アニマル・ファームだより



Saturday in the Park

ヤンバルから連れて来たシロちゃんは、その後「8種混合ワクチン」の注射を一月間隔で2回接種、その間に狂犬病予防注射を一回、その予防接種済み証明書を持って、那覇市役所別館2階の環境保全課に出頭、もう何年もフォーマットを変えていないような更半紙の「申請書」に「色、白、名前、シロ、特徴、中型犬・・・」とまるで車検証みたいにそっけないことを記入して、犬鑑札と平成13年度狂犬病予防接種済の鑑札とステッカーを受け取って、あっさり5分くらいで手続は終わる、こうしてシロちゃんは、「那覇市01846号」なる合法的存在となった。



ひどい雨でもない限り1日2回朝と夕方散歩をするという暮らしが始まった。ジョギング中のおじさんと「おはようございます」とあいさつを交わしたり、近所のおばさんに「可愛いわんちゃんね」などといわれて悦に入ったり、そういう平和で健全な市民生活。

毎日通りがかるT公園、区画整理されたばかりの新しい住宅街の中にあるので、夕方や週末ともなれば子供たちの遊び場となるそんな、どこにでもありそうな公園のお話でもしようか。
「定住観光客」も3年目ともなれば、「沖縄では・・・」などと得意そうに吹聴するのもそろそろ飽きてきた、もう何が起こっても驚かない。
離島にいくとナンバープレートのない車が堂々と走っていたりするらしいが、さすがに那覇市ではそんなことはないが、放置されたままの廃車はかなり多い。自動車工場のない、そして鉄道のないこの島には毎年おびただしい数の新車や中古車が本土から移入されてくる。この島を出て行く車はそれに比して、きっと数えるくらいに少ない違いない。いたるところ野積みにされた廃車の山、それはすでにこの島の重大な環境問題の一つになっている。
この公園のまわりの路上にも、ナンバープレートはもちろん、タイヤがなかったり、4つともパンクしていたりという車が、「駐車」してある。
そんな一台の軽バンにこんな猫たちが住み着いていた。
どちらも捨て猫か迷い猫なのだが、左側の白っぽい小猫は、とても小さいがすばしっこくて、決して人間に近寄らない。えさを出しても、しばらくして人間が離れてからやっと食べに来る。野良として生き延びる資質を備えているといえよう。
右の三毛はもう少し大きくて、最近まで飼い猫だったのだろう、ものすごくひとなつこくて遊びに来た子供たちにペタペタついて歩いていったりするから、とても危なっかしい。
車のドアは閉めてあるのだが、車体の下には小猫が通れるくらいのすきまがあるらしい。日当たりのよい午後など、ダッシュボードの上に2匹並んで昼寝をしているその光景は、公道上に放置された無主物たる廃車、そこに住み着いてしまったこれまた無主物たる捨て猫、というかなり複雑な法律関係にもかかわらず、ほほえましい。

散歩のたびごとにキャット・フードをもっていくことにした。はじめのうちは公園のごみ箱に捨ててあった発泡スチロールのトレーなんかにのせていたのだけど、風で飛んでしまうし、それ自体が「環境問題」じゃないかと、この生真面目な内地人(ないちゃー)は、お皿まで買ってきたものだ。
他にもいろんな人がえさをあげているらしい。茶碗に牛乳が入れてあったこともあった。

公園には他にも、いろいろな「生き物」が棲んでいた。
家が他にあるのかどうかは知らない、ほとんど毎日夜も朝も、同じような軽バンをここにとめてくつろいでいるおじさんがいる。夜ともなればどこからともなく同じような人たちが集まってきて宴が催されているようだ。こうして翌朝車の下のお皿には、するめやカワハギなど酒のさかな、一度はカニの甲羅が置いてあったこともあった、お弁当のエビフライのシッポ、のびたインスタントラーメンなどなどが置かれることになる。
「ちっちゃな猫ねぇー?すばしっこくて、取れんよ。」「今日はいないみたいですね。」「だからよ〜。」
少しも会話にはなっていないけれど、こうしてあいさつは交わすようになった。



一月末の土曜日の夜、いつものようにシロの散歩をしていた。公園の隅には集会所みたいな建物があるのだけれど、その前に「なにげなく」ダンボール箱が2つ重ねて置いてあって、実際シロが唸らなかったら気がつかなかっただろう、上の箱をのけてみると、子犬が2匹座っているではないか!
ほんとうに「今、捨てられました」って感じで、こんなホットな現場に居合わせるとは、何という不幸。

体長は50センチくらいはあるのだが、ダンボールのヘリを飛び越えられないのだろうか、2匹てじっとこちらをみつめて「へっ、へっ、へっ、へっ」と吠えもせずにいる。
どうすればいいか全然わからなかった。さすがに「拾う」という発想はなかった、と思う。ただどっちみち、毎日この公園に散歩に来る訳だから、もしここに捨てられたまま誰にも拾われずに住み着いてしまったとしたら、段々薄汚れてきたこいつらに来るたびにまとわりつかれる、そんな光景が頭をよぎった。見なかったことにはもうできなくなってしまっている。そういう風にこの存在を押し付けられてしまうことが、やはりとても暴力的に思え、その瞬間だけ、捨てた元飼い主を憎悪した。
あるいは、近くには保育園もあって、昼は子供たちのお遊戯場所にもなっている公園だから、野良犬がすみつくのは不可能だろう。誰かが連絡して「沖縄県動物愛護センター」で殺処分を待つことになるのか。

どちらに転んでも、耐え難いストレスをかかえこむことになる。考えるのを止めて、シロには申し訳ないが散歩を中断してドッグ・フードを取りに帰った。
まだ子供すぎてドライフードがうまく食べれないみたいだ。もう一度帰って「元気なチャピー」の缶詰を持ってきた。ダンボールの底にはおしっこがたまっていた。2匹で一缶、簡単に食べ終わってしまった。おたがいにまとわり付きながら走り回っているが、あまり遠くには行きそうにない。少し吠えはじめたので近所の人の視線も気になる。まるでわたしが捨てに来たみたいじゃないか。

里親募集中! 生後2ヶ月程度のメスです。ご連絡はmiyagawasusumu@hotmail.comまで


はっきりしているのは、今あの家に子犬2匹を受け入れるのは不可能だということ。部屋の中には7匹の猫がいる。ベランダにはフェラリアにかかった老犬がいる。
ともかく一晩はこの公園に居てもらう。人目につくようにして、拾ってくれる奇特な人が通りがかるのを期待する。それしかないでしょ?

翌朝、もちろん彼ら、わたしは犬の性器の見分け方も知らない、だから後からわかったことだが、彼女らは、まだそこに居た。子供の遊び場のために造られた築山のまわりを、平和に走り回っていた。
何をどう考えたのかうまく思い出せないけど、心は決まっていた。ともかく一時的にせよ引き取って「保護」する。どこに?何とかなるだろう。「犬がかわいそう」だから「保護する」とかいう問題じゃなくって、「保護しないでいる」ことのストレスに耐えられそうになかっただけだ。

毎度おなじみの「ビッグワン」というディスカウント・スーパーに開店と同時に駆け込み、首輪とリードを買った。白いのにはブルー地にピンクの首輪に、青いリード、茶色いのには赤字に黄色の首輪に、赤いリード、完璧なカラーコーディネートじゃないか、気がつくと、生まれてくる子供の服を選ぶ父親みたいにはしゃいでいた。

