言葉足らずのような気がするので、もう少しゆっくり考えたいと思います。放射性崩壊、というのは、放射性核種、と呼ばれるその物質が、ただ、そ・こ・に・あ・る・、という以外に何の「理由」も「条件」も要せず、核種ごとに決まったある一定の「確率」に従って発生する。「たくさんあればあるほど、しばしば起こる」、単位時間当たりの発生確率が、当該物質の現在量に比例する、
-dx/dt=kx
おなじみの「タンクの水抜き」モデルです。タンクの下部に蛇口が付いている、蛇口を開くと、水が「流出」する、「流出」すると「減る」から、左辺の「速度」にはマイナスが付いている。タンクにたくさん水があるほど、いきおいよく、つまり、より大きな「速度」で、水が「流出」する。この、線形一階常微分方程式の解は、
x=x0e-kt
底が1より小さい指数関数は、単調減少で、時間の経過とともに、「限りなく」0に近づきますが、原理的には、決して、なくならない。タンクの水を、蛇口から、全部流し出す、ことは、決してできない、ということです。そうでしょう?、もう、一滴も流れ出さなくなっても、まだ、タンクの底は濡れているじゃないか?、これが「なくなる」には、乾燥、などと言う別の物理過程が必要なのです。このような現象に対しては、「いつになったら、なくなるの?」という問いは意味を成しませんから、「半減期」という概念を用います。
上式において、t=Tのときx=x0/2とすると、
x0/2=x0e-kT
1/2=e-kT
すなわち、
-kT=loge(1/2)=-loge2
つまり、
T=loge2/k
これが「半減期」で、もとの微分方程式の比例係数kに反比例している、kは、単位時間に放射性崩壊が生ずる確率、を表現していたはずだから、「単位時間に放射性崩壊が生ずる確率が大きいほど、『半減期』は短い」ということになる。「タンク水抜きモデル」になぞられるなら、「蛇口を大きく開けておいた方が、タンクの水量が半分になる時間が短い」、という当たり前の理屈になる。底が1より小さい指数関数の、著しい特徴は、「縦軸の量が半分になるのに対応する横軸の変化量が、常に一定」、ということである。
現在量x0が、1/2nまで減少するに要する時間が、nTである。
n=10なら、210=1024≒103として、「タンク水抜きモデル」に語らせるなら、
はじめの水量、1m3=1000Lが半分、500L、になるのに5分かかるとしたら、千分の一、つまり、1L、になるのには、5×10=50、50分かかる、
ということだ。プルトニウム239の半減期が、2万4千年なので、その濃度が千分の一に希釈されるには、・・・、これはもう、「数字による脅迫」にしかならないから、ひかえておくが、人が、0に近い微小量について、安んじて「無視」できるのとちょうど裏腹に、自分自身の生命の持続時間と、十進法で4桁異なる、この、「0」の「逆数」たる「無限」、に対してもまた、せいぜい「鼻で笑う」程度のシニカルな身振りし・か・、できない、ことには注意を払っておく必要がある。
放射性崩壊には、α、β、γ、と名付けられた3種類の態様がある。α線の本体は、「ヘリウム原子核」、β線は、「電子」、γ線は、「電磁波」、である。
ヘリウムHeは原子番号2、質量数4、殻外電子数2、の元素で、
原子番号=陽子数
質量数=陽子数+中性子数
であるから、α線は、陽子2個、及び、中性子2個、の塊であることになる。陽子と中性子の質量はほぼ等しく、かつ、電子の質量の約1840倍である。質量mの物体が、速度vで飛んできて、目的物に衝突し、「止められた」としたら、それが有していた「運動エネルギー」mv2/2が、ことごとく、失われ、熱力学第一法則により、目的物に対する「ダメージ」に変換される。したがって、仮に同じ速度のα線とβ線があった場合、前者は後者の、1840×4倍、の「ダメージ」を加える能力を持っていることになる。
