グアムからビエケスへの連帯のあいさつ
2000年10月24日
グアムから、trinitt@netpci.comより、連帯のごあいさつです。
アメリカ合衆国大統領、ウィリアム・クリントン殿
ホワイトハウス
1600 ペンシルベニア街 NW ワシントンDC 20500
FAX:202-456-2461
宛先:
- 1.カナダ大使館 大使殿
Tel:202-682-7761
Fax:202-682-7643
- 2.イギリス大使館 クリストファー・メイヤー大使殿
3100 マサチューセッツ街
ワシントンDC 20008
Tel:202-202-422-9625
- 3.ドイツ大使館 ユルゲン・クロボック大使殿
4645 リザボワ通り
ワシントンDC 20007-1998
Tel:202-298-4000
Fax:202-298-4249 or 333-2653
- 4.フランス大使館 大使殿
ワシントンDC
Email:info@amb.wash.fr.
Tel:202-944-6500/202-944-6148
Fax:202-944-6538
- 5.オランダ王国大使館 大使殿
3200 ウィットシェイブン街 NW
ワシントンDC 20008-3683
Tel:202-234-4300
Fax:202-328-1470
- 6.デンマーク大使館 大使殿
Tel:202-265-1100
Fax:202-328-1470
親愛なる大統領閣下へ
ビエケスへの軍隊の駐留の中止を求める要請
グアムから「ハファ・アダイ!」のあいさつを送ります!
既にご存知の通り、合衆国軍隊は同盟国の軍隊とともにプエルト・リコ、ビエケスにおいて軍事演習を実施しています。それらの演習においては爆弾が使用されています。これらの爆弾は、実弾である場合もそうでない場合も破裂時には、海の生物たち、大小を問わず魚でもサメでも軟体動物でも、サンゴに対しては特に甚大な破壊をもたらします。細かな金属片が雨のように、しかしもっともっと強力な破壊力を持って降ってきて、漁師たちにも命中します。
2000年5月、プエルト・リコでの会議に際して私はビエケス島を訪れました。そこで私はキャンプ・ガルシアの周りでビエケスの人々と意見を交換することができました。
ビエケスの本来の土地所有者たちは、そうでなければ彼らの生存のために活用さるべきその土地が利用できないことから十分に長い間苦しんでいます。彼らビエケス人はどこへ行けというのでしょう?彼らは土地に依存して生計を営む普通の人たちではありませんか?民主主義は改革のための余地を十分に残していますが、もし人々が抑圧され、その懸念を表明することが常に妨害されていたとしたら、その人たちは自分たちの生活の改善を実現することができないのです。ビエケスではきわめてたくさんの人が、合衆国軍隊による土地の占有に対し闘いを挑み、反対を表明しています。何かが決定的に間違っているのだということは、このことからも明らかではありませんか!
大統領閣下。情熱と繊細さ、そして何よりも良識を持って、これらビエケスの人々にとってもよき指導者となって下さい。あなたこそは世界最強の国家の元首なのです。どうか、彼らの声を聞き、彼らの主張を理解して下さい。
神があなたを祝福しますように。
トゥリニ・トレス、グアム被植民地化チャモロ民族連合を代表するチャモロ人女性
リティディアンの家族たち、先住民としての権利を求める人民機構(OPI-R)、ファミリアン・フェリサ、チャモロ・ネィション
何百人もの人々がビエケスの海軍のフェンスを引き倒した
ビエケスの爆撃演習場につながる入り口であるキャンプ・ガルシアのゲート付近で、この「赤ん坊の島」、ビエケスに駐留する合衆国海軍に対する抗議行動として、何百人ものビエケスの人々が基地のフェンスを引き倒した。
地域活動のリーダーたちによると、人々とその所有する土地とを隔てるフェンスを撤去するために、この「第二回人間の鎖」は企画された。
9月に海軍は、1999年4月19日のデビッド・セインズの死以来最大規模の演習を実施した。先週以来、何万人もの兵員と大量の軍艦が合衆国およびNATO軍から動員され、島の東部地帯が激しく爆撃されている。爆撃演習のさなかに、9人のビエケス住民が着弾地に入り、逮捕されるまで24時間にわたって演習場にとどまりつづけた。
基地のフェンスをなぎ倒す行動は継続的に行われている。基地周辺のさまざまな場所で、小人数の「部隊」がこの活動を実行している。しかし、今日の抗議行動は、何百人という人々が、ビエケスの土地と人民に対する軍の支配の象徴である海軍のフェンスを引き倒すこの行動に組織的に参加した初めての試みである。
教会のリーダーたち、商店主、漁民、老人、子供など、この島から軍隊の駐留をなくすために活動しているさまざまなグループが、この「人間の鎖」に参加した。
2000年10月20日
ビエケス・リーブレhttp://www.viequeslibre.org
プエルト・リコ、ビエケスの平和のための電話と手紙のキャンペーン
合衆国海軍とNATO軍を構成するカナダ、フランス、デンマーク、ドイツ、イギリスの軍隊からなる3万一千人以上の兵員が、去る月曜日、プエルト・リコ、ビエケス周辺の陸、海、空から爆撃演習を開始した。同時にビエケスの海岸では水陸両用車両による上陸訓練も行われた。これらの演習には30隻以上の船舶が参加し、この演習は10月28日まで続けられる。
プエルト・リコでの爆撃演習の後、これらの艦船はペルシャ湾に向かうことになっている。
火曜日の早朝ビエケスの活動家たちは着弾地に入り、自らの身体を「盾」として演習を阻止すべく、依然としてそこにとどまっている。
10月18日水曜日現在、着弾地にビエケス人がとどまっているにもかかわらず、合衆国海軍は艦船から海岸への爆撃演習を継続している。
火曜日の朝、着弾地に入った人々の中にはビエケスの前市長、ビエケス教会の教会執事、「ビエケスの救援と発展のための委員会」のリーダー、ビエケスの主要なスーパーマーケットの所有者、退役軍人でもある退職教師、(ビエケスにはとても多いのだが)ガンによって妻を失った夫、などである。
どうか、平和と正義を支持するあなたの声を上げてほしい。あなたの地域の選出議員、ホワイトハウス、NATO諸国の大使館・領事館、報道機関にコンタクトを取って、軍事演習に対するあなたの反対の声を伝えてほしい。このメッセージをあなたの知人に流してほしい。
議会の代表とコンタクトをとる際には、現在下院で回覧されている「親愛なる同僚へ」という大統領への書状に署名することを勧めて下さい。
ビエケスを支持するルイス・ギテレスとサム・ファーより。
ニューヨーク首都地域にお住まいのあなたは、10月21日土曜日の「ビエケス連合」のデモと集会に参加して下さい。59番街、セントラル・パーク東のコロンバス・サークルに正午に集合です。詳しい情報は「ビエケス連合」電話212-591-1103、または http://www.ViequesAlliance1021@hotmail.com へ!
ビエケスにとってきわめて重要な時です。あなたの意見を表明して下さい!
以下の場所に、あなたの意見を送って下さい!