公園に取って返すと、おりしも日曜日、案の定近所の小学生たちが集まって、子犬達と遊んでいる。
こんなに犬猫を飼う羽目になってしまっても、飼うこと自体が「癒し」であるより、ストレスになってしまっているから、わたしはきっとそんなに動物が好きではないんだと思う。でも、実は人間の子供はもっと苦手なんだ。塾の講師という仕事柄、やむなく小学生の授業をしたことも何度かあったけど、いつも怒鳴り散らして泣かせていたという最低の講師だった。
でも、ここは友好的に行かなければいけない。「誰か飼ってあげられる人いない?」近くのマンションの子が多いみたいでむずかしそうだ。でも「大家さんに頼んでみる」とか「○○ちゃんにきいてみる」とか、きっと当てにならないんだろうけど、「じゃ、この子達はおじさんがあずかっとくから、飼えそうな人が見つかったら電話してね」とケイタイ番号をメモして渡しまくった。
買ってきた首輪とリードを、子供たちと一緒になってつけて、これって動物が取り持つ子供たちとの心の交流ってやつですか?あぁ、寒ぶ。

「おじさんのおうち遠いの?1匹運んであげるよ」と、女の子が二人ついてきた。ほほえましいじゃないか、ありがたいことじゃないか、でも甘かったね。動物のこともわかっていないが、子供のことはもっとわかっていなかった。
30分もしないうちに、階段をどたばたどたばたと駆け上がってくる音がして、「おじさん犬見せて!」と、5、6人ほどもやってきた。こいつら断じて飼い主なんて探してない、ただ子犬を撫で回して、引っ張りまわして遊びたいだけじゃないか。早くも「心の交流」にうんざりしてきた。



ちょうど日曜日なので、「ケルビム」というグループが毎週「ワンニャン里親募集会」というのを、やっているというのを動物病院においてあるチラシとかで見たことがあったので、思い切って電話してみた。
「昨日子犬2匹拾ったんですけど・・・」
「いいですよ。ちょうど今里親募集会やってますから、連れてきたらどうですか?ほんとは、お医者さんに行ってもらって検便とか検査とかしてもらってから来てもらうことにしているんですけど、昨日ならしょうがないですからいいですよ」
というありがたいお返事。さっそく、ダンボール箱にバスタオルを布いて2匹を詰め込み、車にのせて、会場の「ジャスコ那覇店・入り口前の芝生」に向かった。

「出品」者は私の他に3人くらい、どなたもご自分の飼い犬が生んだ子犬を連れてこられているようだ。「だっこしてもいいですよ」とか「あんまり鳴きませんよ」とか、立ち止まった日曜日の買い物帰りの「お客さん」達に、「商品」の説明などして愛想を振り撒いておられて、まじめに里親になってもらう人を探すつもりなら私もそうしなければならないのだが、何せこちらは今朝拾ったばかり、「この犬、かなり大きくなるんですかねぇ?」「さあっー」「今、いくつですか?」「さあっー」、こんな営業では、おぼつかない。

曇り空の風のきつい、結構寒い日だった。子犬達も寒かったのだろう、2回もおしっこをちびってしまった。
1時から4時まで3時間、それでも我慢して座っていた。たくさんの子供や大人が、入れ替わり立ち代わりやってきて、だっこしたり、なでまわしたり。
白い子の方が人気があるみたいだ。「この子は目が可愛いねぇ」とか、中学生くらいの男の子が言っていた。そんなもんですかね、幸か不幸か動物を「選んで」飼ったことのない私には、わからないけれど、それにしても、おまえはオヤジか!
カゴの中で2匹ぴったりくっついて暖め合っている、こんなに仲のいい2匹のうち1匹が選ばれて、「じゃあ、こっちください」「ありがとうございます」みたいになるのかな?
この「ケルビム」の里親募集会は、100パーセント無償のボランティア・ワークなんだけど、「成約」した場合は、捨て犬捨て猫のシェルターを作るという壮大な計画へのカンパとして500円を払う決まりになっている。その趣旨を説明したパネルなどもちゃんと展示してあるのだけれど、通り掛かりのお客さんとしては、結局、「この犬いくらなの?」「500円だって!」「えっ、やっすぅーい!」という認識になってしまうのも仕方なく、そんなこんなで私は、真剣に里親を探さなければたいへんなことになってしまうなってしまうという立場も忘れて、急速に気が滅入ってきて、気がつけば、早く時間が過ぎればいい、誰にももらっていらない、オレが連れて帰る!などとムキになっていた。

今朝拾ったばかりなのに早くもかなり「親バカ」が入っていて、この子達結構可愛いんじゃないっ?、だから売れるんじゃないっ?、て思ってたんだけど、他の犬も相当に可愛くて、なかなか競争は激しかった。結局今日は一件だけご成約。もちろん、私ではない。大型犬になりそうなこと、メスであること、がハンディのようだ。
「ほんとうはメスの方が飼いやすいんですけどね」とケルビムの方もおっしゃって下さったが、結局この子達が捨てられたのも、メスだったからなんだろう、知らなかったけどこの「ペット界の常識」のハードルは結構高いみたいだ。
そうやって、去勢手術もせずにオス犬を放し飼いにして、どこか他の飼い犬のメスが妊娠して、できた子供たちのうちオスだけ貰い手がついて、残ったメスが公園に捨てられるのかしら?かなりすごい「モラル」だとは思うけど、そんな「義憤」は今は気分じゃない。

一応、やるだけのことはやったぞ、みたいな言い訳で心が晴れやかになって、帰りにはペットショップによって大き目のカゴを買い、なんか、意気揚々と戻ってきた。



結局翌日、知り合いのつてで1匹の里親は決まった。首里の、もちろん庭付きのおうちにお住まいの老インテリ、以前にも犬を飼っていたが、老後の楽しみに改めて、という願ってもない申し出。わざわざ拙宅までご足労いただき、2匹を見ていただいた。ほぼ十中八、九予想された通り、「じゃ、白いのをもらっていくか」。
「ありがとうございます」。こんなに仲がいいんですから、ぜひ2匹とももらって下さいよ!とプッシュしようと心に決めていたんだが、言葉にならなかった。
名前もつけていなかったけど、この白いワンちゃん、幸せな第二の人生を歩んで下さい。捨てられたのが土曜日、日曜日に拾われて一日中いろんな人になでまわされて、その夜は寒いうちの屋上で過ごして、こうして月曜日の夜には暖かい家庭に迎え入れられる。よかったよかった。

里親募集中!
というわけで、白い方のワンちゃんの里親は見つかりました。
引き続き茶色い方の里親になってくれる方を探しています!
ご連絡はmiyagawasusumu@hotmail.comまで


そして、取り残されてしまった茶色のワンちゃん。確かに2匹比べると、少し落ち着きがないし、吠えたりかんだりもするし、売れ残っても仕方がないかも。そう思うと不憫で、また身につまされる思いで、「よーし、こうなったら、うちで面倒見ようじゃないか!」などといきまいてみたり。
ともかく長期戦になりそうだし、そのためにはシロちゃんと仲良く暮らしてもらわなければならない。カゴを2階のベランダに移し、シロとスキンシップがはかれるようにした。いつもの散歩のときに他の犬に出会ったときみたいに唸って威嚇することはないから、まずは大丈夫なのかもしれないが、もちろん別に歓迎しているようにも見えない。
よし、じゃぁ、いっしょに散歩をしよう!・・・それが間違いの始まりだった。土曜の公園の物語は、まだまだ続く。



子犬を散歩させるというのは、かなり熟練を要する仕事のようだ。とてもまっすぐには歩いてくれないし、車が来ても止まってくれないし、落ちている物を何でも口に入れそうになるし。
あとから知ったが、家で生まれた子犬の場合は、ワクチン接種は生後4ヶ月以降からしかできないので、それまでは路傍に落ちているいろいろな物から感染症をおこさないために散歩に連れ出さないのが常識らしい。
だから、ましてやフェラリアのせいですぐに息が切れてしまうシロちゃんと、並んで歩かせるのは至難の業、止まりたいときに引っ張られ、歩きたいときに引き戻され、どちらにとっても、またこちらにとってもストレスだらけであまり散歩の意味がないかもしれない。

