「ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ」その後。
結局、「ぴーぃ」ちゃんはうちで一週間ほど、生きた。

3時間おきに注射器のシリンジで2ミリリットルくらいの『子猫用ミルク』を飲ませる。いや、うそだ。私は働いているし、そんな規則正しい仕事じゃないし、第一、そんなに規則正しい人間じゃない。だから、2時間おきだったり、5時間おきだったり、適当だったけど・・・。



片手の手のひらに乗るくらいの大きさだから、そう、こんな風に左手にのせて、親指と人差し指で首を支えて、右手で注射器を持って口に突っ込む。片手で注射器を持ち、かつピストンを押す加減を調節して口に流れ込む液量を制御する、なんてワザは、一年間にわたるジェリーさんへの投薬で、もうおてのものだ。

大きさからして、もう固形物が食べれるのでは、と、一度やってみたが、餌の皿はひっくり返すわ、水の入った茶碗に頭突っ込むわで大変だったから、もうしばらくミルクだけで育てることにした。

子猫は一日の大半の時間を眠って過ごす。こいつは、眠っていない時間のすべてを、「ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ。」 、と泣いて過ごす。

私が仕事から帰ってくるとき、たいがい猫たちはみんな寝ているのだが、どいつもこいつもまるで「私、寝てなんかいなかったわよ!ちゃんとお帰りをお待ちしておりました!」っとばかりに、わざとらしく騒ぎ立てるのだ。

帰ってきたとき、「ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ。」が聞こえないと、あ、寝てるんだ、ちょっと寝顔をのぞきこんで見たくもあるが、起こして騒がれたくもないので、抜き足差し足で立ち去る。



こう騒がれてはおちおち仕事もできん、ので、「ベィビー・シッター」を雇うことにした。慎重な人事評定ののち、最も性格温厚、かつ出産育児経験のあるココちゃんが選ばれた↑。青いおめめのシャム系で、ガラも似てるしね。同じかごの中に閉じ込めておくと、ぴったり泣き止んだ。出ないおっぱいにしがみついて、それでも安心できたんだろう。ココちゃんもさして嫌がりもせず、ほら、こうして頭をなめてあげてる。

「センターテスト」っていうお祭り騒ぎが近づいてくるこの時期、私は一番忙しくてね、毎日くたくたになるまで働く。くたくただからすぐ寝ればいいのに、しょせんはワーカホリックだから、たくさん働くとテンション高くて調子に乗って暴飲する。だから、ますますくたくただ。土曜の夜、この子にミルクあげなければならないのに、酔いつぶれて眠り込んでしまった。

夢うつつの中、「ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ。」が聞こえてこないのが気がかりだったが、どうしても起き出せなかった。
日曜の明け方、やっぱりこの子はかごの中で倒れていた。ごめんね。もう少し早く気づいてあげれればね。やっぱり、母乳じゃないとだめだったのかな?



まだ、息はあるの。身体が少し冷え始めてるから、手のひらで暖めた。ミルクを流し込んでみたが、もう飲み込めない。点滴も、身体が小さいからほんの10ミリくらいだけど入れてみたが、「ミラクル」は起こらなかった。

手のひらに乗せていると、じっと汗ばんでくる。でも、それが私の体温なのか、この子の体温なのかわからない。拍動が伝わってくるような気もする。でも、それも、どちらのものなのかよくわからない。「生きている」ことと「死んでいる」こと、それは、例えば急速に体温が下がり始めて、身体が固まり始める、という風に事後的には明らかなんだけど、いつも「生」と「死」の境界は、よくわからない。



「100円ショップ」でプランターと園芸用の土を買ってきて、お墓にする。うちには庭がないからね。一週間でちょうど空になった子猫用ミルクのパッケージと、結局一粒くらいしか食べれなかった「サイエンスダイエット・子猫用」のドライフードを3粒ばかりお土産に持たせて、サンダルウッドのお香をたいてお葬式をした。

もうこれで「ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ、ぴーぃ。」に悩まされることもない。「ミルクあげなきゃ!」って心配することもない。でも、「負担になること」、「気がかりなこと」、「せきたてられること」、「面倒なこと」、それらの「ない方がよい」かもしれない事柄が、実は私たちを「生命」につなぎとめている。

一番下の写真はね、うちで一番「若い」子猫のトラちゃんと遊んでるところ。
戻る