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隠喩としての病、ってか? - 2002/10/03 11:49 -
私、病院に初めて行ったとき、思ったんですけど、この病気は自分が「認定する」、病気であることを自分で「選択する」ことから、治療が始まるんじゃないでしょうかね。
近代以降、社会が病気、とりわけ心の病を見てきた視線というのは、(お、大きく出たね!)おおよそ二つの流れがあったように思います。
ちょうど、刑法学の古典主義と近代主義の対立みたいなイメージなんだけど、一方は、人間は本質的に平等、みたいなリベラルな「願望」に根ざしているんだろうけど、心の病の原因は、環境とか育ち方とか、家族、さらには社会、制度、体制とかまでも持ち出して、つまり、「みんなまわりが悪いの!あなたは悪くないのよ!」って大声で気休めを言ってくれる。でもその気休めは、病人のためというよりは、どちらかというと、そんなおぞましい病人の存在を直視しなければならない自分に対する気休めである事が多い。
もう一方は、病気には必ず物質的な原因がある、心の病だから、近代の細菌学みたいに、病気とその病因となる細菌との間には必ず一対一の対応関係があるみたいに単純にはいかないだろうけど、遺伝的要因とか、もって生まれた気質とか、脳の具体的な部位の損傷とか、そんないかんともしがたい原因が厳然としてあるんだというところに重点をおく。この人は、はじめから私たちとは違う「病人」なんだ、ということで、これもやっぱり、自分のそばに恐ろしい病人がいるという事実と折り合いをつけるための、切羽詰った方法の一つなのだ。

病は気から? - 2002/10/03 11:54 -
「気にすんなよ、考えすぎだよ、思い過ごしだよ、気のせいだよ、頑張れよ・・・・。」
「それやばいんじゃない、病気だよ、医者行きなよ、注射してもらいなよ、薬飲みなよ、休んだほうがいいよ、うんぬん。」
どちらもありがたいアドバイスだけど、これらも多少のねじれを伴いつつも、上の二つの系列とそれぞれ対応してるんじゃないですかね。
私にとっては、自分が「病気だ」って「決める」ことが一番大きな転機でした。
私もいまだに自分が「本当の」うつ病なのかどうなのかわかりません。でも「怠けたいだけの仮病」だったとしても、お医者さんと話をして、精神保健福祉法の公費負担制度に必要な診断書を書いていただけたんだから、上手に病人の「ふり」が出来たってことでしょう?血圧や脈拍以外何の検査もしてないんだから。
それにもっと言えば、仮に「怠けたいだけ」だとしても、これほどまでに深刻に「怠けたい」のだったら、それはそれで十分「病気」じゃないですか!(自慢っ!)
医学とか生命科学とかが日進月歩していく中で、さまざまな精神疾患がさまざまなミクロな身体メカニズムの機能不全と関連を持っていることが、これからもどんどん明らかになっていくんでしょう。
だんだん「仮病」の余地はなくなっていくだろうけど、例えば、うつがセロトニンの分泌に問題がある事がわかったといっても、それはうつで自殺した患者の脳を解剖してみたらセロトニンが極端に少なかったって話なんでしょ?
もうじき、簡単な検査方法が出来て、「あ、あんた、セロトニンたっぷりでてるよ、だからうつじゃないね、帰んなさい」って門前払いされたりするのかもしれないけど、当分の間、大丈夫みたいよ。

おまえだよ、おまえ! - 2002/10/03 11:52 -
一生忘れないことにしているんですけど、今から20年くらい前、初めて勤めていた会社をやめて、大学院の入試を受けて、合格したと思ったやさき、そのとき一緒に暮らしていた彼女が出ていってしまって(ロンドンへ!)、ちょうど今とおんなじ、何にもやる気が起こらなくて毎日廃人のようだった。今から思えば、あれは確実に「うつ」の症状だった思うが、あまりにも体がだるいので、思い余って京大の保険管理センターで診察を受けた。尿検査、血液検査、レントゲン撮影、その他もろもろ全てやった、が、何も異常なし。
検査結果を見ながら30代前半くらいの若い医師、「何にも悪いとこないですよ。あんた、単にやる気がないんじゃないんですか?」
検査をしても一切異常が出ないのに身体症状を訴える患者に対しては、まず「うつ」を疑え、という考えが定着し、「心療内科」などという、内科と精神科の境界領域を扱う部門も出来てきた今日では、考えられない心無い応対ですけどね。一生忘れませんよ、あの医者は。といっても顔も思い出せないんだけどね。

龍宮城だより