被爆は身体の表面でのみ生ずるとは限らない。私たちの皮膚は、なめらかに切れ目がないように、マクロ的(巨視的)には見えるが、細かく見ると(ミクロ的・微視的)タンパク質分子の間が隙間だらけで、隙間を水が満たしている、みたいな状態なんだと思う、見たことはないけれども(笑)。となると、「原子」のレベルのα線、遥かに小さい「電子」のレベルのβ線、さらに、これは「物質」ではない、「電磁波」であるγ線、は、ことごとくこの隙間を通り抜けることができるだろう。これが「透過性」であって、当然、大きいものほど通りにくく、また、「波」ならば、「モノ」よりもずっと通りやすかろう、とは言える。
したがって、「透過性」で見ると、α<β<γ、であり、上に述べたように、「衝突したときのダメージ」、という観点で見ると、α>β>γ、ということになる。
小出裕章氏の、「原発はいらない」(幻冬舎ルネッサンス新書)、原発事故に関して、考慮すべき主な核種として、以下の四つがあげてあるので、ここでもそれらについて考えることにする。上から順に、セシウム137、ヨウ素131、ストロンチウム90、プルトニウム239、である。崩壊反応式を探そうとしたのだが、そういえば、勤務先の予備校が倒産し、「馘首」(笑)、とほぼ決まったとき、ちょうど二次試験受験に「内地」に出かける「お気に入り」の生徒に、物理の参考書を、「もう、こんなの、いらないから、・・・」などと気前良く(笑)、差し上げてしまっていたことを思い出した。もちろん、山本義隆氏の、えっと、東大全共闘の、「自己否定に自己否定を重ね、ついには一物理学徒となって」、の山本義隆氏である、の、駿台での教科書「新・物理入門」(駿台文庫)は、大事に取ってある、「死ぬまで」手放さないだろう(笑)。それから、同じく山本義隆氏の、これは「最終講義」にあたるんだろうな、「原子・原子核・原子力、わたしが講義で伝えたかったこと」(岩波書店)、も調べたんだが、なかなか載っていない。だからW某ペディア、も含め、あちこちから引っ張ってきたものだから、記述の作法が統一を書いているかも知れない。と言うのは、γ崩壊、は、単独で生ずるものではなく、α、またはβ崩壊に際して、高エネルギーの中間体ができ、それが安定化する際に、電磁波として剰余のエネルギーを放出する、というものであるらしいので、ひょっとしたら、下のストロンチウム90やプルトニウム239でも、γ崩壊が随伴しているかもしれないが、だから、そのあたりは不正確であるかもしれないが、御寛恕いただくこととして、
若干の説明を加えておくと、β線の本体は「電子」であるが、これは、殻外電子ではなく、中性子が陽子に変わる際に放出される。したがって、質量数は不変で、陽子が一つ増えるから、原子番号が一つ増大する。周期表の上では、一つ右に動く、ことになる。
第1族、のうち、水素H以外のものを、「アルカリ金属」と呼んでいる。きわめてイオン化傾向が高く、水と反応すると、ただちに水分子の酸素に電子を与え、つまり水を「還元」し、水酸化物イオンOH-を生み出す、だから「アルカリ」なのである。その隣の第2族のうち、カルシウムCaより下に並んでいるものは、「アルカリ金属」には劣るが、やはりかなりイオン化傾向が高いものたちであるので、「アルカリ土類金属」と呼ばれる。「アルカリ金属」の方は、イオンとして遊離して存在することが極めて安定であり、通常の環境では、いかなる陰イオンとも、一切沈殿を作らない、のに反して、「アルカリ土類」は、炭酸イオンCO32-、硫酸イオンSO42-、のほか、有機酸たる、カルボキシル基R-COO-などとは沈殿を形成する。だから「固体」として存在しうるわけで、現に、石灰岩CaCO3がそうであるように、「土」の構成要素たりうる、だから、「土類」と呼ばれるんだ、と、素人ながらに(笑)想像している。
セシウムCsは「アルカリ金属」、これがβ崩壊によって、隣の「アルカリ土類」たるバリウムBaとなることで安定化している。同様に、ストロンチウムSrは「アルカリ土類」、これが、二段階のベータ崩壊を経て、順次、第3族のイットリウムY、第4族のジルコニウムZrとなって安定化する。
