「ポンちゃん」的日常。
もうすぐクリスマスというのに、台風みたいな集中豪雨だ。「大雨・洪水警報」も出てる。
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雨が降り出す前に、と二匹の犬を連れて散歩に行った。公園でぺぺちゃんが激しくひっぱるので、その方向をみると、見かけない子猫がちょこんと座っている。
ぺぺは、うちに猫が多すぎるからだろう、自分のことを「猫」だと思ってるふしがあって、外に出ても、犬より猫に反応する。
ほかならぬこの二匹の犬が捨てられていた公園だ。いい予感はしなかったが、ともかくこれらの犬たちがうんことしっこをしてくれるのが先決なので、立ち去った。
帰り道、子猫はおんなじ場所に座り込んでいる。
散歩の途中、もう半年以上の付き合いになるけど、ここは「宝口公園」って言うからなんだけど「タカラッチ」って野良猫がいてね、↓
公園にたむろしているおじさんたちにも愛されている。そいつのためにいつもキャットフードを持ち歩いてるから、その見知らぬ子猫にも餌でも出してやるべ、と近づいた。
おんなじ場所に座り込んでるわけがわかった。車にひかれたのかな?後ろ足が両方とも折れているみたいだ。
プリンの空き容器かなんかに、ミルクを入れたのがそばにおいてある。ということは、もちろん、誰かが「捨てに来た」ということだ。
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この「市場経済」をどう「解釈」したらいいんだろう?
A1. 犬猫が「いらなくなった」けど、まさか自分で殺すわけにいかないから、公園に捨てに来た。
A2. ところが、「善意の人」がいて、どうやら、その犬猫を「保護」してくれているらしい。
A3. ならば、「これからも」、犬猫が「いらなくなった」時は、この公園に捨てにくればよい。
こうして私は、「崩壊」した「モラル」の持ち主が、これからも小金がたまるたびに、ペットショップで犬猫を購入し、「あら、かわいい」と抱きしめ、「いらなくなった」時には、公園に捨てる、という行為に「インセンティブ」を与えていることになる。
「誰かが、何とかしてくれる!」
B1. そうやって、お前みたいに中途半端な「善意」の人間がいるから、犬猫を捨てる「悪意」の人間が減らないんだ。
B2. それより、お前、公園の野良猫に餌なんか与えるな!あちこちに糞をして、迷惑じゃないか!
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ごめんね。「躁うつ病」という精神病に罹患した「異常者」だということで勘弁してくれ、私には、もう「常識のある人間」の言葉が理解できない。
B1. に関しては、
1. 「個々の事実」について考える限り、このステートメントは間違っている。「から」で結ばれた事実の間に「因果関係」が存在しない。時間の先後関係が逆転しているからだ。まず、「悪意」の人間Xが犬猫を捨てた。その後、「善意」の人間Yがそれを拾った。YはXの行為に対して「責任」を負うことが、できない。
2. 統計的な事実について考えるなら、「全般的に」そのような傾向がありうるように見えるかもしれない。「悪意」Xiが犬猫を捨てた、「善意」Yj(ただしj>i)がそれを拾った、この事実によって、「悪意」Zk(ただしk>j)が犬猫を捨てる行為が「奨励」された。このような「因果」の連鎖が存在するとして、その「確率」を計算してみてくれたまえ。
一人のXに対して、100人のYが諸手を挙げて「善意」を示しているのならいざ知らず、Yは明らかに「少数派」なのだ。「異物」であるYを「マージナライズ」して、「悪意」が「主流」なのだといって安心したい「イデオロギー」に過ぎない、などといまさら言ってみてもしょうがないから、もう言わない。
B2. に関しては、これは、たんなる「好み」の問題が、「権利」の装いをまとってしまう議論なのかもね。
「土地」や「建物」の所有者もしくは正当な使用権者は、みずからの占有する空間に、猫やネズミやトカゲやゴキブリや蜘蛛やダニや、その他もろもろがうじゃうじゃいて、排泄物を撒き散らしたりすることを、嫌うだろう。それは理解できる。
「世界を消毒してしまえ!」
あなたは毎日にように「うんこ」をしているにもかかわらず、その「うんこ」はボタン一つで水洗トイレの奥に流れて行ってくれるから、あなたは「うんこ」について考えずにすんでいるんだ、ってことに気が付かないの。
地球の全表面がアスファルトとコンクリートで覆われて、「ライオンズ・マンション」と「レオパレス21」しかなくなったら、さぞかし、世界は「おしゃれ」かもね。
でも、そんな角の立つことも、もう、言わない。
「うつ病患者」は、世界の「責任」を自らに「引き受ける」ことで、「発病」するのだ。
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下半身を触られると激しく抵抗する。痛いんだろうし、怖いんだろうな。注射器でミルクを飲ませる。喜んで飲んでくれる。ドライフードは、うまく飲み込めないみたいだ。レバー味のウェットフード、「サイエンスダイエット」の高級品だよ、「ピーちゃん」のために買っておいたのだ、がつがつ食べてる。
「食べさせる」ことには、何の問題もない。とにかく、心配なのは、「おしっこ」と「うんこ」だった。前足で器用に移動はできる。でも、お尻を持ち上げることができないから、「うんこ」をした後、それが身体にくっついて、全身がうんこだらけになって・・・とか、「うつ病患者」は、つねに「最悪」を心配するのだから、しょうがない。
で、一回目の「うんこ」は、・・・私が身体を持ち上げているときに、ポコリ、と出た。いい「ウンチ」だった。さすが「サイエンス・ダイエット」だ。
だから、よくわからん。世界は、よくわからない、ままだ。それで、いい。「ぽん」ちゃん、って名前にした。
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「ぽん」ちゃん、生きていこう!「生きていく」ことの「意味」は、わからないけどな、とにかく、生きてきたんだから、生きていこう。こうゆうのを「連続性」って言うんだ。それは、正しい「選択」だと思うよ。
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