STRUGGLE FOR FREEDOM / 矛盾の上に咲く花 (4)



沖縄国際大学のキャンバスに普天間基地所属の米軍のヘリコプターが墜落した。私の働いている塾の元生徒さんにもその大学に通っている人が何人かいる。夏休みじゃなかったら犠牲者が出ていたかもしれなかった。でも私の心は「石」のよう。どこを探しても何の感情もないよ。沖縄県警の立入を認めずにさっさと現場を片付けた米軍のやり方が各方面に波紋をおこし・・そんなテレビのニュースが始まると、ちょっとつまんないお笑いでもいいからさっさとチャンネルを変えて・・。どうしちゃったんだろうね?「基地反対運動」しに沖縄にやって来たようなものなのに、「運動」系の人たちとは折り合いがうまくいかず、ナイガシロにされて「うつ」になってシニカルになって逆恨みしてんだろ?そうかも知れん。それでもいいよ。

それしか「売り」がないから何度もしつこく書いているが、私は二年前に「うつ」を発病した。「9-11・セプテンバー・イレブンス」の半年後だ。てめーのびょーきまで戦争のせいにする気か?そうゆう訳じゃないけど、関係ないってことも有り得ないよ。私たちの身体もまた「世界」を構成するシステムの一要素なのだから。日本の自殺者数の統計を見ると1940年代中葉に著しく落ち込んでるの。明日死ぬかもしれない空爆のさなか、喰い物を手に入れるのに必死だった戦後の日々、生きるのに精一杯で自殺どころじゃなかったんだろう。だったら戦争がもっと激しくなって、私たちにも累が及ぶようになれば、「うつ」だなんて「甘えた」ことを言う奴も減って来るんだろう。結構じゃないか?

でもどんなに強がりを言ったって、私たちの生活の上には否応なく「戦争」が影を落としている。繰り返すが私たちは「世界」と言うシステムの1コンポーネントなんだ。敵の上により正確にミサイルを投下させるために開発された同じ技術が私たちをより緊密にした。いや「疎外」したんだ、ともゆう。だが、数世紀前、どころか200年前でいい、海の向こうで人間が五千人くらい死んだ、という知らせを聞いて、何か魂を揺さぶられるような動揺を感じただろうか?セプテンバー・イレブンスに先立つ何年か前、ナイロビとダル・エス・サーラムのアメリカ大使館で爆発事件が起こり、数百人の「現地人」に犠牲者が出たもよう、というニュースは読み飛ばしていたが、世界貿易センタービル倒壊の映像にはいたく動揺しました、というのなら、その落差は、私たちの「緊密さ」の「不均等発展」の証なのであって、そこには戦争とテロリズムに根拠を与える憎悪がちゃんと横たわっている。


「セプテンバー・イレブンス」のこと、覚えていますか。その時沖縄では台風16号が延々と一週間あまり久米島の上空を旋回していてね、仕事は休みで外は雨風きつく、彼女と、当時はまだ一匹だけだった子猫と、三人で部屋で「まったり」していた。私は新聞を取っておらず、その頃はテレビもなかったから、事件を知ったのは誰かが彼女に電話して来たからだ。ちなみに私には友達いないから誰も電話しない。

翌日だったか翌々日だったか、まだ空はどんよりしていたが、雨風も少し収まったから、仕事も休みだし買い物にでも出掛けようと思ったのだろうか、よく覚えていないんだが、夕方、私たちは北谷町美浜の定食屋にいた。テレビは、貿易センタービルが航空機の突入後なぜあんなにも早く倒壊したかについて高層建築の専門家に意見を求める番組を流しており、突入と倒壊の瞬間の映像をエンドレステープのように何度も何度も執拗に流していた。私たちのように台風一過の外出を楽しむ家族連れ(?)で客席は満員、みんなが手にしている新聞、スポーツ新聞も、書いてあることは同じだった。どの新聞の一面も同じ写真、テレビの画面も同じ写真、そう、満席だったのに人のおしゃべりが聞こえて来た記憶がない。誰もが同じ写真を見ながら御飯を食べた。沖縄ではどういうわけか定食に頼んでもいないのに刺身がサービスで付いたりする。LLサイズのゴム草履みたいにでっかいトンカツを食べた。ほどなく私は「うつ」になり、彼女とも別れ、人と外食することもなくなったから、トンカツ定食を食べたのは、あれが最後だ。