周期表では、右上に行くほど、「陰性・電子吸引性」が強く、反対に、左下に行くほど、「陽性・電子供与性」が強い。「金属のイオン化傾向」と言うのは、「電子を失って陽イオンになる傾向」の意だから、それすなわち「陽性」のことであって、概ね、左下に行くほど強くなるのも当然なのであった。反対に、電子を受け取って陰イオンになる傾向、は、当然、右上が強いことになる。この世でもっとも「陰性」の強い元素は、フッ素Fであり、それに次ぐのが、酸素O、これほどまでに、「毒性」の強い酸素なる物質をば、体内に取り入れてその強力な、文字通り「酸化力」を馴致して、「呼吸」というエネルギー産生の方法を、「発見」した、ということが、生物進化の歴史上、特筆すべき「事件」である、これは、どれほど強調しても強調し過ぎることはない、と思っている(笑)。第17族は「ハロゲン」と呼ばれ、halo-は「光」を表す接頭辞、-genは、「・・・するもの」を表す接尾辞、デジタルカメラの登場ですっかり影を薄くしたが、これらの物質が「感光性」をもつことからの命名であろう、かつての写真技術には、AgBr臭化銀、などが用いられていたはずだ。ヨウ素Iは、かなり下の方にあるから、それほど反応性は高くはないが、陰イオン化して水に溶ける。うがい薬の商標名「イソジン」は、ヨウ素がIodine、異性体を表す接頭辞、iso-、を組み合わせたものではないか、と想像するが、確か、ヨウ化カリウム水溶液KIに、ヨウ素I2を溶かし込んだものではなかったか、と思う。水道の消毒に塩素Cl2、実際には水に溶けて生成する、次亜塩素酸HClOであるが、同様、穏やかではあるが、殺菌力があるからではないか、と思う。
最後に、プルトニウムPuは、下に掲げた周期表は、私が、えっと、まだ「馘首」になる前に(笑)、化学の授業に使うために作ったものなので、第7周期以降を省略してあるが、その中の第3族に属しているらしい。これほど原子番号が大きくなって来ると、どこまで「原則」が通用するのか、怪しいが(笑)、とりあえず、「イオン化傾向」はそれほど大きくなく、したがって、単体として存在するのが安定なのだ、ということにしておく。
これでやっと、議論の準備ができた、ことになる。これら放射性核種が、生物体に、どんな影響を与えるのか、もちろん、あ・く・ま・で・も・ 、「素人考え」だが、これだけの材料ででも、少なくとも、「考え」る、ことは、できるのであり、それは、「考えない」、ことよりは、ずっとましなことなんだ、と、私は、「考えて」いる(笑)。
生物体を構成しているのはタンパク質、という有機物であるが、その隙間を埋めているのは、もっぱら、大量の「水」である。上にも述べた、酸素の、強力な「陰性」がその原因だが、「水」という物質は、きわめて電荷の偏り(極性)の大きい物質なので、同じく電荷の偏りを持った物質、例えば、「イオン」と、大きな親和性をもつ。反対に、蛋白質は、その大部分が、メチル基CH3-に代表される「疎水性」、つまり、水と溶けあわない、つまり、電荷の偏りの少ない、部分でできていて、わずかに、ヒドロキシル基-OH、カルボキシル基-COOH、アミノ基-NH2、の末端が、イオンとの結合が可能な部位である。
「アルカリ金属」であるセシウムCsは、きわめてイオン化傾向が高く、決して沈殿を作らないだろうから、水に溶けてどこまでも流れていってしまう。生物体内に取り込まれれば、同じく「アルカリ金属」であり、細胞内外の「信号」物質として重要な役割を果たす、ナトリウムイオンNa+やカリウムイオンK+、に「なりかわって」しまうことで、影響を及ぼしてしまうだろう。水に流されて容易に土壌にも広がり、植物の根から取り込まれ、ここでも、カリウムイオンに「なりすまして」、その機能を阻害するだろう。
