フォーハンドレッド・デイズ・ウィズ・ジェリーさん(1)
1月29日の昼前、ジェリーさんは亡くなりました。完全に食欲がなくなってから、それでもちょうど一週間、もった。口にミルクを流し込んでも、飲み込めない日もあったかと思えば、点滴を入れるとすっくと立ち上がって、目元も涼しげだし、「治るんじゃないか?」と錯覚を起こした日もあったね。
長い一週間だった。「ジェリーが生きているかどうか?」以外に何にも関心がもてない状態が続いた。仕事も何もあったものじゃない。でも、おかげで、たくさん考える時間があったから、本当にジェリーさんが亡くなってしまう瞬間を、とても静かに迎えることができた。
一年以上引っ張った上、最後の土壇場まで、一週間引き伸ばすんだから、まったくジェリーったら、やってくれるわよ!
ジェリーさんが息を引き取った直後、数日間続いていた冷たい雨混じりの曇天が、きれいに晴れた。一週間、うんこやしっこで汚れたタオルを洗濯してもなかなか乾かなくてやきもきしてたのに・・・。でも、このあまりに美しい空は、ジェリーさんを「祝福」しちゃったりしているわけ?神なき私も、思わず華やいで、外に出た。
ある種の「解放感」があった。
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ジェリーさん・メモリアル「ジェリー様の足跡」、って、猫だけに、そのまんま「あしあと」やんか?
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もう5年くらいになるのかな?もともとジェリーさんは、この近所に住み着いている野良猫だった。飼い猫出身だったんだろうな?野良としてのマナーをぜんぜんわきまえてないから、身体の大きいオスだし、地域を仕切っているボス猫たちにはいじめられていたのだろう。いつの間にかうちのベランダに住み着いていたわけだ。
「通い猫」時代のジェリーさん
私が仕事から帰ってくると、足音を聞きつけて路地の入り口まで奇声を上げて駆け寄ってきて、お迎えをしてくれるのだ。それはもう、愛らしくてね!「鬱」を発症してまもなく、まだ病院で投薬を受けていた頃だ、毎日、「真顔で」死にたい死にたい、と思っていた。ジェリーの声を聞くと、そんなひりひりしたココロに、何か生暖かい粘液が流れ込んでくるみたいで、「癒される」どころの騒ぎじゃない、私はこの子達のおかげで生き延びてこられたのかも知れない。
名前の由来は、「トムとジェリー」なんだ。猫とネズミが「仲良くけんか」してるでしょ?うちでは、犬のぺぺちゃんと野良猫のジェリーさんだったわけだ。
ちゃんと野良として生きていけそうにないし、台風のときは心配だし、うちに引き取ることにした。そのときすでに10匹くらいいたのかな?今となってはたいしたことないけど、あの頃、自分が何を考えて猫を拾い続けていたのか?、実はあまり記憶がない。ほとんど、生きていることについて「意識」がなかったんだな。今の水準から見ても、かなり重い病状だったんだと思う。
ピンクのノミ取り首輪つけてる。「通い猫」だったとき、ご近所に迷惑かけてるかもしれないけど、一応気弱に「飼い猫」としての「所有権」主張するつもりで、つけていた。
ワクチン接種をして、去勢手術をして・・・、そのための検査のときに「FIV(猫免疫不全ウィルス)」感染が発覚した。カード式の検査キットに採取した血液をたらすと10分くらいで結果が出る。ジェリーさんの当時は、FIVが1枚5000円、FeLV(猫ウィルス性白血病)が1枚5000円、だったけど、今は同時にできて5000円、技術は進歩しているのだ。
「ショック」って、わけではなかったな。ほぼ「意識」なく生きてたんだから、仕方ないとも言うが、前に「トモちゃん」ってやはりエイズの猫を1年少しくらい飼っていてね、野良猫の半分くらいは感染しているってことも知っていたし。
「トモちゃん」の場合は、たぶんエイズが「発症」している段階だったんだと思う。日和見感染で風邪がぜんぜん治らなかったから。だからバスルームにちっちゃな木製の小屋を作って隔離した。ほかの猫にエイズがうつらないように、ではなく、トモちゃんが日和見感染しないように、ってことになるが、半ば「気休め」でもあった。
人間の場合と同様、エイズウィルスの感染力はそれほど強くなく、食器を共用したり、唾液が混じるくらいではうつらない、と聞いていた。トモちゃんは子猫だったけど、こんなでっかいオス猫を閉じ込めて飼うのは、こっちもあっちもストレスが大変だろうし、リスクがないわけじゃないけれど、今までどおり、みんなと一緒に暮らしてもらうことにした。
ジェリーは気難しくてね。ほかの猫とはあんまり仲良くならない。でも、ほら、時々はこんなこともするの。
今の私の暮らし、だって、普通の常識人の感覚からしたら、「愚か・異常」に尽きるんだろうけど、その私にしても、あの頃の自分のことを考えると、ちょっと怖い。やっぱり、人生、投げてたのかな?
避妊手術、去勢手術が間に合わなくて、子猫がぼこぼこ生まれてた。子猫がいるからエサは高栄養のものを、しかも、子猫は一度にたくさん食べれないから常時出しておく。子猫だけ隔離して食べさせてもいいのだが、たぶん、その辺は少し、投げやりだったんだろう。おかげで、おとなの猫すべてが、肥満になった!ほら、ジェリーさんもこのとおり、当時、8キロくらいあった。「中型犬なみですね。これだけ、でっかかったらきっとエイズも大丈夫!」と、病院でも冗談を言われてた。
いつかは「発症」するんだ、という漠然とした不安がなかったわけじゃないが、こんなにぼこぼこ太って、どたばた走り回ってるし、「もう、いい加減に食うな!」と言いたくなるくらい食欲はあるし、結局、あんまり心配してなかったな。
一度膀胱炎になったかな?でも、抗生剤飲ませて、食事療法であっさり治った。ここ数年間、年に一度のワクチン接種以外、病院に行ったのは、それぐらいだったんじゃないかしら?
この頃のことね、自分が何やってたかも大して覚えてないんだから、しょうがないとはいえ、今となってはちょっと胸が痛むのだが、ジェリーさんのことも実はあんまり覚えていない。「手間がかからない」ということは、それだけ、記憶にも残らない、ってことなんだろうな。
あまりにも肥満がひどいので、全員の食事を「体重管理用・ライト」に切り替え、ダイエットは順調に進んだに見えたが、一昨年亡くなった「ルル」や「ディーディー」、去年なくなった「リンリン」も、相前後して「激ヤセ」してしまった。
それぞれの原因は違うんだけど、なんか不安でね。このまま次々とニ十数匹の猫が倒れて行ったらどうしよう!!などと、愚かに身もだえしていた。
「ルル」や「ディーディー」には、何にもしてやれなかった。おろおろするだけで、病院に連れて行ったときはもう、半ば手遅れで、・・・。あのときは、個々の動物の病気にどう対処するのか?、と具体的に考えることができなくて、ただただ「病気の猫を抱えて路頭に迷う自分」などという漠然とした「観念」に押しつぶされて、結局時間をやり過ごしていた。
無理もないんだけどね。今、こんなことを言えるのも、ジェリーさんと、一年余りの「点滴生活」を過ごしたからなんだ!
上の写真は、入院中のジェリーさん、前足に静脈点滴用のチューブが「留置」されているので、エリザベスカラーをしている。
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