龍宮城だより
vol.1
3月の終わりに特に理由もなく会社をやめた。こんなに残業ばかりしているのに上司の顔色伺って残業時間の申告もできない職場環境に嫌気がさして、とか、どこにでもありそうな表向きの言い訳はいくらでもあったんだけど。
昼過ぎまでぐっすり眠って、ぷちっとテレビのスイッチを入れるとヨシモトのお笑い番組とかやってて、ベッドの上でごろごろしながらビールでも飲んだらさぞかししあわせだろうなぁ。でも、およそ一生の半分以上を昼まで眠って過ごしたくせに「それ以上」を望んだばちがあたったんだろう、バラ色だったはずの失業生活をちっとも楽しめなかった。
「自己都合退職による給付制限」が解けて失業保険の給付金をやっと手にすることができるようになった6月頃には、パソコン・ゲームに一日を浪費する生活ももはや限界だった。「そうだっ、旅に出よう!」沖縄を選んだのは特に理由はない。そんないいかげんな失業者の「命の洗濯」場所に選ばれた沖縄もまさにいい迷惑というべきだが、「行った人から夏になるっ!」JALのポスターの藤原紀香の笑顔に誘われて、こうしてここまでやってきた。もちろんJALに乗るお金はなかったから、ほどなく会社更正法の適用を受けることになる有村産業のフェリー、「飛龍21」で。
それから一ヶ月、迷路のような牧志の市場をさまよい、新原ビーチの「浜辺の茶屋」でシークワサースカッシュを飲み、糸満のサラバンダでテキーラを飲んでレンタカーで接触事故を起こし、残波岬から牧港までの海岸を一望できる読谷の民宿の屋上で朝まで泡盛を飲んで大騒ぎをして宿主のひんしゅくを買い、嘉手納カーニバルの花火とスペアリブ、照屋林助のうんちく・・・こうして立派な「沖縄病」患者となったわけさ。
ウミガメの足跡の見える「じんぶん学校」の浜辺で、やどかりの足音を聞きながら天の川までくっきりと見える満天の星の下で、かんから三線をでたらめにひいてまたしても泡盛を朝まで飲んだことが、「再就職」のきっかけになるとは夢にも思っていなかった。
あのときは「ここはきっと竜宮城に違いない」と思っていた。今こうして予備校の四階にいそうろうしてオキマートのお弁当をあてにオリオンビールを飲んでいると、そうでもないような気もしてきた。「タイやひらめの舞踊り」もいっこうにに始まりそうにないし。
もう11月も半ばだというのに、名護十字路近くの旅行代理店の店先では、わが「同郷」の藤原紀香がまだほほえんでいる。「おいっ、ええかげんに、夏も終わりにせいや!」
硬派な食感の「島豆腐」もいいけれど、とろけるような嵯峨野の絹ごしの湯豆腐がそろそろ懐かしい、国際通りや北谷ミハマも楽しいけれど、そろそろ阪急電車に乗りたい、少しホームシックな今日この頃。
「いちゃりばちょーでー」という素敵な言葉がこの島にはあるそうで、こうしてウミガメの背中ならぬJAS897便でここに流れ着いたのも袖ふれあうも多少の縁、至らないところも多々あれど、なにとぞよろしくお願いいたしまする。
戻る・次
1999/11/10
宮川 晋