- ホワイトハウス苦情係:202-456-1111
議会ご意見箱:202-224-3121
- ギブソン司令官、大使館付武官、カナダ大使館
Tel:202-682-7761
Fax:202-682-7643
- ニック・ハリス司令官、大使館付海軍武官、イギリス大使館
Tel:202-422-9625
- フランス大使館、大使館付武官事務所
Tel:202-944-6500
Fax:202-944-6538
- 陸軍准将ピーター・ゲーベル、大使館付武官、ドイツ大使館
Tel:202-298-4295
Fax:202-298-4321
- 陸軍准将E.T.ペデルセン、デンマーク大使館
Tel:202-265-1100
Fax:202-328-1470
ビエケスにおける爆撃演習と、市民的不服従行動についての最新情報は、ビエケス・リーブレのウェッブ・サイトを参照するか、「和解のための仲間たち(Fellowship of Reconciliation)」電話415-495-6334までご連絡を。
クリントン氏へ、すべてのプエルト・リコの政治犯を釈放せよ
アメリカ合衆国によるプエルト・リコとビエケスにおける人権侵害に関する国際法廷
2000年11月20日
合衆国大統領ビル・クリントン殿
ホワイトハウス
1601 ペンシルベニア街
ワシントン DC 20500
親愛なる閣下。
「赤ん坊の島」とも呼ばれる、プエルト・リコ沿岸のビエケス島から、再びごあいさつを送ります。
いま、われわれは上記の「法廷」を終えたばかりです。まもなく当法廷の調査結果ならびに勧告を送付差し上げる予定です。
今回われわれが要求するのは、プエルト・リコ人政治犯に関し、閣下が直ちに着手すべき事柄であります。既に閣下は十分にその詳細に付きご存知のはずですからここで述べることは差し控え、以下の人々を釈放すべく適切な命令を発せられることを要求するにとどめます。カルロス・アルベルトス・トレス、オスカル・ロペス・リベラ、ファン・セガッラ・パルメ、アントニオ・カマーチョ・ネグロ、ハイデ・ベルトラン・トレス、ホセ・ソリス・ジョルダン。
彼らが起訴された罪状に比してその量刑が著しく重きに失することをあなたも同意いただけると存じます。既に長すぎる拘束が行われています。彼らはただちに釈放されるべきであります。
迅速な行動を求めます。
御質問、ご意見がございましたら、どうぞ遠慮なくコンタクトを取って下さい。
ありがとうございます。
デニス・ブルータス博士、南アフリカ、首席判事
マニュエル・ラモン・アラルコン・カラクエル博士、スペイン
ライナー・ヒューレ博士、ドイツ
アデリート・デ・ヘスス・ソアレス弁護士、東チモール
F・リャン・マロンソン、ゲイ・ヘッドおよびアキナ、ワンパノア族首長代理
アントニア・パントーヤ博士、プエルト・リコ、米国議会自由勲章1996年受賞者
グラハム・ラッセル弁護士、カナダ
ウォルター・F・サリバン師、アメリカ合衆国
同送します:
ニューヨーク州上院議員候補、ヒラリー・ロドマン・クリントン殿
シカゴ選出下院議員、ルイス・ギテレス殿
ニューヨーク州選出下院議員、ホセ・セラノ殿
ニューヨーク州選出下院議員、ニィディア・ベラスケス殿
アメリカ合衆国のプエルト・リコに対する処遇に関する国際法廷調査結果草案
2000年11月21日
アメリカ合衆国による、プエルト・リコ、ビエケスにおける人権侵害に関する国際法廷
原告:プエルト・リコ人民
被告:アメリカ合衆国
目次
I.歴史的背景
1989年1月、プエルト・リコとその人民との関係において合衆国政府が、人権条項を含む条約および国際法上の義務に違反しているか否かを決定するために、常設人民法廷の特別法廷がスペイン、バルセロナにおいて開催された。3日間にわたる専門家の証言、合衆国とプエルト・リコの関係およびそのプエルト・リコ人民に対する影響について記述された膨大な資料を検討した結果、法廷は以下の事実を認定した。すなわち、合衆国政府はプエルト・リコ人民の最も基本的な人権、自決権を否定している。
かかる法的結論に至る経緯としてバルセロナ法廷の裁判官は以下の判決を下している。事実及び法律上の根拠に基づいて、常設人民法廷は以下のように判決する。
- 1. すなわち、プエルト・リコおよびその人民は自らの政治的、経済的、社会的および文化的状態をアルジェ宣言および国際法の一般原則にしたがって自由に決定する権利を有すること。
- 2. すなわち、自治州プエルト・リコ憲法はプエルト・リコ人民がその自決権を行使するにあたって適切な方途を与えるものではなく、したがって、かかる権利の行使を規律する国連の決議に合致した必要な法的保障は、当地において実施された住民投票においては遵守されていないこと。
- 3. すなわち、合衆国はプエルト・リコに対してその自決権を尊重すべき国際法上の義務を有することが、慣習法上推定されること。
- 4. すなわち、プエルト・リコにおける現下の合衆国の軍事政策は人民の自決権にとって障害であり、カリブ海地域の平和と安全に対して脅威となっていること。
かかる判決を下すにあたって、法廷は合衆国政府に対して、プエルト・リコ人民の自決権行使を保障すべく、以下の段階的施策を講ずべきことを求めている。すなわち、
あらゆる可能な政治的、経済的、行政上の施策を通じてプエルト・リコ人民がその自決権を行使することを可能とする条件を整えること。とりわけ、
- a)プエルト・リコ独立を求める過激な活動によって投獄されているすべてのプエルト・リコ人に対して政治犯としての地位を認めること、ならびに植民地主義に反対する闘争に関与したことをもって現在投獄されているすべてのプエルト・リコ人に対して恩赦を実施すること。
- b)現在合衆国議会が有している、プエルト・リコ政府の代表機関の決定を修正および承認することのできる権利を放棄すること。
- c)合衆国議会および政府がプエルト・リコに対して有しているすべての権力を、プエルト・リコのあらゆる政治的および社会的勢力から構成され、選挙によって選ばれた、憲法的性質を有する合議体に全面的に委譲すべきこと。
- d)かかる方策をプエルト・リコが自決権を有効に行使しうるまでの、法的および政治的な過渡的地位として協議すべきこと。
- e)現在プエルト・リコに駐留している合衆国軍隊が、プエルト・リコ人民の自由な自決権行使に対して、直接間接に介入しないことを保障すべきこと。
II.調査結果
- 1.はじめに
当法廷、「アメリカ合衆国によるプエルト・リコおよびビエケスに対する人権侵害に関する国際法廷」は、アメリカ合衆国政府がバルセロナ法廷が下した判決に従い、プエルト・リコとその人民に対する植民地主義的な支配を終了させるためになした施策があればそれに対する評価を行うために開かれた。バルセロナ法廷が確認した自決権の原則をあらためて再確認するとともに、われわれは1989年の調査の対象となったプエルト・リコ人民の全生活領域について再検討を加え、合衆国政府が国際法上の義務を履行するために何らかの方策をなしたか否かを認定することを目的とする。
この文書の中で更に詳細な検討を加えるであろうように、われわれが認定した事実はプエルト・リコの脱植民地化に向けての何らの動きも見られないことである。むしろ、膨大な数の専門家や一般人の証言を含む証拠の示すところ、また、(その多くは合衆国政府担当者によるものも含む)数々の資料を見てもわかる通り、プエルト・リコ人民に対する植民地主義的支配は持続している。
かかる植民地主義的支配の持続による害悪はとりわけビエケスにおいて顕著である。ビエケスはプエルト・リコの離島の行政区であるが、その4分の3は合衆国海軍によって占領されており、1941年以来継続して軍事演習および爆撃場として使用されており、その環境、生態系、住民の健康および生活が破壊的な被害を受けている。サン・フアンの街路における数十万人に及ぶ参加者によるデモンストレーションや、ビエケスにおける合衆国軍隊の射爆場内での数百回に及ぶ市民的不服従の行動などに示されるビエケスおよびプエルト・リコ全土のほぼ一致した民意に反して、合衆国政府はビエケスにおける爆撃を停止し、軍隊を撤収させることを拒否している。
この点においてプエルト・リコ人民の植民地支配の状況には何らの改善も見られない。変化が見られるのは、合衆国海軍がビエケスから撤収すること(住民の被ったあらゆる損失や損害に対する全面的かつ最終的な補償を行い、島の近辺における駐留に起因するいかなる環境破壊をも回復することを含む)、およびプエルト・リコのすべての政治犯を釈放することに対する、イデオロギー上の差異を超えた広範な支持が集まっていることである。
国際世論、中でも人権擁護の国際世論にとってプエルト・リコ人民によるその脱植民地化に向けた合衆国政府に対する要求を支持していくのに、現在は絶好のチャンスだといえる。かかる脱植民地化のプロセスは、プエルト・リコ人民のあらゆる政治的および社会的勢力を代表する憲法制定議会の形成を助けるために、合衆国議会を含むあらゆる合衆国政府機関がその保有するすべての権力を委譲することによって開始されるべきである。
ここに示したわれわれの調査結果および判決が、プエルト・リコ人民の不可侵の権利としての自決権を支持する民意の圧力を結集するための触媒となることを希望する。
- 2.合衆国政府は、一貫して自決権を否定している点において有罪である