もう少しゆっくり時間をかけるべきだったんだろうが、私は多分焦っていたのね。
首輪やリードにも慣れていないから、ぴょこぴょこ歩いているうちにすぐにぐるぐるにからまってしまう。ほとんど3mおきにそれをほどいてあげないといけない。
公園にいたときも、屋上に放していたときも、全然逃げようとしなかったから、少しの間なら大丈夫だろう。そう判断してリードをはずした。おぉ、ゆっくり歩くシロのまわりを跳ね回りながらついてくる。いいじゃないか!絵になってるじゃないか!
これなら、やっていけるかもしれない。一瞬だけ、とても幸せだった。

犬を放し飼いにしていたらいなくなってしまったんですよ、などとさも不満そうに話しているのを聞くたびに、コンビニや動物病院に「迷い犬探して下さい、某月某日、見失いました」などというチラシが貼ってあるのを見たりするたびに、「こいつらアホちゃうか?どうぶつ、つないでなかったら、にげるのあたりまえやろ?」と思ってた。
こうして首輪や鑑札をつけたまま、クタクタに汚れてしまった「野良犬」がたくさんいる。また、そうやって放し飼いにされた犬達が夕方ともなると、「自主的」に散歩をして、もちろんうんちはそのまま放置してあるから、近所の人の怒りは買うし、そして、繰り返しになるけど、去勢や避妊をしていなかった場合、またどこかで子犬が生まれ、またどこかで子犬が捨てられる。

ふたたび、そんな「義憤」は、まぁおいといて、ていうか、もうなんにも言う資格がなくなってしまった。よく知らないことを憶測だけで判断して、とりあえず非難してみるのは、やっぱりやめた方がいい。いろいろ事情があるかもしれないのだ。
ミニチュア・なんとかっていう品種なのかな、とても小さな、猫くらいの大きさの犬で、それはそれはいつもけたたましく吠える犬を飼っている家がある。その家の前を通りがかっていきなり吠え立てられて、びっくりしてしまったんだろう。一目散に逃げてしまったのだ。全速力だった。さすがに大型犬の猟犬の子供、目にも止まらない速さだった。シロを連れたまま追いかけようとしても、話にならない。あっという間に見失ってしまった。

なんということだ。一番やってはならないことをやってしまった。激しく後悔した。散歩に連れ出そうとして、家の前で座り込んでしまったのを無理矢理引っ張り出したり、シロがうんちをしているときに纏わりつこうとしたところを邪険にしてしまったり、そんなことをするんじゃなかった。おとといどこかから運ばれて捨てられて、きのう拾われて一日中晒し者にされ、今日は今日で、ずっと一緒にいた兄弟と突然引き離され、無理矢理散歩に連れ出された。この子にとっては何がなんだか訳が分からなかっただろう。恨んでいるかもしれない。もう二度と帰ってこないかもしれない。あるいは、帰ろうにも何にも覚えていないだろう。初めて散歩に出たばかりなんだから。
何をやっているんだろう。「捨て犬」を拾って「助けた」気になっていた。それを、一日もたたないうちに首輪をつけたまま「迷い犬」にしてしまったのだ。生ゴミを漁る能もない、車をよけることもできない、そんな子犬を放してしまったのだ。公園に放っておいた方がまだましだったかもしれないのだ。
はじめはシロといっしょに、そのうち今度はシロが疲れてきてしまったので、いったんうちに帰ってひとりで出直して、探した。やみくもに歩き回った。あの子が走りはじめた直後、気配を嗅ぎ付けた犬達があちこちで一斉に吠えはじめた。見失ってしまった四つ角のすぐ側によく吠える大型犬を飼っている家がある。その犬も激しく吠えていたから、きっとこの四つ角でもおびえて右か左に曲がったに違いない、という想定に基づいて歩き回ってみた。もう夜も9時過ぎになっていたが、真っ暗な路上を横切る物は何一つ見逃さないように目を凝らした。
2時間近くも歩きまわった。もしあのまま走り続けたとしたら、もうこんな近くにはいないだろう。もしどこかに隠れているとしたら、こんな風にただ歩き回っていても、見つけられないだろう。でも、今しもそこの角を曲がったら、あの子が口を開けて「へっ、へっ、へっ、へっ」としゃがみこんでいるのでは、と思うと、なかなか切り上げられなかった。

この見込みに基づく「初動捜査」が誤りであったことが後で分かるのだが、彼女が仕事から帰ってきて捜索に合流してくれた頃には、私はもう半泣きだった。
最初からそうすべきだったのだ。彼女は通り掛かりの人たち、特に犬の散歩をしている人たちに、かたっぱしから「このぐらいの大きさの茶色の子犬見かけませんでしたか?」と声をかけまくった。
真っ黒い大きな犬を散歩させていた青年が駆け寄ってきて、茶色い子犬がさっきあそこの交差点を斜めに横切ってましたよ、と知らせてくれた。私が2時間やみくもに歩き回っていた場所と全然違う方向だった。かなり急な坂道を登りきって、交通量の多い道路に面したところだった。ずいぶん捜索範囲が広くなってしまったので、今度は車を出して、路地を一つ一つ走ってみた。

おりあしく冷たい雨も降りはじめ、二人ともくたくただった。後ろ髪を引かれる思いだったが、ともかくいったん撤収して、翌朝少し明るくなったころ、子犬もおなかをすかせて迷い出てくるだろうから、その頃もう一度出直そう、ということにした。

どこかの家に迷い込んで保護されているかもしれないから、今晩中にチラシを作って明日の朝の通勤時間前までに電柱に貼りだそう。彼女に言われるままに私はこんなチラシを作り、ローソンで50枚コピーをとった。ほんとにデジカメで写真を撮っておいてよかった。もちろんモノクロ・コピーだから、画像はこんなに鮮明ではないが。

おねがい!
迷い犬、
さがしてください!

  • 生後2ヶ月ほどの子犬、メス、茶色
  • 黄色い首輪をしています

1月28日夜、**児童公園の近くで、見失ってしまいました。
見かけた方は、下記までご連絡下さい。お願いします!

090−****−**** 宮川



眠れぬ夜を、それでも少しはうとうとして過ごし、5時半くらいかな、そろそろ空が明るくなってくる頃、50枚のチラシとガムテープをリュックに詰めて、歩きはじめた。よりによって、今年一番だったかもしれない、とても寒い夜だった。
昨夜の青年の提供してくれた情報を信頼して捜索を開始した。私たちのうちからは数百メートルも離れている。電柱や公園のトイレの壁などにチラシを貼り付けながら、歩いた。
早朝の散歩をしている人たちにも、今度は臆せず声をかけた。「茶色の子犬見ませんでしたか?」「色はよく分からんけど、あっちの公園、そう、ゲートボール場のある公園でさっき子犬見たよ。」間違いないと確信した。劇的な涙の再会をシミュレーションした。
その公園では、真っ黒なラブラドールの子犬が、一人で散歩していた。
たっぷり2時間くらい歩き回って、チラシも20枚くらいは貼った。コンビニにも何軒か寄って、チラシを貼ってもらった。8時くらいになってきて、人も車も増えてきた。そろそろ限界かな?子供たちが一斉登校してくるM小学校の裏門に一枚チラシを貼って、今回のところはあきらめて、切り上げることにした。

一度帰って少し仮眠を取って、今度はシロの散歩に出かける。犬なんだし、鼻が利くし、犯罪捜査に使われたりするくらいだし、ひょっとしたらシロが探し出してくれるんじゃないか、そんな祈るような気持ちもあった。
なるべくリードを引っ張らないようにして、シロの行きたい場所に行くようにした。決然と道路を渡って、なんと、いつもの散歩コースとは全然違うM小学校の方にぐんぐん歩いていくではないか!気がつくと、第二の目撃証言のあった、例のゲートボール場のある公園に着いたじゃないか!その頃にはもう、ほとんど確信していたね。どこかの物陰にシロがぐんぐん引っ張っていって、吠え立てる、するとその茂みから子犬がキャンキャンと飛び出してくる!そんな美しい光景を思い描いていた。
そんなテレビ番組みたいにはいかない。たっぷり一時間ばかり、今朝捜索したあたりをふたたびくまなく歩きまわった。いつになく長い散歩で疲れてしまったのだろう、シロはうちに帰ってくる路上でちょっと吐いてしまった。かわいそうに、ごめんね。不肖の飼い主のおかげで、君にも迷惑をかけてしまった。

どんよりと暗い気持ちで仕事に行く。お客さんにとっては受験シーズン目前の、とても大事な時期なんだけど、全然身が入らずいいかげんな授業をしてしまっている。周期的に、あの生暖かい生き物の体温の感触がよみがえってきて、居たたまれない気持ちになる。今日はあの地域は生ゴミの回収日だったから、なにか変な物食べたんじゃないだろうか?車に轢かれそうになっているんじゃないだろうか?