「アルカリ土類金属」であるストロンチウムSrは、ある程度イオン化傾向も大きいから、水に溶けて、流され、土壌に広がったり、生物体に取り込まれたりもするだろう。ところが、このイオンは、いくつかの陰イオンと、沈殿、すなわち、不溶性の塩を形成できるから、「固体」として存在することもまた可能である、と考えられる。例えば「ダスト(粉塵)」として。生体内に入ったならば、今度は、やはり類似の、カルシウムイオンCa2+に、「なりかわる」ことが考えられる。魚類、両生類、鳥類、哺乳類、の「骨」というものは、リン酸カルシウム、Ca2+とPO43-との、不溶性の塩、すなわち「沈殿」物、なのであるから、そこに長くとどまって、被爆によるダメージを与え続ける、ということがあり得るだろう。
「ハロゲン」であるヨウ素Iはどうだろう?、それほど強くはないが水溶性があるから、土壌や生物体に浸潤するだろう。生物体内では、蛋白質のアミノ基部分-NH3+と結合し、固着する可能性があると考えられる。
最後に、プルトニウムPu、イオン化傾向が小さいから、おそらく水に溶けることは少なく、かつ、「重たい」金属であるから、飛散する可能性も少なかろう。ただ、一度生体内に取り込まれれば、おそらく、有機水銀がそうであるように、タンパク質との間に「キレート結合」、複数の部位で配位結合を生じることをいう、多分(笑)、を作り、いったん作ってしまえば、反応性が低いだけに、排出されにくい、重ねて、崩壊形式がαであることから、ダメージは極めて大きい、と言えるのではないか。
「半減期」についても言及しておかないわけにはいかないだろうね。セシウム137が30.1年、ストロンチウム90が29.1年、ヨウ素131が、8.04日、プルトニウム239が、上にも述べたように、2万4千百年、である。ここでも、「両義性」があり、「半減期」が短ければ、速やかに失われるのだから、よかろう、とも言えないのは、上に述べた「半減期」の定義から明らかなように、「半減期」が短い、ということは、そのまま、単位時間当たりの崩壊確率が、高い、ということを意味しているのである。短期的な被爆による影響は、むしろ、大きい、と言わなければならないのである。
前回の記述の中で、少し雑ではなかったかな?、と後に反省して、こんな風に考え直してみたわけだが、そのとき職場で、私の「恩人」である(笑)、英語の先生から、「▽▽ベクレル、って、『大丈夫』なの?」と質問されたのは、確か、まだ、未曽有の地震、津波、原発事故、の報道の余韻が冷めやらぬ、2011年3月のことだったと記憶する。その時点で、津波被害を受けなかった東北地方や、北関東から、ここ、沖縄に空輸されてくるであろう野菜は、既に、果実、根茎、として出来上がった成長段階にあっただろうから、放射性核種による汚染は、表皮に付着した「固体」のみを考えても、あながち間違いではない、ような気もする。ただし、もう少し時間が経過すれば、イオン性のものはたちまち土壌に浸潤し、植物はこれを体内に取り込んでいたであろうから、もちろん、洗ったり、皮を剥いたり、するくらいでは、被害を避けることはできなかったはずだ。事故後20年以上を経過して、チェルノブイリ原発近傍の村を訪れた田口ランディさんが、心尽くしのお土産の、「ジャムと豚の脂身」を「忌避」したのも、だから、「正しい」身のこなし、なのである。イオン性の、セシウム137やストロンチウム90は、既に十分に土壌に混和し、ジャムの原料であるスモモの果実にも、豚の食べる牧草にも、たっぷり浸潤していたであろう。なおかつ、これらの核種の半減期は、30年の単位なのである。
で・も・、いいですか?、ここまでの議論は、すべて、いわば、「裏を取る」ための準備に過ぎません。今まさに原発の事故現場からやって来て、身体に、放射性の粉塵が大量に付着している、という場合でない限り、「被爆」が、人から人へ「感染する」ことが、あり得ない、ことはお分かりいただけたと思いますが、ならば、そうして啓蒙された「あなた」は、福島ナンバーの自動車が近づいたら、思わず、身を隠す、という振舞いを、「やめる」のでしょうか?
