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[demilnet_Hawaii](デミル=脱軍事化・ネット・ハワイ)
2001年10月23日

ディエゴ・ガルシアという島、そして、B52とあなたとわたし

英国とアメリカ合衆国のみなさんへ
わたしは今これをモーリシャスから書いています。モーリシャスといっても、それがどこにあるか見当がつかない方も多いでしょう。あるいは、最近ノーベル文学賞を受賞したばかりのV.S.ナイポールが、その辛辣でかつ正確な旅行記「混み合ったバラクーン」をお読みになった方は、がさつで汚らしい場所として描かれていたモーリシャスのことを思い出されたかもしれません。彼のこの作品は当時モーリシャス政府によって禁止されました。
あるいは「モーリシャス」という言葉から、この島々のことを甘美で緑豊かな楽園として描いている、同様に極めて正確な旅行パンフレットを思い出されたかもしれません。そこでは決して雨は降らず、休日を過ごすために訪れるものにとっては完璧な場所。何より、そこには人が住んでいないのだから。請負仕事の工場労働者も、灼熱の太陽の下で働くサトウキビ労働者も、衛星通信でつながったコンピュータ労働者も、ホテルの従業員さえも、およそ人間は描かれていません。まるで夢の中のお芝居の一シーンのように。
でも、本当はここにはもちろん人が住んでいるのです。そして私たちは、歴史の共有を通じてあなたたちと、つながっています。
モーリシャスの市民の一人として、わたしが今日ここであなたたち、英国と合衆国の有権者の人たちにお手紙を書こうと思ったのは、実はそのことと関わっています。
すべては一つの島のお話です。
それは特別な島、そちらにいるあなたと、こちらにいる私たちが、ともに責任を負っている特別な島なのです。もちろんあなたは自分がそんな島に責任を負っているなんて御存じないでしょう。一方で私たちは、もちろんそのことを知っているのだけれど、私たちだけではどうすることもできないのです。
この島は戦争を遂行するために使われてきました。
私たちの国土の一部であるその島が、アフガニスタンの町を爆撃するB52が離陸するために使用されていることに同意している人を、このモーリシャスで見つけることは極めて困難でしょう。翌朝、がれきの山の中に立ちつくす子供たちの姿を見て、私たちの心はいたみます。もちろんこの島の中にも、この事実に同意を与えている人はいるのでしょう、わたしはまだお会いしたことはありませんが。
モーリシャス外務大臣は実際に「同意を与えた」と公表されています。実際そのとおりでしょう。しかし彼は国の代表者としての正式な演説の中でそう述べただけです。政党の集会でなら、彼も決してそうは言わなかったでしょう。ここの人々は「アメリカ」に対して、それほどにも怒っているのです。
この島の歴史をあなたにも知ってもらいたいと思います。それは「小さな物語」です。でも、あなたの国の権力者が世界中のかくも多くの場所で、これほどまでの深い憎悪の対象となっている理由を理解するのには、役に立つかもしれません。その怒りはときとして「アメリカ人」全体へと、誤って向けられてしまいます。その怒りはときとして、合衆国や英国の普通の市民が、自ら選出した政府が「世界の他の地域(the rest of the world)」(それにしても「世界の他の地域」とは、いかに広い場所でしょう!)において果たしている役割についてあまりにも無知であることを許してしまえなくなるほどのものなのです。
そしてこの場所、あるいは世界の他の地域のいたるところで感じられるこの怒りはまた、世界貿易センターへの攻撃の日、ツイン・タワーの心臓部にねらいを定めて乗客の生身の身体で作られたミサイルが突入したその時の恐怖と、何らかのかたちで混じりあっているのです。建物の到壊。「グラウンド・ゼロ(爆撃直下)」の恐るべき空虚。巨大ながれきの山。この惑星上のあらゆる人の眠りを奪ってしまうに十分な光景でした。何度拭い去ろうとしても、目に焼きついて離れないその光景は、新世紀の投石器ならぬ絨毯鋏で突き落とされるゴリアテを想起させました。
そして今や、カブールを爆撃するB52たちは絨毯鋏を携えた若者たちを燻し出そうとでも言うのでしょうか?