5時過ぎに、携帯電話が鳴った。知らない番号からだった。仕事中にもかかわらずとった。チラシを見て電話しました、茶色の子犬あずかっています、そう、黄色い首輪ですよ。文字通り、天にも昇る気持ちだった。鄭重にお礼を言って、仕事が終わった後受け取りに行くことにした。
授業中に携帯電話を鳴らして平然と受け答えをしていても、暖かく見守ってくれる生徒さん達に感謝しなければならない。きっと私は、電話の後は見違えるように機嫌がよくなっていたことだろう。

ところが10分後、また別の知らない番号から電話があった。相手は小学生みたいだ。学校に迷い込んできた子犬を捕まえているという。小学生と、しかも電話でコミュニケーションを取るのは、とても困難だ。全然要領を得ない。「黄色い首輪してる?」「うん、してるよ」「その首輪、赤い縁取りある?」「縁取りってなに?」
こちらとしてはさっきの電話でてっきり事態は解決していると思い込んでいた。だからこの小学生の情報がガセネタで、「ごめんね、せっかく電話してもらったけど、おじさんの犬はもう見つかったんだよ」と、仕事中でもあるし、早々に切り上げるつもりだったが、そうしないでよかった。この子はもちろん携帯電話なんかもってないし、学校の帰りにどこかよそのおうちの電話を借りてかけてきてくれたみたいだから、後からかけ直す、というわけにもいかない。何とか住所と名前を聞き出して、犬は近くの洗濯屋さんに預けてもらうことにして電話を切った。

仕事が終わった彼女に電話して、その洗濯屋さんに向かってもらった。こっちが正解だった。M小学校の校庭に迷い込んでいたのを、小学生たちが保護してくれていた。誰かが電柱のチラシを見つけてくれて、おまえ電話しろよ、みたいに選ばれたのが、きっと、彼、タイチ君だった訳だろう。
こうして彼女、ペペちゃん、逃げてしまう直前に、私はなんとなく心の中でそんな名前を決めていた、は、戻ってきた。階段を上ってうちのベランダに着くと、大声で鳴いたんだって。きっと覚えていてくれたんだ。

一件目の電話を頂いた方に、もう一度電話をして事情を話した。よくよく聞いてみると数日前に拾ったとのこと、確かに「黄色い首輪の茶色の子犬」は、ざらにいるかもしれない。でも、こんな狭い地域にそんな迷い犬が何匹もいるのも、やはり異常といえば異常なのだが、今や私はよそ様を非難できる立場ではない。さいわい、電話をしていただいた方も、その誰か知らない迷い犬を保護し続けることに、特に問題はないようなご様子、一安心して、鄭重にお礼を言って電話を切る。

こうして、ペペちゃんは戻ってきた。たいへんな3日間だった。ともかくしばらくゆっくり休んでちょうだい。ペディグリー・チャムの子犬用の缶詰をたっぷり買ってきたよ。



翌日、首里のちょっと有名なケーキ屋さんでシフォンケーキを買い、ぺぺを預かっていただいた洗濯屋さんにあいさつに行った。ここも犬を飼ってらっしゃって、そう言えばシロの散歩のときによく吠えられたものだ。おたがいさまですから、と恐縮されていた。

グリコのムース・ポッキーを30箱ばかり仕入れて、電話で聞いた住所をたよりに、タイチ君のおうちを探した。とおりがかりの子供に聞くと、すぐに見つかった。めっきり小学生とコミュニケーション出来るようになってるじゃないか!
ご両親は在宅ではなかったが、しっかり者っぽい小学校高学年のお姉さんが出てきて下さって、タイチ君とたまたま遊びに来ていたお友達に取り次いでいただいた。「犬を助けていただいたお礼の気持ちです。みんなで分けて食べてね。」

2日後、また知らない人から電話がかかってきた。タイチ君のお母さんからだった。子供たちがお菓子をもらったのでお礼の電話をしようと思ったが番号がわからず、今日たまたま歩いていたら電柱にチラシがあったのでお電話しました、とのこと。ぺぺちゃんが見つかった翌日、一応電柱のチラシははがしたつもりだったが、まだ残っていたか。
「子供たちも、自分たちのしたことが人に喜ばれる成果に結びついたっていう、いい経験になったと思います」なんて言って下さった。うまく受け答えが出来なかったのは、電話を取ったのがバスの中だっただけでなく、その言葉にちょっとウルウルしてしまったからだ。沖縄に来てから、ますます涙もろくなってしまった。
ちょっと、いい話になり過ぎてんじゃないの?「動物愛護」とか「子供との心のフレアイ」とか!

ともかく、こうしてペペちゃんは、少なくとも当分の間、うちのベランダにすむことになった。よく鳴くし、うんちやおしっこはあたりかまわずするし、シロにとっては大迷惑だろうが、こんな事情だし、何とかよろしく頼むよ。



ふたたび平穏な公園が戻ったかに思えた、その次の雨の土曜日、軽バンの下に暮らしていた白い方の小猫が、車にひかれて死んでしまった。
その日の朝の散歩のとき、二人並んで車の下で待っていて、缶詰を一缶ご馳走した。それが最後になった。
雨が晴れるのを待って、翌日、公園の花壇のそばの土を掘って弔った。生きているときはすばしっこくて捕まえられなかったから、よく分からなかったけれど、こうしてみると身体はずいぶん大きくなっていたね。
残された三毛は、この子の身体を、まるで揺り起こそうとでもするみたいに触っていたんだって。
疥癬というダニによる皮膚病で、顔がずいぶん腫れ上がってしまっている三毛を、病院に連れて行って、注射をしてもらった。平凡に「ミケ」って言う名前にした。うちに引き取って、疥癬の2回目の注射が終わったら、避妊手術を受けてもらう。名前もつけていなかった、あの小猫も、もっと早いうちにうちに連れてきていればよかったんだけどね。

こうして、毎朝廃車の軽バンにえさを運ぶこともなくなった。いつもとなりに車を止めているおじさんと言葉を交わすことも。
それから二三日後、ぺぺと散歩しているとき、いつものようにバンのドアをどんどんと叩いて、おじさんが話し掛けてきた。「さびしくなったね。あの子は人なれしてないから、わらばーに追いかけられて車から逃げきれんかったはずよー。」
「そうですね。ほんとにさびしくなりましたね。」ちなみに「わらばー」っていうのは、沖縄の言葉で「童(わらべ)」、「子供」の意味。

2002年2月3日


増殖する猫たち


猫を拾うのもいいかげんにしなけりゃならない。月一のペースで拾ってどうする?

