World out of Order
さて、この段階で、中和によって消費された水酸化物イオン、および、水素イオンの量は、どのぐらいでしょう?初めにあったアンモニアは100パーセント電離したから、水酸化物イオンは0.1かける0.5で0.05モル、加えられた硝酸全体にはもともとやはり0.1かける0.5で0.05モル水素イオンがあったのだから、これらがすべて中和によって「消費」されたことになる。つまり「なくなった」と言ったら、「間違い」か?

「間違い」ともいえるし、「間違いではない」ともいえる。それは、単に「精度」の問題だ。「間違いだ」というのは、もちろん上で述べた「塩の加水分解」なる過程が「ある」からなのだが、ちょっと試算してみよう。この中和滴定完了後の水溶液のpHは「酸側」に偏っているといわれる、ならば仮に、極端すぎるかもしれないが、pH5ぐらいだったとしよう。これは水素イオン濃度が10-5モル/リットル、水酸化物イオン濃度が10-9モル/リットル、ということを意味する。ということは中和完了後の溶液は、全部でちょうど1リットルだから、水素イオンは10-5モル、水酸化物イオンは10-9モル存在している。

おわかりいただけただろうか?今、「なくなった」という議論をしているときに、問題にしている量は、10-2という「ケタ数」なのであり、それに対して、「なくなっていない」のは、10-5〜10-9「も」あるじゃないか!と、言っているようなものなのだ。低く見積もっても3ケタずれてる、1000に対して1だ、通常の場合の自然科学、いや、社会科学でも、「無視」して差し支えない、とするのが常識だ。

1000の位について問題にするときと、1の位について問題にするときとでは、「尺度」が違うから、同じ議論が当てはまらないかもしれない。これを、「マクロレベル」と「ミクロレベル」と呼んだりするのだが、それらの「尺度」の違う領域で、「矛盾」が生じるかのように見えることもしばしばだ。ゾウリムシを見るために倍率を調整した顕微鏡で、バクテリアを見ることはできないし、反対にバクテリアを覗いているとき、突然ゾウリムシが現れたとしたら、でかすぎて何のことかわからないだろう。

違う「尺度」の話をするときには、違う「ものさし」を用意しなければならない。しかし、私たちは、違う「尺度」のための、違う「言語」を持っているのだろうか?
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