別の問いを立てるなら、被差別部落で葬儀を営んだ僧侶が、お礼のために出された「茶菓に手を付けない」、のは、そのお茶を飲んだり、お菓子を食べたりしたら、本・当・に・、「穢れ」が「うつる(感染する)」と、貢租を取り立てる役人は、部落民が育てた米は、本・当・に・、「穢れている」、と信じていたのでしょうか?、ここから先は、もはや、原子核物理学も、感染症に関する病理学も、一切役に立たない領域に差し掛かります。答えを出してくれるかもしれないのは、ただ、精神分析学、だけでしょう。
ボランティアの最終日ということもあって、この日はスティック状の測定器も持ってきています。その電源を入れて歩いていると、
・・・・・・ピピッ。ピッ。ピッピッ。・・・・・・ピッ。ピッピピッ。ピッ。ピピッ。・・・・・・
放射線を感知すると音で知らせる測定器が頻繁に鳴りつづけました。家庭用の測定器ではあっても、その場所の線量の目安を知るには十分です。音が鳴るたび、放射線が今、測定器に「当たった」と感じます。除染実施計画策定の要件とされる数値の約二十二倍。場所によっては三十倍。中野で測ったときと比べると、百倍の数値。
からだは何も感じません。別にぴりぴりしたりもしません。ただ、心なしか歩き方が浮き足立ちます。なんとなく、お腹の、おヘソの下あたりを意識させられました。
「聖地Cs」木村友祐(新潮社)
主人公の女性、勤め先の会社の、派遣社員の扱いがあまりにもひどいので、「社内報」で苦言を呈したら、「あのひと、サヨクだよね」「だよね。ああいうサヨクってさぁ、自分の満たされない感をほかにぶつけてるだけなんだよね」「ああ、わかるわかる」、と「給湯室」で陰口を叩かれ(笑)、・・・、ついでながら(笑)、これは私もよく「わかるわかる」であって、そういう(笑)、他人を「サヨク」とか(笑)、決めつけておいて、満足を得ている「あなた」は、やはりvice_versa「お互い様」、「自分の満たされない感」を、「ぶつける」ことで「躁的防衛(ソンナノ、ヘッチャラサ)」を図るべく、その対象として、「スケープ・ゴートscape_goat(贖罪の『山羊』)を「手近に」探しているだ・け・、である点に於いて、「サヨク」そのものと、特に「選ぶところがない」のですけれどもね(笑)、・・・、そんなこんなで「精神」に変調をきたして退職、家に引きこもれば、今度は、ノルマの脅迫にやはり「精神」に変調をきたした保険外交員の夫の、ほぼ「病的pathetic」な、罵詈雑言の対象となる。爆発事故を起こした原子力発電所の近傍十数キロのところで、全頭屠殺を「国家」から命じられたにもかかわらず、いや、「生きているものは、生かす」、と、「汚染」した牛たちを、「汚染」した牧草によって、人間もまた「汚染」しつづけながら、ただ、育てる、という、「生産」にも、したがって「復興」にも何ら寄与しない「無意味な」行為を、ただ、やり続けている人々がいる、ことを、インターネットを通じて知り、「希望の砦」、と名付けられたその牧場に、まことに「最後の」、であるかもしれない、「希望」を託して、ボランティアに応募する、という筋立てだ。
テレビを持たず、新聞も取らない私は、そうして、つ・と・め・て・、「情報」の流入を遮断しているわけだが(笑)、だから、東北の震災と原発事故の後、おそらく首都圏でも、「家庭用の『線量』測定器」、が販売されていただろう、事実さえ、知らない。「一物理学徒」としては(笑)、それが、おそらく、今でもそういうかどうかは知らないが、「ガイガー・カウンター」と呼ばれるもので、一定面積のスクリーンに衝突した、荷電粒子たるα線やβ線を、衝突の都度、電気信号に変換して、「音」を鳴らす機器であることは、承知している。「ごまかし」、「いかさま」で(笑)卒業したから、実験の単位は一つも取得しておらず、したがって、その機器を使用したことも、手に取ったことも、ない。だから、「雲をつかむような」ものなんだけれど、今になって想像してみれば、ある特定面積のスクリーンに、単位時間あたりに衝突した「放射線」の数を機械的にカウントして、そこから「線量」単位たる「ベクレルBq」を算定して、ディスプレイに表示できるとすれば、で、「ベクレルBq」の次元が、[1/s]、すなわち、単位時間・一秒あたりに、発生する「事態」の回数、であって、一切「面積」の概念を含んでいないことからすれば、「今まさに放射線が衝突したこのスクリーンのある場所に、もし、放射線源があるとしたならば、その、単位時間当たりの崩壊回数はいかほどのものであろうか?」なるロジックでプログラムが組まれているのでは、とおぼろげに(笑)想像できる。その線で、前回ご紹介した通り、一階常微分方程式、