わたしが今日ここでお話しようと思うのは、しかし、ある一つの島のお話です。ディエゴ・ガルシア島と、ディエゴ・ガルシア軍事基地、インド洋に浮かぶその島、もっと正確に言うとモーリシャス共和国の領土にある米軍基地が果たしている役割についてです。不思議な符合ですが、9月11日の事件が全てを変えてしまうちょうど一週間前、ブッシュ政権は、ヨーロッパから合衆国の基地が漸次撤収していく準備として、その装備及び兵員をすべて収容すべくディエゴ・ガルシアの基地を拡張すると発表しました。
わたしがこれからしようと思うお話は、余りにも強烈なので信じられないとお感じになる方も多いでしょう。でも、昨年10月、この島の住民が提訴した案件に関してロンドン高等裁判所が英国政府に対して痛烈な審判を下したという記事をお読みになれば、おわかりいただけると思います。島の住民の帰還の権利を求める裁判が実現したのは、ようやく1998年になってそれまで60年間にわたって英国の秘密の法のベールに覆われていたすべての事実が「非機密化」されたからでした。
これはまた、恐るべき空虚さに関する、もう一つの物語なのです。
1965年に、モーリシャスの独立に備えて、英国のハロルド・ウィルソン労働党政府は、モーリシャスの一部が1968年に「与えられる」という条件を独立に対して付し、この島の一部を違法に切り取って領有しつづけようとしました。この種の脅迫は国連憲章に反しています。植民地宗主国はその自らの一部、すなわち植民地に対して、独立と引き換えに何らの条件も付してはならないのです。
英国は継ぎにセイシェル諸島に値札をつけました。(セイシェルもまた当時依然として植民地だったのです。)1965年11月8日、「英領インド洋」なる新たな「植民地」のフィクションを作り上げたのです。セイシェル政府はその後その島を取り戻すことができました。しかし英国はモーリシャスから奪ったものを占有しつづけています。
英国は当時、その親玉である合衆国の圧力のもとにこれらの策謀を行っていたのでした。合衆国は軍事基地建設のためにいわゆる「無人化された」島を何がなんでも必要としていました。彼らの言葉はときとして、あまりに正確すぎて、聞くに耐えません。彼らには島が必要でした、冷戦のために。
こうして英国政府は、合衆国政府の全面的な了知のもと、これらの諸島の「無人化」を遂行したのです。
チャゴス諸島、すなわちディエゴ・ガルシア、ペロス・バノス、サロモン島のすべての住民は追い出されました。
これらは強制的な移住でした。
何世代にもわたってそこに暮らしてきた家族達は、その意思に反して船に乗せられ、ポート・ルイスの港に送られ波止場に置き去りにされました。家もなく場所も分からず、母も父もおばあちゃんも子供もおじいさんも、何千人もの人がこのモーリシャスの首都のスラムへと迷い込んでいきました。ポート・ルイスの貧しい人たちの中には彼らに手を差し伸べる人たちもいました。しかしディエゴ・ガルシアから来たたくさんの人たちが死にました。監獄に押し込められる羽目になった人もいました。子供たちはまだ青いマンゴーと塩で飢えをしのぎました。モーリシャスの最貧困層となったのです。彼らの心は空虚でした。
この強制移住について、ワシントン・ポスト紙の社説は「これはまさに大量誘拐だ」と形容しました。その社説は1975年の、これまた不気味な符合というべきでしょう、9月11日に掲載されました。
それからモーリシャスでは、チャゴス島からやってきた女性たちを中心として英雄的な闘いが開始されました。ディエゴ・ガルシア問題を取り上げさせるためです。署名運動、集会、座り込み、デモ行進、ハンスト。警察との徒手空拳の闘い。逮捕と裁判。わたし自身も1981年の違法デモで逮捕され裁判にかけられた8人の女性のうちの一人です。
こうしてディエゴ・ガルシアは合衆国の基地になりました。英国政府がそれを合衆国政府に貸し付けたのです。きっとたくさんのお金が流れたのでしょう。あるいは当時のポラリス・ミサイルに関する技術援助と引き換えに。しかし、いかに代金が高かったにせよ、合衆国政府が贓物(盗品)収受者であることに変りはありません。
私たちはこの基地が閉鎖されることを要求します。
