹介にあてられていて、上に挙げた如き「論理式」の、もっと激しく複雑なものが、延々と並んでいるのである。こればかりは、多少の「お金」では解決がつかない、何かを購入したとして、「わかったふり」をすることができない代物だったのですな。その、およそ30年ばかり背負い続けてきた「敗北感」(笑)を、人生も「終わり」が見えた今、「雪辱」しようとでもいうのか?

「論理学」は、大きくi命題論理、とii述語論理、に分けられる。
  1. 命題論理では、
    • 命題変項:p,q,r,・・・
    • 論理結合子:¬、∧、∨、→
      • ¬:「否定」
      • ∧:「かつ」、「連言」と呼ばれ、A∧Bの、A,Bを「連言枝」と称す。
      • ∨:「または」、「選言」と呼ばれ、A∨Bの、A,Bを「選言枝」と称す。
      • →:「ならば」、「条件法」と呼ばれ、A→Bの、Aを「前件」、Bを「後件」と称す。
    からなる論理式の真偽を問題にする。
  2. 述語論理では、
    • 論理結合子:¬、∧、∨、→
    • 量化子:∀、∃
      • ∀:「すべての〜、任意の〜、〜にかかわらず」、「普遍量化子」。
      • ∃:「ある〜、〜が少なくとも一つ存在する」、「存在量化子」。
    • 個体変項:x,y,z,・・・
    • 個体パラメータ:a,b,c,・・・
    • n項述語記号:F,G,H,・・・
    からなる論理式の真偽を問題にする。

この書物の眼目は、「タブロー」、フランス語、英語のtableに対応する、「絵、表」のごとき意味、と呼ばれる、背理法(帰謬法)に基づく証明手続きにあるようで、私はまだ読み終えていない、今、述語論理にやっと差し掛かったばかり、読み終えた部分について、順次、わかる範囲で(笑)、紹介していく。
まずは、命題論理について、ある論理式が、命題変項に何を代入しても、常に「真」だと言える、これを「トートロジー」と呼ぶ、常に正しいから、言っても仕方ない事柄(笑)である、なのか?、もしくは、そうではなくて、命題変項の選び方次第では、「偽」となる場合が生じる、これを「矛盾」と称す、「トートロジー」が、当たり前過ぎて言っても仕方ないこと、とすれば、「矛盾」こそが、言う「価値」が存する、ことになる、などというお話は以前もしたが、与えられた論理式に対して、これを解きほぐし、「トートロジー」であるか「矛盾」であるかを判定できる方法があるようなのである。

だが、今日は、急速に眠くなってきたので、次回期待。
前回さっそく間違ったことを言った。それぞれの命題変項は、「真」か「偽」のどちらか一方の値しかとりえない。どちらでもある、とか、どちらでもない、ということはない。何を入力しても、0または1の値を返す、二値関数であるから、 と、言わねばならなかった。こうして自分で文章を作ってみると、はっきり理解していなかったこと、あいまいなままに放っておかれていたものが、次々と「露見」する。それが文章を書くことの「効用」である。もはや「還暦」近い失業者には(笑)、その「効用」を、「次回」への「投資」として役立てる機会は、ないのであるが、・・・。

それぞれの「論理結合子」に対する「真理表」を作ることから始める。「否定¬」のみは、ただ一つの論理変項の前に置かれるが、それ以外の、「連言∧」、「選言∨」、「条件法→」はいずれも、二つの論理変項の間に置かれるから、「否定」に関しては、21=2で2通り、「連言」、「選言」、「条件法」では、22=4通りのありうるすべての場合について、返される「真理値」、「真」または「偽」の二値を示す表のことである。
さて、「条件法→(ならば)」の真理表についてであった。もう二年ほど前になるか?、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読んでいた、のではなく、・・・、「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」野矢茂樹(ちくま学芸文庫)を読んでいた頃だ。同じことを考えて書いてみた。今読み返してみても、なかなか良く出来ていて(笑)、あたしって、結構賢かったんじゃない?、このまま掲げておく。
トートロジーとは、その真理領域が論理空間全体にわたるような命題である。
矛盾こそが、最も多くを語る命題、なのである、続編。
「前件」が「偽」なら「後件」の「真・偽」如何に関わらず、命題は「真」となる。誤った前提からは、いかなる命題も証明さ・れ・て・し・ま・う・。いかなる命題も証明されてしまうような「世界」は、「病んだ」「世界」である。「世界」が「病んで」いるのは、誤った前提が混入したからで、ではその誤りを、発見、除去できるためには、いかなる命題も証明されてしまう、という「病み」の症候が「露見」しなければならない。だ・か・ら・、「前件」pが「偽」なら、「後件」qにおよそ何を書こうと、命題pならばqは、つ・ね・に・、「真」でな・け・れ・ば・ならない。ということのようだが、確かに、はたっ!、と膝を打たせるものがあるが、やはり、納得しやすい、とは言い難い。

