忙しかったのと、やる気がなかったのとで、おくればせながら、ビエケス島の住民投票に関する新聞記事の訳出、掲載しました。二つ目の記事の方にありますが、即時撤収を求める68%、無期限駐留を求める31%という二つの数字のうち、瞠目すべきなのはむしろ後者だと思います。一人の民間人の死亡、漁業の操業停止による減収、騒音や劣化ウラン弾等による土壌汚染に起因する健康被害、特に後者については発ガン率には有意な差が見られるとも言われている、重ねて沖縄などの他の基地ホスト国とは異なり、演習中の短期滞在が中心のため駐留による経済効果がほとんど見込めない、という状況に徴して、なおこれだけの駐留支持票なのです。やわな数字ではありませんよ。人口9千人のコミュニティーの中で、すれ違う3人のうち1人なのですから。
キューバという敵性国家を抱え込んだ「合衆国の裏庭」カリブ海域のかなりリアルな反共主義とか、プエルト・リコ独自の政治的文脈としては独立派に対する嫌悪感とか、いろいろ解釈はあると思うんですが、「基地問題の解決」というものの困難さが、あらためて浮き彫りにされているとも思います。
沖縄に視線をシフトしてみますと、去る参議院選挙でテルヤカントクとカヨウソウギの票の合計がニシメジュンシロウ票を越えたかどうかなどという議論は、とても牧歌的なものに感じられます。「基地反対派」がのたまうように繰り返し繰り返し「県民の怒りは頂点に達し・・・」ているのならば、どうしてかくも長きにわたって、問題が解決されないのでしょうかね。

沖縄に基地があるのは、アメリカ帝国主義の野望、日本政府と日本国民の裏切り、日米安保と臨戦態勢を目指す日本帝国主義がその元凶、などという議論はそろそろおしまいにした方がいいと思います。
激怒を買うことは承知ですが、沖縄に基地があるのは、単にそこが「島」であるからに過ぎません。攻撃を受ける際には民間地域に対する損害が最小に食い止められ、演習に際しては民間地域への影響を考慮する負担が小さくなるという、きわめて冷静で当たり前の軍事的理性であって、アメリカや日本の「悪意」ではありません。ほかのどの国だって同じことをします。ハワイもグアムもサイパンもマルタもディエゴ・ガルシアもプエルト・リコも同じことを経験しています。それはいわば「世界標準」です。
過大な輸送コスト、限られた人的物的資源等々、世界市場の中で圧倒的なハンディを負ってしまう「島」の経済が、冷戦下のほとんど無制限の軍事支出に身を委ねたのは必然でしょう。
そこから脱却するにはかなりの思い切った療法が必要なはずだが、この島の「反対派」も本土の革新派や左翼も、一度としてそのプランを練るための真面目な努力に着手したことがあっただろうか?「アメリカ帝国主義」という、さいわい当分の間、間違っても勝ってしまう心配のない相手がすべて「悪い」と言いつづけるのは、むしろ気楽ななりわいというべきでしょう。

革新派の首長が誕生して、その英断によって事態が一気に好転するというシナリオも素敵ですが、過去50年間にわたって実現しなかったことは、これからもさしあたり実現しないと判断するのが理性というものです。
ドジばっかり踏んでいる人が左遷されるのは「会社」の常識であって、にもかかわらず失敗し続けても「なお闘い続けてきた」ことのみがプレスティッジになるという特異な社会が、左翼という業界のようです。ポスト冷戦時代には思い切ってここにも市場原理を導入してほしいものですね。


台風16号が久米島の回りをおよそ2周ほども迷走し、丸1週間仕事が休みになって、その間にアメリカでは大変なことが起きて、ほうっておいたこんな文章はますますつまらないものに見えてきましたが、そのまま載せときます。
一面の瓦礫の前に立ち尽くす救助作業員、救急車のサイレン、防塵マスクをつけたボランティアの人たち、あのときの神戸のことを思い出しました。
「テロリズムに断固反対する」、「アメリカ軍の報復に名を借りた戦争挑発に反対する」、どちらも100パーセント無意味な言葉に聞こえます。
たくさんの人が死にました。そしてこれからもまたたくさんの人が死ぬでしょう。つらい思いをする人が何人もいるでしょう。

米兵の強姦事件でも、付属池田小の刺殺事件でも、同時多発テロでも、自分でない誰か他人の苦痛に「ことよせて」何かを主張するのはやめましょう。本当にやめましょう。もう、たくさんです。