チェリーズ・ストーリー



ここから続く

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台風が過ぎた朝、私は仕事に出かけなきゃならない。チェリー一家をどうするかずいぶん悩んだ。

今までの生涯で私が住んだ家で一番広い、3DK、でもすでに21匹の猫でここは過密状態だ。もともと群れを作らない動物、こんなに詰め込んで暴動にならないほうがおかしいくらい。だから、もうこれ以上猫を引き取ることはできないのだ。

でも、「ほげほげキャット」、この目の状態ではママチェリーがどんなに頑張っても生き延びれるとは思えない。だったらこの子だけを引き取るのか?でも、家族と一緒にいるほうが「しあわせ」じゃないのか?

「相手にとってしあわせ」なる言説は、つねに「こちらの事情」に基づく別な動機を含んでいるものだ。人間であったって「しあわせ」の観念は、人によって異なる。ましてや言葉をもたぬ動物、「しあわせ」を観念すること自体が、無意味だ。

二日酔いの頭で、たっぷり一時間ばかり「葛藤」した。

外は「台風一過」、すっかり晴れて穏やかになってきた。おなかをすかせた野良たちも、ベランダに食事にやってきた。うん、たぶん、やっていけるだろう!これを機会に家族ごと、このベランダに住み着いてくれるかもしれないじゃないか!ササミ、チキンスープ、たっぷり出して、一家とお別れを告げた。



それから二日間くらいは、平穏な毎日だったんだよ。相変わらず昼間は一階の庭でひなたぼっこをし、夕方になるとぞろぞろ、ご飯を食べにあがってくる。私が帰宅するのに一番に気づくのはいつもチェリビー、あたりはばからぬ大声で「みゃーみゃー」催促する。

むかし矢野顕子の歌に、「ひーとりのへやはー・・・」とかいうのがあったの知ってる?一人さびしく誰も居ない部屋に帰ってくるんだけど、「わわわわわーんわーんわん、にゃにゃにゃにゃにゃーんにゃーんにゃん」って犬猫がお迎えしてくれる、ってそれだけの歌なんだけど、悲しくてさびしくてやさしくて、大好きだった。

路地を曲がったところで、もうチェリビーが見つけてくれて、お迎えしてくれる。あの泣き声で、やっぱり仕事に行っても、人間と接触するだけでひりひりに腫れ上がってしまう私の心に、生暖かい液体が流れ込んでくるみたいだった。これが「家族」なんだろ?これが「癒し」なんだろ?そう思ったものだ。



せっかく台風は生き延びたのに、次の週末「ほげほげキャット」がいなくなった。はぐれてしまったんだろう、ママの顔を覗き込んでも、何があったのかわからない。授乳しなくなったからなのか、ママチェリーの食欲は、がたっと落ちた。それが、「落ち込んでる」みたいに思えて、哀れだった。

翌日、後を追うようにショーコちゃんが死んだ。シャイな性格であまり人間に近づかないはずなのにずっとベランダにいるから、おかしいな、と思ってたんだけど、調子悪かったみたい。がりがりにやせてたから、何か病気を患っていたのかもしれない。気がついて部屋の中に入れ、様子を見て病院に連れて行こうと思ってた。オーちゃんと3人で並んで昼寝して、目を覚ますと床の真中に倒れてる。もう体温が下がり始めて呼吸も弱くなってるみたい。もうもたないだろうな、と思った。私は今から仕事に行かなければならない。帰ってきたときには、多分生きていないだろう。不思議に、そんなに悲しくなかった。「残酷」になったのかな?猫の死になれすぎたのかな?

そうかもしれない。ともかく、とても静かな気持ちで、まもなく確実にやってくる「死」に向き合うことができるみたいだった。自分でも不思議だったね。

京都の友人が春にたけのこを送ってくれた小さなダンボール箱にタオルを敷いて、ベッドを作った。そのままこれが棺おけになるだろう。トモちゃんと、ピーちゃんのお骨が置いてあるバスルームに運んで、「じゃ、おとーちゃん、お仕事行ってくるからね!」って別れを告げた。

翌朝、ペットの葬儀屋さんに電話をして、ご近所から黄色いハイビスカスの花を失敬して、「キャネットチップ・ミックス」を包んでお土産にして、・・・いつもどおりの段取りだ。

葬儀屋さんのミニバンには祭壇がしつらえてあって、「ショーコちゃん」って書かれた花輪まで用意してあった。オルゴールのしめやかな音楽が流れて、うやうやしくたけのこのダンボールを受け取ってくださったとき、初めて、涙がボロボロ、って流れた。



そして、チェリビーも、いなくなった。もう、ベランダに出ても、あの声が聞こえないの。

亜熱帯のこの島も、少し秋らしくなってきた今日この頃、つい昨日はベランダでディーツーと抱き合って丸くなって眠ってたのに。

ベランダはすっかりさびしくなったよ。ママチェリーは毎日来てくれるけどね。気のせいか老け込んだみたいに見えるよ。

チェリビーが死んだっていう事実が、なかなか受け入れられない私は、有史以来人間がやりつづけてきた方法を、やはり採用した。つまり、チェリビーを、ココロのなかに、住まわせた。「チェリビー、ただいま!ごはん食べた?今日は寒いね。こっちでお休み!」私はぶつぶつづぶやいて、ますます怪しい猫オヤジになってきた。

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