dx/dt=-kx
の比例係数kは、半減期T、から、
k=loge2/T
なる関係式によって算出できる。ここから、比例係数kもまた、[1/s]、時間の逆数、の次元をもっていることが、わかる。「放射性崩壊」の有様を、それを記述するこの微分方程式の含意を、今少しわかりやすいたとえ話に置き換えるなら、断っておくが、これは、「『わたし』には『教養』があるからわかるのだけれども、『あなた』には『教養』がないから、こんな幼稚なたとえ話を用意してあげているんですよ」、ということでは、全然ない、前にも断ったように、これは「あなた」のために書かれているのではないから(笑)、ほかならぬ「わたし」が、「わからない」から、そういう「幼稚」な「たとえ話」を、必要とするのである。
とあるダンススクールで、「オーディション」が実施されていると思いねぇ。広いフロアには、あふれんばかりの数の応募者がいて、今しも、オーディオ装置から流れでる音楽に合わせて、一斉に、指定された、しかし、できる限り「自分らしさ」をアピールすべく入念に考案された振り付けで、踊り始める。「5分間で、半数に減らす」、という過酷なルールなのである。「いけていない」(笑)踊りを踊っている応募者を、容赦なく審査員が指さし退場を命ずる。こうして、例えば、
当初、「応募者」が、64人いたとして、(2のみを素因数にしてくれていないと、端数が出てしまうので、ご容赦いただきたい)、
5分後には、32人、
10分後には、16人、
15分後には、8人、
20分後には、4人、
25分後には、2人、
そして、30分後には、たった、1人、踊り続けている、ことになろう。この最後の一人が、「合格」したか否か?、は、我々の(笑)知るところではないが、たとえ話の含意としては、こうして審査員に指さされ「退場」を命ぜられた、かつて希望に満ちた「応募者」であったものが、単なる「不合格者」、「脱落者」の烙印を押された瞬間に発する嘆きの声が、あたかも、放射性セシウムが、非放射性バリウムに、「変換」することで、自らを「失う」瞬間に、発するβ線に、擬えらるだろう、と言っている。
ここに「半減期」は、5分、であり、フロアから追い出された元「応募者」の発する嘆き、が、「ガイガー・カウンター」に記録されるとすれば、
最初の5分間には、32人、
5分〜10分の間には、16人、
10分〜15分の間には、8人、
15分〜20分の間には、4人、
20分〜25分の間には、2人、
25分〜30分の間には、1人、
これをもって、例えば、「15分〜20分の間には、4人」ならば、1分あたり、4/5=0.8、を「線量」と定義して、差支えないのである。単位は、「人/分」、すなわち「無次元数/時間」であるから、「ベクレルBq」、と同じなのである。
1モルの物質には、ことごとく、アボガドロ数6.0×1023の粒子が含まれているんだよ、と言われても、何ら「神秘」を感ずる(笑)必要はない。いや、「モル」は、そ・の・よ・う・に・、定義された、に過ぎないからである。通常、どこにでもある、私たちの身体のほとんどの部分を形成する炭素原子は、原子番号6、質量数12、であり、質量数=原子番号(陽子数)+中性子数、かつ、中性子と陽子の質量の差は、ほ・ぼ・、電子の質量に等しく、それは、陽子及び中性子の質量の1840分の1、に過ぎないから、問題なく「無視」の対象であり、ならば、炭素原子一個の質量は、私たちの日常世界での質量単位、グラム、などから見れば、あまりにも小さ過ぎて判断できなくなってしまうかもしれないが、明らかに、「なにものか」の、12倍でなければならない筈であろう、その「なにものか」、すなわち、陽子の質量≒中性子の質量、をば、「原子質量単位Atomic_Mass_Unit」とし、困ったことに(笑)、現実に存在する「原子」は、通常、中性子数の、したがって質量数の異なるいくつもの「同位体」の混合物であるから、決して「望み通り」の「整数値」にはなってくれないのだけれども、その「原子質量単位AMU」の何倍であるか?、によって、「原子量」が、定められている。
こうして、例えば、セシウムCs137なる物質を、ちょうど137グラムになるまでかき集めよ、といわれれば、もちろん「現実には」、そのように「かき集める」ことはけっしてできないのだけれども、その、「かき集め」られた個数は、アボガドロ数、6.0×1023、とならざるを得ないのであって、それは、90グラムのストロンチウムSr90.131グラムのヨウ素I131、239グラムのプルトニウムPu239、でも、まったく同様、ということになる。
それぞれの放射性核種の「半減期」が与えられているから、そこから、微分方程式、
dx/dt=-kx