写真左:「マックス・バリュ」という琉球ジャスコ・グループの大規模郊外型スーパーマーケットのチェーン店があるんだが、そこのお客様用大駐車場のど真ん中をさまよっていたらしい。そんなところにどうやって迷い込んだんだろう。
自分の車の下に潜りこまれたらしょうがないかも。

もう何年も前になるけど、司法試験浪人をしてたことがあって、だから生半可な法律知識があるんだけど、刑法の遺棄罪と保護責任者遺棄罪にまつわる教室設例があって、「道端で死にそうになっている人を見かけたが、そのまま通り過ぎた」、「自宅の庭で知らない人が倒れていて死にそうだったが、迷惑だったので家の外に移動した」、さて両者の罪責について論ぜよ、みたいな話なんだが、前者はもちろん無罪、路上で倒れている人を助けるべきモラル上はさておき法律上の義務はないから、見かけただけでは保護責任は生じないし、現状に変更も加えていないから「遺棄」にもあたらない。それに対して後者は自宅の庭という排他的な支配領域内で人が倒れていたのなら、場合によっては保護責任が問題になりうるし、移動させていることが「遺棄」を構成することにもなりうる、というわけだ。

そんなつまらないむかしばなしを、思い出したりもした。
ご覧のようにとても光沢のある毛色、ちょうどツキノワグマのようにおなかのところに少しだけ白い線がある。12月の半ばに拾った頃は、生後一月ぐらいだったろうか、ちょっと目付きは悪いけど、いいやつです。メスです。
カルロ・ロッシという498円の安いカリフォルニア・ワインを「マックス・バリュ」で買ったところだったので、という理由で「ロッシ」ちゃんになりました。

写真中:Oさん家の通い猫だった「ちび」。3才くらいの雌猫。何代も続いた立派な野良の家系だったらしい。最近まで子育てをしていたけれど、2匹ほどは何とか生き延びて近所の人が面倒を見ているみたい。FIVと白血病の検査は幸い陰性だったので、避妊手術も受けてもらって、狭い家で申し訳ないが晩年はこちらで過ごしてもらうことにした。
筋金入りの野良なので、こちらに来ても他の猫と全然なじまず、階段の下の暗いところに一日中かくれている。ごはんのときだけ、ちょっとだけ顔を出す。そんな状態が一月近く続いていたが、最近少しは慣れてきたかな。もう一匹、同じくOさん家からやってきた「本野良」の「ニャニャ」ちゃんというのがいるのだけど、まだ写真も撮れない。

写真右:那覇の町には、区画整理がされていなくて、ふっと角を曲がるとそれこそ戦争直後そのままみたいな家並みが広がっているところがある。57年前の戦争で、この町はほんとうに何もない場所になった。住んでいた人は死んだか、他の場所に避難した。生き延びた人たちは収容所に入れられたし、多くの土地が米軍に収用された。そんなわけで、返還された土地でも従来の土地の所有関係がはっきりしないとか、そんな理由もあるのだろう、この町の開発はまるでパッチワークのよう。このあたりには戦火を免れたのか、とても古い赤瓦の家やまるでハブが出そうなやぶがいくつか残っていて、道路は行き止まりや袋小路ばかりで、引っ越してきてから3ヶ月になるけど、まだ知らない道が山ほどある。
街灯もついていない、アスファルトの舗装もいいかげんで路肩もはっきりしないそんな道路のまんなかで、この子はくつろいでいたのだ。渋滞時には抜け道になっているのでかなり交通量も多いし、見通しの悪いカーブだから、こんなところをうろうろしていたら、間違いなく轢かれてしまうよ、と車を止めて下りたのが運の尽きだったね。 近くの草むらに連れていって、持ち合わせたキャット・フード(こんなものを常時「持ち合わせ」ているところが、すでに病は深いと言えよう)を与えたが、帰ろうとすると案の定ペタペタと道路のまんなかまでついてきてしまう。
一体どうやってこんな警戒心ゼロの猫がこんな人気のないところまでやってこれたのか、それ以前にどうやって今まで生きてこれたのか不思議だ。
さすがに拾う気はなかったよ。でも、ここに放っておくわけにはいかないだろう。何時間か後、帰りにこの道を通って、道路に張り付いた小猫の死骸を目撃する、その想像にただ耐えられなかったから、車に乗せてうちの近くまで連れていった。近所の野良猫に混じってくれれば一番ありがたい。えさは毎日出してあげているから。
2時間後、さっきとまったく同じ場所に座っていた。外のベランダに洗濯物を干している間中、足に絡みついて離れない。あきらめて、中に入れた。「この子、飼うつもりなの?」「ちょっと考える」I think(あい、てぃんく)というわけで「テン」ちゃんという名前になった。

2002年1月24日


シロの帰郷

2002年のカウント・ダウンには久しぶりに瀬嵩(せだけ)の浜に行った。シロにとっては3週間ぶりの「帰郷」。彼がどこで生まれたのかはわからないけど、ともかく少なくとも1年半の間、野良として立派に生き抜いてきたこの土地をもう一度一緒に歩いてみたかったし、お世話になった人たちにもあいさつしなければならなかった。
再び車で1時間半、途中伊芸(いげい)のサービスエリアでちょっと散歩。東海岸についたのは日没少しまえ。



汀間(ていま)の居酒屋「S」さんは今日は正月料理の準備のため休業。のれんが出ていないのにノックした私たちに不審げだったが、やがておばさんたちが出てきて下さった。
「えっ、シロ?シロなの?心配したのよ。てっきり死んでしまったと思ったわ。」
おそらくシロがこの土地に捨てられてから2年間、ここのおばさんが毎日えさをあげてたんだって。「とっても賢い犬よ。店が閉まる時間になると必ずやってくるの。」
「S」の定休日は月曜日、だから私たちが行くととてもおなかを空かしていたのはそういう訳だったのだ。
「シロ、よかったね、飼い主が見つかって!」本当に心配していらした様子に、黙って連れていったのが何か悪い事したみたいな罪悪感に駆られてしまわなくもなかった。ともかく、年を越す前にあいさつできてよかった。

3週間ぶりに汀間の国道沿いを散歩するシロの胸中がいかなるものかは読み取れないが、ロープに引かれていることもさして気にせず、足取りも軽いようだ。
カウント・ダウンのイベントまでは時間がたっぷりあるので、もう一度名護の西海岸に戻り、為又(びいまた)のバイパス沿いの「我部祖河(がぶそか)食堂」の支店でそばを食べ、「ソーキ」(豚の軟骨を煮込んだもの、「ソーキ」を沖縄そばのトッピングに使う「ソーキそば」はこの店が元祖だという)をこっそり持ち出して、駐車場で待っていたシロにふるまった。
さすがにうまそうだったね。何といっても今日は特別の日なんだから。

瀬嵩の海岸では、ご無沙汰をしている人たちにたくさん会った。オリオンビールをしたたかに飲み、会う人毎に「これがシロ、可愛いでしょ!」と、親バカ丸出しだった。

今年もよろしくお願いします。
シロちゃんの心臓に住み着いていてあと3、4年は生きるというフェラリア原虫よりも、この子が長く生きられるように、私もそのくらいは何とか生きていられるように、
2001年という年はあまり「よい年」ではなかったかもしれない。でもそれはそのほかのどの年でも同じ、たくさんの人がそれぞれのつらい記憶とともに思い出すそれぞれの年がある。
それでもなお、今年もまた、よい年でありますように!

2002年1月1日


Oさんちの猫たち

ルームメートのOさんの実家には彼女がもう何年もの間毎日えさを出しているので、たくさんの猫が通ってくる。ここでもう何代にもわたって、立派に野良生活を送っている猫たちもいれば、ここなら育ててくれるだろうということで捨てに来る人もいたのだろう、捨てられたばかりの「新人」の野良もいる。
今うちにいるアールちゃんもキキちゃんも、もとはここに捨てられていた猫だ。



そんな猫たちの中で私が一番最初に親しくなったのが、この写真の「タヌキ」。ペルシャかシャムかわからないが「外国風」の長毛種で、もともとは結構高い飼い猫だったんだろう、でもなんか「たぬき、あらいぐま」系の間抜けな表情がコミカルで、そう呼んでいるうちに、そういう名前になった。
野良としての警戒心がまったくなくって、いつ行っても車の音を聞きつけて走りよってきて、すりすり身体をこすりつけてくる。
Oさんの計画としては、野良として生き抜く力のあまりなさそうな、しかも家猫としてなじめそうなやつから順次うちに連れてくるっていうことだったんだけど、そして私も「タヌキ」とならなごめそうと楽しみにしていたのだが、頓挫してしまった。
この子は「FIV(猫免疫不全ウィルス感染症、いわゆる猫エイズ)」と「猫白血病ウィルス感染症」のどちらにもかかっていた。
いつも鼻をぐすぐすさせていたり、皮膚にできものができてもなかなか治りにくかったのは、この病気のせいで免疫力が低下していたからだったのだ。

唾液から感染するし、「FIV」に関してはワクチンなど予防方法もないので、ほかの猫と一緒に暮らすことはできないというのが獣医さんのお話だった。
Oさんは悩んだ。うちに連れてくることはできないし、このままほかの野良達と一緒にいるのも本当はよくない。でもこの子だけをどこか別の場所に隔離して、しかもちゃんと面倒を見るなんて、私たちにも、またほかの誰かにも、事実上できない。
何より「タヌキ」は住み慣れたこの場所でほかの野良達と一緒にごはんを食べたり、遊んだりするのが大好きらしい。時々風邪が治りづらくて弱っていることもあるけど、ともかく今のところはご覧の通り食欲はたっぷりあるし、健康そう。せいぜいいい物を食べて、なるべく楽しく、たくさん生き延びて下さい。明日も会いに行くよ!