決議1514号に基づくプエルト・リコ人民の自決権および独立への権利を繰り返し確認している国連脱植民地化委員会の毎年の決議にもかかわらず、合衆国の議会およびその他の政府機関は、それらが違法に保持している権力をプエルト・リコ人民に返還するための必要な施策をとることを拒否している。国連脱植民地化規約を遵守しないいかなる脱植民地化プロセスも、真正かつ完全なものとはみなされない。2000年7月、脱植民地化特別委員会は重ねて合衆国政府に対し、プエルト・リコ人民がその不可侵の権利としての自決と独立への権利の完全な行使を保障する施策を促進すべき責務を果たすべきことを求めている。
植民地主義の終焉のために国連が命じたこれらの数々の指示にもかかわらず、合衆国議会は一見自決権の行使であるかのごとく見えるように演出された、しかしながら実質はなお植民地的な地位の持続を意図したさまざまな施策を推進しようとしている。1993年と1998年にはプエルト・リコにおいて(プレビシットと呼ばれはしたが、実質はリファレンダムである)住民投票が実施されたが、これに際しては植民地主義的な政党と合衆国におけるそのスポンサーさえも脱植民地化に向けた国際法上の条件が充足されていたとは主張できなかった。いずれの投票においても、合衆国議会がその結果を受け入れる保証はなされていなかったし、合衆国本土に在住するプエルト・リコ人の投票も認められなかったし、また提示されたいくつかの地位のオプションについても明確に定義されることはなかった。これらはすべて国際法上の要請であるにもかかわらず。
さらに重要なことは、投票が国連ないしはその他の独立機関の監視のもとに行われたわけでもなく、合衆国軍隊やその他の合衆国の影響力を除去した上でプエルト・リコ人民への権力委譲した後に行われたわけでもなかったことである。
- 2.1 依然として続く植民地主義がプエルト・リコ経済に及ぼす影響
合衆国にとって、プエルト・リコは単なる軍事基地と経済的には「飛び地」でしかなかったように思われる。過去に確立してしまった軍事施設は増大する一方で、1898年の侵略以降、プエルト・リコは経済的な「飛び地」として扱われてきた。剰余品を押し付ける制度的な構造が出来上がってしまっていて、島の経済に不利益をもたらした。合衆国の富はプエルト・リコの富を凌駕した。このプエルト・リコという経済区で生み出された富のほとんどはここには残らなかった。プエルト・リコの約70%ほどの国内純生産は島から外へ出て行くのだ。
1999会計年度の間に、国内総生産は599億4千6百万ドル、国民総生産は382億9千9百万ドルに達した。この二つの数字の差異、217億1千7百万ドル、は外的な要素、基本的には所得控除を表している。1991年から1999年の間に控除額は1千3百9十6億9千5百万ドルに達している。プエルト・リコの生産力の3分の1がプエルト・リコ住民のあずかり知らぬ支払いに用いられているのだ。1999年における合衆国政府からの支出、83億1千5百万は、そのほとんどが社会保障や退役軍人年金など人民の権利に属するものであるけれども、同時期の217億1千7百万ドルという、合衆国に対する所得控除と比べるときわめて貧しい数字である。なお、この比較は合衆国軍隊がプエルト・リコに駐留するにあたって、その占有する12%の土地について一切の賃料を支払っていないという事実を度外視した上での話である。
国内総収入のうち被用者の賃金が占める割合は1977年の61.1パーセントから、1987年の48.7パーセント、1999年の40.8パーセントへと落ち込んでいる。合衆国では70パーセント以上の収入が労働者にもたらされているのに。1990年の国勢調査によれば、プエルト・リコの人口の58.9パーセントが貧困レベルを下回っている。2000年の調査結果も大きな変動は見られないと考えられる。ビエケスでは、24の他の自治体と同様、貧困ライン以下の人口は70パーセントを超えている。
1900年以来合衆国は海事法を適用し、プエルト・リコのすべての商用船舶はその輸送を世界でもっとも費用のかかる合衆国経由で行わなければならないとした。プエルト・リコに対してこの法律が適用されていなかったならば、40パーセントの輸送費用が削減されたであろうし、輸出産品の値段はかなり軽減されプエルト・リコ商品の国際競争力はもっと上昇していたであろう。
1999年の時点で3百万人のプエルト・リコ人が合衆国に居住している。この人々の失業率は合衆国のすべての人種グループの中で最大であり、白人の3倍の人口が貧困ライン以下に落ち込んでいる。
プエルト・リコ人の経てきた紆余曲折は、彼らが貧困によって故郷を離れることを余儀なくされ、人種差別や警察の弾圧やさまざまな形態の抑圧に曝されてきたことの結果である。このように海外離散を余儀なくされているプエルト・リコ人の状況はプエルト・リコに対する植民地支配の直接の結果であって、植民地主義の終焉以外によっては解決できない問題である。
- 2.2 プエルト・リコにおける軍事化の増強
合衆国軍隊の駐留こそは、1898年の軍事的侵略以降合衆国がプエルト・リコに対して取り続けてきた支配の主要な要素である。プエルト・リコの土地の12パーセントが軍によって占有されている。ルーズベルト・ロード基地を中心とする軍事基地によってプエルト・リコは合衆国のカリブ海における軍事的プレゼンスの中心の地位を負わされている。この10年間の間に島の軍事化は更に増強されてきた。
合衆国のパナマにおける軍事基地の閉鎖に伴い、施設や部隊がプエルト・リコに移駐してきた。こうしてプエルト・リコはラテンアメリカで最大の米軍集中地域となった。合衆国軍南部方面司令部のうち、陸軍南部方面、海軍南部方面の全部、空軍南部方面の一部がプエルト・リコに移駐された。
プエルト・リコ駐留の米軍施設は、合衆国の他国に対する直接間接の不法な介入に、大きな役割を果たして来た。
- 2.3 プエルト・リコ人民の文化、言語、法的慣習に対する継続的な侵害
1898年のプエルト・リコ侵略と占領とともじ「アメリカ化」政策が開始され、実際に以下の例に示されるような文化は買いが行われた。英語が必須の言語とされ、学校教育のカリキュラムからプエルト・リコの歴史が削除された。プエルト・リコ国歌を歌うこと、プエルト・リコ国旗を掲げることが犯罪とされた。
これらの制限が取り払われた後も、英語はすべての政府関係の公用語であり、プエルト・リコ刑法は合衆国法に取り替えられ、合衆国の裁判所がプエルト・リコの裁判所の判決を覆し得る権能を持つようになり、合衆国の法がプエルト・リコに対して、その慣習及び伝統に反し、かつプエルト・リコ憲法に直接に違反しつつ、その顕著な例が死刑制度なのだが、及ぼされるようになった。
これらの制限は、人民が自由にその文化を発展させる権利を確認した、1993年6月25日の「人権国際会議」の「宣言及び行動プログラム」に違反している。同時に同宣言は民主主義と人権尊重が、独自の言語と文化に対する権利と不可分のものであることを付け加えている。文化的な制限はまた、少数者の文化の享受と発展のためには彼らの人権、言語への権利の尊重が絶対的な条件であるとして、これを確認した「民族的、人種的、宗教的および言語的少数者に属する人々の権利の宣言」にも違反している。
- 2.4 独立運動は依然として抑圧され犯罪視されている
1898年に合衆国軍隊がプエルト・リコを侵略して以来、合衆国の介入に対する抵抗を行う者に対する抑圧の長い歴史があった。当法廷は元政治犯や独立運動の指導者たちによるかかる歴史についての証言を聞いた。1999年9月の釈放に至るまで19年間獄中にあった11人の独立運動の闘士達に対して付けられた釈放の条件は、これらの拘束の政治的本質を明らかにしている。
彼らの釈放はプエルト・リコにおける人民の圧倒的な支持、そして大規模な国際的キャンペーンの成果である。
われわれは「脱植民地化委員会」の決議とともに、拘束されているプエルト・リコ人のすべての政治犯の即時釈放を要求する。そして同時にFBIと合衆国法務省による20年以上にわたる嫌がらせ、妨害、犯罪化のキャンペーンの標的にされてきたシカゴの独立運動への弾圧を糾弾するものである。
III. ビエケス人民に対する人権侵害
IV. 判決
2000年11月21日
ビエケス及びサン・フアン、プエルト・リコ
デニス・ブルータス博士、裁判長
マニュエル・ラモン・アラルコン・カラクエル博士、副裁判長
アデリート・デ・ヘスス・ソラレス、副裁判長
ライナー・ヒューレ博士、副裁判長
グラハム・ラッセル博士、副裁判長
ウォルター・F・サリバン師、副裁判長
アントニア・パントーヤ博士、副裁判長
F・リャン・マロンソン首長代理、副裁判長
国際法廷はビエケスにおける海軍の人権侵害を糾弾する
2000年12月14日
ロバート・ラビン、ビエケスの救援と発展のための委員会
北米合衆国政府、とりわけ合衆国海軍は60年間にわたるこの島における演習の結果、プエルト・リコ、ビエケスの人民の人権を侵害している点において有罪である。これが去る11月16日から20日にかけて、ビエケスのコント・ミラソル・フォルトにおいて開催されたプエルト・リコおよびビエケスにおける人権侵害に関する国際法廷が数日間にわたる証拠調べの後に下した判決である。
