更なる殺害を、止める手立ては何かありませんか?
ニューヨークとワシントン、ピッツバーグ郊外での悲劇的な出来事から1週間あまり、すでに戦争の予兆は、この島の随所に現れています。星条旗の半旗が掲げられた各米軍基地のゲートはたいがい1ヶ所を残して閉鎖され、開いているゲートには重たい車止めのバリケードが置かれ、マシンガンや金属探知器を携行した兵士たちによって厳しい検問が行われています。特に浦添のキャンプ・キンザー、牧港補給基地の入り口は物々しく、検問を待つ大型トレーラーが長蛇の列を成して国道58号線にも渋滞ができています。
やがてここにいる人たちが、中東か西アジアのどこかの国に向かい、そのうちの何人かはプラスチック・バッグに詰められて帰国することになるのだろうか。
かの地でもたくさんの人が死ぬことになるのでしょう。無辜の市民であれ、「無辜」ではない「テロリスト」であれ。でもそれはうまく想像できません。その人たちの顔も、その土地の風景も。
今まさに、今後数週間だろうか、きわめて近い未来に生じることが確実となっている更なる殺害を、止める手立てはないものでしょうか。
「報復もやむなし」とする議論も、もちろん聞いて気持ちのよいものではないですが、他方で「アメリカがテロの標的になるのはそれなりの理由があったのでは?」と、今更のように疑問を呈してみせる「理解」ある見解に、より大きないかがわしさを感じます。
アラブ世界、もしくはイスラム世界が、帝国主義あるいは米国の一極支配によって抑圧されていて、「彼らにはテロしか方法がなかったのだ」というのは、30年前ならいざ知らず、現時点では多分事実誤認だと思います。多分ほかに方法があったはずです。ほかの方法が有効に機能していなかったことを反省すべきなのであって、「追いつめられた人々のぎりぎりのやむを得ない選択」を、事が起こるたびに事後的に、賞揚してみせるのは、他方で、すべての困難すべての失策の原因を、たった一つの不可視の敵、「アメリカ」に収斂させることに利権を持つ勢力と、同じくらいに怠惰なのだと思います。
航空機をビルに突入させる時、「アラー・アクバル」と彼らが叫んだかどうかはわかりませんが、そんなふうに命を捨てることができるかどうか、私には想像できません。でも、「理解できない」ということを表明することが必要なのだと感じています。
今回の事件は、「人類と文明に対する戦争行為だ」といいますが、だとすれば、戦線の向こう側にいるのは人ならざるものなのだろうか。
「人間性に対する罪」でテロリズムを糾弾し、返す刀で「報復に名を借りた米国の戦争政策に反対」などと叫んでいられるのは、多分平和なことなのでしょう。「人間」と、「そうでないもの」との境界の線引きに、深刻な疑義が生じているこの時に。
更なる殺害を、止める手立ては何かありませんか?
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