2002年1月1日


アニマル・ファームだより

仕事をしていない時間はほとんどが動物の世話に費やされている。こんな筈ではなかった!私はそんなに動物愛護派ではない。ジュゴン保護!などと、まだ会ったこともない生き物のことをだしにした罰があたったんだろうか?




室内で猫3匹を飼っているのだが、そのうち1匹が胃腸が弱くて食餌療法中なものだから、餌を出すだけでもたいへん。もともと弱かったのかもしれない、過保護に育ててしまったのかもしれない、とにかく自分で食事の量をコントロールすることができないから、いつも食べ過ぎておなかをこわしている。高価な処方食を毎日与えているのだけれど、慢性的な空腹感があるのだろう、スーパーで買ってきた買い物袋をうっかり置いておこうものなら、すぐにビニール袋を食い破ってしまう。豆腐であれポテトチップスであれ食パンであれ、買ってきたらすぐにドアのある戸棚や冷蔵庫にしまう。たとえ昼寝の最中でも冷蔵庫のドアの音がするとすぐにダッシュしてくるから油断は禁物だ。
もう慣れたし、可愛いといえば可愛いからいいけど、かなり疲れる。3匹の猫に食事を出すのはこんな手順。
  1. まず小猫2匹(食事療養中の「にょろ」と、健康そのものの「キキ」)を別々の籠に入れる。缶詰のふたを開けたり盛りつけたりしている最中に飛びかかられたら最悪だし、「にょろ」が一般食を食べてもいけないし、「キキ」に高価な処方食を食べられるのも痛手だからだ。「アール」ちゃんは大人で小食だからだからその辺をうろうろしてもらっても大丈夫。
  2. 猫を何匹も飼っているところでは、たいがい大きなお皿にみんなが首を突っ込んで食べているほほえましい光景が見られるのだろうが、とんでもない。それぞれ個人用のお皿にそれぞれの食事を用意する。健康な2匹は普通のキャットフードだが、「にょろ」には処方用の一缶190円の「プレスクリプション・ダイエットi/d」という、主にターキーの肉で作られた高価な缶詰に、消化酵素の粉末を混ぜて出す。
  3. まず「アール」ちゃん、それから「キキ」、最後に「にょろ」に出す。食事制限中で慢性的飢餓状態にあるのか、「にょろ」はほとんど噛まずに飲み込んでしまうから、あっという間に食べ終わってしまって切ない声で泣き出す。そんなだからおなかがよくならないのだけれど、ともかく時間差をつける。
  4. 何とか「アール」と「キキ」が食べ終わってくれると、そのお皿を全部きれいに片づけてから、それからキャットフードをしまってある戸棚のドアを誰かが開けてしまわないように紐で縛って鍵をしてから、2匹を釈放する。疑い深い2匹はそれぞれ自分の知らない間に相手がもっといいものを食べているのではないかと、点検に余念がない。台所の流し台に飛び乗ったりするから、満腹して落ち着いて、眠くなってきてくれるまで、目が離せない。
仕事の合間に帰ってきて、これだけの作業をして、また仕事に出かける。気がついたら自分が朝から何も食べていないこともしばしば。
一体何をやっているんだろう。もううんざり、猫のいない世界に行きたい!でも、夜中に眠っていると、何か生暖かい塊が足元に感じられて、手を伸ばすとそこで丸くなって寝ている。そんなのを見ると、ついつい幸せになってしまう。


その上に犬一匹増えてしまったんだよ。「シロ」は今ベランダで寝ている。なかなかドッグフードを食べてくれない。おしっこをするための散歩のタイミングがよく分からない。時々不機嫌そうなのは、やむをえないだろう。少なくとも2年間、人間でいえばほぼ10年くらい、曲がりなりにも山原(やんばる)の田舎で地域の人々に愛されながら、「自由」な放浪生活を送ってきたのに、ある日車に詰め込まれロープをかけられ、大して広くもないベランダにつながれた上、「おまえは今日からうちの息子だよ!」とにこやかに宣告されたって、普通は喜ぶ理由がない。
国道331号線は休日ともなれば国頭方面に向かう交通量がかなり多いから、足の悪い「シロ」はいつ轢かれてしまっても不思議はない。誰かが通報して「処分」されるかもしれない。そんなこちらの不安感を解消するために無理矢理連れてきたのだから、それが本当に彼にとって幸せか?などと仮に問われたとしても答えようがない。 いくら顔を覗きこんでみても、やっぱり犬の気持ちは分からないよ。
「それが本質的な問題の解決になるのか?」という声がいつも聞こえる。何年か前なら私もそういったかもしれない。気まぐれにそれこそ「猫かわいがり」して、ちょっと困ったことになるといとも簡単に捨ててしまう、そんなペット飼い主のモラルの崩壊に憤りを感じもするけど、別に何かを「解決」したいと思っている訳でもない。

沖縄には本当に捨て猫、捨て犬、あるいは迷い猫、迷い犬なのかもしれないが、とにかく多い。動物愛護週間がやってくると新聞が取りざたするけど、沖縄県は野良犬野良猫の「処分」件数が日本全国ダントツで一位なのだ。「命ど宝(ぬちどたから)」などという言葉をもてはやしてみせる本土の「親沖縄派」はこういう事実もちゃんと伝えてほしい。
それはともかくスーパーやコンビニの駐車場で、残飯を漁りに来た犬や猫に出くわさない日の方が少ないくらい。丸々太った放し飼いの飼い猫の場合も多いけど。
高校生か大学生くらいの若い人が、そんなのを見つけるとごく自然に店の中に戻って、キャットフードやドッグフードの缶詰を買ってきて、食べさせている。缶の中身をぶちまけて、空缶を放り出したまま立ち去ってしまうところは「環境派」的にも、社会常識的にも、完全にモラル崩壊しているのだが、その「普通」さには驚かされた。この島の「ぬちどたから」に「本質的な問題の解決」を期待する方が間違っているのかもしれない。

いつも利用している「サンエー」っていうスーパーの駐車場で、ぼろぼろにくたびれた真っ黒いテリア系の捨て犬がごみ箱を漁っていた。
「今餌をあげたって、この子が生き延びれる訳ないでしょ。」
「生き延びれるとは思ってないよ。でも死ぬ前に一度でもおいしいものをたっぷり食べて、幸せな気持ちになれればいいじゃない。」
そういわれて私は、「ペディグリー・チャム」の缶詰を求めて店内に走って戻った。

