World out of Order
ケタ数の大きく隔たった数量を比較するための工夫が、「対数」であって、pHもそうだが、10進法のケタ数そのものを、その数値の表す「指標」とした。そうでなきゃ、比較できないからだ。10-7と、10-2を同じグラフの中に描き表すことはできない。5桁落ちている、10万分の1、これは0と同じ、なんだが、それを「無視」できないのなら、その指数7と2をとりだせばよい。「同じ土俵の上で」の比較が可能になる。
logaAB=logaA+logaBが示すように、「真数」A,Bの掛け算が、「対数」の「世界」では足し算に変わっている。「掛け算」に比べて「足し算」では、物事はそれほど激しく変化しない。等比数列と等差数列の違いだ。爆発的に増大するさまを表す「幾何級数的」という、古くさい言い方があるだろ?
思うに、人間が感覚的に捉えられる世界は、いつまでたっても「足し算」の世界だけなのだろう。10-7と、10-2の違いを捉えられないから、「対数」などというものを「思いついた」のだ、きっと。
人間の感覚自体、対数化のメカニズムがはたらいている。音の大きさの単位にホンとかデシベルというのがあるが、これらも対数尺度だ。空気の粗密波である音が鼓膜に与える圧力、「音圧」を、そのままパスカルとかの単位で計ったら、大きくケタ数が隔たった値が出てきて困るから、対数を取った、という事情はpHと同じだが、これが、人間の「感覚的な尺度」、たとえば「どのくらい『うるさい』と感じるか」と、うまく対応するらしい。
「激辛」を売り物にするカレー屋さんのメニューには、「2倍カレー、4倍カレー」などと書いてあったりする。ある特定の香辛料の量を倍にすると、辛さの「ランク」が1段階上がる、というわけだ。
倍、倍に増えていく量を、そのままいわば額面どおりに倍、倍に感じるのではなく、目盛りが一つ一つスライドしていくかのように「感じる」様な変換システムを、人間はどこかに持っているのだろうか?
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