ルイス・ニエベス・ファルコン博士を代表とする「プエルト・リコ人権委員会」と「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」がこの法廷を主催した。「ビエケスの平和と正義のためのキャンプ」のコーディネーターでありCRDVのメンバーであるニルダ・メディーナが当法廷に関連する膨大な作業をこなし、ビエケスの闘いとの連帯のためのこの重要なプロジェクトを成功させるためにたくさんの地域の人々を動員することに貢献した。
この法廷は、プエルト・リコの植民地的な地位に基づくもっとも基本的な人権の侵害、独立のために闘う人々、そしてビエケスにおける合衆国海軍の駐留に反対して闘う人々への弾圧を、国際的に糾弾するのに役立った。ビエケスにおいてこの法廷を開催することを通じて軍事化という問題に焦点を当てることができた。アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの専門家たちが裁判官として参加したことで、ビエケスの問題に関する情報を国際的に流布することができた。
南アフリカの国民的詩人であり、アパルトヘイト下においてはネルソン・マンデラ氏とともに政治犯であったデニス・ブルータス博士が、ドイツ、東チモール、カナダ、スペイン、合衆国、そしてプエルト・リコからの名だたる人権擁護の活動家からなる裁判官団を代表した。バージニア州リッチモンドのカトリック司教であり、「合衆国・パックス・クリスチ」(カトリック教会の平和組織)の全国代表でもあるウォルター・F・サリバン師、「ラテンアメリカ人権問題文書および情報センター」と「ニュルンベルク人権センター」の創設メンバーであるドイツのライナー・ヒューレ博士も裁判官メンバーとして参加した。プエルト・リコ人民の弁護団には、民族自決のための闘いやビエケスの非軍事化の闘いに参加した人々の弁護活動で知られたプエルト・リコの優秀な弁護士たちがあたった。フェルミン・アレサ・Jr、ホセ・フアン・ナサリオ、ペドロ・バレラ各弁護士が、プエルト・リコ諸島全域および海外に離散しているプエルト・リコ人のさまざまな政治団体、宗教団体、フェミニスト・グループ、文化運動の有名なリーダーたちが参加して証言したこの公判の全過程においてプエルト・リコおよびビエケス人民の利益を代表した。
非公式のいくつかのイベントを通じて、この法廷の裁判官やその他の関係者たちは地域の人々と交流し、われわれの音楽や文化や歴史について学ぶ時間を持つことができた。一日目の夜、裁判官や弁護人たちはさまざまなグループの代表と会見することができたし、ルーベン・ボナノ・トリオの演奏にあわせて踊ったりする機会に恵まれた。土曜の夜には、公判に参加したおよそ50人の人々が、毎土曜日にキャンプ・ガルシア前の爆撃演習場につながるゲートで行われている「平和と正義、抵抗のキャンプ」の集会に、数百人のビエケス人とともに参加した。日曜日の夕方には裁判官たち、アドバイザーたちは公判の参加者たちとともに「ビエケス・リーブレ(自由ビエケス)」グループの話を聞くことができた。週末には、生命豊かな湾を訪れ、また人類学・歴史学上重要な場所を見学することができた。
初日は自決権問題、合衆国による地域経済の支配、軍事化、政治的弾圧、人民の強制移住、抗議および文化的表現などに焦点が当てられた。弁護人としてフアン・マリ・ブラス、ノエル・コロン・マルティネス、マルガリータ・メルガル博士、ルーベン・ベリオスの代理としてフェルナンド・マルティン、メソジスト教会のフアン・ベラ師およびカトリック教会のコラーダ・デル・リオ師の代理人が参加した。合衆国の「統一キリスト教会」の高官からの証言も受けた。
公判に参加したプエルト・リコの元政治犯たちもビエケスの人々と生活をともにし、軍隊駐留に起因する困難について直接経験する機会を持った。
ルーシーとアリシアのロドリゲス姉妹とエリサム・エスコバルの発表は、地域の人々からの賞賛を集めた。元政治犯のディルシア・パガン、カルメン・バレンティン、エドウィン・コルテス、ルイス・ロサが公判のオブザーバーをつとめた。プエルト・リコの解放戦士であり、ヒロインであるロリータ・レブロンはプエルト・リコにおける今世紀全体を通じた政治的弾圧についての証言を行った後、参加者全員起立しての喝采を受けた。
日曜日には、女性、漁民、宗教関係者、活動家等々、ビエケスの地域のさまざまな部門を代表する人たちが軍隊の駐留に起因する悲惨な現状について証言を行った市長候補ダマソ・セラノ氏は開廷にあたって裁判に参加した人々に対する友好と感謝のスピーチを行った。クリスチーナ・ガライ氏とミリアム・***氏はそれぞれメソジスト教会、ビエケス女性連合を代表して、1950年代および1960年代における海軍の兵員によるビエケスの女性に対する犯罪について詳述した。カルロス・セノン氏と息子のヤブレイボさんは歴史的かつ英雄的な漁民たちの闘いについて、またCRDVの地域活動家のイスマイル・グアダルペ氏は軍隊と警察による地域闘争に対する弾圧の問題についてそれぞれ語った。ビエケスの漁民であるカルロス・”プリエト”・ベンチュラ氏は海洋における環境破壊について証言した。ラダメス・ティラド元市長(プエルト・リコ国民党、1976年〜1980年)は、軍の駐留を推進する候補者を擁立するために海軍が地域の政治に介入してきた状況について述べた。
環境問題の専門家である科学者ホルヘ・フェルナンデス・ポルト氏とリリオ・マルケス氏は、島の東部における半世紀以上にわたる爆撃などの軍事行動に起因する重金属、ウラニウムなどの有害化学物質による破壊と汚染について詳細にわたって述べた。CRDVのラファエル・リベラ・カスターニョ博士と公衆衛生学校のクルス・マリア・ナサリオ氏は、ビエケスの人々の健康と福祉に対してこれら軍隊による汚染がどのような影響を及ぼしている下についてさまざまな証拠を提示した。CRDVのメンバーであり、ビエケス歴史資料館の館長であるロバート・ラビンは軍事施設内部にある人類学的、歴史的に重要な遺跡、文化遺産などの破壊を通じて海軍が文化的な「ジェノサイド(皆殺し政策)」を実施しているとして弾劾する短い証言を行った。
判決は以下のことを確認している。「ビエケス人民が、生命、健全な環境、社会および経済的発展への不可侵の権利を有すること。そしてこれらの権利が合衆国海軍の駐留及び活動によって常に脅かされてきていること。かかる状況は合衆国政府と海軍が、この島の人々に対する部分的にせよ全面的にせよ破壊を目的とした政策を取りつづけてきたことの結果であり、現に人民に対し死亡、深刻な肉体的、精神的危害が加えられてきた」としている。
法廷は、ビエケスにおける軍事行動の即時かつ永久的な停止を命ずるよう合衆国政府に対して勧告した。同時に法廷はビエケスの環境浄化、人民の健康及び天然資源に対して加えられた損失に対する補償、及び島の経済復興のための援助を推奨している。
国際法廷はビエケスにおいてであれ、その他世界のどの地域であれ合衆国の軍事政策が人々の基本的人権を直接に侵害していることを広く明らかにし、弾劾することを通じてこの政策を疑わしいものとすることに貢献した。過去6ヶ月にわたって「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」はビエケスの状況を明らかにするためにスペイン、イングランド、韓国、日本、メキシコ、キューバ、合衆国等々へ、地域活動家を派遣してきた。また過去数年間にわたってCRDVは「和解のための仲間たち(合衆国)」、「平和と正義のためのカリブ海プロジェクト(プエルト・リコ)」と協力して軍縮と環境浄化のために国際的な代表団の招請を行ってきた。「プエルト・リコ及びビエケスにおける人権侵害に関する国際法廷」は、ビエケスの平和をめざす運動にとって重要な貢献を残しただろう。
国際法廷関連の最終報告などの文書等、関連情報はわれわれCRDVにEメールbieke@coqui.netで問い合わせて下さい。委員会のウェッブサイトhttp://www.viequeslibre.orgもよろしく。
「インディオ・ガール」のエミリー・サリエスとルーデス・ペレス、12月8日にビエケスにやってくる
ビエケス島における軍による汚染と人々の闘い(ロバート・ラビン氏の講演)
2000年12月4日
こんにちは、ビエケスの人々に心をお寄せいただいているみなさん。
ビエケスからごあいさつを送ります。さる11月にカリフォルニア州サンディエゴにある「軍事有害物質プロジェクト」が主催したフォーラムでの講演録、「合衆国軍隊によるビエケス島の汚染と、これに対する人々の闘い」を添付します。これは、1940年代以来のこのプエルト・リコの離島の合衆国海軍による占領と、その爆撃演習に起因する生態系、経済、そして人々の健康に対する破滅的な侵害、そしてこれに対して、その尊厳と平和的生存権を防衛するためのビエケス人の英雄的な闘いについて簡単にまとめたものです。ビエケスの闘いを、より多くの人々に知っていただくために、この文書を(地元の新聞への投稿、教会関係、学校関係のグループでの利用などを通じて)使っていただくことをお願いします。
また、私たちはこの文書をスペイン語に翻訳する人を探しています。私たちの委員会では多くの文書をスペイン語から英語へ、また英語からスペイン語へ翻訳しなければなりません。お手伝いいただけるなら、是非ご連絡ください。
海軍はビエケスから出て行け!