の比例係数kが算出できよう、それは、放射性崩壊の単位時間当たりの発生確率、頻度、と関連をもっているはずだから、ならば、その物質の近傍に発生する単位時間当たりの「放射線」の照射数、すなわち「線量」、「ベクレルBq」単位と、何らかの関連付けができるのではないか?、と「素人」なりに、考えたから、もちろん「閑を持て余している」から、ではあるが、こんな計算を、してみた。
「はじめ」に、x0個(無次元数)の放射性核種があったとする。一定時間T0経過までの、減少量、ダンスのオーディションの喩えで言うならば、「退場させられた」者たちの数、は、
-Δx=x0(1-e-kT0)
と書くことができる。変化量Δは、通常、「変化後」から「変化前」を引いたものであるので、ここ、「減少」する「現象」(笑)、にあっては、マイナスの値になるので、それにさらにマイナスを付すことで正の値にしている。
上表の右から四つ目の欄、「核種1モルが最初の1秒間に崩壊する個数」、は、x0を、1モルの個数すなわちアボガドロ数6.0×1023、T0を、1秒として、この数式で計算したものである。セシウム137の例で言うならば、もちろん、「現実」に、そのような事態はあり得ないのだが、セシウム137の塊がちょうど137グラム、そこ、眼前に、あったとして、その塊が、それは急速に減少していくはずだけれども、「最初の」1秒間に生ずる「崩壊」、その副産物として、放射するβ線の「個数」を、これは表示している。Excelの表記で「○.○E+△△」は、○.○×10△△を表す。10の14乗、などと言う数値が、それこそ、「甲子園球場の☆☆倍」、「ドラム缶を積み上げれば富士山の★★倍」、並の「脅迫」以外の何物でもない「ほら吹き」にしかならないことは、熟知している。
私は、この数字が、もちろん、大き過ぎて話にならない、と、感じた。ごみ焼却場の建設を推進している地方自治体や、その設計計画に参入をもくろんでいるプラントメーカーの発注する「環境影響評価書」作成業務を請け負っていた、「われわれ」調査会社の「プログラマ」は、それこそ、「歯茎から血を吹きだす」ほど、の(笑)連日の徹夜残業の合間にも、各種、「権威ある」論文を参照したとはいえ、ほかならぬ自分が作成したシミュレーション・プログラムがはじき出した、汚染物質濃度が、「環境基準」を、はるかに、何桁も、上回ってしまったときに、ま・ず・、「自分の方が間違っている筈だ」、と考えるよう、習慣づけられている。これは「科学者」としては、決して、軽蔑されるべき資質ではない。「大きすぎる」数値結果が出たときには、それを「切り縮める」、いや、私は、こんな要因を見落としていた、これでは多めに見積もるのも当然である、というような「理由」を、いっぱい、いっぱい、考え出すことになる。だから、電力会社の技術者たちが、データの「偽造」としか言えない様々な粉飾を、全力で行ったかもしれないことを、「鼻で笑う」ことはできないし、むしろ、「共感」さえ禁じ得ない、ということを、ここで告白しておくのも意味のないことではあるまい、と思っている。
で、ここでも(笑)、10の14乗は、ないやろ?、そんな奴、いてへんやろ?、とばかりに(笑)、数を「小さくする」工夫をいっぱい考えた。まず、セシウムが137グラム固まっている、そんなわけないやろ?、という訳で、「標準化」ということで、一律1グラム当たりに換算したのが、表の、右から3つ目の欄である。もちろん(笑)、それぞれ、二桁ばかり数字が小さくなるのみである。ならば、「最初の一秒」の前提がいけなかったのか?、指数関数的単調減少の現象では、時間経過とともに、急速に「未反応物」の濃度、量が、減少する。ならば、タイムスパン、T0を、もっと大きく取って平均化すれば、もっと数値を小さくして「妥当な」(笑)値にできるだろう?、と考えて、やってみたのが、表の右端からの二つの欄、右から二番目ではT0を、一日、一番右端の欄では、同じく、一年、としてみた。で、なんにも変らないのである(笑)。ヨウ素131のように、きわめて半減期の短い核種については、なるほど、これらの「小細工」(笑)によって1桁以上の変動を見たが、他の、30年ないし2万4千年、なる半減期の物質については、まことに、「微動だにしない」のである。
猫に餌を出す以外にすることのない「独居老人」だから、そんな者の「労働」は対価ゼロ(笑)であることは十分承知だが、その「老人」が、ほぼ半日かけて作ったこの数表から、「あなた」が学ぶべき(笑)ことがあるとしたら、それは、これらの「途方もない・べらぼうな」数値、そのものでは、決してなく、
このような数値には、決して表現し得ないものがあるのではないか?
