5回目の春

 5年前の春、当時北京に住んでいた友達にあてて書いた手紙を再構成してみました。2月、3月、ピースボートとかで週一回程度のボランティアをしていたんですが、その頃の手紙は阪急電車の中でメモ帳に書いたりした手書きだったんで残っていません。
 人が生きている、ただそれだけの単純な事実が、こんなにもいとおしかった、あのときの気持ちを思い出さないと、矮小な憎悪に押しつぶされてしまいそうな今日この頃。

 今、「名護に住んでいます」って言うと、「名護は今たいへんですねぇ」って少し当惑したような返事が返ってくることが多くなってきました。あのときの神戸と少し似ています。マグニチュード7の地震が襲ったのが神戸の責任でないのと同様に、世界で一番強力な日本とアメリカの政府が海上ヘリ基地を作るって決めたのも名護の罪ではありません。「がんばれ、神戸」って言う疑いもない善意の言葉があのとき神戸市民の負担になったかもしれないのと同様に、「がんばれ、名護」って言う言葉も少しつらいものがありますね。がんばらなくてもいいように、すこしだけ、がんばってみようかなと思っています。
 「負の刻印」を受けてしまった町に住んでいることが、少しだけ誇りです。
 名護の桜祭りは1月の末に終わってしまいました。本土の桜とは似ても似つかないものですが・・・新長田駅の仮設ホームの脇に咲き誇っていた桜を思い出しつつ。

2000年4月

1995年4月〜1995年6月 1995年8月〜1996年6月


戻る

miyagawasusumu@hotmail.com