ビエケス・リーブレのウェッブ・サイトにもこの文書があります。
http://www.micronetix.net/virus/contamination.htm
合衆国軍隊によるビエケス島の汚染と、これに対する人々の闘い
ロバート・L・ラビン・シーガル、ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)*
こんばんは、みなさん。過去60年間にわたって合衆国海軍に占領されている、プエルト・リコのビエケス島における人々の闘いについてみなさんにお伝えできるこのような機会を作ってくださった、このイベントの主催者に感謝します。私はまたプエルト・リコの人々、中でもビエケス島の人々に対して、私が過去20年間にわたってこの島に居住し、そのような特別の場所で平和と正義のための貴重な闘いに参加してともに活動することを許してくれたことを感謝しなければなりません。
私は今ここで、「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」を代表して発言しています。この「委員会」はビエケスの地域団体で、この小さなカリブ海に浮かぶ島の人々の、四つの「D」で表される基本的な要求、つまり「非軍事化demilitarization、汚染除去decontamination、土地の返還devolution、そして、発展development」を守るために発足されました。
私は今夜、ここでビエケスにおける合衆国軍隊の駐留と、それによってもたらされた環境上、健康上、社会経済上の影響について、そして世界史上最強のこの海軍に対する小さな島の人々の、歴史に記さるべき、英雄的な戦いについてお話いたしましょう。
1999年4月19日の東部標準時7時ごろ、プエルト・リコ、ビエケス島の爆撃演習場で演習を行っていた一人の合衆国海軍のパイロットがFA-18ジェットから2発の500ポンド実弾を発射しましたが、その爆弾は目標をそれ、海軍の監視小屋を破壊しました。民間人の警備員、デビッド・セインズさんが死亡し、何人かが怪我をしました。
デビッド・セインズの死は確実に予測されていた死の記録です。何十年もの間ビエケス人は爆撃や射撃演習、そして軍隊の駐留そのものを止めてくれるよう叫んできました。海軍が目標をはずしたのはこれがはじめてではありません。海岸近くの海に放置してある大量の不発弾、サンゴ礁などの海洋環境に爆撃が及ぼす破壊についてビエケスの漁師たちは誰でも不満を漏らします。1993年10月、同じくFA-18ジェットがおよそ10マイルにわたって目標をはずし、5発の500ポンド弾をビエケスの市街地から1マイルのところに投下しました。
さいわいこの時は死者は出ませんでした。1994年11月の2週間にわたる演習で海軍航空部隊はビエケス島に合計2万ポンドの実弾を投下しました。その中にはナパーム弾も含まれています。1998年の合衆国海軍とプエルト・リコ国防部隊との合同演習中、サンタ・マーレ地区の市役所の駐車場に停めてあった公立学校のスクールバスの窓が弾丸によって割れました。市役所の職員たちは射撃が終わるまで避難しなければなりませんでした。
ビエケス島はプエルト・リコの本島から南東6マイルのところに浮かぶ離島です。およそ9千人の人口の72パーセントが貧困レベル以下で生活しています。市役所の調べでは50パーセント以上が失業しています。プエルト・リコ大学公衆衛生学部の調査ではビエケスではプエルト・リコの他の地域に比べて27パーセント、ガンの発症率が高いとのことです。ガンによる死亡率は34パーセント、プエルト・リコ全体に比べて高いとのことです。
プエルト・リコ議会はこの高いガンの発症率の原因を究明するために疫学的な調査を行うことを命じました。ビエケスの人々も、プエルト・リコの環境や医療関係の専門家も一様に、この高いガンの発症率を、合衆国海軍とNATO軍(海軍はNATOやその他の諸国に対してビエケス島を爆撃演習場として「貸し出して」いるのです)の演習によってもたらされた環境破壊に関連づけて理解しています。
1940年代以来、合衆国海軍はビエケスの3万3千エーカーの土地の4分の3を占有しています。島の西の端は弾薬庫として、東側の3分の1は爆撃等の演習場として。40年代の軍による土地の接収は今日に至るまで社会経済的な歪みをもたらしています。海軍はビエケス島とプエルト・リコ本島とを結ぶ最短ルートを占有しています。(だからプエルト・リコの港湾当局は、軍が使用している6海里のルートの代わりに18海里のルートを使用しなければならないのです。)海軍は島の一番高度の高い地点、最良の水脈、最も肥沃な土地、長大な白い砂浜、そして何百もの考古学的に価値のある遺跡を占有しています。
半世紀以上の爆撃演習と新型爆弾の実験によって、大規模な生態系の破壊が生じています。プエルト・リコ大学**・ピエドラス校地理学部長ホセ・セギノ・バルボーサ教授の「ビエケス、囚われの島のエコロジー」と題する論文によれば「島の東端の地域には1キロメートルあたりにして月よりもたくさんのクレーターがある」とのことです。教授は次のように付け加えています。「ビエケスにおける天然及び人的資源に対する破壊は国際法及び人権の基本的な規範を逸脱している。なかでも海岸地域、水質、騒音、海中資源、考古学的文化財及び土地利用に関する州及び連邦の法に対する侵犯が行われている」と。
化学技術者ラファエル・クルス・ペレスは「ディメンシオ」誌(プエルト・リコ技術者・測量士協会誌、1988年1月)に掲載された「プエルト・リコ、ビエケスにおける爆発物及び爆発物残留物による汚染」という記事の中で「・・・爆発から発生する化学物質(TNT,NO3,NO2,RDX及びテトリル)はさまざまな伝播機構を介して民間人居住区域に運ばれる。・・・ビエケスの民間人居住区域における粉塵の実効濃度が1立方メートル当たり197マイクログラムを超えており、従って清浄な空気に関する連邦の法的基準を上回っていることが判明した」と述べています。プエルト・リコの代表的な環境問題の権威であるネフタル・ガルシア博士とホルヘ・フェルナンデス氏による研究によれば、軍事行動に起因する、土壌及び水中における重金属等の有害物質の異常な高濃度な蓄積が見られるとのことです。EPA(合衆国環境庁)とプエルト・リコ環境審査会は以前海中への有害物質の投棄につながる爆撃演習を許可しない方針を示していました。しかし大統領命令の署名によって、これらの省庁も、ビエケスの環境や人民に対する自らの責任を全うすることを放棄し、海軍の破壊的な行動の継続に許可を与えてしまったのでした。
「軍事有害物質プロジェクト」が行った「情報公開法に基づく請求」によって入手した情報によると、1999年の5月に海軍が陳述しているところによると、263発の劣化ウラン弾は、同年のユーゴスラビアにおける戦争に備えた演習に際してビエケスの爆撃演習場にハリア・ジェットから「誤って」発射された、とのことです。「原子力規制委員会」の文書によると、現在までに56発の劣化ウラン弾が回収されたに過ぎず、演習場内部の通常兵器の不発弾の危険性が大きすぎるため、劣化ウラン弾(DU)の回収作業は1999年8月まで延期されました。海軍は現在に至るまで、彼らの言う「浄化作業」の現況について明らかにしていません。劣化ウランは、すでに異常に高い発ガン率を示しているビエケスの住民にたいして、さらに深刻な健康障害を加えるおそれがあります。海軍はおそらくはもう何十年にもわたって、ビエケス島を劣化ウランの演習及び実験場として使用してきたのだと、私たちは考えています。
