TOMO
in the
Bathroom
・4月18日
一進一退。昨日うまくいかなかったことが今日うまく出来た、それだけのことで幸せになれる。だけど、その翌日同じことがまたうまくいかなかったり、そもそもうまくいったかどうかもよく分からなかったり、そんなことだけで落ち込んだり、気が滅入ったり。
こんな風に動物を飼うようになる前、動物を飼っている人をうらやましいと思ったことも一度もなかったけど、ごはん食べさせてなでなでして「可愛いわねぇ」ってつぶやいていればいいんだから、そんなの気楽じゃない?と漠然と思っていた。
とびきり「弱い」のを拾ってきているから無理もないのかもしれないけど、動物がこんなにものべつまくなしに病気にかかり、こんなにも手間がかかるものだとは思ってもいなかった。
当たり前のことだけど、動物が嫌がることをしなければならないときが一番ストレスフル。
例えば薬をのませるとき、熟練した動物病院の先生は目にも留まらぬ速さでやってしまうから、猫の方も一体なにが起こったか分からないうちに飲みこまされてきょとんとしている。私なんかがやると、左手であごを押さえたまま右手で錠剤を取り落としてしまったりしてまごまごする、その焦りが手をつたって猫にもわかってしまうんだろう。暴れ出したらもう手がつけられない。それでも無理矢理口をこじ開けて飲ませようとするから、血みどろの闘いになってしまう。もちろんこちらもへとへとに消耗するけど、猫の方にとってもこれはストレスだろうし、よくなる病もよくならないかもしれない。
人間だってきっとそうなんだろうけど、動物はとても敏感で、こちらの焦り、苛立ち、不安なんかがビビッドに伝わってしまうから、そんな時は全力で抵抗されてしまう。

ありあまるほどお金があるのなら、ずっと病院にあずかってもらって、毎日注射をうってもらった方が回復が早いのははっきりしている。一泊2千円、注射一回1500円、をちゃんと支払って、そうして時々お見舞いに行って、「まぁ、トモちゃん元気になったねぇ!がんばってねぇ!」となでなでして、「では先生、よろしくお願いします」と、帰って行くそんな奇特な人に拾ってもらえればトモちゃんももっと幸せだったろうが、そうではない以上、しかも、放っておけばほどなく死んでしまったに決まっている野良猫を、拾ってくれとも、看病してくれとも誰にも頼まれた訳ではない以上、他ならぬ私が、その限られたリソースの下で、工夫をし、技を磨き、出来る限りこの子に生き延びてもらう以外ないじゃない、何度も何度もそう自分に言い聞かせているんだけどね。

少しちいさめの洗濯ネットと、おしっこをされてもいいように500円のジャージを、「サンエー」のお客様優待バーゲンで買ってきた。
インターフェロンを鼻にさすときに新聞紙の上におしっこをしてしまった。抗生剤を呑ませるとき、洗濯ネットの中にうんちをしてしまった。小屋の中に砂のトイレを用意しているのだが、ここでうんちをしたのはまだ一回だけ。いつもこんなに興奮させてしまっているのは、きっとよくないんだろうな。本当にもうしわけない気がする。
「サイエンス・ダイエット・グロース(幼猫・母猫用)」でもたべて、機嫌直して下さい。


龍宮城だより