私たちは、このターマックで舗装された滑走路の、コンクリートのドックの恐るべき空虚さを憎みます。すべてのこれらの空虚な軍事施設が消えてなくなってほしい。私たちはこれらの島を取り囲むサンゴ礁を回復したい。ヤシの木も。そう、すべての生命を取り戻したい。基地の閉鎖と同時に、ディエゴ・ガルシアをユネスコの世界遺産にしてほしい。
しかし、何よりも、強制移住させられた人々の心に刻みこまれてしまった、この恐るべき空虚さが、癒されなければならない。私たちは、引き裂かれた国を癒したい。人々が故郷に帰れる自由を取り戻したい。
ディエゴ・ガルシアと全チャゴス諸島の返還、モーリシャスの統一を求める国連決議が毎年のように、いくつもいくつも、挙げられました。合衆国と英国の政府のみがこれらの決議に反対票を投じました。しかしこの2票で、もちろん十分だったのです。
1965年の国連の「アフリカ非核地帯化に関するペリンダバ条約」には関係諸国の全てが調印しました。しかしあなたたちの二つの国の代表の主張によって、悪名高き「点線」がディエゴ・ガルシアの回りに引かれたのでした。
ですからディエゴ・ガルシアは「非核地帯」ではありません。パキスタンやインドと同様に。
それゆえにこそなおさら、私たちは戦争に対して反対し、基地の撤去を求めるのです。
わたしはあなたに対して以下のことを求めます。あなたの国の議員に対して、島を窃取し、またその盗品を受け取った両政府の行為が、人民の知らないうちに行われていたという事実を伝える手紙を書いて下さい。私たちの国の人民の強制移住があなたたちに隠れて執行されていたことを、そしてあなたたちはかかる究極の暴力行為を決して許すものでないこと、ディエゴ・ガルシアの住民が故郷に帰還できることを求めることを、裁判所の判決も帰還の権利を保障していることを、基地は違法であり、閉鎖さるべきであることを、書き送って下さい。
いずれにしても、基地は撤去されなければなりません。
私たちは戦争の終結を求める運動の中で、平和を求める運動の中で、この問題を取り上げていただくことを求めます。
ご存知のように、平和は正義が実現されて初めて訪れます。そして正義というものは、近い場所であれ遠い場所であれ「世界の他の地域」において不正義が執行されていることを知ることから始まります。そうでなければ、その不正義を止めることはできないから。かかる不正義こそが、ときとしてテロリズムを生み出す思想を胚胎します。かかる不正義こそが暴動を生み出します。ロサンジェルスでもモーリシャスでも。ハラレでも英国の北部の町でも。アルジェリアでもインドネシアでも。そしてテロリズムも暴動も、一度生まれるや、更なる抑圧を導くのです。
だからこそ、戦争に反対し、世界中での正義の実現を求める、首尾一貫した、意識的な運動が必要なのです。
私たちの誰もが知っているように、正義というものは平等を求める運動の中でのみ生まれることができます。「平等」、このアルファベットのEで始まる言葉は、今となってはおおっぴらに口にすることさえはばかられる言葉となってしまいました。それは過去の革命を参照するときにのみゆるされる言葉なのです。しかし、面白いことに、もう一つのEで始まる言葉、電子テクノロジーがひょっとしたら、役に立つかもしれませんね。
私たちは、これまで夢想だにできなかったような民主主義のはるかにすぐれた形態を、技術の発達のおかげで手にすることのできるような世界に住んでいるのです。職場における民主主義。財政の民主的管理などなど。民主主義は、わたしやあなたが住んでいる土地で、5年に一度、どちらも私企業が資金を提供している二つの政党から候補者を選んで単に投票するだけのものにはとどまらないはずです。
あらゆる領域、政治的、市民的、経済的、社会的、文化的これら全てにわたる人権が、私たちがどこに住んでいようが、私たちの闘いを通じて更に広い定義を獲得するような民主主義。
人間が尊厳を獲得するような民主主義。銃と地雷が、知らない国の独裁を支えるために輸出されたり、世界の各地で起こるな分によって利益を得たりすることのないような民主主義。私たちは互いに情報を提供し会いながら、行動しましょう。共同して!
犬が犬を食い、馬が馬を食う、そんな状況を終わらせるために。
リンゼー・コールマン、10月16日、モーリシャスにて

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