一年で一番寒い朝


一年で一番寒い朝、に私は生まれた。もう50年も前のことだ。その頃は、病院で出産するなんてまだまだ一般的ではなくて、明け方、母が陣痛を訴えているのに、あまりにも寒い日だったので、「産婆さん」を呼びに行くのを父が厭って、そうこうするうちに私は「産婆さん」の到着を待たず、でてきてしまったらしい。

母は、この話をよくした。母が父を実際どれほど憎んでいたかはわからないが、私にとってはこれは「刷り込み」になった。「父に愛されない子供」は、決して「円満な男の子」にはなれないのだ。

そんな「幼少期トラウマ説」はおいといて、今年も一年で一番寒い朝がやってきて、私は50歳になった。半世紀を生きてしまったことになる。そんなつもりじゃなかったのに。

私の円満ではなかった一生を、箇条書きで要約してみるならば、3行で終わる。

1.共産主義者であった。
2.阪神大震災の一週間後、神戸に行った。涙を流した。生まれてはじめて「ボランティア活動」というものを少しだけし、「瓦礫の町」を、歩き続けた。
3.猫を飼った。

私の人生には、これ以外に「重要」なことは、何一つない。この唐突な3項目は、実はちゃんとつながっているのだが、それは今は説明しない。

そして、今年の、同じくらい寒い朝、ジェリーさんが息を引き取った。

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「ありがとう。そのジェリーさん、今日明日が峠、なんだ。食欲が完全になくなったのが五日ほど前、流動食やミルク、シリンジで口に流し込んで、それでも自力で飲み込んでくれてた。今日の昼あたりから、飲み込む力も落ちてきちゃったみたい。

今日は午後から六時間授業でね、出掛けてる間に間違いなく亡くなるだろうと思ったから、「さよなら」のあいさつして出掛けた。立ち上がる力もないのに、頭を私の顔にこすりつけて、返事してくれた。

でもジェリー、まだ、今も生きてるよ!昨日は私の50歳の誕生日、特に意味はないけど、「それまでは生きてね!」って念じてた。あと何日でもいい、生きれるだけ、生きてね。「点滴セット」まだ一週間分あるからね! 」

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