「夢幻琉球つるヘンリー」
東京に出かけたついでに、渋谷のアップリンク・ファクトリーというところで「夢幻琉球つるヘンリー」(高嶺剛・98年)を観てきました。アップリンクというのはこの映画の制作会社なんですが、普通のオフィスビルの一室にゆったりと椅子とテーブルをしつらえてお茶を飲みながら上映を楽しめるようになっています。10人も客が入らないだろうことを前提にしているからできるわざであって、「ミニシアター系」もなかなか苦闘しているようです。東京でも私が少しだけ住んでいた10年前に比べても「ミニシアター系」の映画館はかなり減ってしまいましたね。
「ウンタマギルー」以来9年ぶりのこの高嶺作品は、(1)デジタルビデオで撮影・編集されたこと、(2)制作費の一部が「市民プロデューサー・システム」といういわば「募金」のような形で捻出されたこと、(3)沖縄本島中部の東海岸に与那原(よなばる)町という町があるんですがそこの商工会、婦人会、教育委員会、芸能協会等々の、器材の調達、エキストラの動員から打ち上げの宴会にいたるまでの全面的な協力によって成立したこと、等々が特徴といえるでしょう。
民謡歌手のつる、米軍政府の高等弁務官とつるとの間の私生児という設定の琉球空手の達人ヘンリーが与那原から読谷、ついには台湾まで行ってしまう荒唐無稽なロードムービー、デジタルビデオならではの数々のコラージュ技法、等々といった紹介にとどめておきましょう。70年のコザ暴動の資料映像が差し挟まれているからと言って、雨上がりの「象のオリ」の前で「つる」がラジオ放送するシーン、北京放送の「インターナショナル」と「北爆」帰りのB52乗組員の通信が「つる」の「白雲節」にかぶさるサウンドをバックに、戦後の米軍による性犯罪の被害者の記録をしたためた「1000本の祈り」の旗の映像が唐突に織り込まれているからといって、この作品に特定の解釈を与えることはやめておきましょう。沖縄の風景をどこでどんな風に切り取ってみても、基地と戦争が写らないところはありません。それはごく「普通」のことなんですね。「ウンタマギルー」に「友情出演」して高等弁務官役を演じたジョン・セイルズというアメリカの映画監督が、「日本では『沖縄』という言葉が、シンボルとしてしか語られない」てなことを言っておりました。「時間がゆっくり流れる南国の楽園」、「戦争の記憶と基地に呻吟する悲しみの島」たった二つのキーワードで「語り尽くされてしまいそな」この島は、本当はもっと「難解」なんですよ、当たり前なことだけど!
98年には7本の日本映画が沖縄で制作されたそうです。「内地」にはもう撮るべき「風景」がないのでしょうか?「内地」にないものが「沖縄」には「まだ」あるのでしょうか?そうだとすればそれはそれで相当に危険な「まなざし」であって、古くて新しい「沖縄問題」イコール「日本問題」なのでしょう。
「夢幻琉球つるヘンリー」は10月2日から大阪九条シネヌーヴォで公開、京都はもっと遅くなるでしょう、この映画批評が上映に間に合うなんて珍しいことです。ぜひご覧ください。崔洋一監督の「豚の報い」も大阪は終わってしまいましたが、京都ではそろそろ上映されるかもしれません。これまた、ぜひご覧ください。
というわけでこのコーナーも今回をもって終了いたします。小難しいインテリくさい文章に付き合って頂きましてありがとうございました。まだ本決まりではないけれど秋から沖縄に移住します。
自分と直接利害関係のない場所、「異文化」であるとか「他民族」であるとか、に対して「関心を持つ」というまなざしがどんなものであるのかが気になっていました。映画というのは、カメラのこちら側と向こう側、スクリーンのこちら側と向こう側という二面においてそんな「まなざし」の実験室なんですね。
前回ご紹介した「ガッジョ・ディーロ」なるフランス映画のどうしようもない「植民地主義者」のまなざしとは際立った対照をなす「グッバイ・モロッコ」というすばらしい映画、これはイギリス映画なんですが、の紹介をもってこの稿を閉じさせていただきましょう。エスター・フロイト(フロイトの孫娘たそうだ)の手記にもとづくというが、時代設定は70年代。おそらくはヒッピー系かビート派の作家の愛人に愛想を尽かしたシングルマザーのジュリア、スーフィズム(イスラム神秘主義の一派)にあこがれてモロッコ、マラケシュに二人の娘を連れてやってくる。マラケシュのめくるめく迷宮のような街路、モロッコ人青年ビダルとの恋、アルジェへの旅、お決まりのロードムービーであるけれども、ではどうしてこの作品が「植民地主義的」な湿った視線から免れているといえるのでしょうか?逆説的なんですが、「ガッジョ・ディーロ」のフランス人がロマ人に関心を払うほどにはジュリアはモロッコ人に関心を持っていないのです。お金が一銭もなくって心もずたずたな自分自身にしか関心がないんです。それは、「第三世界」を目の当たりにしてなすすべもなく自信を失っていた70年代の「西洋文明」そのものの戯画かもしれませんが、これはヒントになるかもしれません。
子供と言い争っているジュリアはまるで子供のよう、子供が大人で大人が子供で、ヨーロッパ人がモロッコ人でモロッコ人がヨーロッパ人のような、そんな交換可能性がこの映画の風通しよさを保障しているのでしょうか、などともっともらしくまとめておきましょうか?
ご静聴ありがとうございました。
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