ブエナビスタ・「ソーシャリスト」・クラブ

世間では「ブログ」ってのが大流行みたいね。私はもう十年近く前から自分のウェッブサイト持ってた。テキストファイルでhtmlのタグを打ち込んで、FTPで転送するみたいなめんどくさいことをしていたころから考えると、隔世の感があるというか、こんなに「猫も杓子も」あっさりサイトが作れてしまうのが正直むかつく、という浅ましい気持ちもある。

それにしてもかくも大量の人々が、およそ愚にもつかない自分の事情についてだらだらと書き続けなければならない、と感じているとしたらそれはすごいことだ。

自分の書いているものが「愚にもつかないもの」じゃない、といっているのではないですよ。むしろ「愚にもつかなさ」においては先取りしていたと自慢したいくらいだ。

他人の作ったサイトは大概気持ち悪くなるから、見ない。自分のサイトも、心から人に見てもらいたい、と思っているわけでもない。でもそこが「倒錯」しているところで、可能性として「見られる」環境に自分の文章をおいておく必要はぜひともあるのね。一昔前なら、トイレの落書きみたいなもんだ。さしあたり誰にも迷惑かけてないし。
初めてインターネットのプロバイダ契約して、「無料レンタルサーバー契約」みたいなのがくっついていたから、やってみたのがきっかけだけど、はじめはとにかく自分の作ったファイルが、自分のコンピュータからではなく、遠く離れたホストコンピュータから電話回線を通じてはるばる「飛んできている」という事実自体がものめずらしく、内容なんか別にどうでもよかった。htmlのマニュアル首っ引きで、ファイルを作ること自体が楽しくてしょうがなかった。

程なく私は沖縄に引っ越してきて、名護の米軍基地建設の反対運動に関係を持つようになった。私のウェッブサイトはたちまち「公器」となった。

私は古いタイプの人間だから、もっぱら「自分」のことについて縷々述べることを、礼儀に反した恥ずべきこととしてしまう感覚が染み付いているかもしれない。たとえ一人称でかかれるにせよ、何らかの「公的」な「義」を伝えるものでなければかかれる意義がないと思ってきた。「私小説」が嫌いだった。何のためにこんなものが印刷されているのかわからんかった。小学校の読書感想文も主語は一人称複数だったかもしれない。いまだに人生の一時期で最も集中的にたくさんの文章を書いたのは、大学生のころのアジビラだろう。その文体がその後長く尾を引くことになる。

何度も同じことを繰り返しているが、「運動」系の人とは折り合いがうまくいかず、「闘い」の言論にまたしても耐え難い違和感を感じて、私は狂気に退行した。
「ウツ」、「ヒキコモリ」になって、ほとんど誰ともしゃべらなくなった私にとって、インターネットは文字通り「ライフライン」、世界と関係する唯一のチャネルだった。「書くこと」が「リハビリ」だった。

私は、生まれてはじめて、「公」にも「義」にもじゃまされることなく、思う存分「自分」について述べることができた。「階級」や「革命」や「プロレタリアート」や「第三世界」や、その他もろもろの「正しい」言葉で、自分を型枠にはめなければならないと、ほぼ「脅迫」されていたのは、自分の極めて「私的」な領域、「生い立ち」とか「家族との関係」とかそういったあまりにも生々しく不愉快な事実に、「直面」することを避けるための、逃避、隠蔽、切羽詰った防衛、だったかもしれない、とはじめて気がついた。
「幼少期トラウマ理論」というのは、少なくとも一度は必要なんだと思う。もちろん、それが切羽詰った必要となる事態に追い込まれた者にとってだけだけどな。






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