「ウエルカム・トゥー・サライエボ」という映画があって、ある種シニカルな筋立てなんだけど、西ヨーロッパのマスコミ関係者が、戦火の只中のボスニアの難民の子供たちをイタリアに移送するというエピソードが挟まれる。
人間の難民と犬猫を一緒にするな、と言われそうだけど、植民地主義者の視線は所詮そのようなものだと思う。
何万人もの被害者のうちのほんの一部を「救った」としても、それは「問題の解決」にならないじゃないか、むしろ、背後のもっと「大きな問題」を隠蔽する偽善ではないかという、きわめてありそうな言論も、また一つのケースを際立たせ、「具体性」という原理的に誰にも反論できないものを武器にして相手を黙らせてみせる言論も、ともに、自分もまたこの悲惨な現状をもたらしたものの加担者かもしれないというやりきれなさから、まさに自分自身が救済されたいという、それ自体もっともな、かつ切羽詰まった欲望に根差しているのだ。
私たちは誰一人として「無罪」じゃなから、誰か他人を責めているだけではどうしようもないけれど、一方で全員が「平等」に有罪だからといって、それは何もしないことの言い訳にはならない。「罪悪感の算術」はやめよう、とスラボイ・シジェクも言っている。


暗くて固い話はその辺にして、その後の「シロ」について話そう。
野良犬を「保護」したときには何をしたらいいんだろうか。犬には登録制度があるから猫の場合とは少し違う。
沖縄の捨て犬・捨て猫の現状に憂慮している人たちは少なくなく、捨てられたペットのサンクチュアリーを作ったり、里親探しをしたり、野良猫の餌付けと去勢・避妊手術を地域住民の参加協力のもと実施していこうという「地域猫」活動とかを行っている「ケルビム」という団体もある。
「おきなわJOHO」という情報誌もこの問題にいつも紙面を割いている。ペットの「姥捨て山」として名高い「やんばる」から、犬を餌付けして連れてきたという絵になる物好きな話なんだから、記事にしてもらうことにした。「野良犬保護マニュアル」、これはそのためのメモランダム。

2001年12月11日


捕獲・連行作戦

昨日、「シロ」を無事「捕獲」、那覇に「連行」することに成功しました。年内には何とかと思っていたが、昨日は予定外。帰りぎわにとても不安そうにするので、思い切って抱きかかえて車に乗せたら、案外落ち着いている。取るものもとりあえず名護の町に出て「ビッグ1」、沖縄にはよくあるディスカウント・スーパーなんだけど、そこで首輪と散歩用のロープ、「係留」用の鎖を買った。首輪にはいろいろサイズがあって、いざ売り場に来てみるとなかなかわからない。ブルーのパットつきのナイロン製のにしました。似合ってるでしょ!
高速にのって一時間、さすがにちょっと興奮気味だったけど、近所の公園を散歩したりして少しずつ落ち着いてきてくれたみたい。犬の散歩をするのは30年ぶりくらい。小学生のときやはり「チロ」っていう名前の柴犬系の雑種がいたんだが、大して動物好きでもなかった私は父親に押し付けて、ろくに散歩もしてあげなかった。私が中学に入った頃に亡くなった。かわいそうなことをしたなって、今でも思い出すと胸のどこかがちょっと痛い。
息子の「情操教育」のためと思ったのか、動物を飼ったのに当の息子はちっとも面倒を見ず、仕方なく毎日散歩に出かけていた父も去年亡くなり、こうして遥か南の島で捨てられた老犬の世話をすることになるとは、罪滅ぼしというわけではないが、何か因果を感じなくもありません。
昨夜はベランダでバスタオルの上で眠り、今朝早くまた散歩にいきました。近所のおばさんに声をかけられたりして、だいぶリラックスしてきたのか、でっかいうんちもしてくれました。
これからまた浦添のR動物病院に連れて行き、検査や予防接種や登録やなにやかやとしなければなりません。お金もかかるけどまた頑張って働こう。
はじめて「10区の会」の事務所の前で、「シロ」に出会ったのが、確か瀬嵩(せだけ)で「あま世(ゆ)まつり」っていうイベント(「ほげほげ企画」サイト参照)があった日だから、去年の5月だった。長かったね。よく交通事故にもあわず生き延びてくれた。
いつも餌をあげて下さっていた汀間の居酒屋「S」さん、散歩というわけでもないけれど、出会うといつも黙って「シロ」の頭に握りこぶしを押し当てて、そうするとどういう訳か「シロ」もしっぽを振ってついていく、あのおじいさんとか、たまたま相談にいった名護の動物病院で受付をしていた方が汀間の人で、「シロ」のことをよく知っていて、その後もいろいろアドバイスをいただきました、これらの地元のみなさんにも、落ち着いたらちゃんと報告なければいけませんね。

2001年12月10日


そろそろ冬の気配、いかがお過ごしでしょうか?

その後のチロです。ほんとはチロじゃなくて、「シロ」らしい。汀間の人たちはそう呼んでいるみたい。「二見以北10区の会」の事務所の敷地に犬小屋を持ち込ませてもらいました。えさを置いておけるし、雨風はしのげるし、そうやって徐々に慣れてくれて、いずれは何とかして那覇に連れて来れれば、と思っています。もっとも、彼は今の暮らしが結構気に入っているみたいだけど。
今日は感謝祭、ブセナ・テラス・リゾートのランチ・バイキングで七面鳥の丸焼きを何切れかこっそり持って帰ってきて、ご賞味いただいたところ。
国道331号のむこうには汀間川のマングローブが見える。
日があたっていると、真夏のように暑いくらいなのだが、でも風はとても冷たい。そんな依然としてよく分からない沖縄の冬の一日でした。


もう一人家族を紹介しておきます。アールちゃん、3才ぐらいの三毛。ちょっと気難しい女の子です。
天気のいい日が続いているので、猫たちは窓際で昼寝をしている、そんな幸せが感染しそうな、今日この頃であります。

2001年11月25日


お引越し

11月になると、さすがにこの島でもTシャツ1枚という訳にはいかなくなります。朝晩は特に、少し冷え込むようになってきました。会う人毎に「寒くなりましたね」などとあいさつを交わす。京都から来た私としては、「寒い」というのはちょっと違うと思うんですけどね。
車に轢かれそうになっていたところを拾われた「にょろ」はこんなに大きくなりました(写真左)。「メイン・クーン」っていう最近は結構人気の高い品種の血が混じっているらしくて、少し毛も長いんですけど、そんな「高貴な」猫だからかもしれない、腸が滅法弱くて、困っています。少し食べ過ぎるとすぐ下痢をする。腸を休めるために絶食しようものなら、人間の食べ物だろうが生ゴミだろうがなんでも手を出してしまって、またおなかをこわす。
ひょっとしたら先天的に消化酵素が欠けているのではと、獣医さんに処方していただいた酵素を、これまた高価な処方用の缶詰に混ぜて食べさせる。そんなに飢えているわけはないのだが、絶食の記憶がトラウマになっているのか、食事のたびに大騒ぎ、かまれたり引っかかれたり私も生傷が絶えない。猫を飼うというのは、たとえばサザエさんちのタマみたいに、縁側でごろっと寝転んでいるのを時々相手すればいいんだと思っていた私が甘かったね。ほとんど育児ノイローゼの今日このごろ。
ところで、引越しをしました。ペット禁止のアパートでこれ以上大騒ぎをされるのは限界でしたね。ほとんど夜逃げ同然でしたけど、「にょろ」と、ルームメート一人と、そして彼女の「連れ猫」何匹かと同じ那覇市内の高台のもと一軒家の2階部分を独立した住居に改造したような、かなり広い部屋に引っ越してきました。もちろんペット可です。好きなだけないてくれわめいてくれ、近所や大家さんの耳を気にしなくてもいいだけでも、私のストレスは解消しました。
写真右は、そんな新しい家族の一人、「キキ」ちゃん、元気でおしゃまな雌猫です。生後一月くらいで、やはりおそらく捨てられていたところを保護されました。黴の一種で、足やしっぽの毛がぼろぼろ抜けてしまう病気に罹っていましたが、イソジンを希釈して塗ったり、薬を飲ませたりで、なんとか健康です。

