「世界」を、二つの問い、「あなたは、Aですか?」、と、「あなたは、Bですか?」に対する答えによって「切り分けると」、か・な・ら・ず・、4つの部分が発生する。
  1. A∧B、・・・、Aであり、かつ、Bである、
  2. A∧¬B、・・・、Aであり、かつ、Bでない、
  3. ¬A∧B、・・・、Aでなく、かつ、Bである、
  4. ¬A∧¬B、・・・、Aでなく、かつ、Bでない、△、
私たちがしばしば陥る短慮、謬見は、これら、か・な・ら・ず・ありうる4つの部分のうち、一つまたは二つを、「無視できるほど少数だから」と言って、切り捨ててしまうことである。切り捨ててしまうことで、何が起こるか?
これら4つの部分集合のどれか一つを空集合φにしてしまうという変形を加えることによって、そうなると残りは3つの部分集合しかないわけだから、これはおそらく、例の「四色問題」と関係しているに違いないが、「世界」が3つの部分に、「排反的に、かつ、すべてを覆うように」分割されたとき、必ず、どれかがどれかを「包含」する関係が現れ、したがって、いずれの場合も、「条件関係、○○であるならば△△である」、が、発生する。当然、、4C1=4、4つの場合がありうるから、逐次、見てみよう。 こうして、3つに塗り分けられてしまった「世界」から、さらにもう一つの部分集合を空集合φにしてみよう。結果からいえば(笑)、4つの部分集合から2つを選んで削除するのであるから、4C2=6、6通りありうる。 短慮、謬見は、主に二つの場面で起こりうる。 もちろん、前回からの話のつながりは、ここにあった。「共産主義者は非国民Un-Americanである」という言明の「非論理性」を、そうね(笑)、きっと「構造主義的」に(笑)、証明してみせたことには、なっていると、思う。
前回、図を掲げて、そりゃ、絵を見りゃ、当然だろ?、みたいな議論を進めたが、それは、なんだか「数学的」な「厳密さ」を欠くような気がして、気の弱い私は不安で(笑)、一応、「証明」という形を取ってみたくなった。もちろん、閑人の手遊び(てすさび)である。
「証明」の前提、として、以下の基本定理はすでに証明され(笑)、ているものとする。「確率論入門」赤摂也(ちくま学芸文庫)、による。 では、やってみる。うまくいきますかどうか?、ばかばかしい、うまくいったからこそ、得意そうに書いているに決まっている。 次に四つの部分集合のうち、二つを空集合にしてしまった場合。