過去2年間にわたる調査により、砒素、バリウム、カドミウム、亜鉛、コバルト、銅、錫、水銀、銀、鉛の高濃度の蓄積が確認されました。アルミ、クロム、鉄、マンガン、ニッケル、バナジウムの蓄積が見られる場所もあります。ニトロ化合物、亜硝酸化合物、アンモニア、ディーゼル油によく見られる炭化水素類、リン酸化合物など、爆弾の爆発によって形成されたり、軍事物資の中に見られることの多いこれらの物質もまた確認されました。高濃度の蓄積が見られるこれらの金属類は爆弾、発射火薬、塗料、通常兵器及び劣化ウランの弾薬、ナパーム弾、廃棄物、照明弾、等々海軍がビエケスで使用する装備の中から検出されました。
金属類はビエケスの植物、バイオリニスト・クラブ(カニの一種)、魚、ムラサキイガイ、タラシアなどの動植物の体内、海草藻場、そして人体から検出されています。このことは生体蓄積が生じていることを示しています。水銀や鉛の高濃度蓄積がレイテオンやジェネラル・エレクトリックなどの米国企業に雇用されて爆撃演習場で働くビエケスの民間人労働者の頭髪のサンプルから検出されています。
アルミ、アンチモン、砒素、ビスマス、鉛の高濃度蓄積は爆撃演習場で働いているわけではないビエケス人の頭髪からも検出されています。通常より高い濃度を示す物質はこのほか、ホウ素、カドミウム、錫、マンガン、水銀、銀、バナジウムなどです。ウランに関しては民間人の便のサンプルから通常より高い濃度で検出されています。
漁師たちは何十年にもわたって海軍が爆撃をやめ、島から撤収することを要求してきました。巨大な軍艦はしばしば仕掛け網を壊したし、爆撃や演習のたびに島の周辺の最良の漁場への立ち入りがきびしく制限されるのですから。軍艦の砲撃で漁船が被害を受けたり、漁の最中に間近に爆発が発生して漁師が大怪我をしたことも数限りなくありました。
4月19日のデビッド・セインズの死以来、ビエケスのグループとプエルト・リコ本島からの支援者達は、新たな爆撃あるいは演習の再開を阻止するために、爆撃演習地域の内部に入りました。セインズが死んだ場所の近くには「ビエケスの救援と発展のための委員会(CPRDV)」のメンバーや漁師たちなどによって巨大な十字架が4月22日に建てられました。その日以来、2000年5月4日の逮捕に至るまで、この十字架の近くでプエルト・リコの大学生たちとともに若いビエケスの男女たちが徹夜の見張りを続けたのです。この場所は今では「デビッド山」と呼ばれています。
プエルト・リコ独立党(PIP)は「デビッド山」からおよそ1マイルの地点、これも爆撃演習地域の内部ですが、に常設の団結キャンプを5月8日から設営しました。ビエケス島の北岸地域では(「デビッド山」及びPIPのキャンプはいずれも島の南岸にあります)、漁師や住民のグループがヤイ・キー地域を占領し、CPRDVと「全国オストシアーノ会議(プエルト・リコ独立を求める連合組織)」の支援を受けた教員グループはちょうどヤイ・キーを望む対岸のビーチに礼拝堂を建てて立てこもりました。これらすべての抗議行動が行われた場所は、いずれも海軍による立ち入り制限区域内にありました。労働団体、カトリックとプロテスタントの教区教会の関係者、大学生などがそれぞれ別のキャンプを設営しました。
爆撃演習場につながるキャンプ・ガルシアの入り口には、別のキャンプが12月3日に作られました。すべての軍用車両や兵員が基地の中に入ったり基地から出たりすることを阻止するためです。これは教会のグループ、政党グループ、「ビエケス女性連合」、青年グループ、そして「ビエケスの救援と発展のための委員会」による共同のプロジェクトです。
1999年6月25日、知事によって任命され、3つの主要な政党、教会のメンバー、漁民、そしてビエケス市長からなる「ビエケス問題特別調査委員会」は「完全な非軍事化、汚染除去、すべての土地の人民への返還そして地域の発展」を求める地域住民の立場を支持するレポートを提出しました。プエルト・リコ知事はビエケスにおける軍事行動の即時全面停止を要求する公共政策を打ち出したのです。
CPRDVの代表団のロビー活動により7月の「国連脱植民地化委員会」の最終決議にビエケスに関する明快な声明を盛り込ませることができました。ビエケスの委員会を通じてジュネーブの「国連人権高等弁務官」に対して正式な抗議が伝えられました。また「米州機構」に対しても海軍による人権侵害を理由とする申し立てが行われました。本島では全国的な調整委員会である「すべてのプエルト・リコはビエケスとともに」が1999年7月4日にセイバのルーズベルト・ロード海軍基地のゲート前に5万人の人々を動員してデモを行いました。
ビエケスの軍隊駐留に関する調査のために任命された大統領諮問委員会(その3人のメンバーのうち2人が国防省の役人ですが)は、海軍が代替施設を探すための5年間の間にわたる爆撃演習の継続を提唱する報告を発表しました。この報告はプエルト・リコのすべての分野の人々から拒否されました。
今年(2000年)の1月、プエルト・リコ知事は突然態度を豹変し、少なくともあと3年の爆撃演習の継続を認める文書をクリントン大統領との間に交わしました。クリントン氏とプエルト・リコ知事のペドロ・ロセッジョ氏が1月31日に署名した大統領命令が、ビエケス人民に対する一言の断りもないまま、爆撃演習場に立てこもっていた市民的不服従の抗議者たちを排除し、その直後に爆撃を再開するゴーサインとなったのです。
大統領命令には、島の西端の8千エーカーと東部の1万5千エーカーの土地の浄化とビエケス人民への返還がほのめかされています。しかし、議会は最近「軍用地収用法」を可決し、その規定によれば、海軍が支配する2万3千エーカーのうちのわずか4千エーカーのみが返還されるに過ぎないことになっています。地域住民の参加を一切欠いたまま、海軍とプエルト・リコ政府は何らの環境浄化も行わないまま土地の返還に向けて作業を開始しています。プエルト・リコ知事とクリントン大統領との合意は最近議会によって変更されその改正案が可決されました。これによって実弾演習の再開が可能となりましたし、この法案には島の東部3分の1の土地のビエケス人民への返還についても、射爆場の浄化作業についても一切触れられていません。そればかりか、電磁波による汚染が懸念される海軍の巨大なROTHRレーダー施設は存続され、島の最も高い山であるピラタ山は依然として海軍に占領されたままで、諜報通信設備として機能しつづけることになりました。
この年の2月、15万人以上の人々がサン・フアンの町を行進し大統領命令への反対を表明しました。史上最大規模といわれるこのデモは、プエルト・リコの最も影響力の大きい宗教指導者たちが、私たちの地域の要求「もう、ただ一発の爆弾もいらない!たった一分間の演習もいらない!」を支持して呼びかけたものです。
この年の5月4日、1千人以上の海兵隊員、何百人もの連邦職員(FBI、税関職員、連邦保安官など)が爆撃演習場内部に残っていた200人以上の人々を逮捕しました。逮捕された人々は、教会関係者、漁民、主婦、学生、労働者、組合指導者、おばあさん、ひいおばあさん、などなどです。その直後に海軍は爆撃を再開しました。「爆発性のない弾丸を用いて、そして、一年にたった90日間だけ」と彼らは言います。
この5月4日の逮捕劇以来、1千人近い人々が、爆撃演習場内部や、その他の海軍による立ち入り制限区域内に市民的不服従行動の一環として侵入して、逮捕されました。小人数、中規模、そして大規模なグループが、漁船に乗って海上から、基地の境界線のフェンスを越えて陸上から、何百人ものビエケス人や本島からのプエルト・リコ人支援者たちが、爆撃の継続に抗議し、これを止めるために、そしてこの島の非軍事化を要求して侵入したのです。
