生イキテイタトハ、オ釈迦サマデモ、知シラヌ仏ノ・・・
車にひかれた上、犬に喰われかかった「クー」ちゃんは、元気だよ。後ろ足の片方が引きずり気味なのと、膀胱の神経に障害が残っちゃったんだろう、おしっこを思い通りに出せず、しばしばお漏らしをしてしまうくらいで、・・・。一度は折れた背骨なんだから、十分な回復だというべきだろう。

新聞紙の上におしっこを垂れ流してしまうから、というのと、そろそろ発情期を迎えるメスなんだが、うちにはほかにまだ去勢適齢でないオスがいるから、という理由で、小屋に隔離している。
もともと野良猫として育ったんだし、とんでもない「トラウマ経験」をしてしまったんだから、やむをえないとも思っていたが、当初はあまりにも「非友好的」な態度だったんだよ。小屋に近づくと「ふぁーっ!」と声を荒げて威嚇する。水やエサを差し入れようとしたらその手に噛み付こうとする。現に何度も噛み付かれて出血した。

でも、こうして半年もたって、ようやっと、なじんできてくれたみたいね。頭をなでるとごろごろ言うようになった。指を差し出しても甘ガミをするようになった。煮干が大好物でね。よかった。よかった。

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もう一匹、車にひかれて、鼻血出してたから、あ、頭打っちゃったんだ、助からないだろうな、って連れてきて、最期を看取ってあげようとばかりに段ボール箱に寝かせておいたら、おいおい、寝返りうってるぞ!ミルクも飲むぞ!ってあわててお医者に連れて行ったら、一週間ばかりで退院、というエピソードを持つ「トン」ちゃん。

「死んだはずだよお富さん、生きていたとは、お釈迦様でも、知らぬ仏のお富さん、・・・」って唄があったでしょ?この唄結構好きでね、「お釈迦様」、「知らぬ仏」が「掛詞」だっけ「縁語」だっけで、よくできてる。20年以上前かな?「ディスコ・お富さん」てのがはやったことがあったんだよ。だから、「トン」にしたんだ。
よく食べる。ヨーグルトが大好きだ。少し太り気味だけどな。

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車にひかれた「クー」ちゃんを咥えてきた犬の飼い主のところの小学生の女の子が、子猫を手のひらに乗せて、恐縮しきった様子で、「飼ってくれませんか?」と連れてきた。どこかに捨てられていたらしいから、すでに親とははぐれているから、「わたし」かまたは「誰か」が、引き取らない限り、この子猫は間違いなく死ぬことになる。

この子が拾い上げなかったら、誰も拾い上げなかったら、数日内に死んだだろう。そんな風に死んでいく子猫はたくさんいる。でも、一度拾い上げられてしまった瞬間、この、白くて毛むくじゃらの生暖かいかたまりは、「そんな風に死んでいっても仕方ない」、観念としての「子猫」ではなく、特定の、名前のある(まだ、名前はないけどな!)、「子猫」になってしまった。もう、後戻りはできないのだ。

こんなやり方で動物を押し付けられるのは不本意だ。自分で拾っておきながら、結局は自分の裁量では飼う事もできず、他人に押し付けてしまうのは、そんなに神妙な顔をしてみたって、はじめに猫を捨てた人と同じくらい無責任なのだ、と子供に向かって説教してもしょうがない、と思ったのは、子供がかわいそうだったからではなく、その「責任」に関する議論と、この「子猫」が生きるか死ぬかという問題との間に、すでに「因果関係」が成立する余地がなくなってしまっているからだ。

健康そのものだね。他の猫達にも臆することなく楽しげに走り回っている。ミルクもヨーグルトも食べる。固形物も食べられる。健康なウンチを砂トイレにできるようになった。
指にかじりついて遊ぶ。疲れたらすぐ、どこでも寝る。目がさめたらピーピー泣く。ついに25匹目になってしまった。名前は、「ちょび」だ。

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