「世界」を、二つの問い、pであるか?、qであるか?、で切り分けると、必ず、4つの部分ができる。
  1. pであり、qである。「pq
  2. pであり、qでない。「p∧¬q
  3. pでなく、qである。「¬pq
  4. pでなく、qでない。「¬p∧¬q
pqの真理領域、それぞれが「真」となるような「もの」の集合、をそれぞれP、Qとすれば、下のベン(Venn)図のようなありかたが、普・通・の・「世界」である。



上の1〜4のどれかの領域を、空集合にしてしまうと、「包含関係」が発生する。

ところで、命題pqが「真」である、ということは、いかなるPの要素を取り出しても、それはまたQの要素でもある、ということなのだから、pの真理領域P、が、qの真理領域Qに包含されている状態、
P⊂Q
に対応する。下の図のような按配である。これは、PをQの内側に引きずり込むことで、上の「2.pであり、qでない」の領域が、空集合になってしまったことを意味する。すなわち、
P∩¬Q=φ



これが「背理法(帰謬法)」のロジックであり、p∧¬qを「仮定」したところ、いやそんなことはあ・り・得・な・い・、という結論が得られたことで、命題pqが「真」であることが証明されたことになるのである。
ところで、前回見たように、「条件法→(ならば)」の真理表は、「pでないか、または、q」、¬pqと、同一であった。対応する集合の記号で書くと、
¬P∪Q
これは、「ド・モルガンの法則」、それ自体も、間もなく「タブローの方法」での証明をご紹介できると思う、により、

であるから、P∩¬Qの補集合である。ということは、空集合の補集合は全体集合にほかならず、pqが「真」であるならば、
¬P∪Q=U
ということになる。つまり、¬P∪Qが「すべて」であるような「世界」では、常に、命題pqは「真」なのである。だから、命題pqを「真」とするような領域は、¬pqが「真」となる領域と、ぴったり同じだったのである。
下の左図の黄色がP∩¬Q、この領域では、命題pqは「偽」である。ならば、この領域以外のすべての場所で、命題pqが「真」でなければならないとすれば、・・・、きっと、そうでない「行き方」もあり得るのだろうが、その補集合、右図の緑、¬P∪Qが、命題pqの真理領域で、な・け・れ・ば・な・ら・な・く・な・る・、のである。


前々回、論理結合子「→(ならば)」を用いた論理式、pqが、¬pqで「代用」されることを見た。ならば、そこで当然生じる疑問は、論理結合子は、「¬、∧、∨、→」の4個があるというが、本当にそれだけ必要なのか?、現に「→」はなくてもすむのだから、もっと減らせないのか?、「究極的には」いくつあれば足りるのか?、という疑問が生ずる。

真理表が同じ、真、偽のパターンを示してくれれば、それらの論理結合子は、「代用」可能なのである。ほれ!、下に見るように、 「代用」できることがわかる。





こうして、論理結合子は、 の二つだけで、まかなえることが分かった。さらに、実は、一つでいいのだ!、ということが知られている。「シェッファー・ストローク」と呼ばれるんだそうだが、次のような真理表を与える論理結合子を定義すると、「¬」、「∧」、「∨」のすべてが、そのそれぞれ一つだけの論理結合子の組み合わせで、「代用」できるらしい。
数学の徹底的な「形式化」を夢想したヒルベルトは、「点、直線、面の代わりに、ビール、ジョッキ、テーブルと名付けても幾何学を構成できるのだ」と言った。ドイツ人だし(笑)、大学都市の、ビアホールで、一杯やりながらの放談が、歴史に残ってしまったのだろう。ビール好きのヒルベルト氏に敬意を払って、ここでは、では、その二つの論理結合子を、それぞれ、「ビール」、「ジョッキ」と名付ける。