5月13日には54人の人々がキャンプ・ガルシアの立ち入り禁止区域に入り、逮捕されました。6月1日に、海軍の監視の目をぬって爆撃演習場に侵入し、ガンで亡くなったビエケスの女性たちを弔う儀式を行って、そののち逮捕されるという行動の指揮をとったのはビエケス人の女性グループでした。過去6ヶ月間にわたる当地での市民的不服従行動に参加して逮捕された何百人の人々のなかには、女性グループ、ビエケス人の大学生たち、労働組合や宗教指導者たち、そしてプエルト・リコ人の医師達、「ビエケスの平和のための芸術家たち」のグループなどが含まれています。
この年の6月プエルト・リコ独立党は海軍の演習を妨害するために数々の大規模な市民的不服従行動を組織しました。同党の議長で上院議員のルーベン・ベレス氏は他の議員、市長候補、市議会議員達やプエルト・リコの女性グループとともに同党主催のこれらの行動に参加しました。百人以上の同党のメンバーが逮捕され、多くはサン・フアンの連邦拘置所で一ヶ月以上も拘束されました。
同時期にビエケスの漁民たちは、市民的不服従行動を行った後、追跡してきた高速、ハイテクの海軍の警備艇を浅いサンゴ礁に誘い込んで座礁させて、出し抜いていました。彼らは民間人地域に無事に戻ってこれました。
10月1日、ビエケスとプエルト・リコ本島の連合組織は市民的不服従を支持する行進を行いました。エスペランサ地区ではおよそ5万人が参加しました。その間70人が島の西端の立ち入り禁止区域に入りました。このデモに参加するために何百人もの人々がヨットや漁船でビエケスにやってきてくれたのでした。
次の日曜日、何百人ものビエケス人が海軍のキャンプ・ガルシアの入り口を2時間にわたる示威行動の間、自家用車で封鎖しました。11月22日には、地域の人々が爆撃演習場につながる入り口近くの海軍のフェンスを大々的に引き倒しました。基地の中から警備員たちが抗議者に接近しようとすると、彼らはペンキの詰まった風船を投げつけられ、笛の音で迎えられたのです。
去る10月17日、NATO軍の大規模演習の最中に9人のビエケス人が爆撃演習場に入りました。海軍はこれらの人々がいることを伝えられていながら、船舶及びジェット機からの爆撃を続けたのです。市民的不服従行動の一環として爆撃演習場に入っていたこのグループの3人は、グループのうちの最高齢のアンヘル・ナバロさん、この人は朝鮮戦争の従軍経験を持つ70才の退役軍人なのですが、この人が糖尿病の発作を起こしたので監視小屋に避難しようとした時、砲撃にあいました。ナバロさんに医師の診察を受けさせようとしている時、このグループのいた数フィートのところに爆弾が投下されました。
ちょうど同じ頃、カトリック教会執事ユスティーノ・ロペス氏、ビエケス前市長ラダメス・ティラド氏、ビエケスの退職教師にして退役軍人であるアンヘル・グァダルペ氏、デビッド・セインズの死の直前に妻をガンで失ったホセ・シルバさん、ビエケス商工会の指導的なメンバー、セドリック・モラレスさん、そして私は午前8時から午後11時まで、砲火を避けながら演習場内部をあちこち移動していたのです。翌日午前4時から6時までの間に爆撃演習場全体を横切ったのち、監視小屋の近辺で、私たちは逮捕されました。
過去一年半にわたって、「ビエケスの救援と発展のための委員会(CRDV)」は爆撃エリアの入り口に「平和と正義のキャンプ」を設営して毎週土曜日の夜に抗議集会を行ってきました。先週の土曜日には200人ほどの人々が参加しました。その夜はFBIとプエルト・リコ警察のガサ入れがあるといううわさが流れていたので、30人ほどの人々が徹夜で見張りに立ってくれました。
合衆国本土でもビエケスに連帯して市民的不服従の行動が行われており、ビエケスの私たちは当地におけるプエルト・リコ人コミュニティーやそれ以外の人々が組織してくれたこれらの行動に対して深く感銘を受けています。先週の日曜日にはプエルト・リコとニューヨークの活動家が「自由の女神」像にビエケスとプエルト・リコの旗、そしてビエケスの平和を求めるプラカードを掲げて逮捕されました。
「委員会」のメンバーは最近、この島の合衆国軍隊の駐留がもたらす問題についての理解を広め、同時に同様に合衆国軍隊による環境破壊や抑圧を受けている世界の各地域の人々の経験から学ぶために、韓国、沖縄、イングランド、メキシコ、合衆国などの各地を旅してきました。ハワイ、フィリピン、パナマの仲間たちとは持続的なコンタクトがあり、これらの地域の活動家たちにもビエケスに来ていただきました。
11月16日から20日まで、私たちはビエケスにおいて「プエルト・リコ及びビエケスにおける人権侵害」に関する国際法廷を、世界中から裁判官や傍聴人を招請して、開催します。
私たちは今や、「彼ら」の次の「作戦」に応じて、私たちの次の戦略を練っています。
「解放されたビエケス」に関する簡単なメモ。
CPRDVは「ビエケス女性連合」、「ビエケス保護のためのトラスト」等の地域団体と協力して、海軍から解放されたビエケスの未来の社会的・経済的発展のビジョンを打ち出していこうとしています。ここ何年かの間CPRDVは国連の「軍縮のための経済学者集団」やコロンビア大学の「都市計画技術プログラム」と協力関係をもっています。1999年の7月には、CPRDVの呼びかけに基づいてプエルト・リコの優秀な専門家からなる「学際的技術チーム」が発足されました。
地域の草の根グループは海軍から解放された土地をビエケス人民の手によって維持していくために地域の人々による土地トラストを提唱しています。また私たちはビエケスの地域の人々が経済発展のプロセスに全面的に参画できるよう、持続的な教育訓練のプログラムを確立することを計画しています。
ビエケス島の汚染除去は、この島の健全な社会的・経済的発展のために不可欠です。私たちはかかる軍事主義の終焉と、環境の回復、自然権に基づきビエケス人民に帰属すべき土地の返還を求めて、闘いを継続します。
ビエケス人民はこの歴史的な時点において、あなたの援助を必要としています。さまざまな団体や個人が、ビエケスの問題を、職場、学校、地域、宗教上の集まりの場で提起することを通じて、ビエケスに対する連帯を表明してくださることをお願いします。ビエケスの平和のための闘いは、世界のいたるところに暮らす人々に共通な、生命と、自由と、幸福追求への権利のために、たとえ私たちの生きる時代において最も強大な軍事力を持った国に対するものであったとしても、闘われなければならない闘いです。
ご静聴ありがとうございました。
*「ビエケスの救援と発展のための委員会(CPRDV)」は合衆国軍隊のビエケス駐留を終わらせ、島の持続可能な発展を推進するために1993年に設立されました。CPRDVへのカンパはBox 1424, Vieques, PR 00765まで、お問い合わせはbieke@coqui.netまでどうぞ。
2001年1月13日
ビエケスの平和と正義を求める女性たち、ニューヨークで募兵事務所をブロック
マンハッタン、ニューヨーク、本日午後2時15分、6人の女性がブロードウェイ43番街タイムズ・スクエアのど真ん中にある合衆国軍募兵事務所の入り口を封鎖し、合衆国大統領がその行政権を行使し、ビエケスからの兵員の撤収を命ずることを要求した。「合衆国海軍はビエケスから出て行け!」と叫びながら女性活動家たちは、ニューヨーク市警がやってきて6人を逮捕するまで一時間半にわたって入り口を封鎖したのだ。彼女たちは8番街と9番街の間の35番通りにあるミッドタウン南警察署に連行された。
ニューヨーク市にいる仲間たちは、逮捕された彼女たちを激励し、ビエケスを支援するために8番街と9番街の間の35番通りに来てほしい!