「表現し得ない」、とすれば、それは、私たちの「表現手段」に、ま・だ・、「不十分」なものがあるからではないのか?
という認識でしょう。現に私自身、やってみて(笑)、多くを学んだのです、何を「学んだ」かって?、いえ、「やってみても、何も学べなかった」、ことを、少なくとも、学びました。それは、「やってみなければ」(笑)、決して得ることのできない認識なのだから、だから、やってみることに「価値があった」、と帰結できるのです(笑)。
沖縄に住み始めてすでに16年(笑)、やっとのことで「うちなーんちゅ(沖縄人)」に、自分がカウントされることを「喜ぶ」ようになった今日この頃(笑)ですが、どっこい(笑)、「関西人」の「血」は騒いでいて(笑)、「オチ」のない話をするわけが、ありません(笑)。各、放射性核種が、1秒間に、10の8乗ないし15乗の回数の崩壊を生ずることはわかりました。「▽▽ベクレル」の野菜が「安全」か否かを尋ねてくださった、わが恩人の言及した数値も、木村友祐「聖地Cs」の主人公のもつ「家庭用計測器」の伝える数値も、きっと、チェルノブイリ跡地「ゾーン」を訪れる際に田口ランディさんが携帯していただろう計測器の数値も、これは全くの憶測ですが、おそらく、10の2乗から4乗、程度のものだったと想像されます。この「圧倒的」な差異を「埋め合わせる」方法、つまり「オチ」の付け方、も、もちろん(笑)、一応考えてはみたので、紹介しておきます。
一つは、「逆二乗法則」です。単一の「発生源」から、何ものかが「流出」するとき、特に妨げる事情が想定できない以上、その「流線」は、全方位に均等に伸びるでしょう。ならば、この発生源から生じる「もの」の単位時間当たりの発生個数、として、Nと定義すれば、その発生源を、半径rの球殻で覆ったとしたときに、その球殻表面を貫く流線の個数は、やはりNなのであって、単位面積当たりの流線密度は、N/4πr2、ほら、半径rの二乗に反比例しているではないか?、これが「逆二乗法則」、仮にセシウム137の1グラムの塊が、そこに、ころがっていたとして、それを覆ってしまうに十分な球殻の半径は?、この設定はかなり「恣意的」なものになりますが、仮に1ミリ、だとしよう。ならば、1ミリの球殻を貫く「流線」密度に比べて、例えば1メートル離れた場所では、10の3乗のそのまた2乗、6桁の差異が出てくるでしょう。
もう一つは、もっと、「洗練されていない」(笑)、理由です。いや、放射性核種が、1グラム、固まって存在することなんて、あり得ないだろう?、では、1ミリグラム、1マイクログラム、にしてみるか?、それぞれ、桁数は、3ないし6、小さくなります。これら二つの「言い訳」で、やっと、私たちは「現実」と、「折り合いをつける」ことができたようです。いわく、1マイクログラムのセシウム137から1メートル離れた場所で、検出されるであろうβ線の個数は、1秒あたり、3.20×1012÷{(103)2×106}=3.2、なるほど、3.2ベクレル、ということには、なりました。
「逆二乗法則」の、説明図。
私たちは、こんな「世界」に生きています。それほど、「生きていたい」、と思わせる「世界」でも、ないような気がしています。でも、どこかから、時々散発的に「希望」の如き打ち上げ花火が上がるから、いや、それがなかったとしても、「私」は、もう少し、「生きて」みるつもりで、います。看取らなければならない猫たち「家族」が(笑)、いるからですけれどもね。