このような意味を産出させるような分析経験は、どのように時間的に構造化されているのだろうか。ラカンは、「三人の囚人」の寓話にあてはめてそれを説明している。その寓話は次のようなものである。
三人の囚人がいた。そこに所長がやって来て、こう言った。「ここに五枚の円板がある。三枚は白で二枚は黒だ。これをおまえたちの背中に貼りつける。他人の背中を見ることは許されるが、話をしてはならない。そして、自分の背中の円板の色が分かった者だけが、そしてその理由を論理的に正しく構成できた者だけが、解放される」。そして所長は、三人の囚人のすべての背中に、白い円板を貼った。
結果は、三人が同時に所長のところに来て、同じ論理を述べたので、三人とも解放された。・・・
「ラカンの精神分析」新宮一成(講談社現代新書)
- 配るべきカードが、互いに区別のつく5枚、(白1、白2、白3、黒1、黒2)、
配られる場所が、やはり互いに区別のつく5か所、(A、B、C、補1、補2)、
であるならば、その場合の数は、5!=5×4×3×2=120
ところが、実際は、それぞれ(白1、白2、白3)、(黒1、黒2)、には、区別がつかない、から、
それに伴う重複分、それぞれ、3!、2!、を除去しなければならない。
下表に列挙したものになるが、このうち、今度は、(補1、補2)、もまた、区別がつかない、から、
その重複を除去しなければならないが、これは、単純に2!で割るなどと言う処置を取ることができない。
(補1、補2)=(白、白)、または、(補1、補2)=(黒、黒)、はそれぞれ1通りしかあり得ず、
(補1、補2)=(黒、白)、に対してのみ、(補1、補2)=(白、黒)、という重複が起こりうるからである。
上表で、この重複分は、同じローマ数字を付し、それを除去して下表を得る。つまり、7通りである。
これら「客観的な」、7通りの事態、いや、それはあくまでも、観察者に「知覚」されて、区別、され得るもののみを列挙しているのであるから、本・当・に・(笑)「客観的」というのならば、上に見た120通りの場合が、わずか7通りの在り様に、「縮退」しているのである。
言うなれば、これは、このゲームを「上」から眺めている、「管理者」、この場合「看守」の眼差しに映るもの、と言えよう。
これよりも「下」、劣位に置かれているゲームの参加者、「当事者」、この場合「囚人」は、自分の背中を見ることが出来ず、また、「補助」として隠されているカードも見ることはできないから、その見え方の場合の数は、さらに減ってしまうのである。それぞれの「囚人」の立場に立って、見えないものについては、覆いをかぶせてみれば、
- Aの立場から
区別がつくもの、だけ、とりだせば、
- Bの立場から
区別がつくもの、だけ、とりだせば、
- Cの立場から
区別がつくもの、だけ、とりだせば、
- Aの立場から
- (iv)ほかの二人が「黒」であることから、自分は「白」と断定できる。直・ち・に・釈放を求めて走り出す。・・・これが、ただちに、すなわち、微小時間遅れを伴うことなく、判断が確定する、唯一の場合である。
- (i-v)見えていない3枚のうち、2枚が「白」、2/3の確率で、自分が「白」である可能性がある、だが、それ以上は判らない。そこで推論する。
- (ア)もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B■,C□)、Bの目には、(A□,C□)、Cの目には、(A□,B■)
Aの推論の中での、Bの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B□,C□)、Aの目には、(B□,C□)、Cの目には、(A□,B□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A□,B■,C□)、Aの目には、(B■,C□)、Cの目には、(A□,B■)
Aの推論の中での、Cの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B■,C□)、Aの目には、(B■,C□)、Bの目には、(A□,C□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A□,B■,C■)、Aの目には、(B■,C■)、Bの目には、(A□,C■)・・・ここで、Aは、自分が「白」であると、断定できることになる(I)
- (イ)もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A■,B■,C□)、Bの目には、(A■,C□)、Cの目には、(A■,B■)・・・ここで、Cは、自分が「白」であると、断定できることになる(II)
- (iii-vii)見えていない3枚のうち、1枚が「白」、1/3の確率で、自分が「白」である可能性はある、だが、それ以上は判らない。そこで推論する。
- (ア)もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B□,C□)、Bの目には、(A□,C□)、Cの目には、(A□,B□)
Aの推論の中での、Bの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B□,C□)、Aの目には、(B□,C□)、Cの目には、(A□,B□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A□,B■,C□)、Aの目には、(B■,C□)、Cの目には、(A□,B■)
Aの推論の中での、Cの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A□,B□,C□)、Aの目には、(B□,C□)、Bの目には、(A□,C□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A□,B□,C■)、Aの目には、(B□,C■)、Bの目には、(A□,C■)
- (イ)もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A■,B□,C□)、Bの目には、(A■,C□)、Cの目には、(A■,B□)
Aの推論の中での、Bの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A■,B□,C□)、Aの目には、(B□,C□)、Cの目には、(A■,B□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A■,B■,C□)、Aの目には、(B■,C□)、Cの目には、(A■,B■)・・・ここで、Cは、自分が「白」であると、断定できることになる(III)
Aの推論の中での、Cの推論
- もし自分が「白」なら・・・客観的状況は、(A■,B□,C□)、Aの目には、(B□,C□)、Bの目には、(A■,C□)
- もし自分が「黒」なら・・・客観的状況は、(A■,B□,C■)、Aの目には、(B□,C■)、Bの目には、(A■,C■)・・・ここで、Bは、自分が「白」であると、断定できることになる(IV)
(I)〜(IV)、4つの場面のみ、判断が確定する、だが、そのそれぞれの場合で、「自分が『白』であることがわかったのに、彼は、なぜ走りださないのか?」という疑問が、微小時間遅れを伴って、浮上することになる。
- (I)Aが走りださないことを見取った、Aの推論中のCは、自分は「白」だ、と断定できることになる・・・だが、これは客観的事実に一致しているので、Aには、何らの新たな知見も与えてくれない
- (II)Cが走りださないことを見取ったAは、したがって、自分は「白」だ、と断定できることになる・・・Aは、これに基づいて、推論をし直すことになるだろう
- (III)Cが走りださないことを見取った、Aの推論中のBは、自分は「白」だ、と断定できることになる・・・だが、これは客観的事実に一致しているので、Aには、何らの新たな知見も与えてくれない
- (IV)Bが走りださないことを見取った、Aの推論中のCは、自分は「白」だ、と断定できることになる・・・だが、これは客観的事実に一致しているので、Aには、何らの新たな知見も与えてくれない
(II)の先は、(I)、に帰着し、堂々めぐりで、判断はつかない
だが、(III)と(IV)を、合わせて考察すると、ふしぎなことが起こる、またしても、微小時間遅れを伴って、でなければならないが、Aには、「では、どうして、BもCも、二人とも、走りださないのか?」との疑問が生じ、そこから、「(イ)もし自分が『黒』なら」、という仮定全体が、棄却されることとなり、こうして、はじめて、Aは、自分が『白』に違いない、と断言できることになるのだ。
・・・
以下、誰の立場から見ても、事情は同じになる。
- Bの立場から
- Cの立場から