プレス・リリース
プエルト・リコ、ビエケスの平和と正義を求める女たち
日付 | 2001年1月13日(土曜日) |
時刻 | 午後1:30きっかり |
場所 | 7番街47番通り |
プエルト・リコ、ビエケスの平和と正義を求めて、今一度私たちは市民的不服従の行動を行う。ビエケス島におけるすべての爆撃、すべての軍事演習の停止と、合衆国海軍の即時撤収を要求する。
私たちは合衆国大統領がその行政権を行使しビエケスに駐留する軍隊の撤収を命ずることを要求する。非軍事化、汚染除去、地域の発展と、そして土地の返還を要求するビエケスの女たち、子供たち、男たちと声を合わせて私たちは叫ぶ。ビエケスの兄弟姉妹たちがそうしているように、私たちもまた、私たちが敬愛する公民権運動のリーダー、市民的不服従の先駆者マーティン・ルーサー・キング・Jrの用いた方法を再び採用して。
今日、ここにおいて、私たちは、60年間にわたる軍事的占領、島を常時戦争状態においてきたこと、汚染、そして、ガンや喘息の高い発生率、ウラン、水銀、カドミウム等の有害化学物質による汚染に見られるような「環境における人種主義」を弾劾する。かかる人間性への犯罪は合衆国のプエルト・リコにたいする植民地主義の明確な表現である。
合衆国海軍はビエケスから出て行け!!
プエルト・リコ市長会、ビエケス問題に関してクリントン大統領に直訴
プエルト・リコの新知事・カルデロン氏、ビエケス問題に関してクリントン大統領に要請
プエルト・リコはビエケスでの爆撃の終了を求める
プエルト・リコの新知事シラ・マリア・カルデロン氏、ビエケス島の合衆国海軍演習場の撤去を要求(AP)
ジョン・マリノ
特別寄稿
2001年1月20日
(サン・フアン、プエルト・リコ)新知事のシラ・マリア・カルデロン氏は、宗教関係者政党指導者等とともに、庁舎前での式典に参加し、そこで祈りのために跪きながら、神が「ビエケスにおいて長年にわたって求められてきた、平和への正しい道を照らし出し選ばせてくださるよう」祈りをささげた。
地域のリーダーたちもカルデロン氏に付き添い、何千人にも及ぶプエルト・リコ人も静かな祈りに参加した。「ビエケスの平和のための国民の祈り」、合衆国政府がビエケス島に維持している問題の多い演習場〜の撤収を命ずるよう、クリントン大統領が退陣する今日まで、プレッシャーをかけ続けるために企画された連続行動のうちの最新のものである。
海軍の演習によって、人口9,600人のビエケス島の住民の多くが心臓など内臓の疾患によって害されている恐れがあるとの調査の予備報告の結果を受けて、カルデロン氏はクリントン大統領の反応を待っている。
大統領はビエケスでの軍事行動の中止を命じはしなかった。しかしホワイトハウスは厚生省に対し調査結果を分析しその予備報告をホワイトハウス並びに海軍大臣、国防大臣に2月末までに提出するよう命じた。
金曜日にクリントン大統領は国防大臣に対し演習場の代替地を探すことを命じた。覚え書きによるとクリントン氏は、ビエケスにおける海軍の実弾演習の継続を認めることになる住民投票をプエルト・リコは拒否するであろうとの見通しを示し、大西洋艦隊の2003年5月1日までのすべての訓練計画に関する報告を3月9日までに提出するよう求めていた。
カルデロン氏は「事態の深刻さ、出来る限り早期の事実の解明の重要性を認識している点で」、ホワイトハウスの命令を歓迎すると述べた。
自治領保健省の報告によると1990年代を通じてビエケスではプエルト・リコ本島に比して26.6パーセント発ガン率が高い。このため海軍の演習がビエケス住民の健康を害しているのではないかとの疑いがもたれていた。1999年4月19日の海軍演習中の誤爆によるデビッド・セインズ・ロドリゲスの死が、60年間にわたる演習の終了を求める声に火をつけて以降、数多くの調査が実施されてきた。
ほとんどの研究は島の東側の爆撃演習場と西側の海軍弾薬貯蔵施設に挟まれるようにして暮らしているこの地域の自然環境や民間人の健康に対して汚染が影響を及ぼしているか否かに関わるものである。
1月10日に発表されたプエルト・リコ大学マヤヘス校の研究者たちによる調査は、爆撃演習場から10マイル離れたビエケスの民間人居住地域の植生や農作物について鉛、カドミウム、マグネシウム、同などの金属の重度の汚染が生じているとしている。
1月2日に就任したカルデロン知事が発表した調査は、海軍の艦砲射撃の爆発音によって発生する衝撃波の被曝による影響に焦点を当てている。
当地における心臓疾患の権威ロベルト・トレス・アギアール、カルロス・リオス、ギジェルモ・ティラドの三氏によって実施された調査は、ビエケス住民が「振動音響疾患」という低周波騒音への被曝によって生ずる新型疾患に罹患している恐れがあることを明らかにしている。
調査の対象となった50人のビエケスの漁民およびその家族のうち、49人までが心臓の外壁の表皮が厚くなっており、39人にはその外にも心臓の異常が見られた。調査対象者の全てが、艦砲射撃の最中に水に入ったり泳いだりした経験を持っている。
調査は対照実験としてプエルト・リコ南海岸のポンセに住む50人の漁民とその家族をも対象としているが、これらのサンプルのうち25人が心臓に問題を抱えており、この年齢層のこの大きさのサンプルとしては正常であると考えられる。ポンセの子供のうち一人だけが心臓に異常が見出された。
騒音関連の疾患は肺や腸などの内臓のほか、神経系および免疫系に影響を及ぼすと考えられている。
調査を行った研究者たちは、これはあくまでも試験的な研究にすぎず、より詳細な検討のためにはなお一層の調査が必要だとしている。
この島(自治領プエルト・リコ)の初めての女性知事は海軍の爆撃演習場に対する強硬な態度で知られている。おそらく彼女の就任以降の一ヶ月間にわたるサン・フアンとワシントンとの駆け引きの大部分はビエケス問題に占められていたであろう。
カルデロン氏は海軍大臣のリチャード・ダンチッヒ氏とすでに衝突している。彼女の前任者のペドロ・ロセッジョ氏がホワイトハウスとの間で進めてきたビエケスにおける海軍駐留の将来に関する合意に関する継続審議を求めた海軍大臣に対して彼女はこれを拒絶したからだ。
その合意によれば海軍は模擬弾による演習を継続する事ができ、2003年5月1日までに海軍が撤収するか、それとも5千万ドルの振興予算の上乗せと引き換えに永久にとどまり続けるかを問う住民投票を実施することをうたっている。
カルデロン氏は選挙公約の中で海軍が合意を破っていると主張した。先月カルデロン氏が合意を支持しない旨を正式に明らかにすると、これに対してダンチッヒ氏は、海軍はビエケス島西側の土地の12月31に日までの返還及び4千万ドルの振興予算を凍結すると発表したのだ。
就任初日にカルデロン氏は抗議者たちが軍事行動の妨害をしないように基地のゲートを固めていたプエルト・リコ警察機動部隊を撤収させ、代わりに通常の警察官を警護にあてると述べた。
彼女の選挙公約のうち疑いもなく合意事項に違反することになるであろうものは、より厳しい騒音規制基準の制定である。これが制定されればビエケス沖での海軍の艦砲射撃は実施できなくなるが、カルデロン氏はこれを就任から100日以内に制定すると延べている。
彼女は新たな調査によって発覚した住民の健康に関する懸念をその根拠としてあげているが、そこには海軍の艦砲射撃をとめることの戦略的な意味も含まれている。なぜなら海軍関係者はビエケスの演習場としての価値は大西洋艦隊があらゆるタイプの演習を実施できる唯一の場所である点にあるとしているからである。
「法案は、もう完全に準備できています」とカルデロン氏はいうが、それをいつ提出するか、そもそも本当に提出するかについては明言を避けた。
(ワシントンポスト紙の記事より)