なんか疲れてきた。ここでも二葉亭に敬意を表して、オマージュっちゅう奴やね、バブル=ポストモダン系のゴージャスな言葉ですな、で、唐突に終わろうと思う。旧盆の休みも終わっちゃうのよ。来週から仕事。今年度いっぱいで今の仕事廃業しようと思ってる。自分でも頭悪くなってきたの手に取るようにわかる。黒板の前で因数分解なんて間違えまくってるもん。よほどの、その、カリスマ性ってやつですか?でもない限り、五十過ぎてこの仕事続けるのは、徒にその、老醜を晒すことになりますからな。タクシードライバーになろうと思ってる。65歳まで雇ってくれる会社なんてほかにないからね。なかなか決心つかなかったんだけど、とにかく二種免許だけでもとろうと思ってね、教習所に案内取りに行くまではやった。来週から来週からって引き伸ばしちゃってて、そろそろ本気で行かなきゃ。あと半年になってしまう。19万円かかるのよ、一発合格したとしても。でもまだこうして多少なりとも収入のあるうちに取っとかないと・・・なんて考え出すと、たちまち鬱になってしまう。

機嫌のいいときは、「十三夜」に出てくるみたいな「車夫」になるんだな!なんてはしゃいでみたり、「タクシードライバー日記」も書こうと思ってる、タイトルだけは決まってるの、「パイナップル交通」、かわいいでしょ?

時代は、「かつてないほどに」、戦争の時代になっているのに、どうしてこんなにも「戦争」について語られる言葉が、貧しい、というかリアリティーがないんだろう?とずっと思っていた。アメリカの政権が共和党か民主党かということが、戦争が起こるか起こらないかということとは、ほとんど何の関係もないってことくらいもう明らかだろうに、またまたマイケル・ムーアみたいな言論をありがたがっている、とか、シニカルなことばかり言っててもしょうがないし、またきっと病気も悪くなるだろうからやめるけど、リアリティーがないのは、もちろん、「悪の枢軸」とか言う「戦争を推進する側」の言論だけじゃなくて、「戦争に反対する側」の言論も同じくらい、というより、その誰が決めたかわからん自明のような顔をしている「側」に分類する言葉自体かもしれない。

「人を殺すことはいけないから、戦争に反対です」、こんな言葉を真顔で言ってみて、どうするんだろう?ごめんね、私はずっと同じことばかり言ってると思う。高橋源一郎「日本文学盛衰史」を読んだとき、啄木の言う「『あゝ淋しい』と感じた事を『あな淋し』と言はねば満足されぬ心」って、これなんじゃないの?私たちには「あな淋し」並みの言語しかないからなんじゃないの?って唐突に思ったんだ。すごい発見のように思ったけど、よくわかんなくなってきた。

岡田尊司っていう人の「人格障害の時代」(平凡社新書)っていうのがあってね、これについては「ダイアグノーシス」の続きに書くつもりだったんだけど、いつになるかわからんが、「抑うつの本来の役割は、自らに向かい合い、失われたものに対して「喪の作業」をすることである・・本当は、『うつ』が問題なのではない。常に元気で明るいことを善とし、落ち込むことを悪として、抑うつを回避する社会の価値観やありようが・・・」っていう一節があってね、とても腑に落ちた気がしたの。

私は、沖縄に来てから、いや、それまでもだけど、いろんなものを失ったよ。私の病気は、その一つ一つの失ったものへの「喪」だったんだなって思うと、すごく心が安らぐ。「世界」ってなものを擬人法で使う言葉のアヤはあまり好みじゃないけど、ひょっとしたら今「世界」そのものが「うつ」なのかもしれないよ。

「なぜ人を殺してはいけないのか」小浜逸郎(洋泉社新書)を今読んでるけど、こういう問いからはじめていかなきゃいけない、と思ってる。そして二葉亭四迷のようなふらふらした文体でね、しどろもどろに、言いよどみながら、しゃべりつづけようと思ってるよ、誇らしげに言うのならば、きっとそういう感じだろう、奥田民夫風に言うのならば・・・。

奥武島(おうじま)っていうところに、うちから車で30分くらいでいけるところなんだけど、時々潜りに行ってるの、アウトドアだろ?健康的だろ?潜るって言っても、シュノーケルつけて2,3メートルくらいの深さなんだけど、それでも大潮の干潮のときなんか凄いよ!水族館の水槽で泳いでいるみたいだ。沖縄の人は海ではビーチパーティーくらいしかしないし、手近にあるものにはかえってありがたみを感じないものだとは言うけど、あんな海を埋め立てるっていうのに心がいたまないわけなはいの。それなのにたとえば「海を守れ!」って言葉が絶望的に通じない、人の心を動かすことが出来ないとしたら、それは「言葉」そのものに問題があるからなんだ。

私はもう辺野古に行って座り込むことはしないと思うよ。「基地反対運動」に戻ることもないと思うよ。私は、私の「喪」の作業を続けるよ。「考える」こと自体は、やめられそうにないからね。

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