本当はもう一人家族がいたはずなんです。生後3週間くらいの白黒の小猫で「とこ」って名前までつけていました。多分車に轢かれて、その轢いた人が置いていったんだろう。足を引きずっていました。ご飯もちゃんと食べるし、なでるとぐるぐるいって甘えるし、とりあえずちゃんと生き延びそうだし、一晩引きとって、翌日獣医さんのところに連れて行きました。
内臓を包む筋肉が事故のせいで裂けていて、胃腸が全部外に出ている、薄い皮膚だけで内臓を守っている、そんな危険な状態だったみたいです。身体が小さいので、麻酔の負担に耐えられないかもしれないといわれたけれど、手術は成功でした。手術の直後はとても回復が早く、食欲もあるし、みゃーみゃーないてお医者さんたちにも甘えるし、これは大丈夫って思われてたんだけど、傷の治りは一進一退で、ほぼ一週間目の夜、肝臓への負担が大きすぎたんでしょう、この子のために徹夜で付き合って下さっていた先生に看取られて、息を引き取りました。
結局たった一晩しかうちにはいなかったんですけどね。この子のために用意した籠には、「にょろ」と「キキ」が入って遊んでいます。「とこ」ちゃんは今、沖縄戦の犠牲者をまつる、とある慰霊塔のそばで眠っているはずです。

2001年11月13日


残暑お見舞い申し上げます

2001年8月31日

ご無沙汰しています。
最近、猫を飼っているんですよ。もちろんアパートはペット禁止なんですけどね。
ちょうど一月ほどまえ、家のすぐ近くの道路を車で走っていたんです。何か対向車が立ち往生している。見るとヘッドライトの中で、よちよち歩きの小猫がすくんでいる。この写真の時よりもっと小さいです。這うことしかできないくらいで、どうやって道路の真ん中に出てきたのかも不思議。
車から降りて、捕まえようとしたんだが、タイヤの下に隠れようとする始末。ともかく、近くの草むらに逃がして、その場は立ち去りました。
翌日どこかでお酒を飲んでタクシーで帰ってきた。タクシーから降りると切ない小猫の泣き声がする。昨日の草むらなんですね。隠れもしないで全身で鳴いています。丸一日、炎天下の中をよく生き延びたものだ。酔いも手伝っていたかもしれないが、半ばしょうがなかったですね。連れて帰りました。片手の手のひらにのりましたよ。
こうして「親バカ・育児日誌」が始まるわけです。スーパーマーケットのペットフード売り場は自分には関係ないと思っていた。猫のトイレ用の砂、最近はすごいんですね、森林間伐材を用いたエコ・コンシャスなもので、燃えるゴミに出せるとか何とか、いろいろな種類があるみたいです。
みなさまのご協力のたまものです。浦添の「R動物病院」のみなさまにもたいへんお世話になりました。私の名前と住所の入った「予防接種証明書」をいただいた時は、さすがにほろっとしましたね。
当初350グラムだった体重も、今は多分その3倍はあるでしょう。すくすくと育っているようです。
今こうしてベッドの下から時々現れては、近所に聞こえよがしな切ない泣き声で缶詰を要求するこの子を見ていると、ひょっとしてあの日道路のまんなかに飛び出してきたのは、彼なりの捨て身の演出だったのかもしれないとも思います。
「にょろ」と申します。よろしく。






猫を拾ってしまうことになったのには、多分「前振り」があります。
こちらの写真は「クック」。捨てられて、おなかにひどい怪我をして、迷い込んできたところを保護されたのですが、その人のお宅ではすでに数匹猫を飼っていて、猫社会もいろいろたいへんらしくて、弱気な「トラウマ猫」であるクックちゃんはなかなか歓迎してもらえない、いじめられてしまう、ということで、うちであずかったわけです。いやでしたよ。猫はきらいじゃなかったけど、自分で飼うとは思ってなかった。アパートはペット禁止だし。
3週間ほどいました。
よっぽどひどい目にあったのかな、大きな声でなくこともなく、一人で遊んでいましたから、とても扱いやすい猫でしたね。ささみが大好物でしたね。
新しい飼い主が見つかって、うちの近所ですけど、元気で暮らしているはずです。
「おきなわJOHO」っていう雑誌の8月号、ペット自慢のコーナーに載ってます。「クック」です。よろしく。








もう一人紹介します。
「チロ」です。
私がお手伝いさせていただいている 「ヘリ基地いらない!二見以北10区の会」「ジュゴン保護基金委員会」 の事務所がある名護市東海岸の汀間(ていま)の野良犬です。初めて会ったのは去年の5月くらいだったと思う。体中が皮膚病でぼろぼろだった。



説教くさいはなしになるけど、沖縄北部の「ヤンバル(山原)」と呼ばれる地域は中南部の都市部の人々が、「処分」に困った犬や猫を捨てに来る場所として定着しているようです。「世界遺産」にも値する生命豊かな森だから、生き延びる可能性はきわめて高いんでしょうね。元来ネズミ駆除のために移入され、のちにはハブとの闘いの観光用アトラクションに用いられたマングースも、今やその生息域の北限を広げ、ヤンバルの森の固有種の生態系を脅かしていることが問題となっています。また、多くは中南部から持ち込まれ、捨てられた猫たちが野性化して、絶滅危機種の「ヤンバルクイナ」などの脅威となっていることも指摘されています。なにせ、ヤンバルクイナは飛べない鳥ですからね。
沖縄県が近時実施したマングース捕獲計画には200匹以上の野良猫がかかったそうです。猫には犬のような登録制度がありませんから、このようにして捕獲された猫をただちに「無主物(所有権者のいない物)」と断定できない、そういう法律上の問題もあったのでしょう、この時はすべて「放免」されました。
しかし、次回は捕獲された猫をただちに殺してその胃の内容物を調べるのだそうです。今度は事前に周知徹底をして、「首輪の無い猫は無主物とみなす」みたいな推定規定も設けるみたいです。
動物愛護団体はこれに反発していまして、猫を捨てに来る飼い主のモラルの崩壊を不問に付して、猫の方を自然破壊の元凶みたいにいうのはお門違いだろう、予算があるのならこれらの猫の避妊や去勢の費用や、そもそも猫を捨てないための啓蒙・広報活動に充てて、これ以上の蔓延を防ぐのが筋だろうというわけです。ペット初心者の私としても、けだしそのとおりだと思います。

名護と那覇を車で往復すると、道路でひかれた猫の死骸を見ない日はほとんどありません。よたよた国道に飛び出してくる捨て犬に急ブレーキを踏むこともしばしば。なにが『命どぅ宝の島』やねん!と憤ったものです。
やぎもいて、豚もいて、猫も犬もみんな家の敷地内で飼っていた伝統社会のなごりなんでしょうか。今でも那覇市のような都市部でも、猫や犬を放し飼いにしているところが圧倒的に多いように思います。夕方など首輪をつけたワンちゃんたちが近所の野良犬ともども群れを成して散歩をしているのを見かけます。
それがいいか悪いかはわかりません。圧倒的な都市化、車社会化と、絶望的に齟齬を来しているのははっきりしているとは思いますが。



「チロ」も、そんなふうにして捨てられた一匹だったんだろう。
もともと「高い」犬だったのかもしれません。結構気位が高くて、なかなか人間におもねらないところが、かえって気に入られ、近所の子供たちにも愛されているみたい。近くの居酒屋の人たちから刺し身や「てびち」の残りとか、きっと上等なえさをもらっているんだろう、こうして一年間生き延びて、毛もかなり生えそろってきました。かなりのお年寄りで、後ろ足を少し引きずっているのだが、国道331号の歩道を今日もぱっかぱっかとお散歩に出かけます。
週に一度ぐらい名護に出かける時は、缶詰とビーフジャーキーをもっていってもてなします。そんなことくらいしかできませんね。
今度来た時も会えるかな、車にはねられないでね、保健所に捕まらないでね、とつらくなりますが、彼の方はあんまり気にしてないようで、とてもクールです。
「チロ」です。よろしく。

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