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Vacation
「一番ひどい鬱の時はどうですか?」「何にもできないのでごろごろ寝てます。」「トイレに行くのも億劫、ご飯を食べるのも億劫とか?」
なんでそんなこと知ってるんですか!って言いたくなるくらい、見事に言い当てられてしまう。何の事はない、もう何年もの間、毎年春先になると身体がだるくてだるくてしょうがない、何もやる気が起こらなくて一日10時間以上も寝ているのに、なお眠くて眠くてしょうがない、きっとどこか身体が悪いんだろうと思っていたそのすべての症状は、とてもティピカルなうつ病のものだったんだ。
こんなのある種、誘導尋問なんじゃないの?うまく答えれば誰でも「病気」になれるんじゃないの?とも思う。だが、何のために?
一方で、これまでの人生の後半20年くらいどの時点であっても、もし精神科のお医者さんの診断を受けて症状を訴えていれば、きっと私は「病人」になれたんだ。そうしなかったのはラッキーだったのか、アンラッキーだったのか?
さて、診断の結果は?「躁」・「軽躁」・「軽鬱」・「鬱」の4段階に分けるとして、私の場合は「軽躁」から「軽鬱」の間を循環している。ただし少し「鬱」側に偏っているけれど。学術的には「サイクロサイミア(cyclothymia、気分循環症)」というらしい。
こうして私は「病名」を得た。何にはあらず「名前をつける」ということは、とても大事なことなのだ。「未知数 X」であれ、「債権者乙」であれ、それらは名づけられることによってはじめて「居場所」を得ることができる。
耐えがたい、やりきれないさまざまなことども。それはきっと、自分の努力が足りないからとか、能力がないからとか、今までの生き方が間違ってたんだとか、育った環境が悪かったとか、誰かが邪魔をしているんだとか、社会が悪いとか、のべつまくなしに「原因」を探し求め、でも当然にもそんなもの見つかるわけもなく、その耐えがたい、やりきれないことどもと、むき出しで向き合ってなければならなかった。
今やそれは、「名前」のある「症状」となった。それこそ「躁」・「軽躁」・「軽鬱」・「鬱」の4段階にでも「分類」してしまえばいいのだ。私にはこれが必要だったのだ。なんか、うれしくなってきちゃった。
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龍宮城だより