こうして「世界」が、「ビール」と「ジョッキ」で、説明できたのである。
「真理表」を用いて、「真理値分析」なるものを施し、ある命題が、「トートロジーであるか?、トートロジーでないか?」を判定する、ということをやってみよう。各々の命題変項は、「真/偽」の2値しか取りえないから、その命題がn個の命題変項を含んでいたなら、2n個の場合について検討することになり、「真理表」は、2n行の表になるであろう。
そのすべての行に対して、「真理値」が「真」となれば、その命題は、「トートロジー」である。一つでも「偽」が含まれていたら、「トートロジー」ではない。すべてが「偽」なら、「矛盾」である、ということになる。
「世界」は、「トートロジー」と「矛盾」とを両極端とし、その中間に「トートロジー」でも「矛盾」でもない、数々の命題によって、出来ている。
改めて、「¬否定」、「∧連言」、「∨選言」、「→条件法」、の「真理表」を眺めてみる。
「世界」が、「ビール」ないしは「ジョッキ」なる、ただ一つの論理結合しで構成できることはわかったが、やはりそれは「日常言語」から余りにもかけ離れているから、分かりにくい。分かりやすくあるためには、多少の「冗長性redundancy」が必要で、だから、比較的「日常言語」に近い、これら4個の論理結合子が、選・ば・れ・た・、というわけなのだろう。

4つの論理結合子の「真理表」を下にもう一度掲げる。これを、右から左へ、逆に、「読んで」いく。○を各種論理結合子として、pqが、「真」であることから何が言えるか?、「偽」であることから何が言えるか?
これがのちに、「タブローの方法」の作業手順の根拠になる。 (i),(iv),(vi)は「直接帰結型」であるが、(ii),(iii),(v)では、直ちに結論を下すことはできず、場合分けをしなければ、それ以上の推論を続けることがで・き・な・い・。これを「枝分かれ型」と称し、「タブローの方法」では、実際に二本の線を引いて、「枝分かれ」するのだが、HTMLでは、そんな表記は難しいので、段落を下げて二行にわたって「枝」を表示することにする。だから、反対に段落が下がっていなかったら、それは「直接帰結型」の帰結が二行にわたって書かれていることを意味する、ことにしよう。
pqpqpq
T (i)直接帰結型
T:pq
T:p
T:q
(iii)枝分かれ型
T:pq
  • T:p
  • T:q
(v)枝分かれ型
T:pq
  • F:p
  • T:q
F (ii)枝分かれ型
F:pq
  • F:p
  • F:q
(iv)直接帰結型
F:pq
F:p
F:q
(vi)直接帰結型
F:pq
T:p
F:q

ではさっそく、使ってみる。前回も採用した「対偶」、これはすでに「トートロジー」であることがわかっているから、証明されるは・ず・、なのである。
(pq)→(¬q→¬p) 「論理学入門」丹治信春(ちくま学芸文庫)の、ほんものの「タブローの方法」では、下のような図表になる。確かにずっと見やすかろう?
なお、T,Fも論理学上の特別な記号「T」と、それをひっくり返したみたいな記号を使うのだが、これまたHTMLでは「環境依存文字」になってしまう可能性がありそうなので、やめておいた次第である。


「タブローの方法」による、論理学入門、も、しばらく頓挫しているが、「現代数学入門」遠山啓(ちくま学芸文庫)で、論理学とも絡む興味深い記事を見つけた。
「代数的構造」としての、「群」、「環」、「体」に関する事柄と、関係があるようなので、そちらの定義から入る。これは、「素数入門」芹沢正三(講談社ブルーバックス)、の方が、遠山氏の文章より、わかりやすく思えたので、そこから、しかもちょっと変えて引用する。 「体」は、加法、そして、加法の逆元がある以上、減法、そして乗法、さらに、乗法の逆元がある以上、非除数が0でないものに対しては、除法もできる、システムである、ということらしい。
加法の単位元0と、乗法の単位元1だけは、絶対に含んでないといけないから、集合{0,1}は、最小の「体」をなす。この集合の中で、「加法」と「乗法」の演算を定義する。
アナロジーとしては、 いずれにしても、「0/1」の二値で、「答」が出るこのシステムは、「真TRUE/偽FALSE」の「答」が出る命題論理の世界と、対応付けられそうではないか?
この「体」{0,1}における「加法」と「乗法」の演算規則を、表にすると、
  
Excel関数式の「舞台裏」は、こんな感じ、
  

命題論理の「世界」は、もちろん「ビール」または「ジョッキ」のただ一つでもよかったのだが、「¬、∧、∨、→」の4つの論理結合子ですべてが「語られる」世界であった。
ならば、それらの「真理表」と同じになる「演算結果」をこの「体」{0,1}内の二つの演算「加法」と「乗法」で、表現できれば、命題論理の「世界」と、この体{0,1}、とが、同じ「構造」をもっている、と断言してかまわないのだろう?、嗚呼、三十数年たって、やっと、わかった!、「構造主義」って、こんなことから始まったのだね? うわぁ!、こうして、「世界」は、(mod 2)の「剰余類」で、できていることが、わかったのである。