フォーハンドレッド・デイズ・ウィズ・ジェリーさん(2)
下は、退院直後。この頃は、写真を撮るのもはばかられるほど、無残にやせていた。食欲が落ちているから、ほかの猫と一緒だとますます食べれないから、小屋に隔離した。
こうして、「点滴生活」が始まる。
「テルモ・乳酸リンゲル液・ソルラクト」、500ミリリットルのパックを目分量で4等分して、一日約125ミリ。点滴の針で背中に傷を作ってしまうから、細菌感染予防のために、抗生剤を与える。また、腎臓のろ過機能を補うために、コバルジンという活性炭を摂取させてこれに老廃物を吸着させて大便から排出する。はじめは抗生剤とコバルジンも、エサの上に振りかけて食べさせようとした。でも、ジェリーは、とにかく頑固者なのだ。どういうわけかウェットフードがあまり好きではない。わざわざ、薬を飲ませるために買ってきた高価な缶詰のを食べ残された日には、ちょっと「殺意」を感じたことさえ、ある。
こんなことが、いつまで続くのか、いつまで「続けられるのか」も、わからなかった。輸液チューブの栓を閉めずに点滴パックに差し込んでしまって、だらだらこぼしてしまったことも何度もあった。背中の皮膚をつまんで針をさすのだが、勢い余って「裏側」に出てしまって、これまた液をこぼしてしまったときもある。
抗生剤とコバルジンは、病院で注射器のシリンジをもらってきて、ミルクに混ぜて無理やり口に流し込む、という方法を開発した。ひざの上にジェリーを乗せて、左手で首を押さえつつ口をこじ開け、右手で恐る恐る注射器を突っ込むと、あっさり左前足の「猫パンチ」で払いのけられてしまうことも、学んだ。
依然として、私は「意識」がなかったに違いない。今こうして、この一年の写真を並べてみて、この時期ジェリーが、「ちゃんと、回復している」ことを、初めて知った。
これまた、「メランコリー親和型」なのかもしれないが、私を没頭させたのは、「成果が上がる」ことや、「相手のよろこぶ顔が見える」といったことではなく、ただただ、「日々のルーチンワークが、うまくいく」ことなのだ。
昨日失敗したことが、今日はうまくできた。今日うまく行かなかったことは、明日、こう工夫してみよう!なんと、私は、「向上心」というもの、を取り戻していた。
「ソルラクト」500ミリパック、当初は2000円以上だったが、何ヶ月も続くのを見かねて、3割くらい割り引いていただけることになった。針やシリンジは、びっくりするほど安価だが、輸液セットとコバルジンは結構値が張った。全部で、月2万円くらいだろう。
時々笑ってしまうのだが、私、猫を飼っていなかったら今頃新車一台くらい買えていたかも知れない。もちろん、私は車には何の興味もないし、いや、車だけではなく、「人生」にかかわることほぼすべてに何の興味もないから、もうかれこれ10年前になるか、15万円で譲っていただいたカローラを大事に使っている。
そのカローラに乗って、週に一度動物病院に行く。一年間、ジェリーを連れて行ったことはない。だって、一度も調子悪くならなかったから。
点滴セットと薬を買いにいくのだ。一月分くらいまとめ買いしようか、とも思ったこともある。でも、ジェリーの慢性腎不全は、「一年もたない」ことになっている。この「ルーチンワーク」が、明日かあさってか、来週か、唐突に終わってしまうことの方が、大いにありうることなのだから、ジェリーが死んでしまった後に点滴セットがたくさん残ってしまったりしたらつらかろうし、だからちゃんと週に一度、一週間分だけ、買いに行くことにした。
まさか、一年間もつとは思わなかったよ。一昨年の暮れの入院のときの血液検査の数値から、先生は「長くて一年」とおっしゃった。だから、「一年」が、ちょっとした「目標」だった。
点滴生活1周年、2007年12月11日、ジェリーさんはまだ生きている!
だから、「本当に」一年が過ぎてしまったとき、ありそうな話しだけど、ちょっと、うろたえてしまった。
「むくみ」がでて、一年ぶりに病院に連れて行くことになって、今まで、あまりにも「生き延びる」のが当たり前になっていたから、実感がなかった。今度食欲が落ちたら、もう、回復することはないだろう、と、頭ではわかってたんだけどね。
これは、今年のお正月だ。手前はチェリーさん。
とらちゃんとポンちゃんと。
明日から、私は、もう点滴やコバルジンや抗生剤に「煩わされる」ことがない。この400日間、「煩わされる」ことこそが、私が「生きている」証だったんだけどね。
だけど安心したまえ、ポンちゃんがいる。ジェリーさんの食欲が完全になくなって、今夜が峠かもしれない、と思った夜に、よりによって退院した。下半身にも多少神経が残っていて、後ろ足も少し動かせるし、自力でうんこもしっこもできそうなんだという。
その、ポンちゃん退院ネタは、また、今度、ということで。
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